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2019-06-16

俳句の自然 子規への遡行 65 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 65

橋本 直
初出『若竹』2016年6月号 (一部改変がある)

引き続き、俳句分類丙号の呼応関係の分類について検討する。前回確認したとおり、子規の使っている「係結」は、今日におけるいわゆる「係り結びの法則」のこととは異なり、文法上の「呼応表現」全般を指している。今回はまず、「の係けり結」。全部で四十一句分類されているが、まず、現在の俳句界では主に「上五、中七、下五」と言われる呼称を、子規は「一句、二句、三句」と書いていることを断っておく。この呼応を、①「一句ト二句」、②「二句ト三句」、③「一ト三・同句」というように、呼応の場所ごとにさらに下位分類し、十三句、十四句、十四句に分けてある。なお、三つ目の分類中の「同句」は、中七の中で「の・けり」の呼応になっているものをさし、五句ある。二句ずつ例句をあげる。

 ①実石榴の歯をこぼしけり秋の風   茶良
  鶯の嘴洗ひけり紙屋川       暁台
 ②白菊の白きに友の来ざりけり    為貞
  花木槿折手に妹の狂ひけり     都雀
 ③畠主のかゝし見舞て戻りけり    蕪村
  羽を当て鷲の過けり凧       闌更

最後の闌更の句が「同句」の例である。なお、暁台、蕪村、闌更はいわゆる天明調の俳人。そのせいか、このような「の、けり」の呼応は、現在でもポピュラーなものであり、読んで違和感のある句は少ないように思う。

次は「の係なりたり結」で十句分類されている。句中のどこかで「の」と「なり」または「たり」の呼応が見られるものである。数例あげる。

 紅梅に馬具の見えたり小玄関     元壽
 山蟻のあからさまなり白牡丹     蕪村
 何となく地を這ふ蔦の哀なり     越水

なお、十句の内訳は多い順に、「なり」が句末のもの五句、「たり」が中七末のもの三句、「なり」が中七末のもの二句。

次は「の係し結」一七句。①「除ケリ結」と②「除一ト二」に下位分類されている。前者はサ変動詞に接続する「~しけり」を除く、の意で「しけり」の句は前述の「けり」の方に分類されている。後者は上五の「の」を中七の「けり」で呼応するものは除く、の意で、そちらは前者に分類されている。それぞれ二句ずつ例をあげる。

 ①新米の阪田は早し最上川      蕪村
  口上のけさは短し氷室の日     木五
 ②買手より売手の涼し心太      二荻
  明いそく夜のうつくしや竹の月   几董

次の「の係かな結」は以下の一句のみ。

 山鳥のさわくは鹿のわたる哉     暁台

その次は、「誰何係結違法」と題され六句分類されている。この用語はおそらく子規独特のものであり、どういう意味かわかりにくいが、疑問詞の呼応のことをいう。

  月今宵何を限りに鎖すべし     應美
  祭酒と誰名付たる濁り哉      傘下
  いかにして真中刈るべき深田哉   隼石
  誰住て樒流るゝ鵜川哉       蕪村
  我宿にいかに引べき清水哉     同
  何として張良逞し橋の霜      盧元

前回触れた松平円次郎著『新定日本教科書』によれば、文中に「誰」「何」「いかに」「いつ」「どこ」などの疑問詞が用いられている場合、現在の係り結びの法則とは別に、「誰が車ならむ」「何とすべきか」のように、原則として結びには「む、らむ、か、ぞ、や」が呼応するものとされていた。「違法」とあるのは、これら六句がその意味では例外であるということである。例えば一句目なら、疑問詞の「何」は原則に従えば結びは「べし」ではなく「べき(か)」等になるのが正しいことになる。この項は、いわゆる結びの省略や流れにあたるものと考えていいのであろう。

次に「ぞやかの係る結」。「ぞ」、「や」、「か」はいわゆる係結びの法則をつくる係助詞であるが、ここでは「なむ」と「こそ」がない。「こそ」は数が多いため後に別枠で分類されているのだが、「なむ」は分類されていない。見つけられなかったのかもしれない。八句分類されているが、ここでは一例ずつあげる。

  鯖焼かば曇りもぞする盆の月    古巣
  喜びの色にや笑める春の山     宗因
  又も見る闇かは花のあかりなる   秋之坊

なお、「か」はこの一句のみで、あとは「ぞ」が五句、「や」が二句である。この後一旦、係結びの表記はなく「『る』(毎句最終字)」と題された分類が挟まれ、七句分類されている。

  行春を近江の人と惜みける     芭蕉
  初雪やまづ馬屋から消そむる    許六
  文箱の先模様見る衣配り      曾良
  星の夜や寝られぬ罪や蚊かはいる  来山
  青柳や是貫之が絲による      窓柳
  堀川や水滴ながら月澄る      可楽
  夕顔や実のなる果は不形なる    古道

この分類はどうもすっきりしないのだが、係助詞「や」の結びと、句歌の技法としての連体終止がまぎらわしいものを中心に、「る」で分類しようとしたものかと思われる。

(つづく)

2019-02-03

俳句の自然 子規への遡行 64 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 64

橋本 直
初出『若竹』2016年5月号 (一部改変がある)

前回まで句末の止めの分類を追ってきた。句末に関わる表現には違いないが、今回からは呼応関係の分類に移る。子規の分類は、例えば「ぞや係結違法」「の係けり結」「の係なりたり結」「の係し結」「の係かな結」「誰何係結違法」「ぞやかの係る結」というように、「係」「結」を呼応のキーワードとして続いていくが、その中に呼応の明瞭ではないものも並行して分類されている。これからその内容を詳細に検討をしていきたいと思うのであるが、その前に、まず現代の学校教育で学習する古典文法におけるいわゆる「係り結びの法則」について一度確認しておきたい。

係り結びの法則は、「ぞ」、「なむ」、「や」、「か」、「こそ」などの特定の係助詞が文中にあるとき、その係助詞を文中で受ける活用語(主に文末)が通常と活用を変える現象で、「ぞ、なむ、こそ」は強調、「や、か」が疑問・反語の働きをもち、「ぞ、なむ、や、か」は活用語が連体形で結ばれ、「こそ」が已然形で結ばれるというものである。これを前提に先ほどの子規の分類の文言を見ると、かなり異なっているのがわかるであろう。ひとまず、この点について確認するために、子規の読んだと思われる当時の文法書を、『子規全集』第十四巻に所収の彼の蔵書目録で確認することにした。すると、『てにをは教科書』(物集高見著。明治二十六年)、『日本大文典』(落合直文著。明治二十七―三十。全四巻)、『國文法詳解』(瓜生篤忠、瓜生喬著。明治三十二年)、『日本文法教科書(一、二、三、四、五)』の四冊があった。最後の『日本文法教科書』は書名と巻数から松平円次郎著『新定日本教科書』と推定されるが、この本は明治三十五年十一月の刊行なので、子規が読んでいたとするのはおかしいことになる。全集解題によれば、この蔵書目録は「現段階では十分整理されたものとは言えない。(中略)子規蔵書以外のものもかなり混入している(中略)可能な限りで正確を期した」ということであるので、全集編纂当時の整理をすり抜けたものと思われる。とはいえ、子規当時の文法の状況を知ることができる書であることには変わりないので、あわせて各書においてどのように係り結びが扱われているのかを一通り確認しておく。

現代の教育文法は、橋本進吉博士により体系化された、いわゆる「橋本文法」の影響が大きいとされ、子規の死後にまとめられたものである。したがって、今日我々が持つ文法の概念や用語の用法は、子規の頃とは必ずしも一致していない。先の各書のうち、『てにをは教科書』、『日本大文典』の係り結びの説明は、現代では呼応の副詞とされる「唯」を含め、古文において呼応関係を導く語を広汎におさえている。したがって、いわゆる係助詞のほかにも「は、も、の、が」などが含まれる。そして、現在の終止形、連体形、已然形にあたるものを一段、二段、三段として図示している。これは、江戸時代に本居宣長が「てにをは紐鏡」で示して以来の国学の体系化してきた文法を踏まえたものであるといえよう。『國文法詳解』は先の二書と同様に、呼応全般を係り結び(係結法)としてとらえているが、今日の係り結びの法則に当たるものを「特例係結法」とし、その他の呼応関係をつくるものを「尋常係結法」と呼んで大別している。言い換えれば、今日では「特例」のほうが一般化し、「尋常」のほうは消えてなくなっているわけである。そして『日本文法教科書』は、呼応を「叙述」「命令」「疑問」「感歎」「願望」などの意味ごとに分類してそれぞれ解説している。

このように、今日の「係り結び」と子規の時代における「係り結び(係結)」の意味・用法は大きく異なると言っていいだろう。従って、これらの書の用法と同様に、子規の使っている「係結」もまた、今日における「呼応」の意味を指していると考えるのが妥当であろう。また、冒頭にあげた「ぞや係結違法」などの子規の用語は、各文法書に出ている係り結びの説明を踏まえつつ、子規が独自に使っている表現であると思われる。

以上を踏まえた上で、改めて子規の分類を確認してゆこうと思う。まず「ぞや連結法(ル結ナシ)」から。ここでいう「ル」は、先の二段、すなわち活用の連体形にあたる。つまり、係助詞「ぞ」「や」がラ行の連体形では結ばれていないものを分類しているということになる。六句が分類されている。

  旅ぞよし田植と共に物くはん   雞冠
  夜の蘭香にかくれてや花白し   蕪村
  冬の梅きのふや散りぬ石の上   同
  時鳥鳴々飛ぶぞ閙はし      はせを
  お乳の人添寝ぞゆかし枕蚊帳   綾戸
  凍やしぬ人轉ひつる夜の音    鷺喬

二句目と六句目が完了の助動詞「ぬ」、それ以外はすべて形容詞が結びに当たるが、もし係り結びの法則になっていれば、連体形結びになって「ぬ」なら「ぬる」、形容詞なら「~(し)き」となるべきところ、すべて終止形であり、いわゆる「結びの流れ(消滅)」ということになる。ただ、江戸の俳人達は、日常語では中世以降終止形と連体形が同形化し、係り結びの法則が既に乱れた時代に、あえて句で結びを丁寧にやっているところがあるはずであり、平安時代の文法を基準としている現行の古語辞典レベルで単純に解釈することには問題が残ると言えよう。

(つづく)

2018-12-02

俳句の自然 子規への遡行 63 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 63

橋本 直
初出『若竹』2016年4月号 (一部改変がある)

前回、前々回の内容に一部重複があった。お詫び申し上げる。引き続き子規の俳句分類「丙号」について検討を続ける。前回の末で、子規は習作期から晩年に至るまで、句末を「か」で止める句を二十四句詠んでおり、そのうち「~か~か」で並立になる句が十句あることを指摘したが、書ききれなかった点を少し補足しておく。以下、子規が写生を称えるきっかけとなった中村不折と出会った明治二十七年以降の八句だけ再度引用する。

  山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か   明治27
  今日か明日か炉を塞がうかどうせうか  29
  戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か    29
  夜明から秋立つことかそのことか    29
  木の実くふ我が前の世は猿か鳥か    30
  鍋焼を待たんかいもを喰はんか     30
  そもさんか卯の花か達磨の骨なるか   33
  歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか   34

このように、いずれの句も、つい口をついて出た内容を軽い調子で詠んでいるようであり、晩年までそのような詠み方を続けていたことがわかる。俳句と言うよりも、会話の延長や、洒落や語呂合わせを生み出す時の気分に近い印象を持つ。これは、明らかにいわゆる俳句でいうところの写生のような、対象物を描写することに心を砕く創作態度ではない。子規は自ら主張する文学としての俳句においては確かに写生を強調していたけれども、実作においては写生一辺倒ではなかったことがよくわかる。

さて、「か」止めの次は「の」である。九句が分類されている。そのうち八句までが、名詞につく主格や連体修飾語をつくる格助詞の「の」を倒置にして句末においた形である。例を挙げると、

  宿からん花にくれなば貫之の    素堂
  つもりぬる雪は夢かも春の夜の   素外

一句目は「貫之の宿からん」の倒置であり、二句目は「春の夜の夢かも」の倒置であろう。他もこの調子であるが、一句ある例外は、

  そよりともせいて秋立つ事かいの  鬼貫

この句末は、感動や確かめ、念押しなどの意味を持つ終助詞「かい」「の」が連語となっている「かいの」である。それらしい風の吹くこともなくやってきた立秋をつぶやくような口語調で詠んだものであろう。

次は「や(最終字)」である。十三句分類されている。しかし、五十八回で言及したように、子規は「切れ」の分類においても「や」を分類しており、その下五に使われたことで分類された二十三句中の二十一句までが、句末の「や」であった。今回のものと比べて、両者に句の重複はみられないが、分類のカテゴリーが違うものの、分けられた「や」に文法上の差があるわけではないので、ここで子規がこのように分けていて、かつ、重複の句がない理由はよくわからない。おそらく分類の時期と典拠が異なるのでだろう。数句あげておく。なお、五十八回と重複する文法的説明等はここでは省略する。

  稲妻の何につかへて折しそや   蛙聲
  顔見せの難波の夜は夢なれや   太祇

次に「て(最終字)」。十四句分類されている。数句例をあげると、

  月見はや紫式部妻にして     蚊足
  辛崎の松は花より朧にて     はせを
  鶯の鳴やちいさき口あけて    蕪村
  口切や五山衆なんどほのめきて  同

現代の俳句で「て止め」は、余韻を残すテクニックというより、短歌を半ばで中断したようなどこか中途半端な表現と感じられることで積極的には用いられない傾向にあるように思う。たしかに、子規の分類でも一句目に引いた句のようなものが多く、その点は否めないけれども、引用二句目以降の芭蕉や蕪村の句をみると、そう緩くはないだろう。

次に「も止」。これは数が多く、下位分類されていて、①「二も字以上入」二十句、②「にも 除数も字入」十句、③「(へも)(とも)除二も」十五句、④「(カモ)(ソモ)(ノモ)(クモ)(テモ)」十三句、」⑤「(形容詞も)(程も)(からも)(迄も)(よりも)(動詞も)(字も)」十二句、⑥「除二も字」二十句となっていて、合計一〇〇句が収集されている。数が多かったためか、かなり具体的に用語で分けてあるので、特に説明は不要かと思うが、「も」の分類であったことでしゃれたものか、子規は「文字」を「も字」と表記している。それぞれから一句ずつ例を引く。

  ①ひる顔や畠に人も旅人も      孤山
  ②菊の香や一つ葉をかく手先にも   太祇
  ③蠟八や痩は佛に似たれども     支考
  ④鶏頭や花は嵐の明日みても     梅者
  ⑤老の春初鼻毛抜く今からも     素堂
  ⑥霜の菊杖かなけれは起ふしも    嵐雪 

③の「蠟八」は「臘八会(成道会)」。仏が句行の末に悟りを開いた日の法要であり、痩せている所だけ仏に似ているという自虐による滑稽句である。句末語の分類は以上である。次回から呼応関係の分類に移る。

2018-11-11

俳句の自然 子規への遡行 62 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 62

橋本 直
初出『若竹』2016年2月号 (一部改変がある)

引き続き、子規の俳句分類「丙号」の句末の「止め」について検討する。次は「を」である。分類には「を(最終字)」と題され、十九句所収。そのうち九句が終助詞の「ものを」の句。名詞に続くものが八句。活用語の連体形につづくものが二句である。数例あげると、

  関守の宿を水鶏にとふものを    はせを
  行く秋や二度咲く花もあるものを  右幸
  銭矢立空に三五とよふ声を     嵐雪
  若水や冬は薬に結ひしを      野坡

このうち、一句目の芭蕉句の下五は、正しくは「とはふもの」である。子規が典拠とした『ゆきまるけ』は誤伝で、このままでは切れもなく平句調になってしまう。「ものを」は「~のになあ、~だなあ」などの意味で、強い詠嘆をあらわす表現であり、用例としては、百人一首六十五番、相模の歌「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」がよく知られていよう。この歌の上の句末で使われていることからも分かるとおり、「ものを」は主要な切れ字ではないけれども強い詠嘆であるがゆえに、俳句で使うと下の句を呼び込むような表現ともなってしまう。そのためか、現代の俳句では、これを句末に用いるのはまれであるように思われる。確認した範囲では子規も一句も詠んでいない。なお、この野坡の句は辞世とされる。

次に「か止」。二十六句あり、子規はこれを「(名詞ヨリツヾク)がナシ」(七句)、「最終字」(十二句)、「(動詞ヨリツヾク)除るか・がナシ」(七句)の三つに分けて分類している。この分類中では、どういう意図かはっきりしないが、変則的なものがあり、

  長き夜や若きは若き夢見るか    百明
  いたいけな君や小松にひかるゝか  真蘇

これらのように、動詞のうち語尾が「る」になるものは「最終字」の方へ分類されている。また、前回に指摘したのと同様で、この「(動詞ヨリツヾク)」の分類も、動詞の後に助詞・助動詞を伴い「か」に接続するものが分類されているので、現在の文法で考えると状況が異なる。これも数句例をあげると、

  箒木の育立やそこら掃とてか    和各
  鶯は高い梢はきらひてか      涼花
  時鳥加茂はこさじと誓ひしか    宰馬

このように、接続助詞「て」や過去の助動詞「き」の連体形「し」があって動詞に接続している。

なお、文法的には句末の「か」は終助詞であり、意味用法的には、疑問・反語・詠嘆・他者への願望がありうる。また、「~か~か」の形で、選択・並立の疑問の形にもなる。この観点でいうと、先に挙げた五句をはじめ、分類された句は総じて疑問の形で詠嘆のニュアンスをこめているように思われる。名詞に続く形の句でも、例えば

  須磨の秋の風のしみたる帆筵か   鬼貫

のように、同様である。他に、

  青柳や我大君の草か木か      蕪村
  子規声はよかろかわるかろか    貝錦

これらは選択・並立の疑問の形である。

ところで、この句末の「か」については、子規も習作期から晩年に至るまで、二十四句詠んでいる。

 ※雪の跡さては酒屋か豆腐屋か    明治22
 ※白魚かそも〱氷のかげなるか      25
  時鳥御目はさめて候か         25
  その角を蔦にからめてなく鹿か     25
  蟷螂も刀豆の実にくみつくか      25
  帰る雁朧に奈良や見ゆらんか      26
  闇の夜を鵜飼の妻の泣く頃か      26
  草餅や実業団子召すまいか       27
  喃お僧初瓜一つめすまいか       27
 ※山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か     27
  蓬莱に俳句の神を祭らんか       29
 ※今日か明日か炉を塞がうかどうせうか  29
 ※戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か    29
  筍を剝いて発句を題せんか       29
 ※夜明から秋立つことかそのことか    29
  水仙の露に眼の塵を洗はんか      29
 ※木の実くふ我が前の世は猿か鳥か    30
 ※鍋焼を待たんかいもを喰はんか     30
  鯨突きに日本海へ行く舟か       30
  合点ぢや萩のうねりの其事か      31
  我心猫にうつりてうかるゝか      32
 ※そもさんか卯の花か達磨の骨なるか   33
 ※歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか   34
  畑モアリ百合ナド咲イテ島ユタカ    35

特徴的なのは、※印をつけた句で、二十四句中十句が「か」をもちいた選択・並立の形である。この場合、軽快な口語調になり、内容も俗っぽくなるように思う。その意味では、明治二十七年の「写生」導入以降もこの詠み方をしているのは注目して良いだろう。一般に子規は写生一辺倒と思われがちだが、必ずしもそうではないことがこのようなところからもうかがえる。

2018-06-17

俳句の自然 子規への遡行 61 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 61

橋本 直
初出『若竹』2016年2月号 (一部改変がある)

子規は俳句分類「丙号」において、「切れ」の分類につづき、「は・ば・に・へ・と・ど・を・か・の・や・て・も」の十二字の句末の「止め」について収集、分類をしている。前回の続きとして、今回は「に」以後を検討していく。

まず、「に」止めの句は四七句収集され、「名詞」に接続するか、用言に接続するかで分けられ、さらに名詞は「春夏」と「秋冬」、用言は「動詞」と「形容詞副詞」とに分けられている。まず、「名詞」の方であるが、全部で二五句ある。特徴的なのは、上五を切れ字「や」で切って「に」で止める形の句が多く一七句ある。さらに中七を「や」で切るものが二句あり、合わせれば八割ちかくにのぼる。中でも蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」、「狐火や髑髏に雨のたまる夜に」は特に著名であろう。他に、

  鵙なくや赤子の頬を吸ふ時に  其角
  初雪や松にはなくて菊の葉に  野水
  山吹や葉に花に葉に花に葉に  太祇
  明月や蟹の歩みの目は空に  几董

などがある。この「や~に」の句法は、其角や野水の句があるように、芭蕉の時代にはあったものだが、芭蕉の発句はこの俳句分類に入っておらず、現在ある芭蕉の全句集で確認してもこの形のものは見当たらない。

次に、動詞の句は六句あるが、現行の文法上では、どれも動詞に直接接続しているものとはいえない。

  寒梅や日本の事と思ひしに  淇大
  鶯や今窓の戸を明けるのに  手鳴
  芭蕉忌やしぐるゝ中を米買ひに  春水

一句目は、直接動詞にではなく、過去の助動詞「き」の連体形「し」に「に」がつづく形であり、この形が二句ある。二句目は、動詞について連体修飾語をつくり、時間の意味になっている格助詞の「の」に接続している。この格助詞「の」に続く形が二句ある。三句目は、動詞の連用形の名詞化する用法に「に」が接続していて、この形が二句ある。ゆえに、いずれも直接動詞に付いているとは言えない。なお、「や~に」の形になっている句は六句中四句である。

次に、「形容詞副詞」の句は一六句ある。子規が「形容詞」と「副詞」をセットにしているのは、英文法からの影響かもしれない。また、句を見てゆくと活用語尾に「に」がある「形容動詞」がかなり入ってくることになるのだが、これは、形容動詞は現在の文法では一般的だが、子規の当時にはこの品詞が分けられていなかったためであると思われる。一六句の下五のみを列記すると、①「だゝくさに」②「いんぎんに」③「紅に」④「つめたさに」⑤「すべらかに」⑥「悲しきに」⑦「暖かに」⑧「うれしさに」⑨「夜深きに」⑩「山さらに」⑪「筋違に」⑫「散ルたびに」⑬「折からに」⑭「ちり〱に」⑮「出るやうに」⑯「真白に」となる。①②③⑤⑦⑩⑪⑭⑯は様子状態の意味を示すととれるので、意味用法は形容詞と同様なのだが、現行の古典文法で分けてゆくと、その活用形から形容動詞のナリ活用の連用形に分類されることになる。④⑧は形容詞の名詞化したものに原因を示す格助詞「に」が続くもの、⑥⑨は形容詞の連体形に時間を示す格助詞「に」が続くもので、いわゆる準体言の用法。⑫⑬は名詞に「に」がついたものとなる(⑬は副詞ともとれる)。このように、現行の文法で分類すると子規の分類の用語とかみ合ってこない。これは、形容動詞だけではなく、助詞助動詞を含め、当時の文法が現在と異なる概念であったからだと思われる。なお、「や~に」の形の句は一六句中八句である。

ところで、この「に」止めの句の有名句には、芭蕉の「猿を聞(きく)人捨子に秋の風いかに」(「野ざらし紀行」)もあるが、ここでは分類されていない。七部集に所収の句だから気づかないわけはなく、「甲号」の「秋風」には分類されているので、丙号の分類の折には見落としたものと思われる。

次に、「へ」止の句は、「水無月や風に吹かれに古郷へ」(鬼貫)など、方向を示す「へ」のみの二句である。

次に、「と」止の句は二五句あり、①「名詞動詞ヨリツヾク どナシ」八句、②「最終字」六句、③「ど止」十二句に下位分類される。①は、並立の格助詞「と」が八句中四句、引用やセリフにつく格助詞「と」が四句あるのが特徴的である。句は前者が「物言はず客と亭主と白菊と」(蓼太)などで、後者が「鵙鳴くや木曾殿討たれ給ひぬと」など。②は「止」の分類で「最終字」と注記するのは当たり前でおかしいのであるが、おそらくこれは下位分類のない、分類のごく初期に書いたものではないかと思う。②は、①の名詞動詞以外の語から続くものと考えるべき分類だろう。句は「大根を引たる穴やうそ〱と」(宗壽)、「鶯や藪へさす日のほつこりと」(東紅)など。③の「ど」はすべて逆接の接続助詞で、「梅が香や戸のあく音は覚えねど」(千代)など。

次に、「を止」は一九句である。強い感動、詠嘆をあらわす終助詞「ものを」がもっとも多く、九句。芭蕉の「関守の宿を水鶏にとふものを」などがある。ただ、子規はこの芭蕉句を『ゆきまるけ』から引いているのだが、これは誤伝とされる。ただしくは下五は「とはふもの」。他は、目的語となる格助詞で、倒置や対象の省略になっている「を」であり、句に「銭矢立空に三五とよぶ声を」(嵐雪)などがある。

2017-12-24

俳句の自然 子規への遡行 60 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 60

橋本 直
初出『若竹』2016年1月号 (一部改変がある)

子規は「切れ」の分類につづき、「は・ば・に・へ・と・ど・を・か・の・や・て・も」の十二字の句末の「止め」について収集、分類している。以下、これらについて概観する。

まず、「は止」は下位分類として、①「には=へは=とは」、②「名詞よりツヾク=春夏」、③「名詞よりツヾク=秋冬」、④上記以外に分けられている。まず①は十四句あるが、一種類ずつ例を引く。

  あら玉の馬も泥障を惜むには  嵐雪
  干瓢を太刀の尾にして都へは  自悦
  摘菜せし友を其の烟とは    也有

「泥障」は「あおり」と読む。鞍の下に敷く布で馬がはねる泥で衣服が汚れるのを防ぐもの。馬も新年には自ら泥汚れを惜しむ、という趣であろう。「には・へは・とは」に共通するのは、口語的に言いさして終わる表現になるということであるので、句末で余韻を残したり、言外に真意を匂わせようとすることになろう。②は八句③は九句ある。これも数例をあげる。

 ②花よりも猶芽独活の春の紅は   杉風
  卯の花に寒き日も有山里は   几董
 ③鐘つきよ階子に立て見る菊は  其角
  水音も鮎さびけりな山里は   嵐雪

杉風の句は変則的だが十七音。芽独活の紅さを花に勝ると賞したもの。其角の句は独特でわかりにくいが、鐘の撞かれる部分の模様を菊に、鐘全体の格子模様を階子に見立てたものかと思う。嵐雪句の「鮎さび」は「さび鮎(落ち鮎)」を動詞でつかったもの。「花の色はうつりにけりな~」の趣を鄙びた山里に置き換えたか。さらに、この形で思い出すのは、子規の句(「寒山落木」巻二所収)の「母の詞自ら句になりて」という前書きをもつ明治二十六年の作、

  毎年よ彼岸の入に寒いのは

であろう。つまり子規の母親から何気なく口をついてでた言葉が自然に俳句の形になっていたということで一句とされたものである。つまり、この形は先の場合同様、口語的になる傾向をもつのだが、同時に、「は」が主格を導く副助詞であることから、すべて倒置の句になっている。 

④は①~③以外で九句分類されているが、現在の文法の用法から見ると名詞に当たるものも含めて分類されている。例えば、

  麻にそふ荵冬よ離れ苦しさは  楚常 
  吉野のみか梅の杉田もこれは〱 吟江

一句目の「苦しさ」は、現在の文法では形容詞「苦しい」の名詞化した用法になる。二句目は「吉野の桜のみではなく、杉田の梅(現在の横浜市にあった梅の名所)も、これはこれは素晴らしいものだ」の意味。「これは〱」は、一語の感動詞ともとれるが、「これは」の連語であり「これ」は代名詞である。判断が微妙なところだが、子規は名詞ではないと判断したのであろう。その他を接続品詞ごとに例出すると、

  鯉もけふ伏見の桃に登るかは  亀世
  春雨や物読まぬ身のさりとては 虚白
  鶯の音にふくるゝか折々は   蓼太
  子やせがむ砧の音の乱るゝは  山之

一句目の「かは」は疑問の係助詞であろう。わかりにくい句だが、伏見の桃の花の見事さを流れる滝に見立てたもの。芭蕉の「我が衣に伏見の桃の雫せよ」(「野ざらし紀行」)を踏まえたものか。二句目「さりとて」は一語の接続詞。三句目の「折々」には名詞と副詞の用法があり紛らわしいが、倒置で「ふくるゝ」を修飾する副詞とみるのが妥当だろう。四句目の「乱るゝ」は動詞「乱る」の連体形。この句の上五の「子やせがむ」の形は係り結びだが、形の上では前回みた、上五に「や」があるが五音目ではないものにも該当するものの、子規はこの句をそこへ分類していない。後で係り結びにも関係する呼応の結びの分類がいくつかあるのだが、そちらにもなく、気がつかなかったのか、分かっていて後回しにするうちにそのままになったのかはわからない。

次に「ば止」めについて。子規は①「ば」の前の語の母音が「ア」か、②①以外かで下位分類を行っている。前者が十二句、後者が十三句である。まず①から数句例出する。

  夕立や田をみめぐりの神ならば  其角
  菊さきぬ母の此世にましまさば  朋水
  雪国へもうおいきやるかさらば〱 嘨山

「ば」も「は」と同様に倒置になる形であり、活用語がア母音の活用と接続するので、ほぼ仮定形の用法となる。一句目は「三圍雨乞」と前書。其角が干ばつの折、三圍(みめぐり)神社で雨乞いのためにこの句を詠んだところ、たちまち雨が降ったなどといういわくのある句でもある。二句目「ましまさば」は「いらっしゃるとしたら」。普通の仮定形だが、古歌の反実仮想を意識しているかもしれない。三句目は例外的なものであり、別れの言葉「さらば」で終わるために、仮定形ではない。次に②も数句引く。

  夏ながら五条につゞく山なれば  乙由
  魨汁やさて火をともしよく見れば 子曳

こちらは活用語の已然形に「ば」がつく順接確定条件の用法となり、分類句ではすべて原因理由の意味であった。

2017-08-27

俳句の自然 子規への遡行 59 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 59

橋本 直
初出『若竹』2015年12月号 (一部改変がある)

引き続き「や=かな」の分類について追う。次は「(夏)(秋)(冬)」十三句。春の句は二十七句が三つに下位分類されていたが、他季は数が少なくひとまとめになっている。

  常磐木や水も色そふ紅葉哉   紹巴
  夕顔や秋はいろ〱の瓢かな   はせを

など。四季を合わせると、子規は近世の俳句からちょうど四十句、切れ字「や」「かな」の重複した、いわゆる二段切れの句を収集していることになる。これは子規が集めた句の総数から見れば数多くはないけれども、作者には肖柏、紹巴、宗牧、宗因、芭蕉、嵐雪、其角ら、連歌・俳諧の時代の代表作家達が並んでいる。現代の俳句ではすっかり禁忌となっている二段切れについて、このような側面があることは興味深いことではないだろうか。

「や=かな」の次は、「やけり」の分類がされている。二十一句収集されていて、下位分類はない。

  行年や親に白髪をかくしけり  越人
  夕立やよくも男に生れけり   蓮之
  苗代や鞍馬の櫻ちりにけり   蕪村
  五月雨や田毎の闇となりにけり 同

など。特徴的なのは、蕪村の句が六句入っていることである。

ところで、引用した「五月雨や田毎の闇となりにけり」は蕪村没後まもなく刊行された『新花摘』から録られているのであるが、この頃の子規には知る由もなかったけれども、子規の死後に発見、刊行された蕪村の『自筆句帖』では「や」を抜いて「さつき雨」と推敲しているため、現在出版されている岩波文庫の『蕪村俳句集』等では、後者の句形で掲載されている。

また、蓮之の「夕立やよくも男に生れけり」は、おそらく其角の「夕涼みよくぞ男に生まれける」の模倣作であろう。子規がこの句の典拠とした『百番句合』は其角の死後の出版だが、編者の一人中川(雪兎庵)宗瑞は其角の門人でもあった。そうなると現代の感覚からすると違和感を覚えるのであり、当時も模倣が良いこととされていたわけではないはずだが、其角は『句兄弟』という自句を含む類似作を並記する体のアンソロジーを編んでいる張本人であるので、その系譜の俳人達の意識の中では許されていたのかもしれない。

上五を「や」で切る二段切れの分類につづいて、上五に「や」があるが五音目ではないものが十四句分類されている。これは現在ではあまりみない用法であり、かつ子規の代表句にあるものなので少し丁寧に確認したい。

  ①萩や聲鼾東西々々と      兒斎
  ②月や聲聞てそを見つる子規   宗牧
  ③菊や酒漬山椒を茱萸の房    一有
  ④香やとんて下戸胸躍る菊の淵  常矩
  ⑤山や雪麓の烟人の息      圓斎
  ⑥花や孕む大原山の雲の帯    重供
  ⑦花や雪橋よりわかる道の数   柳川
  ⑧北や雪汐風寒し磯の松     宗因
  ⑨沖や雪入舟白しゆふ嵐     同
  ⑩山や雪ふらぬ日つもる都哉   前左大臣實
  ⑪花やさく遠山人のつても哉   専順
  ⑫をしや春旅せて過し我は猶   鷺喬
  ⑬よしや菊いはぬ色にも片よらず 蓼太
  ⑭日や西に尾越の鴨の腹白き   花珉

いわゆる切れ字の「や」はもともと詠嘆の間投助詞(または終助詞)の発展した切れの用法であるが、ここにおける「や」はいずれも一句の「切れ」としては働いていない。

①「萩や聲」②「月や聲」③「菊や酒」⑤「山や雪」⑦「花や雪」⑧「北や雪」⑨「沖や雪」⑩「山や雪」の「や」の用法は、たとえば「吾が心なぐさめかねつ更級や姥捨山に照る月を見て」(『古今和歌集』詠み人知らず)の「更級や姥捨山」の「や」のように、上の語を下の体言に結びつける、「の」と置き換え可能な間投助詞の用法であろう。句中に他に切れ字がある句もあるが、結果的にこの用法があると上五で切れが生まれることになっていると思う。

④「香やとんて(飛んで)」の「や」は疑問反語の係助詞「や」による係り結びが流れた用法かと思う。⑥「花や孕む」や⑪「花やさく」は疑問反語の「や」による係り結びであろう。⑫「をしや(惜しや)」の「や」は詠嘆の終助詞。⑬「よしや」は一語の副詞。⑭「日や西に」の「や」は調子を整える間投助詞。この中でもっとも用例の多い「や」と同じ使い方をしていると思われる句を、子規は明治二八年、日清戦争従軍の頃に三句詠んでいる。

  ①春や昔古白といへる男あり
  ②春や昔十五萬石の城下哉
  ③春や千代君と北斗と南山と

①は従弟の藤野古白が自殺したのを悼んで詠んだもの。②は子規の代表句の一つであり、JR松山駅の前に大きな句碑が建っている。③は「北斗挂城邊南山倚殿前」と前書がある句。これは杜審言の「蓬莱三殿侍宴奉勅詠終南山」(蓬莱三殿にて宴に侍し、勅を奉じて終南山を詠ず)という五言律詩の首聯であり、句中の「千代」は、この詩の結句が「長此戴堯天(とこしえにここにぎょうてんをいただかん)」の「長」を踏まえていよう。こうして見くらべると、子規の②の句は、上記の⑩の句の用法に似ていることが分かるであろう。

2017-08-20

俳句の自然 子規への遡行 58 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 58

橋本 直
初出『若竹』2015年11月号 (一部改変がある)

これまで見てきたように、子規は、切れ字ごとの分類にあたり、基本的には切れの位置と品詞の接続によって分けているが、「ぞ」の次の「つ」は、

  妻や子の寝顔も見えつ薬喰   蕪村

など十一句で、数が少ないためひとまとまりしかない。掲載順では、その次に「や(第三句にあるもの)」と「す切」と続くが、さらにその後に「や」に関する分類が複数続くので、「や」をあとまわしにし、先に手短に「す切」に触れる。「す切」は十七句収集されているが、数が中途半端だったからか、その必要を感じなかったのか、下位分類はない。特徴的なのは、句中蕪村七句几董五句と師弟で十二句を占めていることである。蕪村句は「蕪村句集」から、几董は「井華」からの収集なので、意図して並べた訳ではないだろうが、興味深い傾向ではある。

さて、「や」についてである。先に述べたように、まず「や」が下五にあるものを二十三句収集している。そのうち二十一句が座五の切れの位置に「や」があるものである。例えば、

  女郎花すゞかけ投て妹背とや  梨水
  蚊帳の内に蛍放してアヽ楽や  蕪村
  洗足の盥も漏りて行春や    仝

など。現在の俳句における座五の切れ字の「や」の使い方は詠嘆の間投助詞が主流であり、本分類も基本同様であるが、一句目は「とや」で疑問・反語の用法を用いてあり、二句目は口語の台詞的に用いられているので、「切れ」としてはいささかゆるく感じられる。また、残りの二句は、

  大宮姫柳かざしてけふや雛   可因
  若竹や橋本の遊女ありやなし  蕪村

このように、途中に「や」が用いられている。一句目は「雛けふや」の倒置であり、二句目は「ありやなしや」の最後の「や」が省略された表現だが、これは「伊勢物語」の著名な歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の第五句を踏まえたもので、後の「や」が省略されている形である。つまり疑問の終助詞の用法で、いわゆる切れ字の用法とは趣が異なる。子規が「や切」と呼ばずに分類したのは、これらの用法を含むものゆえと思われる。

その後、子規は「や=かな」「や=けり」のいわゆる二段切れを分類収集している。なかでも「や=かな」の春は句数が多く、さらに三つに分けられている。まず、「(春=天文)(地理)」は八句。例えば

  盬がまや烟をたゝぬ霞哉    紹巴
  住の江や人のみちくる汐干哉  宗房
  富士のねや雪の上なき霞哉   宗因

など。一句目は「盬がま」が地理、「霞」が天文となる。「六条道場にて」と前書。「六条道場」は、源融の河原院の旧跡に建てられた歓喜光寺の異名。河原院には、わざわざ大阪湾から海水を運び込み、陸奥の塩釜を再現していたと伝えられる。紹巴は戦国時代の連歌師であるから、当然その時代には河原院はなく、歓喜光寺も応仁の乱で移転した後のことであるから、そのいずれもがない無常の様を「烟をたゝぬ霞」の中に込めていることになろう。前書に関する教養がなければ、句の風情も「盬がま」が地名であるということも分かりにくい句である。二句目の「住の江」は現在の大阪市住吉区にあたる地名。江戸期に埋め立てられる以前は海岸があった。百人一首の藤原敏行の歌「住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ」は広く知られていよう。古より貴人も海に遊んだ景勝の地ゆえ、「滑稽雑談」には古俳書には住吉の潮干のみ春の季とされていたとある。とはいえ「汐干」は天文の季語ではない。(春=天文)とある分類で、その他の句の季語はすべて霞、春の雪、春の月のいずれかなのでこの句のみがおかしいことになるが、子規の誤りか他に理由があるかははっきりしない。

次に「(春)天文地理木ナシ」十二句。これは天文も地理も木もない、という意味ではなく、天文か地理で分類してある句で木がないもの、ということのようである。例えば、


  あだし野や身をつみかへる菫哉 宗牧
  元日やはづかしさうな礼者哉  楽水
  陽炎や羽を打つ蝶の長閑哉   乙序

一句目は「あだし野」が地理だが季語は「菫」で天文はない。

二句目の「元日」は時候だが、ここでは天文と含めて見ているのであろう。地理はない。
三句目は「陽炎」が天文で地理はない。このように、十二句いずれも時候を含む天文か地理が詠み込まれ、いずれも「木」は詠み込まれていない。

 次に「(春=天文)(地理)(木)」七句。これも天文の春の季語があるとは限らない。例えば、

  桜戸やとふもいさよふ山路哉  肖柏
  道灌や花は其よを嵐哉     嵐蘭
  小泊瀬や眼鏡も余所の霞哉   梅翁

一句目は木が「桜」、地理は「山路」、季語は「桜戸」になり人事。二句目は木が桜(「花」)、地理が「道灌(山)」、季語は「花」、三句目の「小泊瀬」は地名で、奈良の「初瀬」のことであろう。この句のみ木がないが、小泊瀬が長谷寺を指すなら、『源氏物語』「玉鬘」の場面から「杉」を暗示するか。「眼鏡も余所の」という措辞に滑稽味があろう。

2017-05-28

俳句の自然 子規への遡行 57 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 57

橋本 直
初出『若竹』2015年10月号 (一部改変がある)

前回までの「ぬ」に引き続き、俳句分類丙号における「切」について検討する。次項は「かな」である。子規は「かな」を分類するのにあたり、切れの位置に注目し、上五末の「かな」切れに焦点化して、それを春(九句)夏(八句)秋(八句)冬(十一句)で分けている。

  乞食哉天地を着たる夏衣  其角
  浮世哉月にはまふた芋に砂  杉風
  枯野哉雪くれて寝て見ん不二の味  言水 
  枝も哉嵐の木葉霜の花  宗砌

現在、一般的には上五を「哉」で切るのは嫌われる作句法であり、初心者には例外的なものと説明されているように思われる。これは切れ字の上が三音に固定されやや窮屈であることと、「哉」が座五で使われることが多いゆえに相対的に読者に違和感をもたれたり、倒置のように読まれやすくなったりして、結果切れの前後の飛躍が判じ物のように理屈でつながってしまうためかと思う。子規の分類においても収集数は四十句に満たないから、近世においても多くは詠まれなかったのかもしれない。それでも、引用したように、其角、杉風言水ら近世を代表する作家達が詠んでいる。また、最後にあげた宗砌(そうぜい)は室町中期の連歌師であり宗祇の師である。子規が集めた中で最も古い時代の句群の一つということになるだろう。先に述べたように、上五の切れに「哉」を用いることは現在あまり行われないゆえに、顧みられることが少ないのであるが、子規の分類によって歴史的にはかなり古い段階から継続実践されていたことが確認できる。

次に、中七の「かな」切が分類されている。中七の分類は、さらに数が少ないこともあって春夏秋冬には分けられていないが、中七にはあるが座五に哉を用いてないもの(子規の用語では「除句尾ニアル者」)と連体接続ではないもの(子規の用語では「除名詞ヨリツヾク者」)のまとまりと、単に中七中にあるもの(二句切れ、中間切れ)の二つに分類されている。とはいえ、こう書いてもいささかわかりにくいものなので補足説明をしておく。まず前者の分類では、

  道はこゝにとゝまれる哉神神楽  宗因

のように、中七の切れの「哉」が活用語や付属語に付いている句を分類してあり、後者では連体接続のものが分類してある。ゆえに、前者には「除名詞ヨリツヾク者」と断り書きがつく。

次に、後者では、

  若草にはや浮世かな末の露  昌察
  梅柳さそ若衆哉女哉  はせを 

これらように、中七の切れ字の「哉」(一句目)と、中七の切れでもあるが、並立表現になっていて下五でも切れになる場合(二句目)を併せて分類してある。ゆえに前者の分類に、「除句尾ニアル者」と断りが付けられているのである。

また、前者の分類の中には、

  夏木立哉池上の破風五寸  其角
  梅に月枕もがなの数ならず  東水

このような句も分類されているのであるが、前者は「夏木立哉」という上五の破調であろう。また、後者は「かな」ではなく「もがな」と思われ、いずれも子規の勘違いではないだろうか。この他、座五の「かな」切れのみの分類はない。それが、子規がその必要を感じなかったからなのか、多すぎて後回しにしたままになったものなのかは未詳である。

ところで、さきほど見たように、子規は下位分類をする場合、時折、連体接続か否かのように品詞の接続で分けようとする。それが数を分ける場合に都合がよかったからなのか、それ以上になにかの分類の方法概念が導入されていたのかはまだはっきりしないが、特徴的な態度ではあるので、なお注目していきたいと思う。

つぎは「よ切」である。句末の「よ」は、命令や呼びかけなどの「主体の意志・感情・判断・意見などを強く相手に押しつけようとする気持ちを表わす」(「新明解国語辞典」)語であるが、子規はこれを意味(①「命令話シカケ」)と接続(②「名詞」、③「形容詞」、④「除名詞形容詞」)の四通りに分類している。

  ①若楓矢数の篝もみちせよ  蕪村
  ②這ふ子にも土は薬よ瓜の蔓  素外
  ③くふて寝る身の不性さよ波の鴨  野坡
  ④衣打つよ田舎の果の小傾城  几董

このように、「ぬ」や「哉」と違って、切れの位置による分類を行っていない。当然「よ」も上五中七下五それぞれの末に使われているのだが、先の二語と違って、そこで分ける必要を感じていなかったということなのだろうか。

一方、続いて分類されている「ぞ切」はまた位置の分類に戻っている。基本、上五、中七、下五の句末にあるもので分類され、中七のみ名詞とそれ以外の接続にさらに分けられている。なお、

  口もとにある名そあれは草の花  踏青
  何急く家そ灯ともす秋の暮  几董

この二句のみ「切字」と書かれて別に分類されているが、見る限りはいわゆる中七の中間切れであり、やはり位置の意識で分類されていると思われる。

2017-04-02

俳句の自然 子規への遡行 56 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 56

橋本 直
初出『若竹』2015年9月号 (一部改変がある)

引き続き、「丙号分類」における「切」の分類の検討を進める。前回の最後に子規の「ぬ切」の句の分類を紹介しておいたが、この「切」は今日の俳句において言われる「切れ」の概念を単純に当てはめるわけにはいかないようである。まず、現在の一般的に考えられている「切れ」の働きを列挙しておくと、

一つ、「切れ」は基本「や、かな、けり」など「切れ字」によって作られるが、切れ字でなくとも切れる。
一つ、切ることによって短歌(下の句)との臍の緒を切り、一句の独立性、完結性を生み出す。
一つ、一句の中間で切ることによってその前後の飛躍を生み、作品の内容に広がりを出す。
一つ、詠嘆の働きをもち、句の格調をうみだす。
一つ、原則として「切れ」は一句中一ヶ所のみとされる。

ひとまず、このようなところであろう。(ただし、実際には表現技術によって一句中に軽い切れと重い切れを併用する句も少なくない印象はある。)一方、子規が「切」の字を使って分類している句群をみてゆくと、多くはここで述べた「切れ」にあたるけれども、必ずしもそればかりですっきり分けられないことに気がつく。例えば前回の「ぬ切」で引いた句、 

  入道のよゝと参りぬ納豆汁  蕪村
  うそ寒う昼飯くひぬ煤払  几董
  村々の寝心更けぬ落し水  蕪村

これらの「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形で、句中で切れる働きをもち、いわゆる二句一章の形になっているので、現在の「切れ」の概念で考えてもまったく問題はないが、一方で、同じ「ぬ切」に分類されているものの、

  水仙や鵙の草茎花咲ぬ  蕪村

この句は、今の俳句の主流の文脈で読めば、上五「水仙や」の切れ字「や」で切れているので一句の「切れ」は「ぬ」ではないことになるはずである。しかし、この蕪村の句はそう一筋縄ではいかない。この句を上五と中七・下五の二句一章の句として見ると、季節の異なる季語の季重なりになっていて、つなげて読んでもまるで意味がわからない句になってしまう。中七の「鵙の草茎(もずのくさぐき)」は「鵙の速贄」と同義とされる秋の季語であり、水仙とは季があわない上に、下五「花咲きぬ」の意味がまるで通じない。

岩波文庫『蕪村俳句集』の尾形仂氏の注釈によれば、蕪村はこの表現で「水仙の蕾の形を形容した」のだという。つまりこの句の場合、下五中七は上五の比喩ということになる。単純に解釈すれば、「まるで鵙の速贄のような水仙の蕾が花開いたことだ」ということであり、この「や」は「は」に置き換え可能なのである。つまり、文章としてみれば「や」は切れる必要がない。が、ここに切れ字が入っていることで間ができ、しばしこの謎解きを考えてから、ああ、と比喩であることに気づくような構造になっているのである。

子規らによる「蕪村句集講義冬之部(十)」でも、この句を引き、童謡に速贄の説明をした上で、「これは水仙の花が、茎長く伸びて上に花一つ咲けるを鵙の草茎に喩へたるならん。此の如く奇抜なる、しかも雅趣ある比喩は蕪村ならでは誰か用ひ得べき」と評価している。「蕪村句集講義」は子規宅に、虚子、碧梧桐、鳴雪ら日本派の主要メンバーが集まって開いた蕪村句の勉強会をまとめたもので、この「冬之部 十」の会は明治三十一年十月五日に開かれている。参集は子規、虚子、碧梧桐の三名で、記録者は子規。その時々で誰の発言や付記かを書いてあるものもあるのだが、この時は引用部の発言者が誰かの記述はない。引用と先の尾形氏の注釈との違いは、比喩の対象が蕾なのか咲いているのか、という点である。鵙の速贄といっても色々あるわけで、この蕪村の奇抜な比喩がどちらを指すのか俄に判じがたいが、尾形氏の説はまっすぐ伸びた水仙の緑の茎の先で蕾がニュッと折れ曲がった状態が、枝に刺さった速贄に似ていて(つまりちょっとグロテスクな形状で)それが美しい花を咲かせた、という意味であろう。鵙の速贄の本来の季の姿を踏まえた上での喩の使い方という解釈だと思う。一方で子規達の解のように、鵙の速贄の形状そのものが花のようだとなれば、「枯木に花」的な理解になってくると思われ、どうも尾形氏の方が解として自然であるように思う。

ところで、「鵙の草茎」には古来より語義に異説が多いようである。そもそも「くさぐき」は『万葉集』の古訓からきており、鵙が春になって山に移って姿が見えなくなることを草に潜ったと捉えたところからきている語のようである。和歌においては、「春さればもずの草ぐき見えずとも我は見遣らむ君があたりをば」(『万葉集』巻十)を本とし、恋人などを訪ねようとしても見えず会えないことを詠むのに用いられた。「蕪村句集講義」でいう「雅趣」がいかほどこれらを踏まえているか不明であるが、いずれにせよ「切れ」の理解だけでも古典の教養抜きには刃が立たないのである。

整理すると、蕪村の句は切れ字「や」を二句一章の飛躍の為につかっておらず、飛躍の強い奇抜な比喩との間に入れることによって間を持たせる働きをさせており、句末の「ぬ」が一句の完結の為に用いられている「切れ」だとみることができる。例えばもし「ぬ」を「て」に変えれば、咲くのは上五の「水仙」に返ってしまい、意味不明の句になってしまうだろう。

2017-02-19

俳句の自然 子規への遡行55 橋本直

俳句の自然 子規への遡行55

橋本 直
初出『若竹』2015年8月号 (一部改変がある)

「丙号分類」の検討に戻る。前々回に触れた同じ語の使用の分類に続いて、「縁語」や「隠題」が収集されている。ただし、ここで子規の言う「縁語」は、現在言うところの和歌以来の技法としての縁語とはやや趣を異にする。例えば、

 春過ぎてなつかぬ鳥や時鳥     蕪村
 閑古鳥可もなく不可もなく音哉   同

一句目の上五は、「春過ぎて」からすぐに「小倉百人一首」の「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」(持統天皇。『万葉集』では「春過ぎて夏きたるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」)の冒頭七音をそのまま踏んでいるものとわかるであろう。従って、掲句の「なつかぬ」は、動詞「懐く」の打ち消しだが、同時に名詞「夏」が掛けてあることにもなる。子規はこれらの句の分類項目に「二音=名詞動詞ヲカケル動詞形容詞ヲカケル」と付記している。つまり、子規の収集意図は、縁語というより今日いうところの掛詞のようなのである。ゆえに二句目も、二つの「なく」が形容詞「なし」の連用形であるとともに、動詞「鳴く」と掛けてあるということで、この項に分類されている。
 また、「隠題」は主に季題を、その語は入れずに詠むとい
う意味である。例えば、

 さかさまに傘きて花の踊り哉   淡々

は、葉の広がる様子と、そこに受ける雨によって揺れる花を詠むことで、名前の出ない「蓮」を題としているとわかる。しかし、これは題を明示してあるわけではないので、中にはよくわからないものもあり、例えば

 あたまから蛸に成けり六皮半   其角

は「瓜カ」として、子規は題の断定を避けている。享保年間に成ったとされる小笠原家の家伝礼式書「萬躾方之次第」によれば、武家の躾として瓜は六つ半に切ると決まっていたそうで、其角の句はその切り方を蛸に見立てたかと思われる。

このあと、句の例出は略すが、「表面比喩」(直喩にあたる)、「裏面比喩」(暗喩にあたる)、擬人(擬人法)、擬物法という、現在でも韻文の基本的なレトリックが用いられた句の分類がなされ、さらに、漢語、和歌、連歌俳句、古語、故事、詩にちなむ、先行する作品から言葉や発想などの何らかの引用がなされた句の分類が続く。これらはいわゆる「本歌取り」的なものといえるだろう。あるいはそれを、一句が引用の網の目で成り立つものとまで考えれば、クリステヴァのいう「インターテクスト」のようになってくるけれども、そのような引用を視野にいれた分類になってくると、分類者個人の能力、つまり既存のあらゆる作品群の知識量に左右されるうえ、俳句のような短い形式の文脈の中の言葉の場合、どこまでが引用なのかの線引きはなかなか厄介なものではないかと思う。子規は数百句集めているが、これは彼(またはその周辺)の知識で確実と判断した範囲にとどまるもの、ということになるのだろう。

この辺りから、「丙号分類」はしばらく子規独自のセンスによる分類で分けられた項目が並ぶ。その項目はユニークなもので、そのためかそれぞれの句数も少なめである。列記すると「小区分ニテ大区分ヲ現ハスもの」「固有名詞を普通名詞に用ふるもの」「大区分を以て小区分を現はすもの」「無形を有形にいふ句」「有形を無形にいふ法」「一部ヲ以テ全体ヲ現ハス」「材料を以て其物を現すもの」「結果を以て原因を現すもの」「色彩をならべたる句」「同じ形の者を二ツよみたる句」「同物にして反対の現象をなすもの」「三事物をならべたる句」等である。このように説明的項目立てなので、おおよそどのようなものかはわかるのだが、中には子規がどう概念化していたのかがよくわからないものもある。例えば、「小区分ニテ大区分ヲ現ハスもの」と「大区分を以て小区分を現はすもの」は、対になるものと思われるのだが、前者は、

 米くれる人にはにげて花と鳥  (作者名記載なし)

の一句のみで、後者にいたっては

 鳰の海

としか記されておらず、内容がはっきりしない。

その後、仮名のない句、仮名が一字、二字の句などの分類が続いた後、切れ字・切れに関わる表現の分類がはじまる。これは非常に興味深いもので、どの助詞、助動詞がどの場所でどう使われているのかを細かく分類しようとしており、子規の「切れ」対する分類意識をみることができる。

分類順にみていくと、まず「ぬ」からである。①中七の「ぬ切」を、「みのりぬ」「なりぬ」「ありぬ」などの「~りぬ」で集めたもの九句。②同じく中七の「ぬ切」を「行ぬ」「やみぬ」「くひぬ」などの「~イぬ」(「イ」は「り」以外の母音を含む)で集めたもの九句。③上の二種以外七句の、三種二五句である。例をあげると、

 a入道のよゝと参りぬ納豆汁  蕪村
 bうそ寒う昼飯くひぬ煤払   几董
 c村々の寝心更けぬ落し水   蕪村
 d鶯の声入て後日は入ぬ    暁台

aは①、bは②の例。説明は不要と思う。cは③の例で、中七の切れだが、①②以外の「~エぬ」(「エ」は母音)で切れる場合。dは下五の切れという意味である。

2016-11-27

俳句の自然 子規への遡行54 橋本直

俳句の自然 子規への遡行54

橋本 直
初出『若竹』2015年7月号 (一部改変がある)

今回は話題を変え、今井柏浦編『明治一万句』を中心に述べたいと思う。『明治一万句』は、いわゆる近世以来の類題句集の体裁で、子規の死後三年の明治三十八年の出版。日露戦争中で、日本海海戦の後ということになる。類題句集は明治から昭和初期にかけても多数出版されており、広く読まれていた。筆者架蔵の『明治一万句』は明治四十一年発行の第八版であるが、例えば神奈川近代文学館所蔵の同書は大正十三年発行の第二十版であり、同書が非常にロングセラーであったことがわかる。この本が興味深いのは、まず、以下の「凡例」である。
本書は子規先生仙遊後の俳壇を代表すべき唯一無二の句集なり。(中略)本書収むる處の俳句は悉く日本派同人の作に係り、其材料は明治三十四年三月より三十八年四月に至る最近五年間の「日本」「ほとゝぎす」「日本人」「太陽」其他の新聞雑誌中より、編者が嗜好に任せ蒐録せし、約五万句の中より載するところ壱千三百題に及び、特に明治の新題は悉く之を網羅したり(中略)特に子規先生の高吟を加へたるものは、作例を示して後進の為めに資せむと欲すればなり。
すなわち、子規死後の明治三十四年三月より三十八年四月までの日本派の俳人達の句を集めた私選句集ということになる。この期間は、日本派の選集である『春夏秋冬』(明治三十四年~六年)の後に続くものとなっており、子規の句は特別扱いで載せてもいて、この選集が子規派の出した句集の一つとも思われるのであるが、冒頭に内藤鳴雪の一句があり、中村不折の挿画はあるものの、柏浦と日本派との関係はよくわからない。「凡例」中の「編者が嗜好に任せ蒐録」とあることからすれば、元々は柏浦一人による私撰集であった可能性もあるだろう。

また、同書の特徴として、雑の部の立項とそこに子規の句を多く入れていることがあげられる。例えば、以下のような句は、前書きがそのまま目次に題として立項してある。

    松山堀端
  門しめに出て聞て居る蛙かな(春の部)
    須磨保養院
  人もなし木陰の椅子の散松葉(夏の部)
    猫に紙袋の畫に
  何笑う声ぞ夜長の台所(秋の部)

他に、「上野」「浅草」「呉港」「金州」「大連湾」「須磨」等の立項がされている。このように、子規の句のために「雑」を立てたとも言えそうな部立てに対する自由度の幅の広さであり、このあたりは、柏補の子規への偏愛ぶりをみても良いようにも思われる。

ところで、柏浦今井玉三郎は、これらの私撰集の他、『俳諧例句新撰歳事記』など、俳句に関わる多数の編著書がある人物なのであるが、その仕事の量に比して、経歴がよくわからない。『日本近代文学大事典』(講談社)や『現代俳句大事典』(三省堂)に記載がなく、『俳文学大辞典』(角川書店)に、
俳人。生没年未詳。日本派句集『明治一万句』を博文館から刊行。これは明治三四年(一九〇一)から同三八年の句を集大成したもの。編著『新編一万句』『最新二万句』『大正一万句』『新修歳時記』ほか。〔和田克司〕
とあるのを見出せたのみであった。調べたところでは、今井柏補(玉三郎)の名で、約三十年の間に二十冊を越える著作があり、博文館から多数の書籍を刊行している。博文館との関係については、柏浦編『詳解例句纂修歳事記』(大正十五年十二月)の「緒言」に、以下のような記事が見いだせた。
回顧すれば『新撰歳事記』の初めて世に現はれたるは、明治四十一年にして(中略)彼の震災のため、一朝にして全部の原稿三千余枚を烏有に帰し、茲に一頓挫を見るに至れるも大正十二年末、編者の多年在職せし博文館を引退したるを動機とし、再び之れが改修を企て(以下略)
すなわち、明治四十一年刊の『俳諧例句新撰歳事記』の改訂を画していたのが震災で原稿資料を消失し退職後に改めてやり直したものが大正十五年刊『詳解例句纂修歳事記』ということである。そして、柏浦は博文館の社員であったことが分かり、大正十二年に退職している。そこで、坪谷善四郎編『博文館五十年史』(昭和十二年 博文館)の大正十二年の「此年編集部員の異動」の記事にあたってみると、たしかに、「営業部にては十月二十六日に(中略)今井玉三郎(中略)の諸氏が退職した」とあり、柏浦は博文館の営業部の社員であったと確認できた。そうすると、昭和まで継続する柏補の選集を編む情熱は、柏浦一人の子規と日本派への偏愛からきているのかもしれないが、立証する資料が足りない。

さて、この『明治一万句』には、初期の村上鬼城の句も収められており、四句見いだせたので最後に紹介しておく。

  初午や雇ひ神主小風呂敷
  椿咲く親王塚や畑の中
  恋い死して海棠樹下の仏かな
  花妻の亥の日を祭る灯かな

2016-10-09

俳句の自然 子規への遡行53 橋本直

俳句の自然 子規への遡行53

橋本 直
初出『若竹』2015年6月号 (一部改変がある)

さらに「丙号分類」の検討を継続する。字余りの句に続いては、同じ語が複数回使われている句の収集がなされている。いわゆる修辞法で言うなら、反復法や対句法などに関わってくるものである。十七拍しかない俳句は、句中で対句にしたり反復をすると調子は整うが、すぐ字数が尽きてしまうぶん内容が薄くなるためか、昨今の俳人には使用を嫌がられることもあるようだが、江戸期の句において同じ語の反復の使用は少なくない。子規はこれを「同名詞二」「同動詞二」「同形容詞二」「同語一対」「名詞一対動詞一対」「同語二対」「同語三」「同音」というように分類し、さらに下位分類を加えている。もっとも数の多い「同名詞二」は、その名詞の位置や音数で細かく分けられている。いわゆる上五、中七を「一ト二」と表し、「一ト二=一音」であれば、

 初夜の風後夜の小雨や遠砧    貞知
 戸をさせば戸の外に来て閑古鳥  梅室
 冬田より青田に悲し奈良の京   蓼太

という風に、上五と中七に同じ一音の名詞が使ってあるという具合である。さらに、一音同音の句は一〇句なので位置は様々であるが、非常に数が多い二音になると下位分類には「一ト二=二音=第一第二句の初ニアルモノ=春夏」とこまかく記され、位置まで含めての分類になっている上に、季節も分けてある。

 犬に逃げ犬を追ふ夜の涼哉    嵐雪
 鳰の巣に鳰のとまりて眠りけり  樗堂
 水の上へ水の影ちる瀧涼し    雪人

など、九句が分類され、同分類「秋」には、

 猿引きは猿の小袖を砧哉     はせを
 里人は里も思はじ女郎花     蕪村

などが分類されている。「冬」はさらに無生物と生物で分けられ、

 不二にそふて不二見ぬ空そ雪の原 几董(無生物)
 水鳥の水をはなれし重さ哉    麦翅(生物)

などが分類されている。

その後子規は、「同名詞二」でそれ以外の分類として同じ二字の名詞の句中の配置に着目し、「密接」「隔一二字」「除第一第二句初同」「隔五字」「隔六七字」というように分けて分類を行い、さらに中七下五についても同様の方法で分類を行っている。

さらに、その他の分類についても手短に触れておく。「同動詞二」も、名詞同様、音数と配置による下位分類がなされているが、名詞と異なるのは、文法上修飾語述語の配置になることと、活用による語形変化があるので、同じ動詞でも活用によっては同音数が変わることである。「同形容詞二」は下位分類されず十句。「同語一対」は、先の名詞、動詞、形容詞で分類した語を除くもの(数字、助詞、助動詞など)によって分類されている。「名詞一対動詞一対」は名詞動詞が向後に配置され、「同語二対」はそれ以外の対の反復、「同語三」は文字通り同じ語が三つ使われているものである。

なお、冒頭にも触れたように、例えば同じ名詞が上五・中七の頭にある場合のように、いわゆる反復法を使った表現になっている句群の分類をしていることにもなるのであるが、いまのところ、子規がそのことに着目して俳句の反復について論じた記事は見いだせていない。例えば、子規が「真率体」「即興体」など二十四種類に句体を分け例句を示した「俳句二十四体」(「日本」明治二十九年一月~四月連載)でもっとも関係が近いのは「音調体」であるが、

 布晒すこゝは玉川玉の里
 月もあり黄菊白菊暮るゝ秋

などの同じ名詞の使用された句が分類されているものの、このスタイルは「趣向はさしたる事なくて只音調のみめづらかなるもの」とそっけなく書かれていて、反復についての言及はない。また、蕪村の句には反復が少なくないと思うのだが、「俳人蕪村」(「日本」明治三十年四月~十一月連載)では、その当たりについての言及はないようである。ただし、同連載中では、蕪村の縁語と比喩については一章を設けて言及されている。「丙号」は、今回触れた同音の語の分類の後、この縁語や比喩について分類をしてあり、その関係性については、あらためて考えてみたいと思っている。

ところで、和田克司氏の調査によれば、子規は、俳句分類作業を進めるにあたって、途中から日付を加えており、明治二十五年十二月二十六日から明治三十二年十二月二十五日まで確認できるという(「正岡子規の俳句分類日付別項目一覧上・下」「大阪成蹊女子短期大学紀要」第十六号・十七号 昭和五十四年・五十五年)。この丙号の分類は、表紙裏に明治二十四年着手とあるが、氏の調査に拠れば、実際の分類で日付が確認できたのは、同二十六年九月二十一日からと思われる。そして、この名詞を中心とする同じ語に関する分類の作業は、確認できる範囲で、同二十七年九月三日と同年十月三十一日にまとまった分類がなされており、その後断続的に何度も作業が行われ、三十二年三月二十四日が記録のある最後となっている。こうしてみると、丙号の分類作業も、割合早くから始められ、甲号乙号の分類の膨大な分類の合間に、長期継続されていたことが確認できよう。

2016-08-07

俳句の自然 子規への遡行52 橋本直

俳句の自然 子規への遡行52

橋本 直
初出『若竹』2015年5月号 (一部改変がある)

以前にも書いたが、子規の「俳句分類」は、自然科学における収集・分類とよく似た方法態度であり、子規なりに「文学」の材料として俳句を集め、分け、系統化することで、やがて俳句の世界を体系づけてゆくことになるような営為である。余命わずかの病身であることを自覚している子規自身が精根尽きるまでそれをやめようという選択肢を持たなかったのは、おそらく、そういう身でも継続可能な仕事であったことと同時に、「学」として己の死後の未来にも継続すべきものだと思っていたからではないだろうか。近代は科学全能といってもいい時代だったが、過酷な情況にあっても「俳句分類」をやめられなかったということにおいては、子規はその末端の忠実な(あるいは可憐な)遂行者の一人だったともいえるかもしれない。

「丙号分類」の検討を継続する。前回述べたとおり、子規は、一句中の同音の多用を「同音連起」と称して分類をおこなっていた。これは五七五の韻律とは必ずしも重ならないので押韻とは異なるが、子規はそのような句を集め、一句中の音の反復に生まれる効果を確認する材料にしようとしていたと思われる。

その後に続く分類が「中断」と「変音」である。「中断」は文字通り一句中において一語を中断するものである。例えば、

  ほとゝきはまだすこもりか声もなし  貞盛

は、「ほととぎす」と「すごもり」を分解し、一部を掛けて混合することで一句を成立させている。このとき「ほととぎす」は一旦「ほととぎ」と「す」の間を「はまだ」によって切断されるので、子規はこれを「中断」と読んだのである。このほかに、

  渡りくる秋や燕にかはりがね  昌意

これは「かはり」が「代わり」であり「かはりがね」で「かりがね(雁)」を含意する。すなわち秋に燕に代わって雁が渡ってくる、との句意であるが、「かりがね」が「は」によって「か」と「りがね」の間で「中断」されているのである。

このような「中断」句は十四句分類されている。上品に言えば和歌における掛詞のような詠みぶりで、凝った方法だが、要は落語家がTV番組の大喜利でやるような駄洒落の発想であり、言語遊戯的なものだといえよう。

次に「変音」について。「中断」が一語中に違うことばが混ざることで中断されるものであったのに対して、「変音」は一語中の音を無理矢理ねじ曲げる方法である。例えば、

  はづませてなくや拍子の程ときす  正章

これは「拍子の程」という措辞と「ほととぎす」を掛けるために意図的に誤表記し「ほどとぎす」という妙な表現を生み出しているのであり、これを子規は「変音」と称しているのである。子規は二十七句を「変音」で分類しており、その母音・子音の差異、一字意味が通じないことで下位分類している。この他には、

  夏といへばまづ心にやかけつばた   昌意
  ちる頃や花の姿もおうなへし     政公

などの句がある。前者は「き」を「け」に変音して「心にかける」と「かきつばた」を掛けており、後者は「み」を「う」に変音して「おうな(嫗)へ」と「おみなえし」を掛けているが、「おうな」の意味で読むと「し」の意味が不通になる。いずれにせよ、これも「中断」と同様に言語遊戯の側面が強いと言えよう。

次に、字足らず、破調、字余りの分類が続く。字足らずは「十五音句」「十六音句」で六句、「破調」は「十七音句(変調)」で十一句分類されているが、注目したいのは字余りの分類の多様さ、異様さで、「十八音句」から「廿五音句」まで大量の句が分類されている。特に十八音句は数が多く、三百十八句を集め、その下位分類が独特である。例えば、六七五の十八音、つまり上五の余りの句の六音の分類の場合、三音二文節であれば以下のように十五もの細分化がされているのである(各表現は子規のメモをわかりやすく改めているもの)。

①名詞なし・母音あり(十四句)
②名詞なし・母音なし(十二句)
③二音の名詞一個、母音あり(十一句)
④上の三音が二音の名詞+助詞(に/は)母音なし(十六句)
⑤上の三音が二音の名詞+助詞(と/な/の/は)(九句)
⑥下の三音中に二音の名詞(五句)
⑦上の三音が名詞+助詞(の)、下の三音が名詞+助詞
 (に)母音なし(四句)
⑧上の三音が名詞+助詞(の)、下の三音が名詞+助詞
 (に)母音あり(十二句)
⑨上の三音が名詞+助詞(の)、下の三音が名詞+助詞(に)
 以外(十三句)
⑩二音の名詞+助詞が二回続く形で、上の三音で助詞(の)
 以外を使用(八句)
⑪三音の名詞かつ母音あり(十四句)
⑫三音以上の名詞かつ母音なし(五句)
⑬名詞入、初句切れ除く、母音なし(十四句)
⑭二音名詞+一音助詞+三音名詞(十一句)
⑮三音名詞+三音名詞(一句)

恐らく、甲号などと同様に、句が増えれば分類を細分化していった結果こうなったのであろう。なお、ここで子規のいう「母音」は、表記上の「あいうえお」のことで、音読上母音化する字は含めていない。