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2020-09-13

【句集を読む】バナナとか雨とか 橋本直『符籙』の二句 西原天気

【句集を読む】
バナナとか雨とか
橋本直符籙』の二句

西原天気


幾らでもバナナの積めるオートバイ  橋本直

雨季蟬は優しく鳴くですとBON氏  同

「タイ・カンボジア十二句」のうち二句。

バナナは形状として、いかにもスタック(積み重ね)ができそうで(コップとかスタックできるタイプに限りますね、余談だけど)、見たことはなくても、容易に、ありありと目に浮かぶ。作者は、その場で、シンプルに驚いた、かつ感心したのだろう。それがシンプルな書きぶりにあらわれている。

対照的に、蟬の句は、句のほとんどが引用(直接話法的引用)という点で意匠・趣向が凝っている。カタコトの日本語で、ご当地の風物を伝えてくれる、その口吻もなんだか優しい。

「BON」は愛称のようでもあり(タイは長い名前が多い。ソムバット・バンチャーメーとかスラチャイ・ジャンティマトンとか)、本名のようでもあり(ガンボジアは短い名前がめずらしくないようだ)。いずれにしても、語感から好人物を思い描く。

ところで、エキゾチックな(異国)情趣を盛り込むこと、観光的であること、異文化を描くこと、それらはつねに、植民地主義的・帝国主義的との批判にさらされる可能性/危険性を孕む。「オリエンタリズム」の用語でエドワード・サイードが指摘した西欧と中東の関係性は敷衍が可能だし、私たち(日本人)をどこに位置づけるかはさておき、異国、他者、外部に関連する事物は、文学文芸の素材であると同時に、政治的な色合いを帯びざるを得ない。

そこのところの問題を俳句は、というのは、海外詠と称されるものの多くが、大袈裟にいえば「文化的収奪」の罪を免れるのか否か、という問題。ううむ、これは困難。煩雑。複雑。

ただ、前掲二句に、(少なくとも私は)居心地の悪い関係性や感じの悪い視線は見て取れない。なんだか呑気な読者態度のようでも、その誹りを浴びるにしても、この二句には、作者・報告者・描き手の無垢な驚きやら、環境(異国)への無理のない順応が見て取れてしまう。

つまり、いろいろあっても、外の世界、遠い世界は、驚きに満ち、しばしば優しい。そうした結論こそが批判されるべきものだとしても、あえて、この二句には享楽という態度(ああ吃驚、ああ気持ちがいい)で接したい。

なお、この句集で、いわゆる海外詠の占める部分は大きくない。別の面のこと、主調音を形成する別の要素のことも、機会を見つけて書き留めておきたい。


橋本直句集『符籙』2020年7月/左右社

2020-07-26

橋本直 不自然 10句

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不自然  橋本 直

合歓の花檻に舌出す大蜥蜴

裸子の背にすんなりと手のとどく

エクストリームアイロニングののち午睡

人間の形の虚無をあぶらむし

ささやかな独裁起こすかき氷

梅雨明けをしばらく耳の痒くなる

一家皆公務員なり通し鴨

蛸の追ふ生き身の蟹の速さかな

みてをれば蚯蚓になにかみえてゐる

不自然な川不自然な小鬼百合

2019-06-16

俳句の自然 子規への遡行 65 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 65

橋本 直
初出『若竹』2016年6月号 (一部改変がある)

引き続き、俳句分類丙号の呼応関係の分類について検討する。前回確認したとおり、子規の使っている「係結」は、今日におけるいわゆる「係り結びの法則」のこととは異なり、文法上の「呼応表現」全般を指している。今回はまず、「の係けり結」。全部で四十一句分類されているが、まず、現在の俳句界では主に「上五、中七、下五」と言われる呼称を、子規は「一句、二句、三句」と書いていることを断っておく。この呼応を、①「一句ト二句」、②「二句ト三句」、③「一ト三・同句」というように、呼応の場所ごとにさらに下位分類し、十三句、十四句、十四句に分けてある。なお、三つ目の分類中の「同句」は、中七の中で「の・けり」の呼応になっているものをさし、五句ある。二句ずつ例句をあげる。

 ①実石榴の歯をこぼしけり秋の風   茶良
  鶯の嘴洗ひけり紙屋川       暁台
 ②白菊の白きに友の来ざりけり    為貞
  花木槿折手に妹の狂ひけり     都雀
 ③畠主のかゝし見舞て戻りけり    蕪村
  羽を当て鷲の過けり凧       闌更

最後の闌更の句が「同句」の例である。なお、暁台、蕪村、闌更はいわゆる天明調の俳人。そのせいか、このような「の、けり」の呼応は、現在でもポピュラーなものであり、読んで違和感のある句は少ないように思う。

次は「の係なりたり結」で十句分類されている。句中のどこかで「の」と「なり」または「たり」の呼応が見られるものである。数例あげる。

 紅梅に馬具の見えたり小玄関     元壽
 山蟻のあからさまなり白牡丹     蕪村
 何となく地を這ふ蔦の哀なり     越水

なお、十句の内訳は多い順に、「なり」が句末のもの五句、「たり」が中七末のもの三句、「なり」が中七末のもの二句。

次は「の係し結」一七句。①「除ケリ結」と②「除一ト二」に下位分類されている。前者はサ変動詞に接続する「~しけり」を除く、の意で「しけり」の句は前述の「けり」の方に分類されている。後者は上五の「の」を中七の「けり」で呼応するものは除く、の意で、そちらは前者に分類されている。それぞれ二句ずつ例をあげる。

 ①新米の阪田は早し最上川      蕪村
  口上のけさは短し氷室の日     木五
 ②買手より売手の涼し心太      二荻
  明いそく夜のうつくしや竹の月   几董

次の「の係かな結」は以下の一句のみ。

 山鳥のさわくは鹿のわたる哉     暁台

その次は、「誰何係結違法」と題され六句分類されている。この用語はおそらく子規独特のものであり、どういう意味かわかりにくいが、疑問詞の呼応のことをいう。

  月今宵何を限りに鎖すべし     應美
  祭酒と誰名付たる濁り哉      傘下
  いかにして真中刈るべき深田哉   隼石
  誰住て樒流るゝ鵜川哉       蕪村
  我宿にいかに引べき清水哉     同
  何として張良逞し橋の霜      盧元

前回触れた松平円次郎著『新定日本教科書』によれば、文中に「誰」「何」「いかに」「いつ」「どこ」などの疑問詞が用いられている場合、現在の係り結びの法則とは別に、「誰が車ならむ」「何とすべきか」のように、原則として結びには「む、らむ、か、ぞ、や」が呼応するものとされていた。「違法」とあるのは、これら六句がその意味では例外であるということである。例えば一句目なら、疑問詞の「何」は原則に従えば結びは「べし」ではなく「べき(か)」等になるのが正しいことになる。この項は、いわゆる結びの省略や流れにあたるものと考えていいのであろう。

次に「ぞやかの係る結」。「ぞ」、「や」、「か」はいわゆる係結びの法則をつくる係助詞であるが、ここでは「なむ」と「こそ」がない。「こそ」は数が多いため後に別枠で分類されているのだが、「なむ」は分類されていない。見つけられなかったのかもしれない。八句分類されているが、ここでは一例ずつあげる。

  鯖焼かば曇りもぞする盆の月    古巣
  喜びの色にや笑める春の山     宗因
  又も見る闇かは花のあかりなる   秋之坊

なお、「か」はこの一句のみで、あとは「ぞ」が五句、「や」が二句である。この後一旦、係結びの表記はなく「『る』(毎句最終字)」と題された分類が挟まれ、七句分類されている。

  行春を近江の人と惜みける     芭蕉
  初雪やまづ馬屋から消そむる    許六
  文箱の先模様見る衣配り      曾良
  星の夜や寝られぬ罪や蚊かはいる  来山
  青柳や是貫之が絲による      窓柳
  堀川や水滴ながら月澄る      可楽
  夕顔や実のなる果は不形なる    古道

この分類はどうもすっきりしないのだが、係助詞「や」の結びと、句歌の技法としての連体終止がまぎらわしいものを中心に、「る」で分類しようとしたものかと思われる。

(つづく)

2019-02-03

俳句の自然 子規への遡行 64 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 64

橋本 直
初出『若竹』2016年5月号 (一部改変がある)

前回まで句末の止めの分類を追ってきた。句末に関わる表現には違いないが、今回からは呼応関係の分類に移る。子規の分類は、例えば「ぞや係結違法」「の係けり結」「の係なりたり結」「の係し結」「の係かな結」「誰何係結違法」「ぞやかの係る結」というように、「係」「結」を呼応のキーワードとして続いていくが、その中に呼応の明瞭ではないものも並行して分類されている。これからその内容を詳細に検討をしていきたいと思うのであるが、その前に、まず現代の学校教育で学習する古典文法におけるいわゆる「係り結びの法則」について一度確認しておきたい。

係り結びの法則は、「ぞ」、「なむ」、「や」、「か」、「こそ」などの特定の係助詞が文中にあるとき、その係助詞を文中で受ける活用語(主に文末)が通常と活用を変える現象で、「ぞ、なむ、こそ」は強調、「や、か」が疑問・反語の働きをもち、「ぞ、なむ、や、か」は活用語が連体形で結ばれ、「こそ」が已然形で結ばれるというものである。これを前提に先ほどの子規の分類の文言を見ると、かなり異なっているのがわかるであろう。ひとまず、この点について確認するために、子規の読んだと思われる当時の文法書を、『子規全集』第十四巻に所収の彼の蔵書目録で確認することにした。すると、『てにをは教科書』(物集高見著。明治二十六年)、『日本大文典』(落合直文著。明治二十七―三十。全四巻)、『國文法詳解』(瓜生篤忠、瓜生喬著。明治三十二年)、『日本文法教科書(一、二、三、四、五)』の四冊があった。最後の『日本文法教科書』は書名と巻数から松平円次郎著『新定日本教科書』と推定されるが、この本は明治三十五年十一月の刊行なので、子規が読んでいたとするのはおかしいことになる。全集解題によれば、この蔵書目録は「現段階では十分整理されたものとは言えない。(中略)子規蔵書以外のものもかなり混入している(中略)可能な限りで正確を期した」ということであるので、全集編纂当時の整理をすり抜けたものと思われる。とはいえ、子規当時の文法の状況を知ることができる書であることには変わりないので、あわせて各書においてどのように係り結びが扱われているのかを一通り確認しておく。

現代の教育文法は、橋本進吉博士により体系化された、いわゆる「橋本文法」の影響が大きいとされ、子規の死後にまとめられたものである。したがって、今日我々が持つ文法の概念や用語の用法は、子規の頃とは必ずしも一致していない。先の各書のうち、『てにをは教科書』、『日本大文典』の係り結びの説明は、現代では呼応の副詞とされる「唯」を含め、古文において呼応関係を導く語を広汎におさえている。したがって、いわゆる係助詞のほかにも「は、も、の、が」などが含まれる。そして、現在の終止形、連体形、已然形にあたるものを一段、二段、三段として図示している。これは、江戸時代に本居宣長が「てにをは紐鏡」で示して以来の国学の体系化してきた文法を踏まえたものであるといえよう。『國文法詳解』は先の二書と同様に、呼応全般を係り結び(係結法)としてとらえているが、今日の係り結びの法則に当たるものを「特例係結法」とし、その他の呼応関係をつくるものを「尋常係結法」と呼んで大別している。言い換えれば、今日では「特例」のほうが一般化し、「尋常」のほうは消えてなくなっているわけである。そして『日本文法教科書』は、呼応を「叙述」「命令」「疑問」「感歎」「願望」などの意味ごとに分類してそれぞれ解説している。

このように、今日の「係り結び」と子規の時代における「係り結び(係結)」の意味・用法は大きく異なると言っていいだろう。従って、これらの書の用法と同様に、子規の使っている「係結」もまた、今日における「呼応」の意味を指していると考えるのが妥当であろう。また、冒頭にあげた「ぞや係結違法」などの子規の用語は、各文法書に出ている係り結びの説明を踏まえつつ、子規が独自に使っている表現であると思われる。

以上を踏まえた上で、改めて子規の分類を確認してゆこうと思う。まず「ぞや連結法(ル結ナシ)」から。ここでいう「ル」は、先の二段、すなわち活用の連体形にあたる。つまり、係助詞「ぞ」「や」がラ行の連体形では結ばれていないものを分類しているということになる。六句が分類されている。

  旅ぞよし田植と共に物くはん   雞冠
  夜の蘭香にかくれてや花白し   蕪村
  冬の梅きのふや散りぬ石の上   同
  時鳥鳴々飛ぶぞ閙はし      はせを
  お乳の人添寝ぞゆかし枕蚊帳   綾戸
  凍やしぬ人轉ひつる夜の音    鷺喬

二句目と六句目が完了の助動詞「ぬ」、それ以外はすべて形容詞が結びに当たるが、もし係り結びの法則になっていれば、連体形結びになって「ぬ」なら「ぬる」、形容詞なら「~(し)き」となるべきところ、すべて終止形であり、いわゆる「結びの流れ(消滅)」ということになる。ただ、江戸の俳人達は、日常語では中世以降終止形と連体形が同形化し、係り結びの法則が既に乱れた時代に、あえて句で結びを丁寧にやっているところがあるはずであり、平安時代の文法を基準としている現行の古語辞典レベルで単純に解釈することには問題が残ると言えよう。

(つづく)

2019-01-27

【週俳12月の俳句を読む】わかりやすい句ではない句のために 橋本直

【週俳12月の俳句を読む】
わかりやすい句ではない句のために

橋本 直


堡塁に深き砲眼ふゆかもめ  花谷 清

「堡塁」の形状は、どうやらいろいろあるらしい。「深き」とあるから、頭に浮かんだのは要塞のような分厚いコンクリートの構造物。かもめがいるのだからこの「砲眼」は海の敵に向かって開いている。おそらくは近代の遺物であり、もうそこに敵を狙う兵士らの姿はなく、ただ暗く沈黙しているのだろう。では、この句の主体はどこにいるのか。まず、視点は砲眼に置かれている。堡塁の外にいるとすれば、かもめはそれ以前の視界の残像か、あるいは、並行する時間の中の音として、またあるいは、視点を転じて後の風景と、少し散漫化するように思うが、いずれにせよ、客観的外部にいる主体の心の働きへ集約されるだろう。一方、中にいる(と空想するのでもいい)とすれば、視点は一元化し、砲眼から覗いた視野の内に飛んでいるか止まっているかもめを見ていると解することができる。その視点は、それゆえにかつてそこに居た兵士らの日常のそれと重ならざるを得ないだろう。するとなにやら、この砲眼を通して、近代の亡霊が立ち現れてはこないだろうか。


火の恋し石包丁に孔ふたつ  花谷 清

歴史の資料で見たのだったか、「石包丁」がどのようなものかなんとなく知ってはいた。しかし改めてWeb検索してみると、面白いことに、たしかに判で押したように穴が二つ空いている。古代人が紐を通して手から離れないようにした工夫らしい。そして、包丁というけれども、実際には鎌のような用途で農作物の収穫に使ったらしい。この句は、おそらく資料館かどこかできれいに展示されていたものを見て詠んでいるのだろうけれども、石包丁を見ている主体は、この二つの穴を通して古代人がどのようにこの道具を使ったのかの身体感覚を我が身に召喚しているようにも思われる。「火の恋し」は、俳句における技術的な季語の斡旋云々ではなく、古代人の実感としてそこに現れてくるべきものなのだろう。


枯草を踏めば火の音ありにけり  相子智恵

「火の音」と聞いて浮かんだのが、宮澤賢治の童話「狼森と笊森、盗森」の、狼森の狼たちが火を囲んで「火はどろどろぱちぱち」と歌を歌う場面。「どろどろ」は火炎の形容で、「ぱちぱち」は燃える音の形容だろう。面白いことにこの火は言葉の呪力が大切らしく、狼が歌うのをやめると消えてしまう。さて掲句では、枯草を踏んだときになる音の中に「火の音」を感じ取っている。たぶんその音は、この「ぱちぱち」ほどは乾いてはいないだろうが、そう遠くなさそうな気がしていた。理屈を言うようだが、「ぱちぱち」は火の音というより、木が燃える音というのが正しい。つまり筆者は、恣意的にその木の燃える音をこの句の「火の音」に重ねて読んでいたのだが、もしかするとそれは安易に過ぎるかもしれない。「ありにけり」という下五は気づきの詠嘆であるから、この句の中の主体は、予想外のこととしてこの音を体感したとわかる。それはたしかに「火の音」として立ち現れたものなのであり、他に置き換えることはできず、狼の歌のように、途切れればたちまちすっと消えてしまうものなのかもしれない。


句帳置けば棺の冬菊沈みたり  相子智恵

この十句中、二句目から五句目は親しい俳人仲間の葬儀の風景の連作と読める。その三句目が掲句で、四句目が「せめて句集のこせよ冬晴をゆくなら」。故人は句集をつくらず亡くなってしまったようである。菊と棺で追悼句といえばなんといっても夏目漱石の「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」だが、自身も療養中であった漱石の句の言葉はひたすら願いの中にあって眼前の実景ではないから、追悼の作りとしては比較的四句目のほうに近い。掲句にあっては、描写された句帳を置く己の動作も、句帳の重みで沈む棺の中の冬菊も、動くものはすべて悲しみの中にある。その中で、おそらくは真っ新であろう句帳に、追悼者の願いが集約されているのだろう。


ゆつくりと空みせてゐる障子かな  浅沼 璞

だれでも知っていることだが、障子は光を通す。それが空へ向かう目線の先にあったのなら、我々の視覚はたしかに障子越しの空を見ているのに違いない。違うのは、そこに眼がもたらす実感がないことだけだが、別にそのような言い方をせずとも、障子にあたる光とその陰翳のうつろいに、空の有り様を看取することはできるだろう。たとえば「病牀六尺」の子規の感覚も、多くそのようなものではなかっただろうか。なにもかも視覚優位で直接目で見ることに慣らされている世界にいると、この「ゆつくり」はまどろっこしいかもしれないけれども。


なげやりのオブジェうごかぬ冬の空  浅沼 璞

平仮名表記の「なげやり」は、「投げ遣り」と「投げ槍」が掛けてあるように読める。後者とすると、実際に、解体された旧国立競技場の側にそのような投げ槍の像があったらしいけれども、ここでは筆者の恣意で前者で読む。その場合、よく駅前や公園や役所の敷地内などに設けてある石や金属で造られた謎の巨大なオブジェ(芸術作品)を思い起こすのは容易であろう。風や水の力で動くように設えてあるものの、予算がまわらないのか動かなくなっていたりするのを詠んでいるものかと思う。となると、整備不良へのシニカルな視点を含意する句と読めるのだが、そのようなオブジェは多くが人と自然の調和や共働をテーマとして都市に設置されるものであることを思うとき、それが動かないことは、もう少し深くこの世の問題を捉えているように読むこともできるだろう。ところで、「うごかぬ」を「冬の空」への修飾ととれば、たちまち今までの読みは反転し、動き方が投げ遣りなオブジェと、動かない冬空による退廃的な風景が立ち現れることになる。おそらくこの作者は、そのような読みの枝分かれを敢えて句に仕込んでいるのではないか。


どんどん増える清潔な靴  樋口由紀子

樋口の「清潔な靴」十句はすべて七七調をとっている。七七調といえば「武玉川」の短句や、Twitter等Web上で「武玉川」や「七七句」とタグがついて括られている句群を思い起こすわけだが、樋口の句はいわゆる「武玉川」のような付句ではなく、一句独立した作品群となっているし、五七五に慣れた筆者にもそう違和感はない。この句は文脈ではすぐに潔癖とか買い物癖を連想させる内容だけれども、個人の所有する靴とみるか、社会のなかで人々の履く靴のありようとみるかで味わいがことなるだろう。どちらでも解釈は可能だろうけれども、後者は社会全体でどんどん病的に潔癖になっていく風景であり、空恐ろしく、ディストピア感がある。


直に置かれる風呂敷包み  樋口由紀子

まるで自分が置いたみたいでつい反応してしまうが、それはさておき、いまどきそうは使わない風呂敷に包んで、となると、持ってきたのはそれなりの年配の人で、用途も改まった席などに限られてきそうである。けれども、「直に」となれば、そうではないということか。そもそも、この風呂敷包みはいったいどこに「直に」置かれたのであろう。無造作に玄関に置いたものか、あがって応接間のテーブルにぽんと置いたものか、あるいは迎えた人の膝の上か。少ない情報の中で、「直に」であることで改まった席の儀礼のようなものはスルーされているということだけは分かるから、持ってきた側の方が目上っぽい。とすると、「置かれる」の解釈には受身の他、尊敬も可能になるから、親しい目上、という解釈が可能になるだろう。逆に、非礼で迷惑な相手ととることだってできるわけで、読者が想像する風呂敷包みを持ってきた人物と渡された側との関係次第で、いくつかの読みの選択肢があり得る。七七句は敢えてそのような選択肢を残す、読者との想像の共同性、あるいは、坪内稔典の言う「片言性」を五七五よりも一層高く設定する詩型の試みということになるのだろうか。余談になるが、筆者の師である復本一郎も、切れと季語を入れ一句独立した作品としての「七七句」を新詩型として打ち出したことがあったが、あまり知られてはいないだろう。興味のある方、試しに詠んでみてはいかがだろうか。


608号 20181216
花谷  おとぎ話 10 読む
609号 20181223
樋口由紀子 清潔な靴 10 読む
浅沼  冬天十韻 10 読む
相子智恵 短  10句 読む

2018-12-02

俳句の自然 子規への遡行 63 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 63

橋本 直
初出『若竹』2016年4月号 (一部改変がある)

前回、前々回の内容に一部重複があった。お詫び申し上げる。引き続き子規の俳句分類「丙号」について検討を続ける。前回の末で、子規は習作期から晩年に至るまで、句末を「か」で止める句を二十四句詠んでおり、そのうち「~か~か」で並立になる句が十句あることを指摘したが、書ききれなかった点を少し補足しておく。以下、子規が写生を称えるきっかけとなった中村不折と出会った明治二十七年以降の八句だけ再度引用する。

  山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か   明治27
  今日か明日か炉を塞がうかどうせうか  29
  戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か    29
  夜明から秋立つことかそのことか    29
  木の実くふ我が前の世は猿か鳥か    30
  鍋焼を待たんかいもを喰はんか     30
  そもさんか卯の花か達磨の骨なるか   33
  歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか   34

このように、いずれの句も、つい口をついて出た内容を軽い調子で詠んでいるようであり、晩年までそのような詠み方を続けていたことがわかる。俳句と言うよりも、会話の延長や、洒落や語呂合わせを生み出す時の気分に近い印象を持つ。これは、明らかにいわゆる俳句でいうところの写生のような、対象物を描写することに心を砕く創作態度ではない。子規は自ら主張する文学としての俳句においては確かに写生を強調していたけれども、実作においては写生一辺倒ではなかったことがよくわかる。

さて、「か」止めの次は「の」である。九句が分類されている。そのうち八句までが、名詞につく主格や連体修飾語をつくる格助詞の「の」を倒置にして句末においた形である。例を挙げると、

  宿からん花にくれなば貫之の    素堂
  つもりぬる雪は夢かも春の夜の   素外

一句目は「貫之の宿からん」の倒置であり、二句目は「春の夜の夢かも」の倒置であろう。他もこの調子であるが、一句ある例外は、

  そよりともせいて秋立つ事かいの  鬼貫

この句末は、感動や確かめ、念押しなどの意味を持つ終助詞「かい」「の」が連語となっている「かいの」である。それらしい風の吹くこともなくやってきた立秋をつぶやくような口語調で詠んだものであろう。

次は「や(最終字)」である。十三句分類されている。しかし、五十八回で言及したように、子規は「切れ」の分類においても「や」を分類しており、その下五に使われたことで分類された二十三句中の二十一句までが、句末の「や」であった。今回のものと比べて、両者に句の重複はみられないが、分類のカテゴリーが違うものの、分けられた「や」に文法上の差があるわけではないので、ここで子規がこのように分けていて、かつ、重複の句がない理由はよくわからない。おそらく分類の時期と典拠が異なるのでだろう。数句あげておく。なお、五十八回と重複する文法的説明等はここでは省略する。

  稲妻の何につかへて折しそや   蛙聲
  顔見せの難波の夜は夢なれや   太祇

次に「て(最終字)」。十四句分類されている。数句例をあげると、

  月見はや紫式部妻にして     蚊足
  辛崎の松は花より朧にて     はせを
  鶯の鳴やちいさき口あけて    蕪村
  口切や五山衆なんどほのめきて  同

現代の俳句で「て止め」は、余韻を残すテクニックというより、短歌を半ばで中断したようなどこか中途半端な表現と感じられることで積極的には用いられない傾向にあるように思う。たしかに、子規の分類でも一句目に引いた句のようなものが多く、その点は否めないけれども、引用二句目以降の芭蕉や蕪村の句をみると、そう緩くはないだろう。

次に「も止」。これは数が多く、下位分類されていて、①「二も字以上入」二十句、②「にも 除数も字入」十句、③「(へも)(とも)除二も」十五句、④「(カモ)(ソモ)(ノモ)(クモ)(テモ)」十三句、」⑤「(形容詞も)(程も)(からも)(迄も)(よりも)(動詞も)(字も)」十二句、⑥「除二も字」二十句となっていて、合計一〇〇句が収集されている。数が多かったためか、かなり具体的に用語で分けてあるので、特に説明は不要かと思うが、「も」の分類であったことでしゃれたものか、子規は「文字」を「も字」と表記している。それぞれから一句ずつ例を引く。

  ①ひる顔や畠に人も旅人も      孤山
  ②菊の香や一つ葉をかく手先にも   太祇
  ③蠟八や痩は佛に似たれども     支考
  ④鶏頭や花は嵐の明日みても     梅者
  ⑤老の春初鼻毛抜く今からも     素堂
  ⑥霜の菊杖かなけれは起ふしも    嵐雪 

③の「蠟八」は「臘八会(成道会)」。仏が句行の末に悟りを開いた日の法要であり、痩せている所だけ仏に似ているという自虐による滑稽句である。句末語の分類は以上である。次回から呼応関係の分類に移る。

2018-11-11

俳句の自然 子規への遡行 62 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 62

橋本 直
初出『若竹』2016年2月号 (一部改変がある)

引き続き、子規の俳句分類「丙号」の句末の「止め」について検討する。次は「を」である。分類には「を(最終字)」と題され、十九句所収。そのうち九句が終助詞の「ものを」の句。名詞に続くものが八句。活用語の連体形につづくものが二句である。数例あげると、

  関守の宿を水鶏にとふものを    はせを
  行く秋や二度咲く花もあるものを  右幸
  銭矢立空に三五とよふ声を     嵐雪
  若水や冬は薬に結ひしを      野坡

このうち、一句目の芭蕉句の下五は、正しくは「とはふもの」である。子規が典拠とした『ゆきまるけ』は誤伝で、このままでは切れもなく平句調になってしまう。「ものを」は「~のになあ、~だなあ」などの意味で、強い詠嘆をあらわす表現であり、用例としては、百人一首六十五番、相模の歌「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」がよく知られていよう。この歌の上の句末で使われていることからも分かるとおり、「ものを」は主要な切れ字ではないけれども強い詠嘆であるがゆえに、俳句で使うと下の句を呼び込むような表現ともなってしまう。そのためか、現代の俳句では、これを句末に用いるのはまれであるように思われる。確認した範囲では子規も一句も詠んでいない。なお、この野坡の句は辞世とされる。

次に「か止」。二十六句あり、子規はこれを「(名詞ヨリツヾク)がナシ」(七句)、「最終字」(十二句)、「(動詞ヨリツヾク)除るか・がナシ」(七句)の三つに分けて分類している。この分類中では、どういう意図かはっきりしないが、変則的なものがあり、

  長き夜や若きは若き夢見るか    百明
  いたいけな君や小松にひかるゝか  真蘇

これらのように、動詞のうち語尾が「る」になるものは「最終字」の方へ分類されている。また、前回に指摘したのと同様で、この「(動詞ヨリツヾク)」の分類も、動詞の後に助詞・助動詞を伴い「か」に接続するものが分類されているので、現在の文法で考えると状況が異なる。これも数句例をあげると、

  箒木の育立やそこら掃とてか    和各
  鶯は高い梢はきらひてか      涼花
  時鳥加茂はこさじと誓ひしか    宰馬

このように、接続助詞「て」や過去の助動詞「き」の連体形「し」があって動詞に接続している。

なお、文法的には句末の「か」は終助詞であり、意味用法的には、疑問・反語・詠嘆・他者への願望がありうる。また、「~か~か」の形で、選択・並立の疑問の形にもなる。この観点でいうと、先に挙げた五句をはじめ、分類された句は総じて疑問の形で詠嘆のニュアンスをこめているように思われる。名詞に続く形の句でも、例えば

  須磨の秋の風のしみたる帆筵か   鬼貫

のように、同様である。他に、

  青柳や我大君の草か木か      蕪村
  子規声はよかろかわるかろか    貝錦

これらは選択・並立の疑問の形である。

ところで、この句末の「か」については、子規も習作期から晩年に至るまで、二十四句詠んでいる。

 ※雪の跡さては酒屋か豆腐屋か    明治22
 ※白魚かそも〱氷のかげなるか      25
  時鳥御目はさめて候か         25
  その角を蔦にからめてなく鹿か     25
  蟷螂も刀豆の実にくみつくか      25
  帰る雁朧に奈良や見ゆらんか      26
  闇の夜を鵜飼の妻の泣く頃か      26
  草餅や実業団子召すまいか       27
  喃お僧初瓜一つめすまいか       27
 ※山茶花に鉦鳴らす庵の尼か僧か     27
  蓬莱に俳句の神を祭らんか       29
 ※今日か明日か炉を塞がうかどうせうか  29
 ※戸敲くは水鶏か八百屋か豆腐屋か    29
  筍を剝いて発句を題せんか       29
 ※夜明から秋立つことかそのことか    29
  水仙の露に眼の塵を洗はんか      29
 ※木の実くふ我が前の世は猿か鳥か    30
 ※鍋焼を待たんかいもを喰はんか     30
  鯨突きに日本海へ行く舟か       30
  合点ぢや萩のうねりの其事か      31
  我心猫にうつりてうかるゝか      32
 ※そもさんか卯の花か達磨の骨なるか   33
 ※歌ふて曰く納豆売らんか詩売らんか   34
  畑モアリ百合ナド咲イテ島ユタカ    35

特徴的なのは、※印をつけた句で、二十四句中十句が「か」をもちいた選択・並立の形である。この場合、軽快な口語調になり、内容も俗っぽくなるように思う。その意味では、明治二十七年の「写生」導入以降もこの詠み方をしているのは注目して良いだろう。一般に子規は写生一辺倒と思われがちだが、必ずしもそうではないことがこのようなところからもうかがえる。

2018-10-28

ふかの湯ざらし 橋本 直

ふかの湯ざらし

橋本 直

なんでサメって冬の季語やねん? ってなり、歳時記を当たってみる。

古い歳時記から最近のまでサメを詠んだ句をみてみると、漁や市場の風景とか、水族館とか見ていない鮫の想望句とかで、その辺の処理が腕の見せ所になるもよう。当たった範囲で食べ物として詠まれている感じはない。俳人が自然の中でサメに接する機会はほぼない(私は海水浴場でネコザメの幼魚と会ったことはあります)だろうから、句材になったのは市場由来だろうか。

おそらく歳時記に最も早く鮫を立項させているのは、やはり改造社『俳諧歳時記 冬』ではないかと予想するんだが、鮫より隣の海豚の記事の方が面白い(昭和八年。画像参照)。鮫も海豚も例句が「ホトトギス」関連ばかりなのはこの巻の編者が高濱虚子であることによる。



その後、高度成長期の角川『図説大歳時記冬』になると解説が生態以外にも言及がひろがり、「肉はやわらかくて臭気があり、食品としては上等ではない。多くかまぼこの材料として用いられる。」とある。フカヒレについては特にふれていない。例句に、「ふなびとら鮫など雪にかき下ろす」(加藤楸邨)、「かしやくなき市場言葉に鮫長し」(桂樟蹊子)、「明日を恃み鮫獲り船の出でゆかず」(村上しゆら)と、『俳諧歳時記』にもあった青井の句。いずれも漁や糶の風景である。

これが平成の角川『俳句大歳時記』になってくると、フカヒレも解説に加わり、例句には「この湾に人喰ひ鮫の棲むといふ」(滝沢伊代次)、「鱶の棲む海航く夜は抱擁して」(たむらちせい)、「本の山くづれて遠き海に鮫」(小澤實)などなど、鮫見てないじゃん、という句が増えてくる。一方、嘱目系では、「風吹けば泣くてふ鱶の鰭を干す」(平松三平)と「猫鮫と蝶鮫とゐる至近距離」(上野遊馬)。つまり、フカヒレ加工中と水族館の風景だろう。そういえば自分が去年「俳句」でだした鮫の句も魚市場の嘱目だったが、実景に即す句のほうが分が悪いのが近年の鮫俳句の動静ということなのかもしれない。どうせ実景に即す句がすくないというのなら、重信や敏雄の鮫(鱶)などの句も入れていいだろうに、とも思う。兜太のは梅に入れられちゃうでしょうが。

梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太

いまわれは遊ぶ鱶にて逆さ富士  高柳重信

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに  三橋敏雄

ところで、愛媛の実家のほうではサメを湯ざらしにして食べる(「ふかのゆざらし」という)文化があって、スーパーなんかで調理済みのを売ってるんだけど、あれは主に愛媛南部(南予)のものかもしれない。松山(中予)のほうでは食べてない印象。

湯ざらしの鱶食べる音死者の家  坪内稔典

ネンテン先生は筆者の隣町のご出身のほぼ同郷人で、この文化を共有しているのがわかる句も詠んでる。だいぶ過疎化したので昨今はどうなったかわからないが、冠婚葬祭に鱶の湯ざらし食べたりしたんですな。この句、異文化の人にはちょっとわかりにくいかもしれない。なお、既存の歳時記と比べ攻撃的で知られる?現俳協編『現代俳句歳時記』では、鮫を食用の旬として夏に立項。しかし結局、なんでサメって冬の季語かの由来は未詳です。

2018-06-17

俳句の自然 子規への遡行 61 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 61

橋本 直
初出『若竹』2016年2月号 (一部改変がある)

子規は俳句分類「丙号」において、「切れ」の分類につづき、「は・ば・に・へ・と・ど・を・か・の・や・て・も」の十二字の句末の「止め」について収集、分類をしている。前回の続きとして、今回は「に」以後を検討していく。

まず、「に」止めの句は四七句収集され、「名詞」に接続するか、用言に接続するかで分けられ、さらに名詞は「春夏」と「秋冬」、用言は「動詞」と「形容詞副詞」とに分けられている。まず、「名詞」の方であるが、全部で二五句ある。特徴的なのは、上五を切れ字「や」で切って「に」で止める形の句が多く一七句ある。さらに中七を「や」で切るものが二句あり、合わせれば八割ちかくにのぼる。中でも蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」、「狐火や髑髏に雨のたまる夜に」は特に著名であろう。他に、

  鵙なくや赤子の頬を吸ふ時に  其角
  初雪や松にはなくて菊の葉に  野水
  山吹や葉に花に葉に花に葉に  太祇
  明月や蟹の歩みの目は空に  几董

などがある。この「や~に」の句法は、其角や野水の句があるように、芭蕉の時代にはあったものだが、芭蕉の発句はこの俳句分類に入っておらず、現在ある芭蕉の全句集で確認してもこの形のものは見当たらない。

次に、動詞の句は六句あるが、現行の文法上では、どれも動詞に直接接続しているものとはいえない。

  寒梅や日本の事と思ひしに  淇大
  鶯や今窓の戸を明けるのに  手鳴
  芭蕉忌やしぐるゝ中を米買ひに  春水

一句目は、直接動詞にではなく、過去の助動詞「き」の連体形「し」に「に」がつづく形であり、この形が二句ある。二句目は、動詞について連体修飾語をつくり、時間の意味になっている格助詞の「の」に接続している。この格助詞「の」に続く形が二句ある。三句目は、動詞の連用形の名詞化する用法に「に」が接続していて、この形が二句ある。ゆえに、いずれも直接動詞に付いているとは言えない。なお、「や~に」の形になっている句は六句中四句である。

次に、「形容詞副詞」の句は一六句ある。子規が「形容詞」と「副詞」をセットにしているのは、英文法からの影響かもしれない。また、句を見てゆくと活用語尾に「に」がある「形容動詞」がかなり入ってくることになるのだが、これは、形容動詞は現在の文法では一般的だが、子規の当時にはこの品詞が分けられていなかったためであると思われる。一六句の下五のみを列記すると、①「だゝくさに」②「いんぎんに」③「紅に」④「つめたさに」⑤「すべらかに」⑥「悲しきに」⑦「暖かに」⑧「うれしさに」⑨「夜深きに」⑩「山さらに」⑪「筋違に」⑫「散ルたびに」⑬「折からに」⑭「ちり〱に」⑮「出るやうに」⑯「真白に」となる。①②③⑤⑦⑩⑪⑭⑯は様子状態の意味を示すととれるので、意味用法は形容詞と同様なのだが、現行の古典文法で分けてゆくと、その活用形から形容動詞のナリ活用の連用形に分類されることになる。④⑧は形容詞の名詞化したものに原因を示す格助詞「に」が続くもの、⑥⑨は形容詞の連体形に時間を示す格助詞「に」が続くもので、いわゆる準体言の用法。⑫⑬は名詞に「に」がついたものとなる(⑬は副詞ともとれる)。このように、現行の文法で分類すると子規の分類の用語とかみ合ってこない。これは、形容動詞だけではなく、助詞助動詞を含め、当時の文法が現在と異なる概念であったからだと思われる。なお、「や~に」の形の句は一六句中八句である。

ところで、この「に」止めの句の有名句には、芭蕉の「猿を聞(きく)人捨子に秋の風いかに」(「野ざらし紀行」)もあるが、ここでは分類されていない。七部集に所収の句だから気づかないわけはなく、「甲号」の「秋風」には分類されているので、丙号の分類の折には見落としたものと思われる。

次に、「へ」止の句は、「水無月や風に吹かれに古郷へ」(鬼貫)など、方向を示す「へ」のみの二句である。

次に、「と」止の句は二五句あり、①「名詞動詞ヨリツヾク どナシ」八句、②「最終字」六句、③「ど止」十二句に下位分類される。①は、並立の格助詞「と」が八句中四句、引用やセリフにつく格助詞「と」が四句あるのが特徴的である。句は前者が「物言はず客と亭主と白菊と」(蓼太)などで、後者が「鵙鳴くや木曾殿討たれ給ひぬと」など。②は「止」の分類で「最終字」と注記するのは当たり前でおかしいのであるが、おそらくこれは下位分類のない、分類のごく初期に書いたものではないかと思う。②は、①の名詞動詞以外の語から続くものと考えるべき分類だろう。句は「大根を引たる穴やうそ〱と」(宗壽)、「鶯や藪へさす日のほつこりと」(東紅)など。③の「ど」はすべて逆接の接続助詞で、「梅が香や戸のあく音は覚えねど」(千代)など。

次に、「を止」は一九句である。強い感動、詠嘆をあらわす終助詞「ものを」がもっとも多く、九句。芭蕉の「関守の宿を水鶏にとふものを」などがある。ただ、子規はこの芭蕉句を『ゆきまるけ』から引いているのだが、これは誤伝とされる。ただしくは下五は「とはふもの」。他は、目的語となる格助詞で、倒置や対象の省略になっている「を」であり、句に「銭矢立空に三五とよぶ声を」(嵐雪)などがある。

2018-06-10

「髪洗ふ」攷 橋本直

「髪洗ふ」攷

橋本 直





という三島ゆかりさんのツイートに触発されて、この季語についてちょっと調べて、考えてみることにした〔注1〕

まず、角川歳時記の初版の説明文「夏は婦人は汗と埃で、頭髪から不快な臭氣を發するので、たびたび洗はなければならない」は、どうも記号の表現と意味内容がずれているような印象を受けるのだが、そもそもこの典拠は、なんだったのだろう。「髪洗ふ」の歳時記初出について正確なことは未詳だが、「図説俳句大歳時記 夏」(角川書店。昭和48年)の「考証」で楠本憲吉が初出云々には触れずに掲載されていることのみを書いている二書あたりがもっとも初期なのであろう。一つは、「洗ひ髪」を載せている「新撰袖珍俳句季寄せ」(上川井梨葉。俳書堂。大正3年初版。本稿では昭和9年の増訂10版で確認している。なお、梨葉は籾山梓月の実弟。)〔注2〕で、こちらは解説も例句もない。もう一つは、「髪洗ふ」を載せている①「詳解例句纂集歳時記」(今井柏浦。修省堂。大正15年初版。昭和二年の第5版で確認。)〔注3〕で、こちらは「婦女、頭髪を洗ふこと四時選ばざるも、夏は汗のために臭氣を放つを恐れて、殊に洗ふこと多し。」という解説と、例句「洗ひ髪くゝりて細き面輪かな」(玉兎)がある。この〈髪が臭くなるから洗う〉という無粋で合理主義的な解説は、歳時記のものとしてはいかがなものかと思うのだが、これは要はひどく男目線かつ辞書風のもの言いの文脈なわけである。そして、以後に続く歳時記群もこの解説を蹈襲してゆくことになる。

・②「俳諧歳時記 夏」(改造社 昭和8年初版。季題解説と例句の執筆は青木月斗。)

婦人が髪の毛を洗ふこと。夏期は殊に汗のため、頭髪に臭氣を發するため、髪を洗ふ事多し。
干物のかわくに閒あり髪洗ふ  ひろし(ホトヽギス)

・③虚子編「改訂新歳時記」三省堂 (初版は昭和9年。昭和15年改訂。16年11月の改訂30版より引用)

婦人は夏期は汗のために髪に臭氣を發し易いのでこれを洗ふことが多い。洗ひ髪。

洗髪巻いてかぼそき女かな 葭女

筆者は虚子はあまりにも多数の季語を収録した改造社の歳時記に不満があったはずだと推測しているのだが〔注4〕、この解説文は虚子よ、おまえもか、という印象をもってしまう。そして冒頭の角川歳時記の初版から3版までの解説文も、この流れに乗ったものであることは論を待たない。そろいもそろって女性は夏髪が臭くなるから洗うことが多い、という文脈なのである。もちろん、男が臭くない訳がない。歴代の歳時記において、男たちはその臭気を透明な記号と化し、女性たちを眼差しているのである。これに対し、同時代の宮田戊子は、「昭和大成新修歳時記」(大文館。昭和8年)「詳解歳時記」(大文館。昭和17年)ともにこの季語を立項していない。やや下って、秋桜子編「新編歳時記」(昭和26年)にも立項はない。理由は不明だが、彼らの趣味には合わなかったのかもしれない。この季語のもつ風情に踏み込んだ解説文がついてくるのは、さらに下った④「俳句歳時記 夏の部」(富安風生編。平凡社。昭和34年。)である。引用は略すが例句が10句ある。

夏は汗のため髪が汚れやすいので、婦人は髪を洗うことが多い。洗ってまだ乾かず、ゆたかな垂れた「洗い髪」は粋なものだが、短い髪型の多くなったこのごろではもうだんだん見られなくなる風俗の一つである。

ここまでの流れを見ていれば、明らかにここでは「臭」という用字を避け、「粋」を主たる風情として説明しようとするポジティヴな意図が感じられよう。そして、それでもこの解説には、なお男性中心のまなざしを見ることもできるだろう。ところで、この点で言えば、先に触れた⑤「図説大歳時記」(同前)の鈴木棠三による解説は比較的ニュートラルなものと言える。

夏季、汗臭くなりがちな髪を洗うこと。土地によっては、髪を洗うのがたなばたの日の特定の行事となっている例がある。たなばたは水に縁のある日で、井戸替えをこの日にするのもそのいわれによるが、東北地方では、女が必ず髪を洗う日としていた。また近畿地方には、人畜が水浴する日とする習俗もある。


ところで、そもそも日本人が頻繁に髪を洗い出したのは高度成長期以降のことだ。Web上にはこういうまとめ

https://togetter.com/li/1224540

なんかもあって、まんまと企業戦略にのせられているという声なんかもあるけれども、話はそう簡単でもないだろう。先にあげた歳時記群の記述を素直に受け取るならば、夏の女性の髪は臭うという男のまなざしが常にそこにあり続けているのだから。それでも、ここにあげられた広告によれば、女性も昭和一ケタのころは月に二回もシャンプー(せっけん)では髪を洗っていなかったことがわかる。これは、先に引用した歳時記①~③の時代に相当する。そして、歳時記④、⑤の時代に相当する前の東京オリンピックの頃ですら、五日に一回を売り手がおすすめしている程度だったこともわかる。そしてこのようなことを前提に、「髪洗う」という季語の説明をみなおすと、ちょっと風景がかわってはこないだろうか。今日の常識からすれば、昭和初期の女性たちは驚くほど髪を洗ってはいないのである。言い方を変えれば、私たちは現在の常識でものを見すぎてはいないだろうか。そもそも、この時代の女性たちはどこで、どのように、〈何回も〉髪を洗っていたというのだろう〔注5〕。あるいは、何度も髪を洗う女とは、何者のことであったのだろう。

思うに、かつてあまり洗髪がされていなかったのは、昔のシャンプーでは洗った後に脂がとれすぎて、きしきししたり、髪を傷めて不快だったからなんじゃないだろうか。80年代のことだったか、「キューティクル」とか「天使の輪」とかキャッチーなキーワードを使って髪が傷まないことを強調した商品のCMがあったと記憶する。強調するということは、その前はそうではなかったということなんだろう。洗った後の髪を乾かすのにも、今のようなハイパワーのドライヤーは普及していなかったから、冬はつらいだろう。そもそも、高度成長期前後の日本では、一般家庭でドライヤーをつかっただけでブレーカーがあがる程度の電気しか分配できなかった。電力供給の安定は、高度成長と平行して各地に原子力発電所ができて以降のことになるだろう。そして水資源の平均化と上下水道の整備も必要になる。もちろん水は自然のものであり、一般に、日本は水資源が豊かなので「湯水のように使う」という俚諺が生まれたとはいうけれども、細かく見てゆけば水は偏在している資源である。例えば、瀬戸内式気候かつ水源の貧困な地域で育った私の経験では、もっとも髪を洗いたい夏こそもっとも水が不足するのであり、ダムができるまではしょっちゅう断水していたし、一番ひどいときは、生活排水も流れ込んでくる川の下流で水をくみ上げ、無理矢理塩素で浄水して使用していたことさえあった。飲料水に事欠くのに、毎日シャンプーなんてとんでもないことだったろう。さらにいえば、髪を毎日のように快適に洗うためには、シャワー施設があることも重要になる。いまや日本のお風呂には浴槽とシャワー施設が必須だと思うけれども、世界標準で考えればこれは決して一般的なことではない。そして昔ながらの日本の風呂は浴槽重視であり、シャワーはなかった。たしかユニットバスは前の東京オリンピックの宿を急いで建てるために発明されたものと記憶するが、やがてその浴槽とシャワーの〈ユニット〉化は各家庭のシャワーの普及にもつながることとなったのではないか。毎日快適にシャンプーをする、ということのためには、品質のよいシャンプーだけではなく、安定した電気と水の供給とシャワー施設がなければならない。逆に言えば、これらのものがそろったとき、毎日シャンプーすることは当然の慣行となり、しないことは許されないような〈空気〉が醸成され、やがてそのことが人々を抑圧しはじめる。言い方を変えれば、人間のありようを変容させてしまうのだろう。

さて、これまで見てきた内容を踏まえて、新版の⑥「角川俳句大歳時記 夏」(角川学芸出版。2006年)の藤本美和子による解説を読むと、なかなか含蓄に富む。

七夕行事との関連を指摘する見方もあるが、そうでなくても夏は汗のために髪が汚れやすく、頻繁に洗うことが必要である。暑さゆえ、洗髪後の清涼感もひとしおである。髪を洗うのは女性だけに限らないが、句に詠まれているのは女性が多く、「洗い髪」の風情は女性だけのもの。

夏の髪は「頻繁に洗うことが必要」なことが当たり前になったことと、この季語について語られてきた意味内容が微妙にずれている。そして、この「洗い髪」の風情が「女性だけのもの」なのは、何に由来することなのかも、歳時記群の中で閉じてしまった記号とその意味内容の受け渡しが、今日まで何かをずらし続けているようにも見えなくもない。


注1:四版までの例句も含めた情報はこちらの記事を参照 
三島ゆかり「角川歳時記のあゆみ」(ウラハイ2008年7月3日の記事)
http://hw02.blogspot.com/2008/06/blog-post.html

注2:本稿とは直接関係ないが、俳書堂周辺の事情はこちらの記事が参考になる。
藤田加奈子「昭和8年師走の東京の空の下――渋谷大和田町の「いとう旅館」と「いとう句会」のこと・『俳諧雑誌』から『春泥』への歳月【前篇】」
http://d.hatena.ne.jp/foujita/20151031/p1

注3:今井柏浦の活動については以下の拙稿を参照。
今井柏浦ノート―『明治一万句』を中心に―(「鬼」23号09年3月)
http://haiku-souken.la.coocan.jp/report&essay/oni23%20hakuo.htm

注4:拙稿「近代俳句の周縁 1〈豊かな時代〉の網羅主義 昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』」
(週刊俳句2007年5月20日号)参照。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/05/blog-post_8742.html

注5:例えば、リクシルのHPによれば、「家庭で内風呂が一般化したのは第二次世界大戦後の高度成長期を迎えた頃から」である。
http://www.lixil.com/jp/stories/stories_08/

2018-05-27

【俳誌を読む】金子兜太追悼特集・4誌比較 年譜の観点から 橋本直

【俳誌を読む】
金子兜太追悼特集・4誌比較 年譜の観点から

橋本直


『俳句四季』などを除いて総合誌の兜太追悼特集に一応目を通す。研究者目線で言うと、追悼号はその作家の同時代の評価、著作一覧やその抄出、年譜などが載っているので、著作物や全集以外では作家論に取りかかる時に第一に当たる資料になってくる重要なものだ。だから古書店で総合誌で俳人の追悼号を見つけるとなるべく買うようにしている。

兜太の場合、只今現在である分、同時代の評価をさらに踏み込んで個々の記事の筆者と兜太との関係性からの問も立ちあがるので、いましばらく寝かせておきたくなる。その観点で言えば、比較的いま重要になってくるのは、いつどこで何をしていたのかが記されている年譜。いずれは『金子兜太全集』なり新しい選集なりに詳細なものが出るとしても、ひとまずなるべく詳細な年譜があることは研究者にとってはかなりありがたいことだ。

そういう点で言わせてもらえば、今回別冊まで刷って物量で圧倒している『俳句』の年譜はわずか2ページしかなく、『俳句界』も同様に少ない。

一方、『俳句α』は年譜とは言わずに「金子兜太アルバム」と題し、1から4に分け、豊富な画像を入れつつ、合間合間に記事(執筆者は「「寒雷」時代の金子兜太」石寒太、「金子兜太に惹かれて」マブソン青眼、「これからの金子兜太」田中亜美)を挟む、20ページにもわたる内容となっている。これは新潮社の「文学アルバム」的な作り方と言っても良いだろう。年譜の執筆者の署名はないが、石寒太によるものか。

『俳壇』は、田中亜美編によるほとんど画像を使わない、11ページにわたる三段組の年譜が載っている。ともにかなりの情報量がある。

過去に出たものを除き、当面この2冊の年譜をまずはアテにすることになるのだろう。


2017-12-24

俳句の自然 子規への遡行 60 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 60

橋本 直
初出『若竹』2016年1月号 (一部改変がある)

子規は「切れ」の分類につづき、「は・ば・に・へ・と・ど・を・か・の・や・て・も」の十二字の句末の「止め」について収集、分類している。以下、これらについて概観する。

まず、「は止」は下位分類として、①「には=へは=とは」、②「名詞よりツヾク=春夏」、③「名詞よりツヾク=秋冬」、④上記以外に分けられている。まず①は十四句あるが、一種類ずつ例を引く。

  あら玉の馬も泥障を惜むには  嵐雪
  干瓢を太刀の尾にして都へは  自悦
  摘菜せし友を其の烟とは    也有

「泥障」は「あおり」と読む。鞍の下に敷く布で馬がはねる泥で衣服が汚れるのを防ぐもの。馬も新年には自ら泥汚れを惜しむ、という趣であろう。「には・へは・とは」に共通するのは、口語的に言いさして終わる表現になるということであるので、句末で余韻を残したり、言外に真意を匂わせようとすることになろう。②は八句③は九句ある。これも数例をあげる。

 ②花よりも猶芽独活の春の紅は   杉風
  卯の花に寒き日も有山里は   几董
 ③鐘つきよ階子に立て見る菊は  其角
  水音も鮎さびけりな山里は   嵐雪

杉風の句は変則的だが十七音。芽独活の紅さを花に勝ると賞したもの。其角の句は独特でわかりにくいが、鐘の撞かれる部分の模様を菊に、鐘全体の格子模様を階子に見立てたものかと思う。嵐雪句の「鮎さび」は「さび鮎(落ち鮎)」を動詞でつかったもの。「花の色はうつりにけりな~」の趣を鄙びた山里に置き換えたか。さらに、この形で思い出すのは、子規の句(「寒山落木」巻二所収)の「母の詞自ら句になりて」という前書きをもつ明治二十六年の作、

  毎年よ彼岸の入に寒いのは

であろう。つまり子規の母親から何気なく口をついてでた言葉が自然に俳句の形になっていたということで一句とされたものである。つまり、この形は先の場合同様、口語的になる傾向をもつのだが、同時に、「は」が主格を導く副助詞であることから、すべて倒置の句になっている。 

④は①~③以外で九句分類されているが、現在の文法の用法から見ると名詞に当たるものも含めて分類されている。例えば、

  麻にそふ荵冬よ離れ苦しさは  楚常 
  吉野のみか梅の杉田もこれは〱 吟江

一句目の「苦しさ」は、現在の文法では形容詞「苦しい」の名詞化した用法になる。二句目は「吉野の桜のみではなく、杉田の梅(現在の横浜市にあった梅の名所)も、これはこれは素晴らしいものだ」の意味。「これは〱」は、一語の感動詞ともとれるが、「これは」の連語であり「これ」は代名詞である。判断が微妙なところだが、子規は名詞ではないと判断したのであろう。その他を接続品詞ごとに例出すると、

  鯉もけふ伏見の桃に登るかは  亀世
  春雨や物読まぬ身のさりとては 虚白
  鶯の音にふくるゝか折々は   蓼太
  子やせがむ砧の音の乱るゝは  山之

一句目の「かは」は疑問の係助詞であろう。わかりにくい句だが、伏見の桃の花の見事さを流れる滝に見立てたもの。芭蕉の「我が衣に伏見の桃の雫せよ」(「野ざらし紀行」)を踏まえたものか。二句目「さりとて」は一語の接続詞。三句目の「折々」には名詞と副詞の用法があり紛らわしいが、倒置で「ふくるゝ」を修飾する副詞とみるのが妥当だろう。四句目の「乱るゝ」は動詞「乱る」の連体形。この句の上五の「子やせがむ」の形は係り結びだが、形の上では前回みた、上五に「や」があるが五音目ではないものにも該当するものの、子規はこの句をそこへ分類していない。後で係り結びにも関係する呼応の結びの分類がいくつかあるのだが、そちらにもなく、気がつかなかったのか、分かっていて後回しにするうちにそのままになったのかはわからない。

次に「ば止」めについて。子規は①「ば」の前の語の母音が「ア」か、②①以外かで下位分類を行っている。前者が十二句、後者が十三句である。まず①から数句例出する。

  夕立や田をみめぐりの神ならば  其角
  菊さきぬ母の此世にましまさば  朋水
  雪国へもうおいきやるかさらば〱 嘨山

「ば」も「は」と同様に倒置になる形であり、活用語がア母音の活用と接続するので、ほぼ仮定形の用法となる。一句目は「三圍雨乞」と前書。其角が干ばつの折、三圍(みめぐり)神社で雨乞いのためにこの句を詠んだところ、たちまち雨が降ったなどといういわくのある句でもある。二句目「ましまさば」は「いらっしゃるとしたら」。普通の仮定形だが、古歌の反実仮想を意識しているかもしれない。三句目は例外的なものであり、別れの言葉「さらば」で終わるために、仮定形ではない。次に②も数句引く。

  夏ながら五条につゞく山なれば  乙由
  魨汁やさて火をともしよく見れば 子曳

こちらは活用語の已然形に「ば」がつく順接確定条件の用法となり、分類句ではすべて原因理由の意味であった。

2017-08-27

俳句の自然 子規への遡行 59 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 59

橋本 直
初出『若竹』2015年12月号 (一部改変がある)

引き続き「や=かな」の分類について追う。次は「(夏)(秋)(冬)」十三句。春の句は二十七句が三つに下位分類されていたが、他季は数が少なくひとまとめになっている。

  常磐木や水も色そふ紅葉哉   紹巴
  夕顔や秋はいろ〱の瓢かな   はせを

など。四季を合わせると、子規は近世の俳句からちょうど四十句、切れ字「や」「かな」の重複した、いわゆる二段切れの句を収集していることになる。これは子規が集めた句の総数から見れば数多くはないけれども、作者には肖柏、紹巴、宗牧、宗因、芭蕉、嵐雪、其角ら、連歌・俳諧の時代の代表作家達が並んでいる。現代の俳句ではすっかり禁忌となっている二段切れについて、このような側面があることは興味深いことではないだろうか。

「や=かな」の次は、「やけり」の分類がされている。二十一句収集されていて、下位分類はない。

  行年や親に白髪をかくしけり  越人
  夕立やよくも男に生れけり   蓮之
  苗代や鞍馬の櫻ちりにけり   蕪村
  五月雨や田毎の闇となりにけり 同

など。特徴的なのは、蕪村の句が六句入っていることである。

ところで、引用した「五月雨や田毎の闇となりにけり」は蕪村没後まもなく刊行された『新花摘』から録られているのであるが、この頃の子規には知る由もなかったけれども、子規の死後に発見、刊行された蕪村の『自筆句帖』では「や」を抜いて「さつき雨」と推敲しているため、現在出版されている岩波文庫の『蕪村俳句集』等では、後者の句形で掲載されている。

また、蓮之の「夕立やよくも男に生れけり」は、おそらく其角の「夕涼みよくぞ男に生まれける」の模倣作であろう。子規がこの句の典拠とした『百番句合』は其角の死後の出版だが、編者の一人中川(雪兎庵)宗瑞は其角の門人でもあった。そうなると現代の感覚からすると違和感を覚えるのであり、当時も模倣が良いこととされていたわけではないはずだが、其角は『句兄弟』という自句を含む類似作を並記する体のアンソロジーを編んでいる張本人であるので、その系譜の俳人達の意識の中では許されていたのかもしれない。

上五を「や」で切る二段切れの分類につづいて、上五に「や」があるが五音目ではないものが十四句分類されている。これは現在ではあまりみない用法であり、かつ子規の代表句にあるものなので少し丁寧に確認したい。

  ①萩や聲鼾東西々々と      兒斎
  ②月や聲聞てそを見つる子規   宗牧
  ③菊や酒漬山椒を茱萸の房    一有
  ④香やとんて下戸胸躍る菊の淵  常矩
  ⑤山や雪麓の烟人の息      圓斎
  ⑥花や孕む大原山の雲の帯    重供
  ⑦花や雪橋よりわかる道の数   柳川
  ⑧北や雪汐風寒し磯の松     宗因
  ⑨沖や雪入舟白しゆふ嵐     同
  ⑩山や雪ふらぬ日つもる都哉   前左大臣實
  ⑪花やさく遠山人のつても哉   専順
  ⑫をしや春旅せて過し我は猶   鷺喬
  ⑬よしや菊いはぬ色にも片よらず 蓼太
  ⑭日や西に尾越の鴨の腹白き   花珉

いわゆる切れ字の「や」はもともと詠嘆の間投助詞(または終助詞)の発展した切れの用法であるが、ここにおける「や」はいずれも一句の「切れ」としては働いていない。

①「萩や聲」②「月や聲」③「菊や酒」⑤「山や雪」⑦「花や雪」⑧「北や雪」⑨「沖や雪」⑩「山や雪」の「や」の用法は、たとえば「吾が心なぐさめかねつ更級や姥捨山に照る月を見て」(『古今和歌集』詠み人知らず)の「更級や姥捨山」の「や」のように、上の語を下の体言に結びつける、「の」と置き換え可能な間投助詞の用法であろう。句中に他に切れ字がある句もあるが、結果的にこの用法があると上五で切れが生まれることになっていると思う。

④「香やとんて(飛んで)」の「や」は疑問反語の係助詞「や」による係り結びが流れた用法かと思う。⑥「花や孕む」や⑪「花やさく」は疑問反語の「や」による係り結びであろう。⑫「をしや(惜しや)」の「や」は詠嘆の終助詞。⑬「よしや」は一語の副詞。⑭「日や西に」の「や」は調子を整える間投助詞。この中でもっとも用例の多い「や」と同じ使い方をしていると思われる句を、子規は明治二八年、日清戦争従軍の頃に三句詠んでいる。

  ①春や昔古白といへる男あり
  ②春や昔十五萬石の城下哉
  ③春や千代君と北斗と南山と

①は従弟の藤野古白が自殺したのを悼んで詠んだもの。②は子規の代表句の一つであり、JR松山駅の前に大きな句碑が建っている。③は「北斗挂城邊南山倚殿前」と前書がある句。これは杜審言の「蓬莱三殿侍宴奉勅詠終南山」(蓬莱三殿にて宴に侍し、勅を奉じて終南山を詠ず)という五言律詩の首聯であり、句中の「千代」は、この詩の結句が「長此戴堯天(とこしえにここにぎょうてんをいただかん)」の「長」を踏まえていよう。こうして見くらべると、子規の②の句は、上記の⑩の句の用法に似ていることが分かるであろう。

2017-08-20

俳句の自然 子規への遡行 58 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 58

橋本 直
初出『若竹』2015年11月号 (一部改変がある)

これまで見てきたように、子規は、切れ字ごとの分類にあたり、基本的には切れの位置と品詞の接続によって分けているが、「ぞ」の次の「つ」は、

  妻や子の寝顔も見えつ薬喰   蕪村

など十一句で、数が少ないためひとまとまりしかない。掲載順では、その次に「や(第三句にあるもの)」と「す切」と続くが、さらにその後に「や」に関する分類が複数続くので、「や」をあとまわしにし、先に手短に「す切」に触れる。「す切」は十七句収集されているが、数が中途半端だったからか、その必要を感じなかったのか、下位分類はない。特徴的なのは、句中蕪村七句几董五句と師弟で十二句を占めていることである。蕪村句は「蕪村句集」から、几董は「井華」からの収集なので、意図して並べた訳ではないだろうが、興味深い傾向ではある。

さて、「や」についてである。先に述べたように、まず「や」が下五にあるものを二十三句収集している。そのうち二十一句が座五の切れの位置に「や」があるものである。例えば、

  女郎花すゞかけ投て妹背とや  梨水
  蚊帳の内に蛍放してアヽ楽や  蕪村
  洗足の盥も漏りて行春や    仝

など。現在の俳句における座五の切れ字の「や」の使い方は詠嘆の間投助詞が主流であり、本分類も基本同様であるが、一句目は「とや」で疑問・反語の用法を用いてあり、二句目は口語の台詞的に用いられているので、「切れ」としてはいささかゆるく感じられる。また、残りの二句は、

  大宮姫柳かざしてけふや雛   可因
  若竹や橋本の遊女ありやなし  蕪村

このように、途中に「や」が用いられている。一句目は「雛けふや」の倒置であり、二句目は「ありやなしや」の最後の「や」が省略された表現だが、これは「伊勢物語」の著名な歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の第五句を踏まえたもので、後の「や」が省略されている形である。つまり疑問の終助詞の用法で、いわゆる切れ字の用法とは趣が異なる。子規が「や切」と呼ばずに分類したのは、これらの用法を含むものゆえと思われる。

その後、子規は「や=かな」「や=けり」のいわゆる二段切れを分類収集している。なかでも「や=かな」の春は句数が多く、さらに三つに分けられている。まず、「(春=天文)(地理)」は八句。例えば

  盬がまや烟をたゝぬ霞哉    紹巴
  住の江や人のみちくる汐干哉  宗房
  富士のねや雪の上なき霞哉   宗因

など。一句目は「盬がま」が地理、「霞」が天文となる。「六条道場にて」と前書。「六条道場」は、源融の河原院の旧跡に建てられた歓喜光寺の異名。河原院には、わざわざ大阪湾から海水を運び込み、陸奥の塩釜を再現していたと伝えられる。紹巴は戦国時代の連歌師であるから、当然その時代には河原院はなく、歓喜光寺も応仁の乱で移転した後のことであるから、そのいずれもがない無常の様を「烟をたゝぬ霞」の中に込めていることになろう。前書に関する教養がなければ、句の風情も「盬がま」が地名であるということも分かりにくい句である。二句目の「住の江」は現在の大阪市住吉区にあたる地名。江戸期に埋め立てられる以前は海岸があった。百人一首の藤原敏行の歌「住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ」は広く知られていよう。古より貴人も海に遊んだ景勝の地ゆえ、「滑稽雑談」には古俳書には住吉の潮干のみ春の季とされていたとある。とはいえ「汐干」は天文の季語ではない。(春=天文)とある分類で、その他の句の季語はすべて霞、春の雪、春の月のいずれかなのでこの句のみがおかしいことになるが、子規の誤りか他に理由があるかははっきりしない。

次に「(春)天文地理木ナシ」十二句。これは天文も地理も木もない、という意味ではなく、天文か地理で分類してある句で木がないもの、ということのようである。例えば、


  あだし野や身をつみかへる菫哉 宗牧
  元日やはづかしさうな礼者哉  楽水
  陽炎や羽を打つ蝶の長閑哉   乙序

一句目は「あだし野」が地理だが季語は「菫」で天文はない。

二句目の「元日」は時候だが、ここでは天文と含めて見ているのであろう。地理はない。
三句目は「陽炎」が天文で地理はない。このように、十二句いずれも時候を含む天文か地理が詠み込まれ、いずれも「木」は詠み込まれていない。

 次に「(春=天文)(地理)(木)」七句。これも天文の春の季語があるとは限らない。例えば、

  桜戸やとふもいさよふ山路哉  肖柏
  道灌や花は其よを嵐哉     嵐蘭
  小泊瀬や眼鏡も余所の霞哉   梅翁

一句目は木が「桜」、地理は「山路」、季語は「桜戸」になり人事。二句目は木が桜(「花」)、地理が「道灌(山)」、季語は「花」、三句目の「小泊瀬」は地名で、奈良の「初瀬」のことであろう。この句のみ木がないが、小泊瀬が長谷寺を指すなら、『源氏物語』「玉鬘」の場面から「杉」を暗示するか。「眼鏡も余所の」という措辞に滑稽味があろう。

2017-06-04

〔今週号の表紙〕第528号 サイゴン中央郵便局 橋本直

〔今週号の表紙〕
第528号 サイゴン中央郵便局

橋本 直


ホーチミン。子供の頃、世界を紹介するテレビ番組でみたこの街は、道路いっぱいに編み笠をかぶって自転車をこぐ人々であふれていた。あとアオザイ姿の人たちとか。今やアオザイは観光客のコスプレとなり、自転車は原チャリに代わった。原チャリはやはり道路にあふれている。本当にあふれて歩道に乗り上がってくるので危なくてうかうか歩いていられない。そんな道路に囲まれた中にあって、ポケモンGOをやっている人でごった返す小さな公園があったりした。暑い。照りつける日差しを避けることができる建物に入ると、そこは中央郵便局。入り口辺りのベンチにはたくさんの観光客が座って涼んでいる(エアコンはない)。フランス統治時代の建築物だそうだけど、郵便局としてはそんなに機能的な造りには見えない。天井が異様に高いのは暑さ避けのためなのだろう。屋根の鉄骨がよく目立つ。これ、あのエッフェルの設計なんだとか。



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2017-05-28

俳句の自然 子規への遡行 57 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 57

橋本 直
初出『若竹』2015年10月号 (一部改変がある)

前回までの「ぬ」に引き続き、俳句分類丙号における「切」について検討する。次項は「かな」である。子規は「かな」を分類するのにあたり、切れの位置に注目し、上五末の「かな」切れに焦点化して、それを春(九句)夏(八句)秋(八句)冬(十一句)で分けている。

  乞食哉天地を着たる夏衣  其角
  浮世哉月にはまふた芋に砂  杉風
  枯野哉雪くれて寝て見ん不二の味  言水 
  枝も哉嵐の木葉霜の花  宗砌

現在、一般的には上五を「哉」で切るのは嫌われる作句法であり、初心者には例外的なものと説明されているように思われる。これは切れ字の上が三音に固定されやや窮屈であることと、「哉」が座五で使われることが多いゆえに相対的に読者に違和感をもたれたり、倒置のように読まれやすくなったりして、結果切れの前後の飛躍が判じ物のように理屈でつながってしまうためかと思う。子規の分類においても収集数は四十句に満たないから、近世においても多くは詠まれなかったのかもしれない。それでも、引用したように、其角、杉風言水ら近世を代表する作家達が詠んでいる。また、最後にあげた宗砌(そうぜい)は室町中期の連歌師であり宗祇の師である。子規が集めた中で最も古い時代の句群の一つということになるだろう。先に述べたように、上五の切れに「哉」を用いることは現在あまり行われないゆえに、顧みられることが少ないのであるが、子規の分類によって歴史的にはかなり古い段階から継続実践されていたことが確認できる。

次に、中七の「かな」切が分類されている。中七の分類は、さらに数が少ないこともあって春夏秋冬には分けられていないが、中七にはあるが座五に哉を用いてないもの(子規の用語では「除句尾ニアル者」)と連体接続ではないもの(子規の用語では「除名詞ヨリツヾク者」)のまとまりと、単に中七中にあるもの(二句切れ、中間切れ)の二つに分類されている。とはいえ、こう書いてもいささかわかりにくいものなので補足説明をしておく。まず前者の分類では、

  道はこゝにとゝまれる哉神神楽  宗因

のように、中七の切れの「哉」が活用語や付属語に付いている句を分類してあり、後者では連体接続のものが分類してある。ゆえに、前者には「除名詞ヨリツヾク者」と断り書きがつく。

次に、後者では、

  若草にはや浮世かな末の露  昌察
  梅柳さそ若衆哉女哉  はせを 

これらように、中七の切れ字の「哉」(一句目)と、中七の切れでもあるが、並立表現になっていて下五でも切れになる場合(二句目)を併せて分類してある。ゆえに前者の分類に、「除句尾ニアル者」と断りが付けられているのである。

また、前者の分類の中には、

  夏木立哉池上の破風五寸  其角
  梅に月枕もがなの数ならず  東水

このような句も分類されているのであるが、前者は「夏木立哉」という上五の破調であろう。また、後者は「かな」ではなく「もがな」と思われ、いずれも子規の勘違いではないだろうか。この他、座五の「かな」切れのみの分類はない。それが、子規がその必要を感じなかったからなのか、多すぎて後回しにしたままになったものなのかは未詳である。

ところで、さきほど見たように、子規は下位分類をする場合、時折、連体接続か否かのように品詞の接続で分けようとする。それが数を分ける場合に都合がよかったからなのか、それ以上になにかの分類の方法概念が導入されていたのかはまだはっきりしないが、特徴的な態度ではあるので、なお注目していきたいと思う。

つぎは「よ切」である。句末の「よ」は、命令や呼びかけなどの「主体の意志・感情・判断・意見などを強く相手に押しつけようとする気持ちを表わす」(「新明解国語辞典」)語であるが、子規はこれを意味(①「命令話シカケ」)と接続(②「名詞」、③「形容詞」、④「除名詞形容詞」)の四通りに分類している。

  ①若楓矢数の篝もみちせよ  蕪村
  ②這ふ子にも土は薬よ瓜の蔓  素外
  ③くふて寝る身の不性さよ波の鴨  野坡
  ④衣打つよ田舎の果の小傾城  几董

このように、「ぬ」や「哉」と違って、切れの位置による分類を行っていない。当然「よ」も上五中七下五それぞれの末に使われているのだが、先の二語と違って、そこで分ける必要を感じていなかったということなのだろうか。

一方、続いて分類されている「ぞ切」はまた位置の分類に戻っている。基本、上五、中七、下五の句末にあるもので分類され、中七のみ名詞とそれ以外の接続にさらに分けられている。なお、

  口もとにある名そあれは草の花  踏青
  何急く家そ灯ともす秋の暮  几董

この二句のみ「切字」と書かれて別に分類されているが、見る限りはいわゆる中七の中間切れであり、やはり位置の意識で分類されていると思われる。

2017-04-02

俳句の自然 子規への遡行 56 橋本直

俳句の自然 子規への遡行 56

橋本 直
初出『若竹』2015年9月号 (一部改変がある)

引き続き、「丙号分類」における「切」の分類の検討を進める。前回の最後に子規の「ぬ切」の句の分類を紹介しておいたが、この「切」は今日の俳句において言われる「切れ」の概念を単純に当てはめるわけにはいかないようである。まず、現在の一般的に考えられている「切れ」の働きを列挙しておくと、

一つ、「切れ」は基本「や、かな、けり」など「切れ字」によって作られるが、切れ字でなくとも切れる。
一つ、切ることによって短歌(下の句)との臍の緒を切り、一句の独立性、完結性を生み出す。
一つ、一句の中間で切ることによってその前後の飛躍を生み、作品の内容に広がりを出す。
一つ、詠嘆の働きをもち、句の格調をうみだす。
一つ、原則として「切れ」は一句中一ヶ所のみとされる。

ひとまず、このようなところであろう。(ただし、実際には表現技術によって一句中に軽い切れと重い切れを併用する句も少なくない印象はある。)一方、子規が「切」の字を使って分類している句群をみてゆくと、多くはここで述べた「切れ」にあたるけれども、必ずしもそればかりですっきり分けられないことに気がつく。例えば前回の「ぬ切」で引いた句、 

  入道のよゝと参りぬ納豆汁  蕪村
  うそ寒う昼飯くひぬ煤払  几董
  村々の寝心更けぬ落し水  蕪村

これらの「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形で、句中で切れる働きをもち、いわゆる二句一章の形になっているので、現在の「切れ」の概念で考えてもまったく問題はないが、一方で、同じ「ぬ切」に分類されているものの、

  水仙や鵙の草茎花咲ぬ  蕪村

この句は、今の俳句の主流の文脈で読めば、上五「水仙や」の切れ字「や」で切れているので一句の「切れ」は「ぬ」ではないことになるはずである。しかし、この蕪村の句はそう一筋縄ではいかない。この句を上五と中七・下五の二句一章の句として見ると、季節の異なる季語の季重なりになっていて、つなげて読んでもまるで意味がわからない句になってしまう。中七の「鵙の草茎(もずのくさぐき)」は「鵙の速贄」と同義とされる秋の季語であり、水仙とは季があわない上に、下五「花咲きぬ」の意味がまるで通じない。

岩波文庫『蕪村俳句集』の尾形仂氏の注釈によれば、蕪村はこの表現で「水仙の蕾の形を形容した」のだという。つまりこの句の場合、下五中七は上五の比喩ということになる。単純に解釈すれば、「まるで鵙の速贄のような水仙の蕾が花開いたことだ」ということであり、この「や」は「は」に置き換え可能なのである。つまり、文章としてみれば「や」は切れる必要がない。が、ここに切れ字が入っていることで間ができ、しばしこの謎解きを考えてから、ああ、と比喩であることに気づくような構造になっているのである。

子規らによる「蕪村句集講義冬之部(十)」でも、この句を引き、童謡に速贄の説明をした上で、「これは水仙の花が、茎長く伸びて上に花一つ咲けるを鵙の草茎に喩へたるならん。此の如く奇抜なる、しかも雅趣ある比喩は蕪村ならでは誰か用ひ得べき」と評価している。「蕪村句集講義」は子規宅に、虚子、碧梧桐、鳴雪ら日本派の主要メンバーが集まって開いた蕪村句の勉強会をまとめたもので、この「冬之部 十」の会は明治三十一年十月五日に開かれている。参集は子規、虚子、碧梧桐の三名で、記録者は子規。その時々で誰の発言や付記かを書いてあるものもあるのだが、この時は引用部の発言者が誰かの記述はない。引用と先の尾形氏の注釈との違いは、比喩の対象が蕾なのか咲いているのか、という点である。鵙の速贄といっても色々あるわけで、この蕪村の奇抜な比喩がどちらを指すのか俄に判じがたいが、尾形氏の説はまっすぐ伸びた水仙の緑の茎の先で蕾がニュッと折れ曲がった状態が、枝に刺さった速贄に似ていて(つまりちょっとグロテスクな形状で)それが美しい花を咲かせた、という意味であろう。鵙の速贄の本来の季の姿を踏まえた上での喩の使い方という解釈だと思う。一方で子規達の解のように、鵙の速贄の形状そのものが花のようだとなれば、「枯木に花」的な理解になってくると思われ、どうも尾形氏の方が解として自然であるように思う。

ところで、「鵙の草茎」には古来より語義に異説が多いようである。そもそも「くさぐき」は『万葉集』の古訓からきており、鵙が春になって山に移って姿が見えなくなることを草に潜ったと捉えたところからきている語のようである。和歌においては、「春さればもずの草ぐき見えずとも我は見遣らむ君があたりをば」(『万葉集』巻十)を本とし、恋人などを訪ねようとしても見えず会えないことを詠むのに用いられた。「蕪村句集講義」でいう「雅趣」がいかほどこれらを踏まえているか不明であるが、いずれにせよ「切れ」の理解だけでも古典の教養抜きには刃が立たないのである。

整理すると、蕪村の句は切れ字「や」を二句一章の飛躍の為につかっておらず、飛躍の強い奇抜な比喩との間に入れることによって間を持たせる働きをさせており、句末の「ぬ」が一句の完結の為に用いられている「切れ」だとみることができる。例えばもし「ぬ」を「て」に変えれば、咲くのは上五の「水仙」に返ってしまい、意味不明の句になってしまうだろう。