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2025-09-28

『音数で引く俳句歳時記』活用句会・顚末記 西原天気

『音数で引く俳句歳時記』活用句会・顚末記

西原天気

『What's』第8号(2025年5月)より転載

【筆者による解題】

『音数で引く俳句歳時記』(監修岸本尚毅)なる歳時記を四季4冊、2023年に制作。その歳時記を手に作句・選句・合評の句会をやりましょうと、販促も兼ねて(じつは私の個人的な愉しみ)、東京・荻窪で開催したり、関西を巡業をしたり。お招きがあれば、風呂敷包みに必要冊数を抱えて出向きますよ、と冗談半分に言っていたのか、考えているだけだったか、もう忘れましたが、あるとき、仙台の川柳作家・広瀬ちえみさんから、川柳誌『What's』主催の句会で、それ、やってみませんか? と、ありがたいお誘い。東京西郊のわが家から仙台までは意外に近い。時は11月の終わり。日帰りの句会→懇親会→二次会を楽しませていただきました。

以下は、記事タイトルのとおり、当該句会の顚末記。紙幅の制限もあって、句会の記録としては、読者にも関係者にも私にもやや物足りないところがありますが、「音数」という、俳句にとって川柳にとって幸か不幸か避けがたく、抜き差しならず身も蓋もなく、枝葉のようで根本的(ラディカル)な、指を折る人にも折らない人にもついてまわる事象について、軽く、あまりにも軽く触れた部分もありますので、ここに転載させていただくことにしました。


とある句会の、とある一句で、「右手」という語が話題にのぼりました。「なぜ左手ではなく右手なのか?」。私の見解は「3音だから」。ですが、世の中には意味の好きな人、句に意味を読み取ろうとする人が多いのでしょう。あまり賛同を得られませんでした。

意味は、ない、に越したことはない。はたまた、書いてもいない意味を追いかけても退屈。とはいえ、川柳にせよ俳句にせよ、ことばである以上、どうしたって意味は付いてきますから、非=意味、反=意味、無=意味は、なかなか実現しない夢想に過ぎない。にしても、希求はしていたい。そこで、音数です。

意味でも範疇でもなく、音数の順に並べたアブノーマルな歳時記には、その使用法として、作句の際の音数調整という身も蓋もなく実用的な側面がいちおうあるにはある。けれども編者たる私の願いは、意味からの離脱だったりします。音数に凭れかかることで、意味がどこかに行ってしまう。屈折する。崩壊する。そんな事故のような句、事件のような句に惹かれるあまりの音数歳時記。個人的な嗜好に過ぎないのですが、そう言っておくのがロマンチックです。

さて、そこで、この音数歳時記を実際に手にしながらの句会です。これまで東京で数回、大阪、京都、神戸、大津と関西巡業、そして今回はいよいよ仙台。しかも、俳句ではなく川柳を主成分とする句会にお招きいただいての句会でした。

席題は手持ちの文庫本を適当に開いて、一行目にあった語句から選び、はたまた音数歳時記を適当に開いたその見開きの立項を席題にするという変則的な趣向もまた、意図を避け事件を期待してのものでした。うまくいったかどうか心許なくはありますが。ともかく句会は進む。投句へ、清記へ、選句へ、合評へ。

やあ、君はへっつい猫かミケランジェロか 豆乃助》《虹蔵れて見えずお互いに鴉 省悟》などは、歳時記効果と言っていいと思います。「へっつい猫」「虹蔵れて見えず」なんて、他で出会うことはなかなかない。《童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日以来麩 潤々》もそう。くわえて「以来」という席題もこの句の成り立ちに貢献したようです。

はたして、この句会で、事故のような句、事件のような句は、どのくらい生まれたか。答えは人それぞれでしょうけれど、この日が、この句会が、みなさんにとって多少なりとも事故の様相・事件の気配を帯びたものであったとしたら、うれしいです。ありがとうございました。

( 了 )

音数で引く俳句歳時記 ≫amazon

2025-01-26

新しい先生が来てピアノだ 小笠原鳥類

新しい先生が来てピアノだ

小笠原鳥類


高橋悦男編『改訂版 俳句月別歳時記』(博友社、2004。初版は1994)の、高橋悦男の句から選んで、読んで思ったこと(数字はページ。他の人の句が多くて、自分の句も選んでいる本)

「書初やまづ海と書き夢と書く」(36)

ヒトデが出てくる映画を、宇宙だと思って見ている。テレビはイソギンチャクなのだろう(シーラカンスが言った)

「潮雫風に飛ばして若布干す」(139)

アコーディオンが、お菓子のように、箱に入っている昆布と同じであると考えていた。考えている鱈、

「良きことの大方は些事柳の芽」(179)

公園は、アライグマのようなものであると、テニスのボールになりたい私は、畳の上で考えていない透明。

「分校に新教師来てピアノ鳴る」(206)

クレヨンと動物は、イグアナとペンギンだ、と、ウニのように言わないが、(おお、そして)木、

「飛んでゐるつもりで走る烏の子」(368)

そしてサメ(水面)サメ、そこにエビが、怪獣であると言っている。カンガルーは驚きが多いものだ

「かなかなや廃校跡に朝礼台」(552)

金属は、クラシック音楽のように(豆腐が、壁であると言っているケーキ)あざやかな楽譜だ・線が、数である

「尉鶲柿の木に来て栗の木へ」(668)

やわらかい骨の魚が、エイであると、みみずくのように言っていると思う。鯉が大きな魚で……

「闇汁の最も大きものすくふ」(792)

写真で見た、ワニではない、写真で見たもの。機械であるのかもしれない、アザラシと象であるのか(恐竜)恐竜

2023-06-11

小笠原鳥類 カッコウや、ハト(ふくろう)、時計ペンギン

カッコウや、ハト(ふくろう)、時計ペンギン

小笠原鳥類


辻桃子(監修)・吉田巧(写真)『俳句の鳥』(創元社、2003)から。数字はページ

「鳴くだけは鳴いてゆきたる雉子かな 安達ほたる」6
バッタが、遠いトンボ(とホタル)であるとき、カマキリとシーラカンス
「啄みて啄みて鷽近づき来 安部元気」14
パンが、鹿のようなものだろう、イルカのような。
「手の届く迄来て鷽の胸の紅 柳田風琴」15
カーテンが糸であることをテレビのように見ていると、ポップコーン
「つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子」21
緑色を、見ていた。坂がありドアがあるハト
「海猫来るやゴム長靴で出かけたる 三上冬華」30
動く(中にお化け)
「醤油蔵梁に燕の古巣かな 吉田木魂」35
スプーン。
「この鳥は仙台虫喰かと問はれ 松久菊」68
科学の大きな機械を見に行きました。
「しばらくは蒿雀の鳴ける中にいる 高井稲子」81
ボウリングの建物を見て、それからソバを食べました、建物の上の怪獣
「草の山歩きやすけれ雪加鳴く 岡井省二」98
光が多い建物。そこに、どうぶつの絵
「山翡翠や釣師の飯の真白なる 堀口星眠」105
計算すれば、透明な魚ができるだろう画面、線。レモン
「月すでに高きにありぬ水鶏鳴く 森田峠」108
上にあるキノコは、乾燥しているだろうイカのように(木)
「どこからが木霊なりしや鷭笑ふ 佐藤明彦」111
楽器が、妖怪である。叫ぶチャイコフスキー
「かなしめば鵙金色の日を負ひ来 加藤楸邨」130
テニスをして、それから歩いて帰ろうと思う。実際にはイグアナ(ゴム)
「鶺鴒や双眼鏡の円の中 稲垣涼子」140
ネッシーを、オオサンショウウオが見たかった。アンモナイト化石、チョウザメ
「庭にゐる鵯山へ返事かな 中田みずほ」142
いろいろな山さん(キノコもいる)
「啄木鳥の腹をこぼるる木屑かな 池内たけし」157
ワニの背中にも、乾いている動物(映像で記録されているセキレイ、しらさぎのような)
「あれ程の椋鳥をさまりし一樹かな 松根東洋城」158
いくつかのラジオが、ケーキのように並ぶ。宇宙
「垂直にすつと降りきて鴫立てる 中井花野」162
アメーバは、いるだろうなあ――映画――
「菱喰のスルメのやうな足の裏 雪野咲耶」164
肺魚を食べる生きものが、カモノハシだと思っていました。両生類……
「だんだんに増えてをりたる夜の鴨 石田勝彦」176
バウムクーヘン思った
「白鳥にさわれば硬い羽である コスモメルモ」190
ほんもののシャチは、どのような?と、恐竜が言っていました(水槽の金魚と、なまこ)
「白鳥見るビタミンCを舐めながら 岡田竜子」190
顕微鏡で、石などを撮影して、印刷しているバクテリア
「梟の正しくこちを向きにけり 如月真菜」198
椅子は、難しいものだ(ゴロゴロ動かしている楽器)
「雪に来て見事な鳥の黙りをる 原石鼎」206
サッカーは、スポーツ
「冬鴎黒き帽子の上に啼く 西東三鬼」211
うさぎや、時計から出てきたカッコウのようなホトトギスは、いい
「つちくれの動くはどれも初雀 神蔵器」215
たけのこ(ふしぎ)メダカふしぎ

2023-05-28

小笠原鳥類 昆布

昆布

小笠原鳥類


飯田龍太・中村汀女監修『カラー版・俳句歳時記 四季の鳥』(世界文化社、1980)から。数字はページ、〔 〕はルビ

「頂をひばりが越ゆる山まろし 原コウ子」18
ハーモニカ(とテニスの人)が、横にあるシーラカンス(金属)

「たそがれの嘴〔くち〕拭く岩や川烏 山村政子」30
コーラスというものが、ゼリーとウニであるヒトデ

「あかつきの花びらを喰ふ鷽の群 石原八束」33
このようなカモメが、タラの写真である。部屋はキツツキだろう

「さびしさは鷭鳴く沼の遠明り 相原もと」44
これはペンキなので、緑色のネッシーは犬と恐竜ではないハゼ

「岩ひばり鳴く静けさに橇〔そり〕組めり 中村信一」58
イワシだと思ってトビウオ。そのアメーバ

「星鴉啼くや透きゆく森の奥 新家敦子」74
カエルをガラスが、見ているだろう棚で踊るドーナツ(まるい)

「連雀や手漉〔すき〕紙干す明るさに 高橋伸張子」88
昆布

「松毬〔まつかさ〕に遊び楽しき交嘴鳥〔いすか〕かな 関根黄鶴亭」105
マシュマロにドロドロが入っているスープだと、塩を思っているカササギ。

「押入の少しあきゐて夜鴨鳴く 田中巻子」117
ドアが虫である(絵の具を塗っていたハト)、金属と来るペリカン

「鶴帰る冷たき雲を呼び集め 五所平之助」122
ワニをテレビとテーブルで見ていた。その上のボール(バレーボール)

「鳴きのぼる磯鵯や崖青む 橋本記縫恵」138
シャチ(パンダのような)が、イソギンチャクを食べる(青い)透明人間

「小鳥来る買ひ得し古書を胸に抱く 木村嵐」148
イグアナを、いつまでもヒジキ(ホンダワラ科)とイルカのように

2022-12-25

季語「開戦日」の怪  島田牙城

季語「開戦日」の怪   

島田牙城

開戦日(仲)十二月八日(ルビ略)
太平洋戦争開戦の日。一九四一年(昭和一六)一二月一日の御前会議を経て、「ニイタカヤマノボレ」の電報が打電された。…………

上は、先月末に刊行された『新版角川俳句大歳時記 冬』の「開戦日」冒頭四行である。解説は池田澄子さんの筆。

そこそこ若い人の例句が多く、「開戦日」経験者となると、木田千女さん(大正十三年生・狩行さん門・開戦日今宵は風呂を熱うせよ)当時十五歳、大牧広さん(昭和六年生・登四郎さん門・開戦日が来るぞ渋谷の若い人)と櫻井博道さん(昭和六年生・澄雄さん門・十二月八日味噌汁熱うせよ)は若干十歳。大人としてこの日を受け止めたであらう方々の句は、皆無である。

大歳時記の旧版(二千六年)では、解説は池田さんで新旧ほぼ同じではあるものの、「十二月八日」が見出し季語、「開戦日」が傍題と逆転してをり、「生活」から「行事」への部の移動といふ大転換もあった。

例句に「開戦日」は先出の千女さん(開戦日くるぞと布団かむりけり)の一句のみで、熊谷愛子さんの句(大正十二年生・楸邨さん門・十二月八日かがみて恥骨在り)のやうに「十二月八日」の句が圧倒的だ。

『合本俳句歳時記第三版』(角川書店、千九百九十七年)には「十二月八日」も「開戦日」もない。第四版は未確認だが、第五版(二千十九年)では「開戦日」を主季語として入集させてゐる。「開戦日」は、どうも戦後五十五年を過ぎた今世紀に入ってから、突如季語として認知され始めたのではないかといふ疑問が湧く。

そもそも先掲五句のうち「熱うせよ」が二句、「来るぞ(くるぞ)」も二句とは、この日への思ひの常套、貧困をあげつらはれても仕方あるまい。

大牧さんの句、渋谷の「若い人」たちは「放っといて」と言ふだらう。貴方は何を知ってゐるのかと問ひ返したくもなり、高圧的な説教調が鼻につく。「若い人」は怒ってもいいのではないか。大牧さんから見たら、儂も若造であった。

また、千女さん、博道さんの「熱うせよ」にも違和を感じる。まさか「開戦」に心が昂ぶったのか、とは思いたくないが、静かにこの日を迎へたといふ句ではない。命令形であることの怪しさを思ふと、ゾッとする。あなた方に命令される謂れは、ない。

「十二月八日」で広く記憶されてゐる一句がある。

十二月八日の霜の屋根幾万 加藤楸邨 

楸邨さんの昭和十六年十二月八日、まさにその日の作品。楸邨さんは、『雪後の天』の「十六年抄」にこの句を「十二月八日以後」の題のもと、その一句目として残した。衝撃的な日だったことが手に取るやうに分かる。「霜の屋根幾万」には苦渋が満ちてゐる。しかし、「十二」「八」といふ数字は記録としてのそれであって、季語ではない。

楸邨さんの句を見てみようか。

戦傷兵外套の腕垂らしたり      十三年三月
つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど   十四年 夏
征きて病みつばくろを見きと茂木楚秋 十五年七月
埋み火のあるひは灯り戦すすむ    十六年五月

楸邨さん関連でもう一つ、執筆資料を出しておかう。 

十二年十一月 戦争と俳句         「新潮」
十三年 一月 誓子氏の戦争俳句論     「新潮」
    八月 戦争俳句・その他(草田男・三鬼・白
      泉・有風・辰之助との座談)「俳句研究」
   十二月 戦争俳句の進展       「新潮」

など、昭和十六年十二月までに楸邨さんが戦争について詠んだり、書いたり、語ったりした数は膨大である。友や教へ子の多くは出征し、傷付き、骨となって帰還する者もゐた。

そんな中つひに「開戦の詔勅」が下され、アメリカやイギリスとも戦はなければならなくなった(対戦国が増えた)日が「十二月八日」だったのではないか。中国での戦ひは戦争ではなく事変であると万が一にも嘯(うそぶ)く人がゐたとして、その人は上の楸邨さん執筆時評などのタイトルにある「戦争」の語を俳句作品にある「戦」の文字を、そして、あまりにも多く世に記録されてゐる昭和十六年十二月八日以前の「戦争」を嘲笑(あざわら)ふのだらうか。

「開戦日」が太平洋戦争開戦、すなはち日米開戦を表してゐることは自明、といふ声も聞こえてくるんだ。しかし、決して自明ではない。少なくとも『広辞苑』には搭載されてをらず、儂は「神戸新聞」しか確認してゐないが、十二月八日の朝刊に「開戦日」の語はなかった。日本にとって、とうに戦争は始まってゐて、すでに疲弊し始めてゐたのだから当然のことだらう。

「開戦日」とは、俳人だけが使ひ始めた、怪しく特殊な単語だと言へる。(あるサイトによると、右翼団体がこの語を使ってゐた形跡はあるやうだが)。

また、日米開戦の日を経験した俳人の多くが、「開戦日」といふ言葉では俳句を残さぬままに鬼籍に入られてゐる、といふ事実は、儂にはさうたうに重い。

昭和十六年十二月で思ひ出されることがある。京都大学法学部の平松小いとゞ君は、この月徴兵検査を受け、月末繰り上げ卒業、翌年二月に応召した。

当時大学生がどれほど貴重な頭脳であったかは、今の比ではない。昭和十六年の全国大学生数は、文部科学省資料によると四万一千九百六十五人。それに比し、日米開戦時の日本軍の兵力は約二百四十万人とも言はれてゐる。大学生を全員動員したところで、全体の二パーセントにも満たない。なのに彼らを戦場へ送らざるを得なかった。そこまで追ひ込まれてゐた上での、日米開戦であった。

大日本帝国といふ我々日本国の前身は、満州事変、特に日華事変(千九百三十七年)以後、完全な戦争状態にあった。この事実を、「開戦日」といふ、俳人により二十一世紀に広められた安易な単語は、誤らせる。

『角川俳句大歳時記 冬』旧版が歳時記としての初登載なのだとしたら、まだ刊行後十六年。傷は浅い。海軍祈念日(千九百五年五月二十七日の日露戦争日本海海戦を記念する日)だって、一度は季語となったがその後廃れた。また、日清、日露、第一次大戦、いや、遡れば戊辰戦争にだって「開戦日」はある。忘れていい戦争ではない。

『新版角川俳句大歳時記』では旧版の「震災記念日」を廃し、「秋」に「関東大震災の日」を立てた直したうへで、「春」に「東日本大震災の日」を、「冬」に「阪神淡路大震災の日」を新たに立てた。様々な開戦日があるにも関はらず、日米開戦の日だけを、それも俳人だけが「開戦日」としてゐるといふ意味でも、この季語は実に怪しい。

歴史的事象を季語とするか否かは、よほど慎重でなくてはならない。また、単語が使はれてゐる事実だけをみて、検証することなく季語を増やすといふ態度も、考へ直さうよ。

向後、儂が「開戦日」を季語として使ふことは、ない。

戦争が廊下の奥にたつてゐた 渡邊白泉 S14作

(「里」2022年12月号初出の拙文に若干加筆した)

2019-04-07

『合本俳句歳時記 第五版』を読む 三島ゆかり

『合本俳句歳時記 第五版』を読む

三島ゆかり


三月下旬に発売された角川書店編『合本俳句歳時記 第五版』をさっそく買いました。総じてすばらしいと感じます。以下気づいた点を述べます。

(1)初、仲、晩、三の表示

四版にはなかったものとして、目次に各季語の季節の中の時期が初、仲、晩、三で示されています。例えば春なら初春、仲春、晩春、三春であり、三春とは初、仲、晩にわたり春ならいつでもの意です。私は連句を巻くこともあるのですが、連句では同季が続くときは時期の順に付けるというルールがあります。第四版までは初、仲、晩、三の記載がなかったため、よい歳時記ながら連句用としては人にお薦めしにくいものだったのですが、第五版であれば大々的にお薦めできます。ちなみに新年は上旬、中旬、下旬で上中下という表示となっています。

なお、同じ『角川俳句歳時記 第五版』でも分冊の方の目次には載ってなく合本だけに載っていて、合本の方も目次だけに載っていて、個々の季語説明や索引には載っていないといういささか面白いことになっています。

(2)二十四節気略歴

巻末付録に二十四節気略歴という表があり、2019年から2038年までの正確な各日付が明記されています。ふつう二十四節気関連を歳時記で引くと、『立春』であれば二月四日ごろ、『雨水』であれば二月十九日ごろ、というふうに必ず「ごろ」が付きます。たぶん、<正確性を期する歳時記において「ごろ」とはなにごとだ>という問い合わせが少なからずあったのではないかと察します。しかしながら、二十四節気は新暦とは1日の誤差しかないので、これを載せるのだったら年に11日ずつずれる旧暦の月の日付を載せてくれた方がずっと面白いものになったと思います。(後述の補足参照)

(3)助数詞表

巻末付録に助数詞表というのがあって、俳句に使う語の数量呼称が表になっています。例えば「蝶」なら「一頭・一匹・一羽」のごとし。

(4)文語文法活用表

巻末付録の文語文法活用表が、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞について、コンパクトに2ページで収まっています。

(5)間違えやすい旧仮名遣い

巻末付録の「間違えやすい旧仮名遣い」が五十音順で三段3ページに組まれています。「紫陽花(あじさい)」だったら「あぢさゐ」のごとし。

(6)豪華二色刷

扉が豪華二色刷です。四版もそうでしたが、なぜそこにお金をかけるのか謎めいています。うふふ。


(2)~(5)あたりは歳時記の範囲を超えて便利帳の世界に踏み出しているので、全体に、そこまでやるんだったら切れ字概説くらい付けて欲しい気もします。でも(2)~(5)は俳句そのものを語るわけではないので記載でき、切れ字概説となると、俳句そのものに関わり流派によって見解の相違があるから載せられないということなのかもしれません。

【補足】

(2)に関連してちょっと補足します。

暦とは太陽の運行に基づくものと月の運行に基づくものがあります。二十四節気は前者で、旧暦はほぼ後者です。

(a) 二十四節気について

二十四節気は、太陽の軌道上の位置を24等分して、そこをいつ太陽が通過するかの日付です。これは新暦よりも太陽に忠実です。なぜなら新暦は4年に一度2/29を追加して誤差を補正しているからです。この新暦のほうの誤差のせいで、『立春』であれば二月四日ごろ、『雨水』であれば二月十九日ごろ、という表記をとらざるを得ません。とはいえ、二十四節気も新暦も太陽の運行に基づくものなので、「ごろ」にはたかだか一日の幅しかありません。『立春』であればたいていは二月四日で、4年に一度、閏年の翌年は二月三日となります。

(b) 旧暦について

旧暦は、天空の月の満ち欠けの1サイクルをもとにしています。ただし月の運行の12サイクルは354日ほどで、太陽の運行の1サイクルの365日ほどとはずれがあります。季節感は主として太陽の運行のサイクルに依存するので、月の運行をもとにするだけの暦では、年に11日ずつずれて月が季節感をあらわさないものとなってしまいます。一方、人々は月を見て「今日は三日月だから三日だ」と日付を知るのだから、月のかたちが変わってしまうような補正はあり得ません。そこで人類は、ずれがある段階まで大きくなったら月の満ち欠けの1サイクルを丸ごと追加する閏月という方法を編み出しました。太陽の運行の19サイクルが月の運行の235サイクルにほぼ一致するのですが、太陽の19サイクルのうちに7回ほど閏月は追加されます。(235=12✕19+7)

旧暦はこのようなものなので、歳時記で睦月とか如月とかを見ても「旧暦一月の異称」とか「旧暦二月の異称」とかあるばかりで、二十四節気のように何月何日「ごろ」とさえ書いてありません。では睦月とか如月とかは、実際にはいつなのか。それらの月の名前に季語としての力はあるのか。歳時記としてほんとうに表にすべきなのは、二十四節気ではなく旧暦の方なのではないのか。

そういう興味で見て行くと、日本が新暦を採用する前に使用していた天保暦には、想定していなかった不備があり、研究者のあいだで「旧暦2033年問題」と呼ばれているものに突き当たります。驚くべき事態です。大ざっぱにいうと、2033年は閏11月を挿入すればいいのか、閏7月を挿入すればいいのか翌年に閏1月を挿入すればいいのか、天保暦のルールでは決められないという問題です。そして現在の日本は新暦を使用しているので、旧暦について意思決定する公的機関はないとのことです。

そんな大問題はありますが、角川書店編『合本俳句歳時記 第五版』にインスパイアされて旧暦早見表を作成しました。ご興味があればご覧下さい。
http://yukari3434.web.fc2.com/kyureki.html

余談ながら、その天保暦を作った人物は、渋川景佑(かげすけ)。かの冲方丁『天地明察』のモデルとなった渋川春海の渋川家なのですが、ウィキペディアによれば、「春海の嫡男昔尹以来、当主の早世と養子縁組が相次いだために春海以来の学術は途絶え、名目のみの天文方の地位を代々引き継ぐだけの家となっていた。それを挽回するために高橋家からの養子を迎えた」とのことです。

それにしても、歳時記のことを書いていたはずなのに、旧暦2033年問題に行き着いてしまいました。俳句ってほんとうに面白いですね。


2018-10-28

ふかの湯ざらし 橋本 直

ふかの湯ざらし

橋本 直

なんでサメって冬の季語やねん? ってなり、歳時記を当たってみる。

古い歳時記から最近のまでサメを詠んだ句をみてみると、漁や市場の風景とか、水族館とか見ていない鮫の想望句とかで、その辺の処理が腕の見せ所になるもよう。当たった範囲で食べ物として詠まれている感じはない。俳人が自然の中でサメに接する機会はほぼない(私は海水浴場でネコザメの幼魚と会ったことはあります)だろうから、句材になったのは市場由来だろうか。

おそらく歳時記に最も早く鮫を立項させているのは、やはり改造社『俳諧歳時記 冬』ではないかと予想するんだが、鮫より隣の海豚の記事の方が面白い(昭和八年。画像参照)。鮫も海豚も例句が「ホトトギス」関連ばかりなのはこの巻の編者が高濱虚子であることによる。



その後、高度成長期の角川『図説大歳時記冬』になると解説が生態以外にも言及がひろがり、「肉はやわらかくて臭気があり、食品としては上等ではない。多くかまぼこの材料として用いられる。」とある。フカヒレについては特にふれていない。例句に、「ふなびとら鮫など雪にかき下ろす」(加藤楸邨)、「かしやくなき市場言葉に鮫長し」(桂樟蹊子)、「明日を恃み鮫獲り船の出でゆかず」(村上しゆら)と、『俳諧歳時記』にもあった青井の句。いずれも漁や糶の風景である。

これが平成の角川『俳句大歳時記』になってくると、フカヒレも解説に加わり、例句には「この湾に人喰ひ鮫の棲むといふ」(滝沢伊代次)、「鱶の棲む海航く夜は抱擁して」(たむらちせい)、「本の山くづれて遠き海に鮫」(小澤實)などなど、鮫見てないじゃん、という句が増えてくる。一方、嘱目系では、「風吹けば泣くてふ鱶の鰭を干す」(平松三平)と「猫鮫と蝶鮫とゐる至近距離」(上野遊馬)。つまり、フカヒレ加工中と水族館の風景だろう。そういえば自分が去年「俳句」でだした鮫の句も魚市場の嘱目だったが、実景に即す句のほうが分が悪いのが近年の鮫俳句の動静ということなのかもしれない。どうせ実景に即す句がすくないというのなら、重信や敏雄の鮫(鱶)などの句も入れていいだろうに、とも思う。兜太のは梅に入れられちゃうでしょうが。

梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太

いまわれは遊ぶ鱶にて逆さ富士  高柳重信

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに  三橋敏雄

ところで、愛媛の実家のほうではサメを湯ざらしにして食べる(「ふかのゆざらし」という)文化があって、スーパーなんかで調理済みのを売ってるんだけど、あれは主に愛媛南部(南予)のものかもしれない。松山(中予)のほうでは食べてない印象。

湯ざらしの鱶食べる音死者の家  坪内稔典

ネンテン先生は筆者の隣町のご出身のほぼ同郷人で、この文化を共有しているのがわかる句も詠んでる。だいぶ過疎化したので昨今はどうなったかわからないが、冠婚葬祭に鱶の湯ざらし食べたりしたんですな。この句、異文化の人にはちょっとわかりにくいかもしれない。なお、既存の歳時記と比べ攻撃的で知られる?現俳協編『現代俳句歳時記』では、鮫を食用の旬として夏に立項。しかし結局、なんでサメって冬の季語かの由来は未詳です。

2018-06-10

「髪洗ふ」攷 橋本直

「髪洗ふ」攷

橋本 直





という三島ゆかりさんのツイートに触発されて、この季語についてちょっと調べて、考えてみることにした〔注1〕

まず、角川歳時記の初版の説明文「夏は婦人は汗と埃で、頭髪から不快な臭氣を發するので、たびたび洗はなければならない」は、どうも記号の表現と意味内容がずれているような印象を受けるのだが、そもそもこの典拠は、なんだったのだろう。「髪洗ふ」の歳時記初出について正確なことは未詳だが、「図説俳句大歳時記 夏」(角川書店。昭和48年)の「考証」で楠本憲吉が初出云々には触れずに掲載されていることのみを書いている二書あたりがもっとも初期なのであろう。一つは、「洗ひ髪」を載せている「新撰袖珍俳句季寄せ」(上川井梨葉。俳書堂。大正3年初版。本稿では昭和9年の増訂10版で確認している。なお、梨葉は籾山梓月の実弟。)〔注2〕で、こちらは解説も例句もない。もう一つは、「髪洗ふ」を載せている①「詳解例句纂集歳時記」(今井柏浦。修省堂。大正15年初版。昭和二年の第5版で確認。)〔注3〕で、こちらは「婦女、頭髪を洗ふこと四時選ばざるも、夏は汗のために臭氣を放つを恐れて、殊に洗ふこと多し。」という解説と、例句「洗ひ髪くゝりて細き面輪かな」(玉兎)がある。この〈髪が臭くなるから洗う〉という無粋で合理主義的な解説は、歳時記のものとしてはいかがなものかと思うのだが、これは要はひどく男目線かつ辞書風のもの言いの文脈なわけである。そして、以後に続く歳時記群もこの解説を蹈襲してゆくことになる。

・②「俳諧歳時記 夏」(改造社 昭和8年初版。季題解説と例句の執筆は青木月斗。)

婦人が髪の毛を洗ふこと。夏期は殊に汗のため、頭髪に臭氣を發するため、髪を洗ふ事多し。
干物のかわくに閒あり髪洗ふ  ひろし(ホトヽギス)

・③虚子編「改訂新歳時記」三省堂 (初版は昭和9年。昭和15年改訂。16年11月の改訂30版より引用)

婦人は夏期は汗のために髪に臭氣を發し易いのでこれを洗ふことが多い。洗ひ髪。

洗髪巻いてかぼそき女かな 葭女

筆者は虚子はあまりにも多数の季語を収録した改造社の歳時記に不満があったはずだと推測しているのだが〔注4〕、この解説文は虚子よ、おまえもか、という印象をもってしまう。そして冒頭の角川歳時記の初版から3版までの解説文も、この流れに乗ったものであることは論を待たない。そろいもそろって女性は夏髪が臭くなるから洗うことが多い、という文脈なのである。もちろん、男が臭くない訳がない。歴代の歳時記において、男たちはその臭気を透明な記号と化し、女性たちを眼差しているのである。これに対し、同時代の宮田戊子は、「昭和大成新修歳時記」(大文館。昭和8年)「詳解歳時記」(大文館。昭和17年)ともにこの季語を立項していない。やや下って、秋桜子編「新編歳時記」(昭和26年)にも立項はない。理由は不明だが、彼らの趣味には合わなかったのかもしれない。この季語のもつ風情に踏み込んだ解説文がついてくるのは、さらに下った④「俳句歳時記 夏の部」(富安風生編。平凡社。昭和34年。)である。引用は略すが例句が10句ある。

夏は汗のため髪が汚れやすいので、婦人は髪を洗うことが多い。洗ってまだ乾かず、ゆたかな垂れた「洗い髪」は粋なものだが、短い髪型の多くなったこのごろではもうだんだん見られなくなる風俗の一つである。

ここまでの流れを見ていれば、明らかにここでは「臭」という用字を避け、「粋」を主たる風情として説明しようとするポジティヴな意図が感じられよう。そして、それでもこの解説には、なお男性中心のまなざしを見ることもできるだろう。ところで、この点で言えば、先に触れた⑤「図説大歳時記」(同前)の鈴木棠三による解説は比較的ニュートラルなものと言える。

夏季、汗臭くなりがちな髪を洗うこと。土地によっては、髪を洗うのがたなばたの日の特定の行事となっている例がある。たなばたは水に縁のある日で、井戸替えをこの日にするのもそのいわれによるが、東北地方では、女が必ず髪を洗う日としていた。また近畿地方には、人畜が水浴する日とする習俗もある。


ところで、そもそも日本人が頻繁に髪を洗い出したのは高度成長期以降のことだ。Web上にはこういうまとめ

https://togetter.com/li/1224540

なんかもあって、まんまと企業戦略にのせられているという声なんかもあるけれども、話はそう簡単でもないだろう。先にあげた歳時記群の記述を素直に受け取るならば、夏の女性の髪は臭うという男のまなざしが常にそこにあり続けているのだから。それでも、ここにあげられた広告によれば、女性も昭和一ケタのころは月に二回もシャンプー(せっけん)では髪を洗っていなかったことがわかる。これは、先に引用した歳時記①~③の時代に相当する。そして、歳時記④、⑤の時代に相当する前の東京オリンピックの頃ですら、五日に一回を売り手がおすすめしている程度だったこともわかる。そしてこのようなことを前提に、「髪洗う」という季語の説明をみなおすと、ちょっと風景がかわってはこないだろうか。今日の常識からすれば、昭和初期の女性たちは驚くほど髪を洗ってはいないのである。言い方を変えれば、私たちは現在の常識でものを見すぎてはいないだろうか。そもそも、この時代の女性たちはどこで、どのように、〈何回も〉髪を洗っていたというのだろう〔注5〕。あるいは、何度も髪を洗う女とは、何者のことであったのだろう。

思うに、かつてあまり洗髪がされていなかったのは、昔のシャンプーでは洗った後に脂がとれすぎて、きしきししたり、髪を傷めて不快だったからなんじゃないだろうか。80年代のことだったか、「キューティクル」とか「天使の輪」とかキャッチーなキーワードを使って髪が傷まないことを強調した商品のCMがあったと記憶する。強調するということは、その前はそうではなかったということなんだろう。洗った後の髪を乾かすのにも、今のようなハイパワーのドライヤーは普及していなかったから、冬はつらいだろう。そもそも、高度成長期前後の日本では、一般家庭でドライヤーをつかっただけでブレーカーがあがる程度の電気しか分配できなかった。電力供給の安定は、高度成長と平行して各地に原子力発電所ができて以降のことになるだろう。そして水資源の平均化と上下水道の整備も必要になる。もちろん水は自然のものであり、一般に、日本は水資源が豊かなので「湯水のように使う」という俚諺が生まれたとはいうけれども、細かく見てゆけば水は偏在している資源である。例えば、瀬戸内式気候かつ水源の貧困な地域で育った私の経験では、もっとも髪を洗いたい夏こそもっとも水が不足するのであり、ダムができるまではしょっちゅう断水していたし、一番ひどいときは、生活排水も流れ込んでくる川の下流で水をくみ上げ、無理矢理塩素で浄水して使用していたことさえあった。飲料水に事欠くのに、毎日シャンプーなんてとんでもないことだったろう。さらにいえば、髪を毎日のように快適に洗うためには、シャワー施設があることも重要になる。いまや日本のお風呂には浴槽とシャワー施設が必須だと思うけれども、世界標準で考えればこれは決して一般的なことではない。そして昔ながらの日本の風呂は浴槽重視であり、シャワーはなかった。たしかユニットバスは前の東京オリンピックの宿を急いで建てるために発明されたものと記憶するが、やがてその浴槽とシャワーの〈ユニット〉化は各家庭のシャワーの普及にもつながることとなったのではないか。毎日快適にシャンプーをする、ということのためには、品質のよいシャンプーだけではなく、安定した電気と水の供給とシャワー施設がなければならない。逆に言えば、これらのものがそろったとき、毎日シャンプーすることは当然の慣行となり、しないことは許されないような〈空気〉が醸成され、やがてそのことが人々を抑圧しはじめる。言い方を変えれば、人間のありようを変容させてしまうのだろう。

さて、これまで見てきた内容を踏まえて、新版の⑥「角川俳句大歳時記 夏」(角川学芸出版。2006年)の藤本美和子による解説を読むと、なかなか含蓄に富む。

七夕行事との関連を指摘する見方もあるが、そうでなくても夏は汗のために髪が汚れやすく、頻繁に洗うことが必要である。暑さゆえ、洗髪後の清涼感もひとしおである。髪を洗うのは女性だけに限らないが、句に詠まれているのは女性が多く、「洗い髪」の風情は女性だけのもの。

夏の髪は「頻繁に洗うことが必要」なことが当たり前になったことと、この季語について語られてきた意味内容が微妙にずれている。そして、この「洗い髪」の風情が「女性だけのもの」なのは、何に由来することなのかも、歳時記群の中で閉じてしまった記号とその意味内容の受け渡しが、今日まで何かをずらし続けているようにも見えなくもない。


注1:四版までの例句も含めた情報はこちらの記事を参照 
三島ゆかり「角川歳時記のあゆみ」(ウラハイ2008年7月3日の記事)
http://hw02.blogspot.com/2008/06/blog-post.html

注2:本稿とは直接関係ないが、俳書堂周辺の事情はこちらの記事が参考になる。
藤田加奈子「昭和8年師走の東京の空の下――渋谷大和田町の「いとう旅館」と「いとう句会」のこと・『俳諧雑誌』から『春泥』への歳月【前篇】」
http://d.hatena.ne.jp/foujita/20151031/p1

注3:今井柏浦の活動については以下の拙稿を参照。
今井柏浦ノート―『明治一万句』を中心に―(「鬼」23号09年3月)
http://haiku-souken.la.coocan.jp/report&essay/oni23%20hakuo.htm

注4:拙稿「近代俳句の周縁 1〈豊かな時代〉の網羅主義 昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』」
(週刊俳句2007年5月20日号)参照。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/05/blog-post_8742.html

注5:例えば、リクシルのHPによれば、「家庭で内風呂が一般化したのは第二次世界大戦後の高度成長期を迎えた頃から」である。
http://www.lixil.com/jp/stories/stories_08/

2007-05-06

例句に見識と遊び心 角川文庫『俳句歳時記第四版』 

例句に見識と遊び心
   角川文庫『俳句歳時記第四版』 ……猫髭



角川文庫から新しく出た『俳句歳時記第四版』は、とても良い。

装丁も明るく、ゲートボール文芸臭がない。実作を刺激し、鑑賞にも堪えるコンパクトな現代人の歳時記になっている。

第三版は『ふるさと大歳時記』刊行の余波で作られたせいか、冒頭から【野良着脱ぐや妻の下着の春白妙 香西照雄】と、ふるさとではいざ知らず、都会では人前で朗読をはばかられる句が並ぶが、第四版は、例の、腰巻に「本格歳時記決定版!!」と「!」を二つもぶつ惹句の『角川俳句大歳時記』の、句集名と結社誌名を添えてだらだら玉石混交の例句を八十句も垂れ流す無見識が辟易する「気配り俳人紳士録決定版!!」(「多くの俳人と結社との全面的なご協力」を仰ぐからそういうことになる)の後に出されたにもかかわらず、同じ角川とは思えないほど例句の選に見識があり、野遊びをしたくなるような誘いに溢れる現代俳句の佳句の中に、【剥製の鳥の埃や春浅し 柴田宵曲】といった燻し銀のような佳句をひっそりと紛れ込ませる慧眼と遊び心がある。

歳時記は、高濱虚子にしても、山本健吉、富安風生、飯田龍太、齋藤慎爾、あるいは遡って曲亭馬琴にしても、個人編纂は、独断の責任による慧眼に溢れる。

第四版は、解説は第三版を踏襲して【麗か】などは【体言について、「春うらら」などとも用いられる】と馬鹿を書いているが、『角川俳句大歳時記』のように【春うらら葵の紋の築地塀 小川濤美子】と連戦連敗の競走馬ハルウララではあるまいし、末代の恥になるような馬脚は出さない。

また、【春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎】【風船が乗つて電車のドア閉まる 今井千鶴子】【水替の鯉を盥に山桜 茨木和生】といった、この一句は外せないという目配りも嬉しく、【剪定に夕星ともる梨畠 石田勝彦】【剪定の切り口雪を呼びにけり 石田郷子】と、親子で佳句を並べる粋なはからいもある。これを読んで育つ若い俳人の作品が楽しみになる歳時記である。