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2012-09-16

酒井俊祐 綺麗な黄色 10句

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週刊俳句 第282号 2012-9-16
 酒井俊祐 綺麗な黄色
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2012-08-12

【週俳7月の俳句を読む】酒井俊祐 人生のほとんどが平成 

【週俳7月の俳句を読む】
人生のほとんどが平成
酒井俊祐


流るるか流されゐるか水すまし 小池康生

私は水すましを生で見たことがない。そんな現代っ子アピールはさておき、水すましがすいすいと水面を移動するのは、実は流されているだけなのかもしれない。本当のところは、きっと水すまし自身にもわからないのだろう。寧ろ、流されているか流れているかは大した問題ではない。定義付けは人間が勝手にやっているだけであって、その現象その場所が水すましの現実・生活である。シンプルな言葉遊びのようで、深い。

外つ国の水売り暮らす秋の人 生駒大祐

エビアン、ボルヴィック、女性ならコントレックス。外国の水は特に目新しいものでもないのだが、ここでの『外つ国の水』はどうしてか非合法な印象を受けてしまう。秋の人は日本人ではないだろう。おそらくあまり日本語も喋れない。東上野の雑居ビルの3Fあたりで、日がだんだん短くなり、絨毯の部屋に終日閉じこもりながら、訳の分からない言葉と世界の中でどうにか立ち上がっていこうとする強い気概を感じる。

しちがつなのかかべはどうしてあるのかな 御中虫

七夕。二人の間には壁があって…と考えてしまうとケータイ小説のようになってしまうが、この句の本意はそうしたところにはないだろう。壁とは便利なもので、物理的にも、精神的にも、空間を遮断することができる。壁があるお陰で、マンションの隣の部屋の住人の喧嘩を聞かずに済む。では、壁がない世界って、どんなだろう…?今私達が意識することもなく便利さを享受している前提を、もし取っ払ってみたら…?ちょっとSFチックで、あまり類を見ない7月7日のワンシーンである。

人生の半分昭和生ビール 栗山心

職場の飲み会で「この1杯目の生が最高で」などという言葉を耳にすると、高校生のころ最もなりたくなかった立場に今自分が近づきつつあるような気がして、少し不安になる。残業、ビール、上司の愚痴。ダサくてやってらんない。けれども、そんな日々の繰り返しで、今私たちがまともに暮らせる土台ができあがってきたんだろうなと思うと、これはこれで切り捨てることのできない習慣なのかもしれない。人生の殆どが平成である私の世代は、1杯目からカルーアミルクを頼んだりするらしいが、昭和の先輩方のように何かを生み出せるだろうか。

第271号
栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
小池康生 光(かげ) 10句  ≫読む
第275号
御中虫 もようがえ 10句  ≫読む

2009-10-04

酒井俊祐 衛生検査 10句


週刊俳句第128号 2009-10-4 酒井俊祐 衛生検査
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2008-10-12

〔週俳9月の俳句を読む〕酒井俊祐 我が家とは安らぐのか

〔週俳9月の俳句を読む〕酒井俊祐
我が家とは安らぐのか


やっぱり我が家が一番落ち着くわね、という言葉をよく聞く。ホームドラマ、漫画から我が家にいたるまで場所ジャンルを問わない言葉であるが、この真偽を問いたい。

私は我が家にいて、安らぎを感じるときがあまりない。我が家にいて、頭をからっぽにして、脱力して、となればいいのだが、現実はフローリングの上で書類とパソコンと読みもしない教科書に囲まれ、ひねもす漠然とした不安(それは、今月あといくら、というレベルから、80歳になってひとりぼっちではないだろうか、というレベルまで)に、座っているのに追いかけ回されている。

朝になれば、燦々と輝く太陽の下にいながらも自室のくすんだ環境で目を覚ます自分にうんざりして、逃げるように家を出ていく。とはいえ世界は逃げ場にはなりきらず、結局どこか鬱々としてその日のスケジュールに取り組む。

そうして、自分の中では腑に落ちない、しかし人に言うにはしょうもないことを考えているのが、私の安らぎの感じられない我が家を中心にした毎日であった。

今回私が中村十朗さん『家に帰ろう』を題材に原稿を書くことにしたのには2つ理由がある。一つは、作品がいい意味で俳句らしくないこと。もう一つは、少なくとも私にとっては、示唆の強い作品であったことである。

俳句らしくないというのは、俳句が9割の論理と1割の破綻で世界を切り取るとすれば、この作品では6:4であるという意味である。この作品に細かな論理はないが、読者を説得するだけの破綻がある。


算数やキリンの首の美しき 中村十朗

一つひとつを解釈しても、なぜ算数?なぜキリン?とはてなが頭をもたげるだけだが、全体として鑑賞したときに納得させられてしまう。算数というと私はひらがなの教科書をイメージしてしまうが、その柔らかさが世界を構成している。


家に帰ろう桃が腐っているよ

別に桃が腐ったところで、家に帰ろうという感情は起こらない。むしろ帰ったら腐っていたというレベルの話ではないだろうか。要はひっくり返しなのかなとも思うが、どこか納得してしまうのはなぜだろう。

そして、そこにある示唆こそが、私がこの作品に心をつかまれた理由である。

この作品の題材は、寝巻で過ごせる範囲で見つけられるものが中心である。寝巻というと聞こえが悪いが、要は身の回りである。その、身の回り、ともすれば平板に見えてしまうような題材が、この作品ひとつひとつにおいては珠玉の輝きを放っている。


ミンミンやコンクリートコンクリート

蝉とコンクリートと言えばそれまでだが、コンクリートがリフレインされることで無機的な空間の広がりが出る。狂ったように蝉は叫び狂い、人間は、もちろんうだるほど暑い。


一日の片隅にある扇風機


扇風機とは無視されるに等しい存在である。よっぽど暇でもなければ扇風機の一挙手一投足に着目することはないであろう。色も白か灰色か若干あいまいになってきたその瞬間、図らずも扇風機の存在はとても大きいのだ。


序論に戻るが、結局我が家とは安らぐのか。

冒頭に挙げた私情も、つまるところ安らぎの一環なのだろう。うんざりするようなその世界であっても、帰ろう、と、終電になれば思うのだ。

雑然と、しかししっかり存立するその世界の、私もすでにそのひとつである。個人的ではあるが、少しだけ大きな示唆だった。

文中偉そうな物言いも多く、不快に思われたらすみません。ありがとうございました。




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