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2013-12-01

高崎義邦 冬 10句

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週刊俳句 第345号 2013-12-1
高崎義邦 冬
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10句作品テキスト 高崎義邦 冬

冬   高崎義邦

短日の息吹き込んで鳴る楽器
わたしくは若者 潔く湯ざめ
あの家は今生きてます干布団
息白く手品師の立つアーケード
ことごとく餃子は焼死冬の夕
凍星やミルク垂らしたままの皿
テトリスはいつも上から下へ冬
着ぶくれてデモ隊一層非力なる
武器として大根 武器として白菜
底冷えの日記は愛と嘘で埋め


2013-10-13

【週俳9月の俳句を読む】 高崎義邦 「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。

【週俳9月の俳句を読む】
「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。

高崎義邦


個人的な話から始まってしまうが。

浪人から始まり東京での生活ももう今年で四年目となった。

実家である愛媛県での生活と異なることのひとつに自然が『触れに行く』ものになったということがあげられると思う。

というのは、東京の中にも東京の近郊にも豊かな自然に触れられる場所もあるし、何気ない生活の変化のなかで感じることの出来る「四季」ももちろん存在するが、どこか「東京」のそのキャラクターのせいか背後に「都市性」のようなものを感じてしまうのである。

中央線をしばらく行けばすぐ高尾山に着くし、高円寺の商店街で売られているものだって四季折々によって変化もするだろう。ただ、地方出身のよそ者の僕がそこに行きそこのものに触れることは、どこか「能動的」に自然に触れに行き、「能動的」に四季を感じに行っている気がするのである。

少し路面電車に乗って行けば瀬戸内海がいやでも眼に入ってきて、山の上にあった高校に通うまでの道中に桜並木があり春はその桜に押しつぶされそうになりながら登下校し、秋になれば焼き芋売りの声がさびしげな田舎の住宅街に響く、そんな当たり前の「自然」、田舎で生活していく中で選択の余地がない「受動的」な自然とは、また違ったもののようによそ者の僕には感じられる。

そんな身近な「四季」「自然」に満ちている田舎がどうしても「何もない」もののように見え、「東京」を目指して十代のときには早く故郷を離れたいといった気持ちに多くの若者が駆られるが、今落ち着いてきて、やっと生活の中に「勝手に」自然・四季の存在していた「故郷」が懐かしくてとても良いもののように感じられるのである。

そんな、「勝手に」自然・四季の存在しているような場所での風景を切り取ったものとして、今泉礼奈の「くるぶし」を読み、勝手に故郷の風景に懐かしさを覚えた。

餌売れば釣竿も売る初秋かな 今泉礼奈

普通に趣味として夜釣りなどをしている父親仲間が週末に馴染みの釣具店に行ったら、餌を買ったついでに、店主に体よく竿も押し付けられ買ってしまった。「秋刀魚釣るならこれだよ」などと言われたのかもしれない。釣りのディテールはないものの「秋になったんだ」ということを読者に自由に推測させるような幅のある句。

晴れてゐて去年と同じ案山子かな 今泉礼奈

去年もこの田んぼを見たのだろう。通り道にふと、目をやるとそこには去年と同じ案山子が。そこで、「今年の秋」に何気なく気づくのである。

颱風や船の名前が船と並ぶ 今泉礼奈

それほど、深刻な被害ではない。颱風の次の日に海の近くを歩いていると昨晩の影響でか船の名前を書かれたプレートのようなものが船の横に漂流している。そこに少しおかしみが生まれ自然と微笑んでしまう。

どの句も血が通った「生活」の目があってあたたかい句だった。

第332号 2013年9月1日
髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む

第333号 2013年9月8日
佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む

第334号2013年9月15日
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第335号2013年9月22日
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仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む

第336号2013年9月29日
北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む


2012-07-08

【週俳6月の俳句を読む】高崎義邦 「名前」をつける

【週俳6月の俳句を読む】
「名前」をつける

高崎義邦


最近「名前を付ける」ということの大変さを痛感させられることが多い。

新しいサークルを立ち上げたときやお笑いのコンビを組んだときや作品群にタイトルを付けるときなど、性質は違えどもその度ごとに「命名」の苦しさを体験させられる。あんまり「キザ」な名前は嫌だけど「ダサい」とも思われたくもない。「メッセージ性」は出したいけどそれが「明け透け」になるのは嫌だ。名前をつける際には色々な思惑が錯綜する。

小学生の頃、「自分の名前の由来」を親から聞いて調べてくるという宿題が出されたことがある。みんなが自分の名前に込められた「特別」な思いを得意げに発表していく中で、ある友人が「お父さんに聞いたら、『特に意味はない。ノリでつけた。』と言われました。」と発表した。クラス中がそれを聞いて笑い、彼はしばらくの間そのことで友達に冷やかされたりもした。当時は僕も「え!?ノリ!?」と思っていたが、ことの大小の差は勿論あるが様々な「命名」に携わるようになってからは、なんとなくその友人の親の気持ちも分かるような気がする。先述の通り様々な「思惑」が錯綜する「命名」という行為には、ある意味では相当なプレッシャーが与えられる。ましてや、人の一生を左右される「名前」のプレッシャーは図りしれないだろう。「えい!もう色々考えるのはやめた!自分の直感でつける!」という気持ちにもなるかもしれない。僕は、それも一種素敵な「名前」だと思う。


だいぶ、本題からそれてしまったのだが、今回の作品のタイトルの中にも上手く「いい名前」がついているなぁと思わせるものがあった。


神野紗希 「忘れろ」 


僕はそんなに作品群を読んでいる訳ではないが、動詞の命令形一語のタイトルというのは珍しいのではないだろうか?

「忘れる」という行為はもともとあった思い・記憶などを意識的・無意識的になくすことであり、動詞の中でも特別なイメージを想起させるものだと思う。その動詞を命令形にしたことで、ある種の「暴力性」が浮かびその背後にストーリーの存在を予感させる。「命名」の際に立ちはだかる様々な「思惑」を上手くかいくぐっているいい名前だなぁと思う。


遠泳の白く大きなバスタオル 神野紗希 


水泳の後に用いるバスタオルというのは風呂上りに用いるバスタオルとは全く性質が違う。水泳の後のバスタオルはある種「ゴール」でもある。「水泳」は「楽しさ」や「爽快感」のイメージがある一方で「競泳」「遠泳」など「苦しさ」も存在する。だんだんと体が「日常」から離れていく「水泳」という行為から開放されもう一度「日常」へとつなぎとめてくれ「ゴール」ともなる「バスタオル」という象徴を「白く大きな」という言葉で上手く表していると思う。


忘れろ忘れろ平泳ぎ繰り返す


水泳という行為自体(体の動き)自体は、日常から離れていくものではあるが、それを行っている内面自体は「日常」が支配していることも多い。「友達との喧嘩」や「恋の悩み」など水に入る前の思いが、延々と続く「泳ぐ」という行為・体の動きの中で胸中に膨らんでいくことはよくある。「忘れろ忘れろ」と思い続けながら延々と蛙の足を漕ぎ続けることで逆に「忘れたいこと」が広がっていくジレンマが水泳という行為の特性を生かし描かれていると思う。

二句とも「共感」させる力が強く、「水泳」という行為の持つスペシャルな性質を上手く表し、「夏」を感じさせられた。


みなさま、夏バテなどにくれぐれも注意し、体に気を付け素敵な夏をお過ごしください。


第267号
佐川盟子 Tシャツ 10句 ≫読む
藤田哲史 緑/R 10句 ≫読む
第268号
北川あい沙 うつ伏せ 10句 ≫読む
第269号
神野紗希 忘れろ 10句 ≫読む
第270号
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2011-05-22

高崎義邦 ノンジャンル 10句

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週刊俳句 第213号 2011-5-22 ノンジャンル 高崎義邦
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