2017落選展を読む
4「今泉礼奈 熱がうつる」
上田信治
今泉礼奈 熱がうつる ≫読む
白木蓮や病院の窓ひとつ開き
蜂蜜は光溜りや春の風邪
作品とは「あこがれ」なのだ、と考えてみる。
つまりなにか「いいもの」を作って、自分(と世界)に贈ろうとするわけだけれど、その「いいもの」は、無限に遠くあって、まだ自分のものになっていないものでなければならない。
それが「あこがれ」なのだ、と。
(どろどろのげちょげちょの作品も、誰かにとって必要な「いいもの」あるいは「おくすり」として「あこがれ」られているはずだ)。
「白木蓮」の句。はくれんが咲くむこうに病院があって、ひとつだけ窓が開いているので、そこに心が行ってしまう。見上げている人は「病院から外を見ている人」の心にあこがれている。
あるいは、風邪の人が、テーブルか棚にある「蜂蜜」のびんを見上げているという「あこがれ」。
春から夏の光線、あたたかさ、上向きの視線といったモチーフが繰り返しあらわれる50句だ。
風船を朝の光の滑りをり
若楓薄く冷たく光りけり
葉桜や友ほつそりと欲少な
挙げた句は、みな、明るいものに、かすかなマイナス要素を組み合わせて構成されている。テクニックとして使えば、単調になるし、意図を見透かされるけれど、これらの句は、マイナスとも言えないほどのかすかな陰りを得て、それが心理的な具体性や奥行きになっている。
「風船」の句。光の動きが意識されていることから、朝早く、部屋にころがったそれを(なんなら布団から)見ている場面を思った。
「葉桜」の句。この人は、その友だちのことを、とても「いいもの」だと思っている。自分は、それほど、ほっそりともしておらず、欲も少なくないのかもしれない。葉桜の、生命力とか光とか影の要素が、自分と友だちに行ったり来たりしながら、分けもたれている。
春暑し手鏡に顔収まらず
退屈な顔が窓辺に花は葉に
陰りが可笑しさに転化したような句に、両方「顔」が出てくるのは、なんなんだろう。可笑しい。
この人は、あたたかく好ましい、この世の「いいもの」を価値として書いている。
しかし書かれたものは「いいもの」そのものではないので、受け取ってもらうためには、それが「あこがれ」の高さにまで高まっていなければならない。
その抽象性のレベルを得ているかどうかが、作品になっているかどうかの分かれ目だ。
白木蓮の木の黒々と曇りけり
遠雷や浮世絵のみな肌白し
白日傘に囲まれ歩く男かな
構図で書かれている句がいくつか。それぞれいい句だけれど、この人にとっては、その「いいひと」性を押し進めることのほうが、遠くまでいくという意味で、チャレンジなのではないかと思う。
あをぞらのけふを愛して山法師
ふらここのおくれてひとつ高くゆく
明るいばっかりの絵に見えるじゃないですか。でも「山法師」ったら、暗い植物ですからね。ああ「あこがれ」ているなあ、いいなあ、と思った。高くゆく「ふらここ」のあぶなっかしさも、ふくめて。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017-12-31
2017落選展を読む 4 「今泉礼奈 熱がうつる」 上田信治
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2017-11-05
2017角川俳句賞「落選展」第1室
■2017角川俳句賞「落選展」第1室■
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1. 安里琉太 式日
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2. 青島玄武 優しき樹
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3. 青本瑞季 みづぎはの記憶
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4. 今泉礼奈 熱がうつる (*)
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5. 岡田由季 手のひらの丘 (*)
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2017角川俳句賞「落選展」第1室 テキスト
■2017角川俳句賞「落選展」第1室■
テキスト
1.安里琉太 式日
摘草やいづれも濡れて陸の貝
かげろふの砂ずりが来て匂ひたつ
花守のさらさらと字を書かれたり
花疲れたちまち花のうへに出て
大波の砂もちかへる花明り
春昼やこゑの吹かれて橋の上
忘れゐしもののひとつに小鳥の巣
うたうらははげしき雨に桜漬
春筍のにはかに影を長じたる
起きぬけの枕を均す立夏かな
ぼうたんにありやなしやの日の掛かる
道すがらあをみなづきのさみしき繪
蛇苺川瘦せてより濃く匂ふ
貼りつきし花びらの朱に蛭乾く
鎌倉はどつかと晴れて夏料理
炎昼の花に匂ひのなかりけり
蜘蛛の囲のしづもりに滝掛かりたる
鴫焼やひとりの家に傘を増やし
枇杷の毛のさはさはと日をかへしけり
思ふこと早瀬をなせる端居かな
蟻地獄覗いてをれば聞こえくる
涼しさやひとしく竹の起きなほる
祭から離れたる燈を蛾が叩く
空つかふ遊びをしたり茄子の花
みづうみは羽ばたくものの秋暑かな
まどろみの窓にカンナの濡れてをり
ぼんやりと鯉に似てをり生身魂
椎茸に仏師の夢のなんやかや
くれなゐの椀落ちてゐる秋の川
葛咲くや淋しきものに馬の脚
ひとり寝てしばらく海のきりぎりす
折鶴にかりそめの魂秋ともし
式日や実柘榴に日の枯れてをる
火恋しいつかの鳥の白を想ふ
匂ひよき葉をふところに日短
金閣の雨を思へる湯ざめかな
耳あてが籠をこぼれて雲の影
湯気立てて天金の書に蝶の國
太陽の平たく曇る蓮の骨
足の裏ぶ厚く歩く冬至かな
毛皮の毛揺れてここにも蟻の道
墨磨つてをれば晩年枇杷の花
埋火の美しければ海の音
うすうすと冬枯の実の鳴りにけり
ねむる間も海のうごいて鏡餅
蠟梅をきれいな川の照りかへす
とほく来てまひるの奥の鮟鱇へ
鏡割居間まで晴れて来たりけり
徒花の掃き寄せてある冬田かな
しんしんと手鞠を置いてゆふべの手
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2. 青島玄武 優しき樹
花は葉に花は優しき樹となりぬ
身体の皺とふ皺へ西日射す
雷の奥から松葉杖の音
北斗よりひとつ零れし蛍かな
新樹よりみな高々と手を挙ぐる
合歓の花ブルーシートのやうな空
魂を鳴り響かせて玉の汗
半ズボンたしか大病だつたはず
川風はやがて蝶々へ花菖蒲
一息に万物啜る冷素麺
日焼子も尻は真つ白大浴場
わわしきよ西瓜食ふのか喋るのか
四方から教会の鐘白木槿
しばらくは赤子をあやす赤い羽根
林檎とふバベルの塔に噛り付く
行く秋や唐揚げ匂ふ商店街
玲瓏と冬の楓の明らけき
雨音のやがてせせらぎ冬紅葉
冬の陽の翼の下の美術館
風邪心地みんな機械のせいにして
凍る夜や「空」の字掲ぐ駐車場
二分後の自分に出逢ふ嚏かな
人の世は火より興れりクリスマス
十悪も古き仲なり葱鮪鍋
晦日蕎麦どの窓からも星空が
仕舞湯や悲喜こもごもの浮かみをる
春永や鼻より出づる飯の粒
門松が阿蘇の五岳を迎へけり
初参り老神主の痰絡む
青空に溺れながらの玉競り
初空や寝癖の髪をそのままに
上古より女姦し初電車
ぞんぶんに空をいただく初湯かな
臘梅と闇が格闘してゐたり
省略のよく効いてゐし冬籠
白々と心臓息を吐きだせり
焼藷のなんと楽しき地獄かな
独りとは一人にあらず寒の海
はつかなる脈のありけり寒牡丹
立春や嫌ひな人とけふも会う
マネキンの右手が五本春寒し
七色の家七色の余寒かな
春炬燵から厠まで三千里
鳶はいま焼野の風を掴みけり
葬儀屋の前が病院うららけし
釈尊と雨宿りする花御堂
傾ぎゐし城を支ふる桜かな
伊勢の子は伊勢の桜に遊びけり
風も木も土も神さま初音聞く
遥かまで花降りやまぬ行者道
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3. 青本瑞季 みづぎはの記憶
永き日を部屋まで海が照つてゐる
春の雷本の屍臭が書庫の中
傘の骨打ち寄せらるる二月尽
野遊びのきれいな耳についてゆく
立子忌や家の南が硝子張
夕暮れの桜海老なり目をなくし
風車西の市場の違ふ匂ひ
描きぶりが絵になる人で花のまへ
音楽にうごめく藤のむらさきは
はつなつの陰を排せる琴の部屋
草刈りの音窓辺の壜にたまりゆく
読唇のはやさに青葉ひらひらす
十薬跨ぐ靴擦れは熱を帯び
滝壺にあるなまぐさい手足かな
くちなはのかぼそい赤につづく舌
小満やひるがへるとき魚は銀
青鷺はビル光のなか展けてゐる
灼けながらばらばらに来る犬の脚
もうろうと昼顔だけがある景色
ががんぼの脚途中なるその感じ
盗品めくプールサイドの荷物かな
くらがりをみづに呼びこむ未草
沼はおほきな樟脳の昼寝覚
水無月晴れて花の名前の若くあり
蟹の死よ浮きて明るき影つくる
人々のそびえ蝙蝠わたる水
立葵葉の荒れて有線放送が来る
金網の奥のまなこを見る暑さ
汗ばむと檻の家鴨のさわぎこゑ
あたたかくくづれてゐたる螢かな
夏鴨とおなじ湿りにある木椅子
いつまでもくらげはみづにつきあたる
虹見せてくる眼球はすこし丘
痣がちの四肢を余せり夏館
絵葉書のこちらへ蜘蛛歩む真昼
ぼんやりと蟻の集まる墓のうら
ほたるぶくろ手をひきながら呼びに来る
こゑは鋭利にくちびるを濡れ夏終はる
初秋の山羊つながれて暗い井戸
空堀に耳のびんかん鰯雲
カンナが黄芯のなだらかなる眩暈
ぱらぱらと玻璃に映りて椋鳥瘦せる
ゑのこ草川の疲れの絶え間なく
川なかに小さき花野として浮かぶ
子規の忌の下草に花混じりをり
総立ちの秋草となる古墳かな
喉の渇きを茸は糸に裂けてゆく
をなもみよ野原の磯に似るところ
逝く秋がまぶしい海としてわかる
小春の海遠くに暗い写真となる
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4. 今泉礼奈 熱がうつる (*)
ふらここのおくれてひとつ高くゆく
すつぽりと鳥影に入る菫かな
立ち枯れの幹をてふてふ過ぎにけり
蝶来ては去り来ては去り蝶の昼
白木蓮や病院の窓ひとつ開き
白木蓮の木の黒々と曇りけり
春疾風首長くして鴨が飛ぶ
風船を朝の光の滑りをり
あたたかや賞状に桐生ひ茂る
美術館のおほきな窓の桜かな
入学や色濃き土のやはらかく
花冷の街がジグソーパズルの中
花冷の白馬の白き睫毛かな
青空に放たれ花の枝の先
春昼を熱帯魚店ひんやりと
蜂蜜は光溜りや春の風邪
鳥ごゑに遅れ花びら降りてきし
残業のビル高くあり桜の夜
あたたかに頁の端の頁数
花ぐもり体温計に熱がうつる
桜散る閉店の椅子重ねられ
湖のはじまりは川桜散る
春暑し手鏡に顔収まらず
たんぽぽの咲き慣れてゐる鴨場かな
山藤を辿れば空に近付けり
藤揺れて夜の雲と雲はなれけり
メーデーの吊革に腕並びけり
退屈な顔が窓辺に花は葉に
葉桜や友ほつそりと欲少な
ジンギスカン鍋に丘あり五月来る
新緑や列が後ろに伸びてきし
若楓薄く冷たく光りけり
白日傘に囲まれ歩く男かな
薫風や写真家に時止まりたる
あをぞらのけふを愛して山法師
絵の中の一人となりて青葉かな
萍のあひだ真昼の淀みけり
嘘をつく目をして亀の子が歩く
遠雷や浮世絵のみな肌白し
地図の海も深さ持ちたり南風
ゆふぐれや梅雨の終ひの橋長し
滝強く昨日の雨の匂ひせり
河骨のその黄日射しに疲れたり
炭酸の音にはじまる帰省かな
どこか見てゐる草笛をはじめる目
前を泳ぐ人の飛沫を泳ぐなり
夏負や消火器に塵積もりたる
蜘蛛の巣の眩し喪服の人遠し
蝉の穴閼伽桶を置く音が乾く
蝶ふはと葉を揺らしたり終戦日
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5. 岡田由季 手のひらの丘 (*)
一〇〇〇トンの水槽の前西行忌
梱包の中身はギター春休み
金箔を少し呑み込み花の宴
モノポリー蜆が砂を吐く間
猫の仔に小学校のチャイム鳴る
菫見てゐるうち口の尖りをり
球根の天地を問ひぬ初蛙
花槐留学生の集ふカフェ
青葉山人と猿とが怯え合ひ
露台より芦屋の街と海すこし
山椒魚眩し眩しと言うてをり
水無月のホテルの窓に浮かぶ城
噴水の横に楽器を組み立てる
複雑な岸を辿りて睡蓮へ
少しづつ家族のずらす扇風機
百日紅雌ライオンの寝返りす
熱帯夜骨煎餅を齧りをり
老人が額を寄せて氷果食ぶ
浴衣着て店員ふたりぎこちなし
白靴の吸ひ込まれゆくレイトショー
中国語話せさうなる昼寝覚
立秋の水槽真上から覗く
パレードの時々途切れ黄のカンナ
蒲の絮むかしの音を拾ひけり
音楽をつけずに踊り黒葡萄
気の付かぬほどの勾配赤蜻蛉
色見本帳から抜いて吾亦紅
能面は顔より小さしきりぎりす
栗を剥く母の近くに座りけり
松手入終へてしばらく上にゐる
バーテンダーついでに檸檬磨きをり
象の眼に微かなる酔ひ秋の暮
木琴のとなり鉄琴秋日差す
退色の壁画に添へる一位の実
手のひらの丘に綿虫留まりぬ
アヴェマリア風花口へ飛び込みぬ
木枯に象の手触り残りをり
光源の方へ歩けば蕪かな
頭蓋骨同士こつんと冬初め
アルトから揺れはじめたり聖歌隊
灯台の小さき敷地や冬の鳥
走り出しすぐ消灯にスキーバス
餅を待つ列の静かに伸びてをり
鳥籠に指入れてゐる三日かな
末黒野と運転席の見ゆる場所
ばらばらの向きにペンギン立つ日永
遠足の博識の子についてゆく
バレンタインデー吹替の笑ひ声
古道具売れれば拭いて春の昼
めくるたび次の頁のある春田
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2016-01-17
10句作品テキスト 顔の高さ 今泉礼奈
顔の高さ 今泉礼奈
元日に生まれて空のあをさかな
初声や魚をくはへて遠ざかる
海にどこか燃ゆる匂ひや初写真
冬芒ちがふ高さに流れけり
ケーキ詰めて箱やはらかし冬夕焼
水仙の夜風にぱつと立ちにけり
蠟梅が顔の高さにあれば寄る
蠟梅の花ごと落ちて日を集む
講義なき日の木蓮の冬芽かな
釦に糸頼りなし春遠からじ
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2014-07-13
【週俳6月の俳句を読む】今泉礼奈 ほんのりと
【週俳6月の俳句を読む】
ほんのりと
今泉礼奈
すこし、春が懐かしくなってきました。
声になる最小限の語や春雷 井上雪子
話しはじめたが、雷が鳴ったことによって、それは中断される。「声になる最小限の語」というのは、ふしぎな感じがする。語はすべて発声できるものだろうし、そもそも語の何が最小限か分からない。でも、おそらく、そこまで考える必要はないのだろう。春雷のあとも、一瞬で、その前と同じ日常にもどる。
鳥を食ひ魚を食ひぬ昭和の日 陽美保子
確かに、わたしたちは、鶏の唐揚げを食べるし、今だと、鰹とか鱧とかもおいしい。でも、こんな言い方をされたら、ちょっと野蛮な人みたいに聞こえてしまう。そうなんだけど、いや、なんかちがうし、といった感じ。「昭和の日」という、なんともいえない祝日が妙に溶け込んでいる。
春荒れて笑ってしまう墓参り 西村遼
墓参りというのは、それが本来もっている特質とはかけはなれて、こんなもので。笑うつもりじゃなかったんだ、という心情がよく表れている。もはや、「笑ってしまう」と笑いながら声に出しているかのよう。
春の夜に乾く無人のバスの中 原田浩佑
おそらく、自分と運転手以外の人間は乗っておらず、肌感覚で、バスの中が乾いていくのを感じているのだろう。外からみてもそのバスは乾いていたりして。そんな春の夜は、すこしさみしい。
白玉や口ごもりたる話あり 梅津志保
呼び出したのはいいものの、なかなかその話をできない。そして、白玉をひとつ口にほおりこむ。白玉は口の中で迷いながらも、噛まれるのを待つ。そんな白玉と、その作者が対面している状況が、どことなく似ているような。なんともいえない緊張感に、白玉の甘さだけが、ほんのりと口の中に広がっていく。
水打つや影煮えたぎる人として 髙坂明良
じぶんの影を見ながら、ただぼんやりと、打ち水をする。その影はまるで煮えているように揺らめいている。頭がぼーっとする。煮えているのは、影か、わたしか。
ほんと、今日も暑いですね。みなさま、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
■陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
■髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
■原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
第373号 2014年6月15日
■井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
■梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
■西村 遼 春の山 10句 ≫読む
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2014-02-09
【週俳1月の俳句を読む】今泉礼奈 いろいろ
【週俳1月の俳句を読む】
いろいろ
今泉礼奈
世の中にはいろんな年越があるようで。
焼く餅の数聞きまはる祖母の家 江渡華子
おばあちゃんに頼まれて、まわりの大人たちに「おもち何個食べる?」って。大人と大人の間をすり抜けて、何度も、それぞれの正面にちゃんと立って聞いてくる女の子が、ここにみえる。そのあたり、大袈裟だけど「聞きまはる」がしっくりくる。もしかしたら、おばあちゃんの元に戻ってきた時には、数を忘れているかもしれないけど、許されると思う。祖父じゃなくて、「祖母の家」だから。
いくたびか地名に見惚れ年賀状 小池康生
年賀状を書いていて、おっ、と思う地名がたまにある。少し筆を置いて眺める、自分の字を。気になるけど、ググったりはしない。気になっているのは地名だけなんだし。地名よりも、いつもより丁寧な自分の字になんだか一年の終わりを感じていたりするものだし。
筒にして覗くと青し初暦 高勢祥子
青い空、もしくは、青い海の写真がプリントされてあるカレンダーなのだろうか。筒にして覗いたとき、その青さは、奥の丸い光に照らされて、妙なグラデーションになっている。さっきとはちがう青さ。青に吸い込まれるかのような一句である。
差し色の赤の突出風邪心地 玉田憲子
次は赤。差し色としてアクセントをつけるために、赤色を入れたのに、それが突出してしまうとは…。頭がぼーっとしているから、そう見えるのか。赤色はすこし怖い色です。
双六の一回パスに鱲子(からすみ)出る 佐怒賀正美
カラスミ未経験者の私なら、なおさら、カラスミが登場したときの反応は異常だと思う。とりあえず食べる前にめっちゃ見るし、カラスミに失礼のないように感想もめっちゃ言う。双六のパスもありがたい。ゆっくり順番がまわってきますように。
寒さうに未来を売りぬ暦売 川名将義
「未来売ってます☆」みたいな暦売はいやだ。誰だって、希望や期待に満ちあふれた未来より、どうにかしてあげなくちゃならない未来の方が買いやすいだろう。「未来を売りぬ暦売」は、マ行とラ行が効いていて、声に出したくなる。
冬深しコーヒー豆の黒き溝 小野あらた
コーヒー豆はもちろん黒く、その溝はつくづく黒い。コーヒー豆の溝の深さ、その黒の深さ、と「冬深し」が絡み合っていて、もはや他人事っぽい冷たさがある。と、思えば、
セーターを脱げば眼鏡の引つ掛かる 同
小野先生、次は眼鏡外してからにしましょうね。
それでは、(とても今更ですが)皆様、よい一年をお過ごしください。
■新年詠 2014 ≫読む
第352号2014年1月19日
■佐怒賀正美 去年今年 10句 ≫読む
■川名将義 一枚の氷 10句 ≫読む
■小野あらた 戸袋 10句 ≫読む
第353号2014年1月26日
■玉田憲子 赤の突出 10句 ≫読む
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2013-10-13
【週俳9月の俳句を読む】 高崎義邦 「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。
【週俳9月の俳句を読む】
「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。
高崎義邦
個人的な話から始まってしまうが。
浪人から始まり東京での生活ももう今年で四年目となった。
実家である愛媛県での生活と異なることのひとつに自然が『触れに行く』ものになったということがあげられると思う。
というのは、東京の中にも東京の近郊にも豊かな自然に触れられる場所もあるし、何気ない生活の変化のなかで感じることの出来る「四季」ももちろん存在するが、どこか「東京」のそのキャラクターのせいか背後に「都市性」のようなものを感じてしまうのである。
中央線をしばらく行けばすぐ高尾山に着くし、高円寺の商店街で売られているものだって四季折々によって変化もするだろう。ただ、地方出身のよそ者の僕がそこに行きそこのものに触れることは、どこか「能動的」に自然に触れに行き、「能動的」に四季を感じに行っている気がするのである。
少し路面電車に乗って行けば瀬戸内海がいやでも眼に入ってきて、山の上にあった高校に通うまでの道中に桜並木があり春はその桜に押しつぶされそうになりながら登下校し、秋になれば焼き芋売りの声がさびしげな田舎の住宅街に響く、そんな当たり前の「自然」、田舎で生活していく中で選択の余地がない「受動的」な自然とは、また違ったもののようによそ者の僕には感じられる。
そんな身近な「四季」「自然」に満ちている田舎がどうしても「何もない」もののように見え、「東京」を目指して十代のときには早く故郷を離れたいといった気持ちに多くの若者が駆られるが、今落ち着いてきて、やっと生活の中に「勝手に」自然・四季の存在していた「故郷」が懐かしくてとても良いもののように感じられるのである。
そんな、「勝手に」自然・四季の存在しているような場所での風景を切り取ったものとして、今泉礼奈の「くるぶし」を読み、勝手に故郷の風景に懐かしさを覚えた。
餌売れば釣竿も売る初秋かな 今泉礼奈
普通に趣味として夜釣りなどをしている父親仲間が週末に馴染みの釣具店に行ったら、餌を買ったついでに、店主に体よく竿も押し付けられ買ってしまった。「秋刀魚釣るならこれだよ」などと言われたのかもしれない。釣りのディテールはないものの「秋になったんだ」ということを読者に自由に推測させるような幅のある句。
晴れてゐて去年と同じ案山子かな 今泉礼奈
去年もこの田んぼを見たのだろう。通り道にふと、目をやるとそこには去年と同じ案山子が。そこで、「今年の秋」に何気なく気づくのである。
颱風や船の名前が船と並ぶ 今泉礼奈
それほど、深刻な被害ではない。颱風の次の日に海の近くを歩いていると昨晩の影響でか船の名前を書かれたプレートのようなものが船の横に漂流している。そこに少しおかしみが生まれ自然と微笑んでしまう。
どの句も血が通った「生活」の目があってあたたかい句だった。
第332号 2013年9月1日
■髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む
第333号 2013年9月8日
■佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
■内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む
第334号2013年9月15日
■村田 篠 草の絮 10句 ≫読む
第335号2013年9月22日
■小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
■今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
■仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む
第336号2013年9月29日
■北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む
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2013-09-22
10句作品テキスト 今泉礼奈 くるぶし
くるぶし 今泉礼奈
餌売れば釣竿も売る初秋かな
秋扇としていつまでも使ひけり
虫の音や腕にやさしく菓子の重み
晴れてゐて去年と同じ案山子かな
稲架解きて控へめに畦交はれり
歯ぶらしと歯が濡れてをる月夜なり
溢蚊をそつとはらひて告白す
団栗を持ちそれなりの気分かな
颱風や船の名前が船と並ぶ
くるぶしの高さに差なし秋簾
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2013-08-18
「俳句ヴァーサス 第2回 視覚vs聴覚」レポート 感覚をあやつる 今泉礼奈
「俳句ヴァーサス 第2回 視覚vs聴覚」レポート
感覚をあやつる
今泉礼奈
第132回現代俳句協会青年部勉強会「俳句ヴァーサス 第2回 視覚vs聴覚」
2013年8月3日(土)13時30分/於・池袋勤労福祉会館
パネリストは視覚側に九堂夜想さんと小山森生さん、聴覚側に四ッ谷龍さんと関悦史さん、司会は田島健一さん。
まず、司会の田島さんも含め、皆さんが感じていた前提として、視覚や聴覚といった感覚は完全に切り離して考えることができない。そもそも、ヴァーサスにできるものではないということです。
「写生」の句(この勉強会では「写生」は禁止用語であり、どうしても使わざるを得ないときは写ピーということになっていましたが…)は、視覚的な俳句、つまり視覚からつくられる俳句であるといえると思います。ただ、読者に映像としてイメージさせるだけの俳句は少なくとも秀句ではない。また、聴覚に限らず、視覚以外の感覚も刺激されるべきであり、そうでなければ、よりリアルな映像は立ち上がらない、と思うのです。それは聴覚からつくられる俳句でも然り。
水仙の跫音水仙は聴けり 宗田安正
実際には聞こえない「水仙の跫音」を私たちは聴覚を頼りにたどろうとする。しかし、それは水仙のイメージがあってこそのもの。この句は、関さんから、「音がたつことによってひとつのイメージが立ち上がる」俳句の一例として取り上げられていました。
しかし、わたしは、四ッ谷さんの「クロスモーダルな句」についてのお話を聞いて、俳句という形式を利用すれば、その感覚を切り離すことも、無理矢理にくっつけることもできるかもしれない、とも感じたのです。クロスモーダルとは、感覚をまたがること、らしいです。
蛋白石(オパール)の中なる水もぬるむなり 関悦史
オパールの中にある水に実際に触れることはできない。しかし、実際に触れているかのように「水もぬるむ」がはたらき、確かな皮膚感覚を読者に与える。視覚を触覚であらわした俳句、つまりクロスモーダルな句といえるでしょう。
敷石をしろがねとしぬ落葉掻 斉木直哉
天網は冬の菫の匂かな 飯島晴子
これらもクロスモーダルな句といえるとのこと。わたしは「感覚を無理矢理にくっつけている」といってしまいましたが、その乱暴さに魅力を感じたのです。
四ッ谷さんは強く主張されていませんでしたが、クロスモーダルな句に対立するものとして紹介された「同一モーダルな句」も、わたしにはかなり新しく感じました。
たんぽぽの黄が目に残り障子に黄 高浜虚子
蛇逃げて我を見し眼の草に残る 同
目が痛くなってしまうほどの映像、というより残像。視覚以外の感覚をはたらかせることを忘れてしまいます。
感覚ってこんなにも自由自在に操れるものだっけ、と、これらの俳句を並べられてみて思いました。作者も読者も無意識的に感覚をはたらかせて、俳句をつくり、読んでいるのだけれど、エクリチュールとしての俳句は、ひとりでに、その感覚を自由に操作しているようにもみえます。
自分の俳句が、自分とははなれたところに行ってしまうのも、それはそれでよいのかもしれない、とわたしは思っているのです。
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2013-06-16
【週俳5月の俳句を読む】今泉礼奈 夏がくる
【週俳5月の俳句を読む】
夏がくる
今泉礼奈
音たてて雨が苺の花に葉に 菊田一平
■菊田一平 象 10句 ≫読む
第317号2013年5月19日
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第318号2013年5月26日
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