2017落選展を読む
14. 薮内小鈴 東都
上田信治
薮内小鈴 「東都」 ≫読む
呉爾羅へと巻く朝顔が窓のそと
呉爾羅はゴジラなのだそうだ。これが一句目なので、全体が冗談として書かれている可能性がある。気を引き締めて読み進む。
入口と出口の猫や秋の径
猫のいる町はいい町だという人もいるのだから、この径はいい道にちがいない。「秋の径」も散歩が楽しそうだからOK(新人賞的には×に近い△かもしれない)。
きはやかにお釜語飛びぬ秋時雨
うーん。「〜語」「飛びぬ」というあたり、愛情がないかもしれない。おおいに抵抗あり。
指先をつまみ手袋拾ひけり
これは、いい句。つまんで拾った指先が見え、その指と手が反転したように、ぴろーんと手袋がぶらさがる。
「祭帯締め合ひけふの秋薊」「鉄骨を組めばゆらりと芒原」「富士山の先に日の入る冬至かな」「南風に貝殻そへて鉢数多」のような、ふつうに読める句もあれば、「つくつくし淡き声する旅人も」「青蜜柑ゆふべの卓に汐微か」「鳩ぴしと散らしたる店浅き春」「そのままに春菊ぱらり滴落つ」のような、成立しているかどうかもあやしい句がある。
あばれんぼうですね、この作者は。今後に大いに期待。
日光より猿来りけり春の土
あははははは。これは、句会に出たらぜったいとる。
2017角川俳句賞「落選展」
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2018-08-26
2017落選展を読む 14. 「薮内小鈴 東都」 上田信治
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2017落選展を読む 13. 「柳元佑太 教科書のをはり」 上田信治
2017落選展を読む
13. 柳元佑太 教科書のをはり
上田信治
柳元佑太 「教科書のをはり」 ≫読む
田中裕明への憧憬を思わせる一連。
とてもいい句がある。
けふよりの旅靴に竹落葉かな
裕明の「これよりの」は怖い句だったけれど、これは、楽しい句。旅行用に靴をおろしたのだろうか。竹落葉の明るさもいい。「鞄には本が一冊竹の秋 裕明」へのアンサーかもしれない。
あの作家(特に晩年の)にならってか、文物について、死についての句が多く、これについては、首をひねってしまった句が多い。
文物の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
うららかや贋作のあをうつくしく
翻訳を経て名文やおじぎ草
さるすべり佳き平仮名にぐりとぐら
サルビアや絵は船旅を経て額に
蔵書庫におほきな柱秋深む
死の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
さはれずの墓たちのぼる紫雲英田は
その人の喪が白藤のをはりどき
夏たけなは丘全景に墓の照り
柚子の花骨壺に骨ひとりぶん
かりそめの黄泉かとおもふ苅田かな
その人をかたどるに菊つめたかり
「たはぶれの」の句。実体験としてもフィクションとしても「余寒あり」では、ずいぶん思いが薄いんではないかしら。「余寒」と「余白」をかけているにしても、まだちょっと寒い、では。
「さはれずの」の「さはれず」は「『切られ』与三」の「切られ」みたいな体言化した形容句で、触れることが禁忌となっている墓があるのだろうか。墓が「たちのぼる」というのは(「丘全景に墓の照り」という句もあるから)紫雲英田のふちから斜面になっていて、そこに墓が建っているのか。なんか祭文か謡曲のような、ことばのうねらせようだけれど、あやつりきれていないのでは、と思う。
「喪が白藤のをはりどき」、「喪も白藤も」とも「喪の白藤の」とも書ききれず(そう書いたら意図が露わになりすぎる?)「が」としたのかもしれないけれど、ばらばらになってしまっているのではないか。
「骨壺に骨ひとりぶん」いつ、どういう思いでそう思ったんだろう(骨壺に骨ふたりぶん、ということはない)。「骨壺は」なら、はじめて近親者の死にふれたとき思ったということで、よく分かるけど。
つまり自分は、この人の死の句に、ものものしさとそれに相応する思いの薄さが見えてしまって、乗れないわけです(モチーフが人の死でなければ、あるいは表現がものものしくなければ、思いの薄さは欠点ではなくなる、もちろん)。
文物の句はそれほど嫌味はないけれど、「うららかや贋作のあをうつくしく」には、そんなにきれいな「贋作」があるかなと思ってしまうし、「ぐりとぐら」は、そんなに佳きひらがなだろうかとも思う。
まあ、一年以上前の作品について、あれこれ言うことは、申し訳ない。作者はずっと先に進まれていることだろう。力作であろう句群(編集部の一次予選は通過している)だけに、練りが足りない、こしらえものに見える部分が気になったということです。
教科書のをはりの雪の詩なりけり
これも、とてもいい句。「をはりは」でもいいと思うけれど、この「の」は、その「詩」を広い場所へ押し出す意志なのだろうと受け取った。
2017角川俳句賞「落選展」
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2018-08-19
2017落選展を読む 12. 「宮﨑莉々香 うそぶく」 上田信治
2017落選展を読む
12.「宮﨑莉々香 うそぶく」
上田信治
宮﨑莉々香 「うそぶく」 ≫読む
この人が「円錐」「オルガン」に書くものと手応えがだいぶちがって、読めば書かれているとおり、そのままの意味で頭に入ってくる。
散文のような、日常言語に通じる構文意識で書かれているようだ。とすれば、それが、どこで俳句になるか、が勝負になってくるのだけれど。なかなかむずかしい。
昼は春みんなで銀杏をわける
球根をならべもどれないんだよもう
ささやかにつつじを捨ててあるきだす
十七音を、カットアップされた映像の断片のように使って、言葉足らずを逆手にとっている。字数が足りなくなりがちな口語俳句では、ときどき試される方法だ。
TVドラマのアヴァンのような、断片的カット。動詞の時制はひたすら現在形終始。その前後で、何が起こっているかは分からない。本編の全体を作らなくてよいのだから、なんでも好きに書けるようだけれど、じゃあ、たとえば少女漫画の1コマだけ描いて、それを成立させられるかといえば、それは、ずいぶんむずかしいわけで。
どうだろう、これ。俳句としての構造を獲得している句は、あるだろうか。
ノートとるほんとつまらないね虹たち
手をつなぎむなしくなつてゐる白鳥
パンジーを見るもごもごとしてしまふ
きっと、これは「高校生やつし」の50句なのだろう。タイトルも「うそ・ぶく」だし。
「虹たち」の「たち」は、ちょっと面白い。
正月が来てなんとなく食べる海苔
機械からうごかなくなつてつちふる
さいごのほうで、すこし面白くなってみたりしている。
くたびれて夏野を最高に行かう
これなんかは、ちょっとよかった。
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2017角川俳句賞「落選展」
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2017落選展を読む 11. 「ハードエッジ 豚カツ」 上田信治
2017落選展を読む
11.「ハードエッジ 豚カツ」
上田信治
ハードエッジ 「豚カツ」 ≫読む
この50句には、いま俳句いっぱんに流通している基準から、わりと自由に書かれている感触があって、賞応募作といえども、俳句が採点競技のようであったらつまらないので、その自由さは、まず好ましい。
大いなるシーツが飛んで花吹雪
花ふぶき張子の虎も吠ゆるかな
発想は「月並」ふうだけれど(なんか子規以前というかんじ)イラスト的にイメージを構成したり。
客布団黴を寄せじと絢爛に
水族館に海の一族注連飾
なにかそれこそ「絢爛」たるものを見せようという。
噛み抱くは子猫の時のタオルなり
「噛み抱くは」という言い方の粘っこさが、猫のあそびのしつっこさに通じて、言葉に質感がある(この句については、季語がないことより、「の時の」が示す内容のあいまいさが気になる)。
南瓜煮て一晩寝かす手紙かな
干布団枯野の見ゆる丘の上
「手紙」と「南瓜」、「干布団」と「枯野」それぞれに、句中の主体も加えた、位置と時間の関係があいまいで、そこに面白さが生じているような、いないような(「ビニールも儚かりしが蛇の衣」も、そう)一見、腰折れのようで、裏側できっちり第三項的なものをたちあげている、この書き方の大成功句が読んでみたい。というか、自分が書きたい。
ゆるやかに階段状の雪として
「として」もまた、あいまいで「として……何?」とつっこみたくなるけれど、『「ゆるやかに階段状の雪として」雪がある』という、冗語の面白さは見逃せない。
水仙を切つてぽたぽたしてゐたる
豚カツを母が作るよ春休
かわいい。
読者として、楽しませていただきました。
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2017角川俳句賞「落選展」
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2018-08-05
2017落選展を読む 9. 「鈴木総史 こゑを探して」 上田信治
2017落選展を読む
9.「鈴木総史 こゑを探して」
上田信治
鈴木総史 「こゑを探して」 ≫読む
草萌や時間を空けて飲む薬
まず、ていねいな作り方、という印象のある50句。
「時間を空けて飲む薬」とは、当たり前だけれど(立て続けに飲む薬などない)、そう言って描かれるのは、その薬と薬のあいだの時間のことだ。ちょっとノドにひっかかったような感じがあったりして。次のお薬の時間までを、この人は、春の草のやわらかさに、気持ちをむけている。
大げさに言えば、生きていることのささやかな手応えのようなものを書こうとする、そういうていねいさなのだ。
ただし、生えてくる草と、健康の回復の重ね合わせは、すこしていねいすぎるとも感じる。
置かれては少しずらされ雛飾る
蒲公英にまみれてゐたる消火栓
待春の少し大きめなる切符
季語は佳きものとして、それに、すこし現実の手ざわりとかフレイバーを加える。
小さな生活実感と、季語の扱い。
このていねいさ、今の俳句のマジョリティではないかと感じます。
ただ、読者の楽しみとしては、そこをすこしでも踏み越えるものを見たいと思うし、50句の半分くらいは知的操作で書かれている。知的操作自体は悪いことではないけれど、既存の季語の佳さの範囲でそれをやってしまうのは、そんなに実りの多い方法ではないかも。
がりがりとなにかを喰らふ花見かな
その島は鳥がおほきく花樗
がりがり、きもちわるくていいですね。
鳥が大きい島というのも。
ふつうの現実を書いているようで、ふつうを少し越えてくるような句。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017落選展を読む 10. 「高梨章 そのあかるさを雨といふ 」 上田信治
2017落選展を読む
10.「高梨章 そのあかるさを雨といふ」
上田信治
高梨章 「そのあかるさを雨といふ」 ≫読む
ほとんど春の句で書ききった、50句。
早春の窓の夜あけやパンの耳
「窓の」の三文字。早春の夜明け、じゃあバラバラ。明るさが四角く限定されることで、パンの耳との関係が効いてくる。
早春の床にミルクの白さかな
早春のもうぬれてゐる光かな
早春の吸取紙もぬれてゐる
早春の水の底まで水の空
同一季語5並び。床にミルクがこぼれたとも、こぼれていないとも読める面白さ。吸取紙が濡れていることの一回性(その前の一句はフリなのだろうか。大胆w)5句目はやや読みにくいけれど、「水が底まで水であるところの」早春の空、と読んだ。
ぽつかりと口をひらいた春の駅
空をおりるやうにひとびと春の駅
無防備といっていい、ふわっとした言葉のつながりと、童話的な発想。その二つの道具が、きわどいバランスで使われて、目の前にある句は、ふわっとどころか、エッジが立っている。
母と子とねむるヒバリのゐない空
ひつそりとあのこは病気風ぐるま
よわくよわく指はひらかれ牡丹雪
抒情性と、感傷性を、自分はあまり区別しておらず、その差は、読者が、その書き手を信用するか否かだけのことではないかと思う。
この人のことは、信じました。それはちょっとした調子とか、語のあっせんによる
石鹸玉空のうしろへ消えにけり
雲雀鳴く蛇口のなかの細き闇
蜂の屍やほんのわづかな塩の味
例年、落選展にご参加。ほとんどまったく一人で書いてこられたのだそうだ。
こういう玄人性から遠くあることを選び取った書き手を、プロ俳人は評価しにくいだろうと思うのだけれど「円錐」の第二回新鋭作品賞で、山田耕司さん推薦で、この人の20句が、受賞したのは、さすがすぎる。
「秋と幾何学」 ≫読む
こういう方をご紹介できるから、落選展も、やっていてよかったと思う。
2017角川俳句賞「落選展」
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2018-04-01
2017落選展を読む 6.7.「片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉」(その1)(その2)
2017落選展を読む
6.7.「片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉」(その1)(その2)
上田信治
片岡義順 「舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)(その2)」 ≫読む
明日もまた地球転がせ四月馬鹿
この百句、たぶん一気呵成に書かれたものではないか。発想の飛躍と(それとムジュンするようだけれど)その撞着に、自動書記的なルーズさを感じる。
五七五を、前から順番に書いているふうでもある。
「明日もまた」(日はまた昇る)「地球転がせ」(とか大きなことを、言っちゃって)「四月馬鹿」という具合に。
百句の中では、こういう無責任な書きぶりが楽しげな句が、目にとまった。
ホッチキス散歩に出よう天高し
ホッチキスを残して、外へ出たまではよかった。「天高し」は、状況説明にしかならないけれど。
もの言わぬ牛はキリスト花吹雪
シンボリックな意味の強い羊が、牛にすりかわる、という面白さがある。「もの言わぬ」は言わずもがなで惜しいけれど、「はなのすきなうし」という絵本を思い出させて、好感が持てた。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017落選展を読む 8.「杉原祐之 上堂は難し」 上田信治
2017落選展を読む
8.「杉原祐之 上堂は難し」
上田信治
杉原祐之 「上堂は難し」 ≫読む
もう、おなじみというか、この路線のベテランというか。
この人の「写生」は、歳時記の中の言葉を、非価値的に、日常意識のなかに配置する。そんなふうにして、季題を(手の中にあるカードを示すようにして)だれか他の人にちらっと見せるという、ささやかな挨拶。
そこに、挨拶をされれば悪い気はしない、というささやかな価値が生まれる。
どぼどぼと溢れてゐたる若井かな
結納の席に獅子舞踊り込む
どうでもいいわけである。うそだと思うし。
ラーメン屋の湯気もうもうと寒に入る
どうでもよすぎて、おどろく。どうして、こう書こうと思ったのだろう。
雛段を支ふるビールケースかな
プールより上り海鮮丼喰らふ
作者が面白がっていることは、句の深さやひろがりにおいてはマイナスだけれど、もうあまり若くはないサラリーマン(という古風なことばが似合いそうな)男性が、いわば「ユーモア」の人であることは、いやなかんじはしない。
炊飯器より豆飯の湯気と音
踏切を待ちゐる山車の囃子急
豆飯の音というものがあるかどうかは知らない。いつもよりしゅぶしゅぶいうのだろうか。交通規則にしたがって止まっている山車の、お囃子がもりあがるところに差し掛かるのは面白い(踏切と書いてしまうところが、作者のユーモアの人たるところだ)。
雉鳴くや足湯に村を見晴らして
この「村」は好きでした。近年どこにでもある「足湯」という施設を使いつつ、観光客気分で言ってるでしょう。その気分の距離感みたいなものが、正確に書かれている。
2017角川俳句賞「落選展」
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2018-03-11
2017落選展を読む 5「岡田由季 手のひらの丘」 上田信治
2017落選展を読む
5「岡田由季 手のひらの丘」
上田信治
岡田由季 手のひらの丘 ≫読む
一〇〇〇トンの水槽の前西行忌
巨大な水槽の水の質量を食い止めているガラスの前で、この人は、その水が1000トンであることを思っている。それは、日常において死を想うことのメタファーと言ってしまってよいだろう。
「西行忌」といえば漂泊と、俳句では決まったようなものだけれど、大量の水の前で「たまたま死なないでいる」一瞬を、西行という人の生涯や作品に対置する。作者の、人生的なものをあつかう神経は、ヒリッと冴えている。
日常にむかうカジュアルな意識と、その少し外を見る非日常の認識。この作者の句の領域は、ふたつの世界にまたがってあり、文体も相応に書き分けられている。
露台より芦屋の街と海すこし
花槐留学生の集ふカフェ
走り出しすぐ消灯にスキーバス
これらは、まったく日常の意識。
「芦屋」「カフェ」「スキーバス」といった対象にむかって動く気持ちはごくわずかなのだけれど、そこに極微量の気持ちよさと面白さがある。文体的には、とてもフラット。
能面は顔より小さしきりぎりす
象の眼に微かなる酔ひ秋の暮
木枯に象の手触り残りをり
蒲の絮むかしの音を拾ひけり
鳥籠に指入れてゐる三日かな
これらは、日常の「外」へ向けられた認識。
「能面」「象」「蒲の絮」「鳥籠」といったオブジェを起点として、その向こう側にむけてはたらく五感を仮構して、そのカンジを引き寄せようとしている。言葉は、俳句らしい節回しで歌っている。
そして、次のような句。
熱帯夜骨煎餅を齧りをり
光源の方へ歩けば蕪かな
餅を待つ列の静かに伸びてをり
ここで選ばれる「骨煎餅」「蕪」「餅」という(オブジェと呼ぶには行儀の悪い)ブツたちの、面がまえがもたらすユーモアが、カジュアルな意識とミスティックな認識に橋を架けている。
というか、これらは二領域に架かる橋のような句だ。カジュアルさと神秘性がまじわらず、共存している。楽しい。
〈木琴のとなり鉄琴秋日差す〉〈灯台の小さき敷地や冬の鳥〉〈中国語話せさうなる昼寝覚〉〈バレンタインデー吹替の笑ひ声〉〈頭蓋骨同士こつんと冬初め〉などは、日常に、すこしの非日常あるいは向こう側のエッセンスを加えて、平成俳句の典型をなすような佳句。
第一句集『犬の眉』(2014)集中にも〈間取図のコピーのコピー小鳥来る〉〈デパートの海側にゐる冬初め〉〈空蝉を集めすぎたる家族かな〉〈自動ドアひらくたび散る熱帯魚〉〈触れられぬ茶碗がひとつ遠き雷〉〈運動会静かな廊下歩きをり〉と、このタイプの佳句良句が多くある。
ただ今回の50句を読んで、『犬の眉』の〈検眼の明るき世界水草生ふ〉〈犬の眉生まれてきたるクリスマス〉〈映画村あちこちめくりかたつむり〉〈七夕の仮設の道を歩きをり〉といったある種おさまりのわるい奇妙な句が、魅力的であったことを思い出した。
「検眼の明るき世界」「犬の眉生まれてきたる」「映画村あちこちめくり」「仮設の道を歩きをり」には、日常のなかの強い不思議、そのまま外の世界につながっていくようなゆらぎを見つめる視線がある。
今回の50句中、自分がもっとも長く立ち止まった句は、
モノポリー蜆が砂を吐く間
この句、ふつうの台所俳句のようだけれど妙なところがあって、え? 蜆に砂を吐かせてその間にモノポリー? だれと? 平日にお客さんですか?
現実に引きつけて読めば、家事のすき間時間に、オンラインモノポリーをやっているという状況だろうか。蜆が砂を吐くほどの意識で手を動かし計算をし、まったく自意識から解放されている、もはや自由も退屈も感じていない砂色の時間。蜆をただしく春の季語として、遅日の夕闇と薄寒さが迫る部屋で、と読むことも可です。
「骨煎餅」や「餅」や「仮設の道」のように、ここにもまた、カジュアルさと神秘性が市松模様の白黒のようにまじわらずに両方あって、ああ変な感じ。
こういうのは、岡田さんの「つぎの」感じだったりするのかな、と勝手に楽しみにしています。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017-12-31
2017落選展を読む 4 「今泉礼奈 熱がうつる」 上田信治
2017落選展を読む
4「今泉礼奈 熱がうつる」
上田信治
今泉礼奈 熱がうつる ≫読む
白木蓮や病院の窓ひとつ開き
蜂蜜は光溜りや春の風邪
作品とは「あこがれ」なのだ、と考えてみる。
つまりなにか「いいもの」を作って、自分(と世界)に贈ろうとするわけだけれど、その「いいもの」は、無限に遠くあって、まだ自分のものになっていないものでなければならない。
それが「あこがれ」なのだ、と。
(どろどろのげちょげちょの作品も、誰かにとって必要な「いいもの」あるいは「おくすり」として「あこがれ」られているはずだ)。
「白木蓮」の句。はくれんが咲くむこうに病院があって、ひとつだけ窓が開いているので、そこに心が行ってしまう。見上げている人は「病院から外を見ている人」の心にあこがれている。
あるいは、風邪の人が、テーブルか棚にある「蜂蜜」のびんを見上げているという「あこがれ」。
春から夏の光線、あたたかさ、上向きの視線といったモチーフが繰り返しあらわれる50句だ。
風船を朝の光の滑りをり
若楓薄く冷たく光りけり
葉桜や友ほつそりと欲少な
挙げた句は、みな、明るいものに、かすかなマイナス要素を組み合わせて構成されている。テクニックとして使えば、単調になるし、意図を見透かされるけれど、これらの句は、マイナスとも言えないほどのかすかな陰りを得て、それが心理的な具体性や奥行きになっている。
「風船」の句。光の動きが意識されていることから、朝早く、部屋にころがったそれを(なんなら布団から)見ている場面を思った。
「葉桜」の句。この人は、その友だちのことを、とても「いいもの」だと思っている。自分は、それほど、ほっそりともしておらず、欲も少なくないのかもしれない。葉桜の、生命力とか光とか影の要素が、自分と友だちに行ったり来たりしながら、分けもたれている。
春暑し手鏡に顔収まらず
退屈な顔が窓辺に花は葉に
陰りが可笑しさに転化したような句に、両方「顔」が出てくるのは、なんなんだろう。可笑しい。
この人は、あたたかく好ましい、この世の「いいもの」を価値として書いている。
しかし書かれたものは「いいもの」そのものではないので、受け取ってもらうためには、それが「あこがれ」の高さにまで高まっていなければならない。
その抽象性のレベルを得ているかどうかが、作品になっているかどうかの分かれ目だ。
白木蓮の木の黒々と曇りけり
遠雷や浮世絵のみな肌白し
白日傘に囲まれ歩く男かな
構図で書かれている句がいくつか。それぞれいい句だけれど、この人にとっては、その「いいひと」性を押し進めることのほうが、遠くまでいくという意味で、チャレンジなのではないかと思う。
あをぞらのけふを愛して山法師
ふらここのおくれてひとつ高くゆく
明るいばっかりの絵に見えるじゃないですか。でも「山法師」ったら、暗い植物ですからね。ああ「あこがれ」ているなあ、いいなあ、と思った。高くゆく「ふらここ」のあぶなっかしさも、ふくめて。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017-12-17
2017落選展を読む 3 「青本瑞季 みづぎはの記憶」 上田信治
2017落選展を読む
3「青本瑞季 みづぎはの記憶」
上田信治
青本瑞季 みづぎはの記憶 ≫読む
野遊びのきれいな耳についてゆく
髪を短くしている人の、後ろから見るとめだつ耳。耳は皮膚がうすくてエロティックなパーツであり、季語「野遊び」のウラ本意は「ちょっと異界まで」なので、この人は、コミュニケーションがとれないその人のあとを、奧へ奧へとついていってしまう。
痣がちの四肢を余せり夏館
四肢をもて余すとは思春期の謂いであって、その皮膚が白く痣がちであるゆえに、夏館を出られず退屈をしているとなれば、それはほとんど「お嬢様」と言っていいような、いたいたしく、ナルシスティックな主人公である。
虹見せてくる眼球はすこし丘
眼球は、たしかにひとつの光学的機構であって、わたしよりもセカイの側に属するのかもしれない。「丘」すなわち地形的スケールの巨大な眼球によって、わたしはセカイの一部として、放下したように虹を見せられている。
むずかしいことを勇敢に試みている書き手。
現実と半ば切れ、半ばつながった言葉で、心理的なものや抽象的なものを描こうとしている。
上に挙げた句は、肉体のパーツをてこに、「それ」を架構し、手渡すことに成功している。
「それ」とは、言葉でたちあげた、この世にない、あやうい細工物のようななにかだ。
いまアニメでやってる市川春子の「宝石の国」みたいな(ト言ったらほめすぎかもしれないけど)つくりものの世界。
夕暮れの桜海老なり目をなくし
灼けながらばらばらに来る犬の脚
風車西の市場の違ふ匂ひ
こゑは鋭利にくちびるを濡れ夏終はる
逝く秋がまぶしい海としてわかる
目をなくした桜海老や、ばらばらの犬は、かわいい。西の市場の書かれていないストーリーは、おもしろそう。「鋭利に…濡れ」「まぶしい…わかる」のつながりはよく分かる。
ただ、ほんとうにバランスだけで成り立っているような書き方なので、ひとつミスると世界が立ち上がらないし、読み手によりかかる部分も大きくなる。〈春の雷本の屍臭が書庫の中〉〈描きぶりが絵になる人で花のまへ〉〈ぼんやりと蟻の集まる墓のうら〉などは、この人にしてはベタだろう。逆に〈青鷺はビル光のなか展けてゐる〉などは、読み切れなかった。
打率とか、歩留まりを言い出したら、はじまらない方法なのかもしれないけれど、この人の「読める」句で数がそろったら、そりゃあすごいんじゃないかと期待させるスケールの大きさがある。
永き日を部屋まで海が照つてゐる
永き日「を」と書いたら、主体が現れなければいけないところを、肩透かしして、これも放下の感覚。「逝く秋が」と対句になっていて、海光が、春は部屋まで来てくれて、秋はまぶしく行ってしまう。これはおぼえてしまいそうな、二つの句。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017-12-10
2017落選展を読む 2 「青島玄武 優しき樹」 上田信治
2017落選展を読む
2「青島玄武 優しき樹」
上田信治
青島玄武 優しき樹 ≫読む
魂を鳴り響かせて玉の汗
なんと、大げさなと思う。「玉の汗」だけでも、ちょっと大げさな慣用表現であるのに、しかも「魂を鳴り響かせて」だ。ここには、大げささしかない。
けれど、表現には、毒をもって毒を制するということがあって、この句の主人公は、ロックスターのように美しく、俗っぽく、大げさに、自分はいま、気持ちがいいということを歌っている。
晦日蕎麦どの窓からも星空が
大晦日に蕎麦を食べている。いま窓を開ければ星が見えるだろう。家中のどの窓を開けても、今日の星はきれいだろう、いや、町中のどの窓を開けても、星は見えるよ。どうですか、町のみなさん。
大晦日とクリスマスには、神様の視点を持つ。これも、俗っぽくて大げさな発想だけれど、でも、そういう「良さ」っていうものは、あるわけです。
花は葉に花は優しき樹となりぬ
表題句。「だいじなことなので二度言いました」効果があって、しかも一回目は定型句(季語)、二回目は、主情的にひきのばされて、そこに歌いあげる高揚感が生まれている。この言い方は、ちょっとした発明。ただし、「花」は「樹」になると言えるか、葉桜を「優しい樹」といえるか、という表現上の弱点はある。
伊勢の子は伊勢の桜に遊びけり
この地名はもちろん交換可能に見えるけれど、この人が、目の前にいる子どもたちを肯定し、かつて(おそらく)伊勢の子どもであった自分を肯定する二重性において、ちゃんと鍵がかけられている。つまり、そのときこの人が、伊勢の子どもと桜を言祝いだことは、交換できない。地名のリフレインという手は、先例がなくはないかもしれないけれど、これは、いい句。
2017角川俳句賞「落選展」
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2017-11-19
2017落選展を読む 1 「安里琉太 式日」 上田信治
2017落選展を読む
1「安里琉太 式日」
上田信治
安里琉太 式日 ≫読む
摘草やいづれも濡れて陸の貝
草を摘むために、身をかがめると、いくつもかたつむりがいて、どのかたつむりも、濡れている。伸ばした手やくるぶしのあたりに、かたつむりが触りそうで、とてもきもちがわるい。「陸の貝」とわざわざ言うのは、それがそこにいることの違和感のあらわれだろう。
この皮膚感覚にうったえる巻頭の一句は、じつは例外といってよく、作者は「式日」50句で、歳時記的モチーフによりつつ、その実在性をどこまでもうすくした、淡彩の絵巻を描こうとしている。
春筍のにはかに影を長じたる
まどろみの窓にカンナの濡れてをり
春筍に(日が差して)長い影がうまれるのは尋常のことだけれど、「にはかに」「長じたる」と書いて、認識の混乱を生じさせる。カンナについて書かれていることは、本人まどろんでいるのと窓のむこうのことなので、ほんとうかどうか分からない。
作者は、対象である「それ」を見えづらくすることで、「景物の抽象化」を試みている。これは、ちょっと流行の方法かもしれない。
ぼうたんにありやなしやの日の掛かる
椎茸に仏師の夢のなんやかや
田中裕明や岸本尚毅が、思いっきり韜晦しているときの感じを狙っているのだと思うけれど、手妻の再演として成功しているかどうか。
抽象化を急ぎすぎなのか、内容的にとっちらかったような句も見られ、50句全体を見ると、傷が多いといわざるをえないだろう。
ひとり寝てしばらく海のきりぎりす
海浜にきりぎりすがいることは、よくあるそうですね。海の近くの波音が聞こえるような家で、ああ、きりぎりすが鳴いている、あれは海のきりぎりすだ……と思いながら、眠ってしまう。語のつながりに確定しない「あそび」があって、読み解きに手間がかかるけれど、音と空間に奥行きがあって、成功していると思う。
50句中この一句というなら、あらためて〈摘草やいづれも濡れて陸の貝〉を推したい。それは「海の貝」の対照の位置にある「陸の貝」で、神経過敏な摘草の人の幻想なのではないか。たとえば若冲の「貝甲図」の草むら版のような、と妄想を楽しんだ。「陸貝」ということばは、カタツムリとナメクジを指すのだそうで、その「いづれも」だとしたら、ぜんぜん面白くないのだけれど。
>> 2017角川俳句賞「落選展」
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2017-11-12
第63回角川俳句賞受賞作 月野ぽぽな「人のかたち」50句を読む 「いま」の俳句の「いま」らしさ 上田信治
「2017落選展」関連企画
第63回角川俳句賞受賞作 月野ぽぽな「人のかたち」50句を読む
「いま」の俳句の「いま」らしさ
上田信治
落選展の50句作品を、今年は、ぜんぶ読もうと思う。
一人の作者の書いた50句を読む。それは、作者が実現しようとしていることをテーブルに置いて、それをはさんで、作者と対話をするということだ。もし、その作品に50句のひとかたまりであることの意味があるとしたら、そうなる。
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手はじめと言ってはおかしいけれど、角川「俳句」2017年11月号に掲載された、月野ぽぽなさんの受賞作「人のかたち」50句を読んでみたい。
角川俳句賞もだいぶ変わってきた。「俳句」に掲載される受賞作や候補作が、すっかり「いま」の俳句になった。それは作品を見ても応募者の名前を見てもそうだ(知ってる人ばっかり)。
それは、かれこれ十一回落選展をやってきて、俳句の賞がもっと「いま」の俳句に接続したものになればいいのに、と思っていたことの、実現である。
そして、自分が十年前から思っていた「いま」に賞が追いついた現在、無い物ねだりストである「落選展」の勧進元としての自分は、もう、とっくに生まれているはずの「つぎ」の俳句を待望している。
角川俳句賞が、もっと「つぎ」の俳句の発生を、ドライブするものであればいいのに。
というか、自分が「つぎ」の俳句を書いて、応募して、受賞するのがいちばんいいわけだ。
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月野ぽぽなさんは、自分がおそるおそる俳句を書き始めた場所である「恒信風句会」や「豆の木」で存じ上げていた名前だ(今年、一次通過の岡田由季さんもそう)。
『豆の木no.11』(2007)より
冬の月髪をほどいてゆけば沼 月野ぽぽな
白もくれん空の半分以上は風
人乗せて象立ち上がる秋の風 岡田由季
良き場所を譲られあたる焚火かな
ここには、この作者たちの変わらない美質があり、「いま」らしさがある。
それは、俳句を書くことと「いま」の人としての感受性が地続きである、ということだと思う。
そのことは俳句らしさに染まらないことによって、輪郭を際立たせている。
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エーゲ海色の翼の扇風機 月野ぽぽな
水かけて家壊すなり橡の花
ブイヨンに浮かぶ夜長の油の輪
潰されて車は野紺菊のもの
うそ寒や蛇口のひとつずつに癖
スケートのひとびと昼を流れゆく
まだ人のかたちで桜見ています
角川俳句賞受賞作「人のかたち」(「俳句」2017/11)より。
「エーゲ海色」の句、広告ふう言葉づかいもその扇風機も、かつてのモダンとして、いっしょに古ぼけているのだというアイロニー。
「水かけて」の句、人のいとなみに向けられる、その視線のフラットさの現代性(仁平勝選考委員が「一句になるとなんとなく儀式の感じが出てくる」と評している)。
「ブイヨン」の句、「夜長」という季語が、ついでのように挿入されている地位の低さ。と同時に、ブイヨンの透明感と、夜長に油が浮かんでいるような浮遊感で、一周まわって効いているという俳句性。
これらの句は、従来型の俳句の引力圏に吸引されることにあらがいつつ、なおかつ、よい俳句であろうとして書かれている。
あらがいつつ、というのは、これらの句が、従来型のうまさとは遠いところで書かれようとしていることから感じられる(それゆえの失敗作もある)。
よい俳句であろうとして、というのは、日常の感覚やよろこびに順接するのではなく(そこに順接しないことは、とても俳句的なことだ)、なにかが俳句になった結果をよろこんでいると見えるから、感じられることだ。
「潰されて」の句。このチープな抒情と、その車が「潰されて」いるという過剰さがポップカルチャーのよさに通じる(枯草に捨てられた車は、すごく映画で見たようなモチーフだ)。野紺菊の紺が、じつは車の色なんじゃないか。
「うそ寒や」の句。蛇口が複数あって、場面が拡散しているのだけれど、その一つづつの「癖」を思っているこの人の体感が、複数の空間をつらぬいている。その構造のおもしろさ(そうそう、体感だからここで「うそ寒」とくるわけで)。
一句ごとにおもしろさのありようが違っていて、こうやって、いちいち方法を発見していくような書き方は、俳句のプロフェッショナリズムとは、ものすごく遠い。
それは「恒信風句会」や「豆の木」で、ずっと試されてきた方向性だったと思う。
一匹の芋虫にぎやかに進む 月野ぽぽな
祝祭的な句。芋虫がぶかぶかどんどんと進んで行くのが、パレードのようだ。
選考座談会では賛否が分かれた。仁平委員と正木ゆう子委員は○。岸本尚毅委員は「一匹の」「にぎやか」の対比がめだつことの限界を指摘した。
しかし、このお目出度さの前に、表現上の隙は、許されるのではないだろうかw 「一匹の」は秋の大空間を暗示して、動かないと思う。
月野さんの書く一句一句は、冷え冷えとしてさびしげであることも多いけれど、恨みがましさや「お化けだぞ〜」とやって人を脅えさせるさもしさとは無縁で、そういった自分をものものしくしない態度もまた、「いま」の人のものであろうと思う。
ぽぽなさん、受賞、おめでとうございます。
>>■2017角川俳句賞「落選展」
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2017-11-05
2017角川俳句賞「落選展」第1室
■2017角川俳句賞「落選展」第1室■
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1. 安里琉太 式日
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2. 青島玄武 優しき樹
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3. 青本瑞季 みづぎはの記憶
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4. 今泉礼奈 熱がうつる (*)
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5. 岡田由季 手のひらの丘 (*)
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2017角川俳句賞「落選展」第2室
■2017角川俳句賞「落選展」第2室■
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6. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)
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7. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その2)
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8. 杉原祐之 上堂は難し
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9. 鈴木総史 こゑを探して
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10. 高梨章 そのあかるさを雨といふ
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2017角川俳句賞「落選展」第3室
■2017角川俳句賞「落選展」第3室■
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11. ハードエッジ 豚カツ
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12. 宮﨑莉々香 うそぶく
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13. 柳元佑太 教科書のをはり (*)
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14. 薮内小鈴 東都
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2017角川俳句賞「落選展」第3室 テキスト
■2017角川俳句賞「落選展」第3室■
テキスト
11. ハードエッジ 豚カツ
大いなるシーツが飛んで花吹雪
花ふぶき張子の虎も吠ゆるかな
鬼さんもこちらへござれ花の宴
一族は亀鳴く村に住むと云ふ
かりそめの蜜にふくるる蜂の腹
ぴちやぴちやと水の音して恋の猫
噛み抱くは子猫の時のタオルなり
砂浜のこれより岩場松の芯
薄紅の唇硬し桜鯛
子鯨も乳呑むころか朧月
行く春を乗せたる象の歩みかな
花だけで終ることなく花は葉に
瀬戸内の駘蕩たるも花蜜柑
半玉のキャベツ売らるる仰向に
買ふべしや黴除の護符なるものを
客布団黴を寄せじと絢爛に
十薬に白鷺城の見ゆるかな
強きもの力あるもの雲の峰
待ちかねし快音バット缶ビール
日焼子の鼻の頭の仔細かな
金魚玉割れんばかりに赤子泣く
美しき黒の剥落揚羽蝶
ビニールも儚かりしが蛇の衣
水音の縞の浴衣でありにけり
打ち捨てて次なる町へ夕立行
蝉燃えて黒くなりたる原爆忌
寂しさに音ありとせば遠花火
白狐もとより踊上手なり
青虫の腸青き機嫌かな
さらはれて菊人形の傍らに
遠浅の刈田ありけり日が沈む
ひとつ買ひその他の虫は聞き捨てに
南瓜煮て一晩寝かす手紙かな
流星や古墳に神の剣あり
朝々に木の葉が舞へば雀らも
包まれてコロッケ熱し初時雨
木枯に金鈴を買ふ銀座かな
干布団枯野の見ゆる丘の上
ぼろ市のこれは波斯の市場より
懐しき善男善女日記買ふ
聖しこの夜の厨の煮凝よ
水族館に海の一族注連飾
女の神も乗せて目出度し宝船
この山に氷の瀧の幾柱
ゆるやかに階段状の雪として
硝子戸の外に置かれて雪兎
水仙を切つてぽたぽたしてゐたる
水仙を生けて古りゆくものばかり
老先生大学を去る桃の花
豚カツを母が作るよ春休
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12. 宮﨑莉々香 うそぶく
飴なめる舌のびのびと花ぐもり
昼は春みんなで銀杏をわける
球根をならべもどれないんだよもう
文学が都市とは別にあるつばめ
どこでもないわかめのながれつくひなた
やさしさが僕をはなれて芹に水
ささやかにつつじを捨ててあるきだす
ノートとるほんとつまらないね虹たち
感情を消してはちすのむれになじむ
はないばらあとがきを書き終へひとり
グラジオラスふちどる雨が幕のやう
夏つばめ文字が全員をあやつる
雲のみね電車でめくるめくページ
飛び込んで足にじいろになつてゐる
まつりまちなみその後をもどかしくうそぶく
ほうせん花鯉をみつめてゐてしやがむ
なぜだらう朝顔にゆるむくちもと
狂ひつつ口がすいかをたひらげる
つくつくぼーしいつものコーヒーをたのむ
コスモスばたけみんながねぢまきでうごく
九月きつとこれはだれかのための夜景
霧ふかいところ真顔になる紳士
無意識の銀河が声なんだすべて
こほろぎをつかんで匂ふ普通の手
秋のゆうやけかばんから出すボルヘス
或る林檎どこか演劇めく窓辺
くつわむしはりがねじぶんからまがる
消しゴムで消したくらいに白い月
怪我をしてなにもがみにくくてささなき
寒林をいつかの書庫としてあゆむ
たき火してゐる息をしてゐるすばらしさ
なにもかも記してもとのすがたしぐれる
手をつなぎむなしくなつてゐる白鳥
ポインセチア地面に鳴らす傘の先
ハサミてざはりのつめたい花を出す
正月が来てなんとなく食べる海苔
歌留多のなかに日の丸と部屋がある
はるの青ぞら少しだけ生きながらへる
機械からうごかなくなつてつちふる
パンジーを見るもごもごとしてしまふ
あ、風船。アパートの平坦な壁
立ちどまるなかをさくらがふつてゆく
暗やみがくくたちのすべてのひとひ
なのはなにほほゑみはあるけれどない
楡の花実家の子ども部屋のくらさ
麦の秋鳴るだけのピストルを撃つ
虹を見てゐて片方の手で振り合ふ
かたつむり家族ふるびていくところ
くるぶしほうたるわかりあへないとつぶやく
くたびれて夏野を最高に行かう
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13. 柳元佑太 教科書のをはり (*)
教科書のおもての照りや春疾風
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
薄氷のうへの冷たきにはたづみ
苗札やその陰に芽をかかやかし
うららかや贋作のあをうつくしく
化けさうな猫に子猫のありにけり
春の夜の字幕の愛のつたなけれ
バベル以後塔のかなしさつばくらめ
さはれずの墓たちのぼる紫雲英田は
函館に花前線がぶつかりぬ
その人の喪が白藤のをはりどき
見えてゐる藤のかをりを云ふべしや
翻訳を経て名文やおじぎ草
はつなつや布を帆と呼ぶこころあり
影為すにものとひかりぞ夏雲雀
陽炎とおもふあたりの揺らぎやう
チョコ溝のチョコ片を吹く涼しさよ
夜明まだ夜のごとくあり柿青く
サルビアや絵は船旅を経て額に
なみおとになみたはぶれてなつのくれ
夏たけなは丘全景に墓の照り
舐めて酸き己がくちびる炎天下
夏痩を灯なき蝋燭にもおもへ
さるすべり佳き平仮名にぐりとぐら
けふよりの旅靴に竹落葉かな
柚子の花骨壺に骨ひとりぶん
たなごころいちめん早稲となりてゐし
うす布に月を磨けば淋しからむ
その裏にみづうみ澄めり盲学校
かりそめの黄泉かとおもふ苅田かな
まなうらの大いなる稲刈られざる
濡れ椅子拭く濡れ雑巾や運動会
気化それに伴ふ冷えの苅田道
たふたしや月の入江に月の波
さはらずの琴ありにけり秋出水
蔵書庫におほきな柱秋深む
その人をかたどるに菊つめたかり
湯捨てれば曇る鏡に冬たちぬ
その前に雪だるまあり百貨店
終に火の崩すは焚火自身かな
寒き世の挿絵をつぎつぎとカリブー
かの寺へ雪目童子を負うてゆく
なはとびの淋しき人となりにけり
凍星なつかし利器灯し確かめよ時刻
一月の日は凍てながら落ちにけり
しかうして田はいつも雪ふるところ
月光の中に浮かびし冬の月
かつて軍都ビルのあはひを雪とべる
冬の夜の小指の纏ふうすあかり
教科書のをはりの雪の詩なりけり
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14. 薮内小鈴 東都
呉爾羅へと巻く朝顔が窓のそと
台風の橋桁あまた翼寄す
つくつくし淡き声する旅人も
祭帯締め合ひけふの秋薊
見覚えし路また鰯雲へ向き
おもかげの島は葦原鯊を釣る
青蜜柑ゆふべの卓に汐微か
キーボード閉ぢ芋虫の如く指
磨硝子ごしに瓢箪濡れ初むる
入口と出口の猫や秋の径
鉄骨を組めばゆらりと芒原
天の川珈琲売の去りしあと
きはやかにお釜語飛びぬ秋時雨
蒲団干すラーマ九世逝去して
神留守のふと思ひたる狐穴
色の羽根なけれど亀に落葉かな
冬川やむかうに塔の影とどき
指先をつまみ手袋拾ひけり
羽ばたける井の頭なり檻の鷲
富士山の先に日の入る冬至かな
骨董屋カトレアは星雲めきぬ
揚げたての白子が震へ寒の入
北風や金柑夜へくすみゆく
髪に髭に日の透けてゐる枯木立
湾口の深き谷ぞこ鮫古び
鳩ぴしと散らしたる店浅き春
そのままに春菊ぱらり滴落つ
仕立屋の足踏ミシン梅の花
日光より猿来りけり春の土
遠霞揺れる電車のまつすぐに
つちふるも夢を過ぎつつ鸛
お彼岸や渋滞解けて花の夕
影浴びるほどは仰がず桜かな
崖縁の巣箱や下に記念館
次次と石鹸玉いで静けさよ
看板の青みたる路地水草生ふ
海渡り橋はもぐりぬ月朧
若楓みじかき裾の集ひては
噛みがちのラップを越えて水馬
茂りゆく端に自転車籠の触れ
夏燕もう魚市場灯るらむ
音涼し下水落ちゐる富士見坂
あぢさゐを辿り天井桟敷かな
梅雨菌長耳ありし犬とほく
渦よつつ冷し中華の文字へ振り
南風に貝殻そへて鉢数多
羽田から入る密林西日さす
祭への潮きこゆや獅子頭
月見草カリー屋今は伽藍堂と
一客の湯呑置かるる雲の峰
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(*)一次予選通過作品
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2017角川俳句賞「落選展」表紙
2017角川俳句賞「落選展」
作者名アイウエオ順
■第1室 ≫読む ≫テキスト
1. 安里琉太 式日
2. 青島玄武 優しき樹
3. 青本瑞季 みづぎはの記憶
4. 今泉礼奈 熱がうつる (*)
5. 岡田由季 手のひらの丘 (*)
■第2室 ≫読む ≫テキスト
6. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)
7. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その2)
8. 杉原祐之 上堂は難し
9. 鈴木総史 こゑを探して
10. 高梨章 そのあかるさを雨といふ
■第3室 ≫読む ≫テキスト
11. ハードエッジ 豚カツ
12. うそぶく 宮﨑莉々香
13. 柳元佑太 教科書のをはり (*)
14. 薮内小鈴 東都
(*)一次予選通過作品
■作者プロフィール ≫読む
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2017角川俳句賞「落選展」作者プロフィール
■安里琉太 あさと・りゅうた
平成六年沖縄県生まれ。現在、沖縄在住。中原道夫、佐藤郁良に師事。「銀化」「群青」同人。俳人協会、沖縄県俳句協会、琉球大学俳句研究会a la carteに会員として所属。受賞歴に、第十六回銀化新人賞、第二回俳句四季新人奨励賞ほか。
■青島玄武 あおしま・はるたつ
熊本県在住。『握手』の磯貝碧蹄館に師事。熊本県現代俳句協会副会長。現代俳句協会会員。『新選21』に選ばれなかった方の『新選21』世代。
■青本瑞季 あおもと・みずき
1996年広島県生まれ。「里」「群青」同人。
■今泉礼奈 いまいずみ・れな
平成六年、愛媛県松山市生まれ。「南風」会員。
■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ「続ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」
■片岡義順 かたおか・ぎじゅん
1944年大阪生まれ 4年前から老人大学等で作句はじめる 結社等には参加せずフリー “若干73才”天下の素浪人 若者とのジェネレーションギャップを楽しんでいる
■杉原祐之 すぎはら・ゆうし
昭和五十四年生。平成十年「慶大俳句」入会、平成二十二年『先つぽへ』刊行
『山茶花』、『夏潮』
■鈴木総史 すずき・そうし
1996年(平成8年)生まれ。東京都狛江市在住、立教大学に在学中。高校3年生の時に俳句甲子園をきっかけに作句開始。2016年夏より本格的に俳句に取り組むことに。櫂未知子、佐藤郁良に師事。「群青」同人で、現在、企画部長を務めている。「鷹」会員、俳人協会会員。
■高梨章
昭和二十二年一月一日生まれ。俳句歴八年。所属結社なし。
■ハードエッジ
2012より、twitter専業俳人
2014秋、「55DB」を運用開始
(55万句の俳句データベース/桐v9)
2017春より、ブログ少々
■宮﨑莉々香 みやざき・りりか
1996年高知生まれ。「円錐」「オルガン」「群青」に参加。
■柳元佑太 やなぎもと・ゆうた
1998年北海道生まれ。早稲田大学一年生。「澤」所属
■薮内小鈴 やぶうち・こすず
1968年生まれ。2016年「クンツァイト」入会。
2017年7月詩句集『サルの国』刊行。
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