2025-09-14

小笠原鳥類 俳句の人が詩の人

俳句の人が詩の人

小笠原鳥類


高橋修宏『鈴木六林男の百句』(ふらんす堂、2023)を読んで、「週刊俳句」第860号(2023年10月15日)に書いていました。「深夜音楽」


高橋さんの新しい詩集『Echo Island』(思潮社、2025)を読んで、小笠原鳥類のnote(2025年9月3日)に書いていました。「「海鳥の羽撃きでもない」(51ページ)のであれば陸の鳥だ」


高橋さんの詩集『水の中の羊』(草子舎、2004)を読みます。動物がいるところから「」数字はページ

「テレビが入っていたのか

キャベツが入っていたのか

鶏の卵が入っていたのか」8

アンモナイトを(うぐいすが)見つけるのだと木と蟬のように、麗しい・驚く・昆布。

「水を飲む犬の舌でもない」12

動物が柿をペンギンになりたいと思いながら〈ここ〉である。

「その果実をついばむ

小鳥たちのように

うしなって うしなって うしなって」22

繰り返すと、別のものになります。牛に変身する牛に変身する牛に変身

「きみの中の羊たちは

清潔な水の匂いを好み

水底の透明な学校を好み」68、69

バウムクーヘンを持って来ている畳に知らない。スポーツも、いいものだ

「葉裏で羽を休めているシジミチョウも

わたしも わたしの中のバクテリアも」76

砂、窓、行っているハト、きくらげ(喜んでいるドロドロ)きくらげ、鱏

「灰色の碗はカブトムシを隠し持つ器」83

壁を見ている恐竜はアライグマがいいと言う演奏だ。いい靴だ

「(わたくし わたつみ わたりがに)

  (わたくし わたつみ わたりがに)」94

豆腐を、こんにちは

鈴木茂雄【野間幸恵の一句】多角形

【野間幸恵の一句】
多角形

鈴木茂雄


透明な多角形など足して秋  野間幸恵

この句は、現代俳句の枠の中で独自の感性と抽象的イメージを駆使して、「秋」に新たな解釈を提示する作品である。伝統的な自然描写から一歩踏み出し、幾何学的な「透明な多角形」を通じて季節と内面的思索を融合させる。

揚句は、句跨りという俳句的手法を駆使して、5-7-5の音節構造にほぼ準拠させ、明確な切字を外した点で現代俳句の自由な形式を体現する。「透明な多角形」は具体的にはとらえにくい抽象的概念であり、記憶、感情、思考の複雑な層を象徴する。「など足して」はこれらの要素を秋に加える行為を示し、単なる自然描写を超えた内面的体験の重なりを表現する。「秋」は伝統的季語として季節感を根付かせ、読者に親しみやすい基盤を提供する。この句は秋の風景に個人的思索や感情を重ね、季節を多角的に再構築する試みである。例えば、透明な多角形は秋の清澄な空気や移ろいゆく心象風景を視覚化するメタファーとして機能する。

現代俳句は伝統的な自然中心のテーマから離れ、個人の内面や社会的視点を反映する傾向が強い。本句は、この流れに沿い、抽象的イメージで内省的世界を表現する。従来の俳句が紅葉や露など具体的な自然物を詠むのに対し、「多角形」の幾何学的イメージは現代的感性と知性を強調する。秋を単なる季節ではなく、思考や感情の複雑な交錯としてとらえる機会を読者に与え、現代俳句の表現の多様性と自由度を象徴する。

本句の魅力は抽象と具象の融合による思索の深さにある。「透明な多角形」は自由な解釈の余地を与え、秋に新たな視点を付与する。透明性は秋の澄んだ空や静かな心持ちを、多角形は人生や感情の複雑さを暗示し、独自の詩的空間を生み出す。一方、伝統的俳句に見られる即物的な感覚や共感を呼び起こす力は控えめである。具体的な自然描写(例: 落葉、秋風など)が少ないため、読者によってはイメージの具体化が難しい場合がある。しかし、この抽象性は現代詩の挑戦として評価でき、俳句の表現領域を広げる試みである。

「透明な多角形など足して秋」は現代俳句の可能性を体現する作品である。伝統的季語を用いつつ、抽象的イメージで内面的世界を表現し、秋に新たな解釈をもたらす。斬新さと知的なアプローチは現代詩に匹敵する一句と言えよう。