2007-09-23

世界俳句協会大会日記 長谷川裕

世界俳句協会大会日記 ……長谷川裕













この9月14日から16日の三日間、上野の水月ホテルで第4回世界俳句協会大会が開催された。

第1回スロベニアのトルミン市、第2回奈良の天理市、第3回ブルガリアのソフィア市、そして今回の東京大会というわけだが、あたしは初参加。そのご報告を。



13日(木・晴時々曇)


9時起床、朝食、コーヒー、ジャムトースト。
12時半、渋谷。立ち食い蕎麦屋で昼食カツカレー。東口ビッグカメラで、大会の撮影用にと考えていたニコンのD40Xを触って見たが、急にお金が惜しくなっ てきて買うのを止め、高速SDカードを一枚だけ買う。
2時、日暮里から京成スカイライナーで成田へ。空港ロビーで秋尾敏さんと落ち合い、インドの俳人Praval Kumar Basu氏をお出迎え。

秋尾さんは本日午前中も別の参加者を出迎え、ホテルまで送って京葉道路をトンボ返しの由。成田空港の出口は二つに分かれているので、出迎えにはどうしても二人必要なのだ。A4の紙にプリントアウトしたWHA(世界俳句 協会)のロゴマークをかかげ、ただ突っ立つ。なんか間抜けで情けない。

Praval氏はすぐ気付いてくれ、さっそくカタコトでご挨拶。秋尾さんのクルマで上野へ。渋滞無しで六時、池之端、水月ホテルに到着。秋尾さんはクルマの置き場がないので、そのまま帰宅。あたしはPraval氏のチェックインを手伝う。

「チープマーケットはないのか」とのことで、アメ横へご案内するが、マツタケとかマグロのトロの切り身とか、そんなんばっかで意に沿わぬようであった。すいません。

アメ横見物を終えてPraval氏と別れ、山手線で恵比寿経由、帰宅。中途スーパーで食材を買う。9時半、ナポリタンスパゲティを作り、昨夜の味噌汁で夕食。阪神勝つ。安倍前首相の病気は神経性の胃腸炎による全身衰弱とのこと。今朝買った高速SDカードの転送速度をチェックしてみたが、ぜんぜん変わらず失望。インドの方と会話したのは生まれて初めてであった。12時半就寝。

14日(金・晴)

6時半起床、朗読する予定の俳句英訳をチェック、かみさんの助けでスペイン語訳。朝食、ジャムトースト、紅茶。十時、渋谷、ビッグカメラでフィルムを買う。立ち食い蕎麦屋のコロッケ蕎麦不味し。

本日も日暮里経由で成田。今日は石倉秀樹さんとOrlandoGonzalez Esteva氏と夫人をお出迎え。中国語が堪能な石倉さんは、二時間後に北京から到着する蔡天新さんをご案内し、あたしはカタコトのスペイン語で、先着のGonzalez夫妻を先にご案内という手はずなのだが、飛行機が到着してから一時間半待ってもGonzalez夫妻は現れず、諦めて石倉さんと二人でラーメンを食う。

食い終わって出たところで館内放送があり、Gonzalez夫妻とインフォメーションカウンターでお会いできた。Gonzalez夫妻と京成スカイライナーで上野駅へ。てっきりメキシコ人とばかり思いこんでいた が、フロリダ在住の亡命キューバ人なのであった。5歳の時に亡命して、以後五十年間アメリカ暮らしであるという。英語、スペイン語の両刀遣いであられる。上野駅から歩いて水月ホテルへご案内する。

6時前から世界俳句大会基調報告、歓迎会はじまる。夏石番矢氏の司会。パーティ会場の食事、鶏のからあげ、寿司、その他恐るべきものなり。

Praval Kumar氏、ラトヴィアのLeons Briedis氏、アメリカのJim Kacian氏、Gonzalez氏らと二言三言カタコト国際交流してから、9時、会場を抜け出し、千代田線経由中目黒10時。立ち食い蕎麦、いなり寿司一個が夕食。自民党総裁選挙、ほぼ福田氏で決定の様相。麻生は党内でまったく人望なしと判明。終日外食ばかりですっかり気持ち悪くなってしまった。顔を洗って12時就寝。

15日(土・晴)

7時起床、朝食、かみさんの作った野菜スープ、トースト。8時半、首都高速経由で上野、水月ホテルへ。駐車場満杯で上野公園下の地下駐車場へクルマを置き、9時半、世界俳句大会会場へ。

Gonzalez氏の講演は、俳句の他国語への翻訳についてであったが、あたしには大いにうなづける内容。翻訳は正確であることはもちろん大事だが、正確さのみを追求するあまり、肝心のポエジーが死んでしまってはなにもならない。たとえ語順が入れ替わろうが、翻訳された言葉が詩になっていなければ意味がない云々。

つづいてJim Kacian氏の、アメリカにおける俳句出版の状況についての講演が終わったところで昼食。乾いた刺身、ワケの分からない切り身の焼き魚、どんくさい味噌汁などの和食畏るべし。

Gonzalez夫妻、昼食を逃亡。クルマでリトアニアの前教育科学大臣Kornelijus Platelis氏を明治大学の会場へお送りする。中国短詩の流れを解説した祭天新氏の中国語、漢詩朗読とてもきれいであった。ルーマニアのVasile MOLDOVAN氏、ラトヴィアのLeons Briedis氏がそれぞれの母国の俳句状況を報告したあと、夏石氏の講演「世界俳句の未来」で、講演終了。

葛飾北斎の浮世絵を例に引いて、小さなもの、見捨ててしまいそうなモノばかりを詠うのが俳句ではなく、原初的な荒々しいもの、宇宙的なるものまで詠んでしまえるのが俳句であるとの指摘。

講演が終わり、23階のパーティ会場へ。夕食、水月ホテルよりはるかにましな寿司などつまむ。クルマなので酒が飲めない不幸。天童大人氏のパフォーマンス詩朗読、ジュニア俳句コンテストの入選句発表などあり、参加者俳句朗読で、あたしも自作二句詠む。


口開くとき一本の曼珠沙華

When open our mouth
we find
one flower of équi-nox

Cuando abrimos nuestras bocas
encontramos
una flor de equinoccio



炎天の池に飛び込む普通の亀

One ordinary tortoise
jumped into an ordinary pond
under the burning sun

Bajo el sol ardiente
una tortuga cualquiera
brinca a un estanque cualquiera


ラトヴィアのレオンス・ブリエディス氏の編纂になる雑誌をいただく。秋尾敏氏、石倉秀樹氏、松岡秀明氏、清水国治氏、宇井十間氏、羽田野令氏、木村聡雄氏等々と歓談。ラトヴィア語、エストニア語、リトアニア語ちんぷんかんぷん。彼らも間違いなく日本語ちんぷんかんぷん。国際的って大変。それでもカタコト英語で和気藹々となれるというか、なってしまう。8時解散、空いている都心をクルマで飛ばして9時前帰宅。12時就寝。

16日(日・快晴)

8時起床、朝食葡萄パントースト、紅茶。10時10分、千代田線根津、10時15分、水月ホテル。すでに出発していた上野講演界隈吟行のご一行に不忍池、弁天堂で追いつく。

上野公園を抜け、鶯谷まで歩き、原色のラブホテル街のどまんなかを突き抜けて、俳味あふるるボロ屋の子規庵(戦後、失火で焼失。いまはレプリカである)へ、皆様をご案内する。

狭い子規庵が二十数人で潰れそう。写真を撮ってはいけない、そこに触ってはいけないと、管理者の方が注意なさる。子規庵の庭だから糸瓜がなっており、鶏頭も植わっている。一同、それぞれ即吟、その場で朗読し合う。英語の句もあり、日本語の句もある。おたがいよく判らないけれど、なんだか楽しい。みんな大声で笑ったら、子規庵の管理者に他のお客さんもいらっしゃいますからお静かにと、また注意されてしまった。

豆腐料理の笹乃雪で昼食、 例の豆腐地獄の。あたしと違って礼儀正しい方々なので、メインディッシュはまだかなどとは、誰も言わない。

2時、水月ホテルに戻り、句会。たまたまこのホテルにいた方も飛び入り参加。こういうところが俳句っていいやね。4時解散。千代田線で中目黒5時。プレッセで食材買う。伊勢脇商店街の八百屋で生姜を買う。6時半、自炊で夕食、またもやスパゲッティナポリタン。買ってきた生姜を甘酢漬けにするが、もう季節外れでゴワゴワしており不味そ う。シャワー。11時就寝。

17日(月・快晴)
9時起床、朝食、ベーコンとアスパラのサラダ、梨、ぶどうパントースト、紅茶。日常の仕事に戻り、原稿整理。四時、東急ストア買い物。夕食、麻婆豆腐、茄子のナムル、水菜のベーコンサラダ。玉葱とシイタケの味噌汁、ご飯。阪神勝ってふたたび首位回復。

夕刻、夏石氏からメールの転送、Gonzalez氏からで「YUGATA」によろしくとのことであった。ナ ハハハ。さんざん「ユカテコ」(ユカタン人のこと)でもなければ浴衣の「ユカタ」でもない、あたしの名は「ユタカ」ですよと言ったんだが、やっぱり。

次回世界俳句大会はリトアニアの首都、ヴィルヌスで開催と決まる。ということで12時半就寝。


4 コメント:

鮟鱇 さんのコメント...

 世界俳句大会で長谷川裕さんと成田の出迎えを担当した鮟鱇こと石倉秀樹です。
 長谷川さんの洒脱のあとで、無骨で恐縮ですが、長谷川さんと私は、世界俳句大会参加の詩人たちを出迎えるのに、待ち合わせ場所を成田空港の喫煙室とした同好の士です。世界俳句大会につき、私もひと言。
 世界俳句大会2日目の二次会、私は、流れ有志のみなさんとともに、リトアニアのコルネリウス・プラテリス、ラトビアのレオンス・プリエディス、中国の蔡天新、インドのブラバル・クマール・バスの四氏と、上野のビヤホール「ライオン」でsakeを追加していました。
 プラテリス氏はソ連に対する「言葉のレジスタンス」によりリトアニアの独立に貢献した詩人・翻訳家で元文化相。プリエディス氏は、歌を民族のアイデンティテとしているラトビアの詩人、ラトビアからロシアへ伝えられ、日本でも愛唱された「百万本のバラ」の原詩の作者。蔡天新氏は、中国の有名大学で教鞭をとる数学者で、俳句十七音よりも一音少ない「十六字令」で有名な宋代の詩人蔡伸の後裔かと疑わせる詩人。俳句が世界最短だと最初に言った人は、この「十六字令」の存在を知らなかったのでしょうね。もっと短くて、十四音の「竹枝」という詩型も、もとずっと前からありましたけど。
 そして、インドのブラバル・クマール・バス氏は、俗世のことは知りませんが、初来日・初の上野をひとりで徘徊しても絶対に道に迷わないという天才的な土地勘の持ち主。私が思うに、俳句史観を根底から見直す契機となるに違いない重要な講演、夏石番矢氏の「世界俳句の未来」にもっとも敏感に反応した俳句を、翌日の句会で披露した人物です。
 月と人/互いに類は異なるが/共に浮遊す  ブラバル・クマール・バス
 四人はともにまず詩人、そして俳人。いずれもとても個性的で、その四人の俳句へのアプローチが如何ようであるか、その共通項を見出すのは、困難だし、はじめから無意味。
 プラテリス氏は「言葉のレジスタンス」の将軍にふさわしく、傾聴の天才。その風貌は、部下の戦況報告を冷静沈着に傾聴し、相手を倒す戦術よりも自分を生かす戦略に思いを巡らせているように思えました。サングラスがとてもよく似合っていました。
 英語がグローバルである中で、直接的にはポーランドとロシアという大人口の言語に囲まれた小人口言語であるリトアニア語は、ギリシャ語・ラテン語、さらにはサンスクリット語の痕跡を残し、印欧語族の祖形を最も豊かに今日に伝えている言語であるらしい。
 つまり、印欧語族数十億人の祖霊が、リトアニア語を祝福しているのかも知れない。
 そういう言葉の富とロマンを、バルト海沿岸の人口二百万人にも満たない小国リトアニアの国民が守っているということの重みを前にすれば、俳句にしろ短歌にしろ、ささいな言葉の表現技術の磨き合い(しばしば競争)にうつつを抜かしている日本人の言語感覚は、燕雀の尽きないおしゃべりの如くで、鴻鵠の志をなんぞ知らんや、ではないのか。2009年の世界俳句大会が、当年ヨーロッパの文化首都となるリトアニアのヴィルヌスで開かれることは、燕雀の一個である私にとり、鴻鵠の翼の影に身を置くことのできる生涯最初で最後の機会になるだろう、と楽しみに思った次第です。
 プリエディス氏の祖国ラトビアは、ソ連からの独立の際に、国民が、互いに手をとりあって人間の盾を延延と繋ぐ鎖とし、国土を守り独立へと導いた国。しかも、彼らは、ただ手を繋いでいただけではなく、歌を歌っていたのです。民族伝承の歌を、おそらくは昼に夜に。そして、今も、五年にいちど、何万人もの大合唱団を組織して、歌う祭りを開催する。
 そういう国の詩人プリエディス氏は、六カ国の話者ですが、ゆっくりと話してくれる英語がよく聞き取れず、お互い、何かを熱心に伝えようとしていることはわかるが、何を伝えようとしているのかがわからない、という状況でした。残暑厳しいなかで、今はとてもいい季節だ、わたしの国はもう雪が降っている、といわれても、私はとまどうばかり。
 意思疎通にいちばん時間がかかったのは、私に詩集をくれと頼まれたことです。私には自家版の漢詩の詩集はありますが、和訳はしてあっても英訳はありません。そういうと、それでもいい、われわれには優秀なスタッフがいて、日本語でも中国語でも、翻訳できる、というのです。わたしの頭には、ラトビア語の俳句集をいただいても、それを拝読し味読できる組織は日本にはめったにないだろう、となってしまいますが、ラトビアには、日本語であれ中国語であれ、それを読むことができるネットワークがあるようです。少なくとも、プリエディス氏にはそれがある。
 そういえば、二日目の午後の講演では、妙齢の金髪のご婦人が聴講していて、私の眼にとまり、気になりました。わたしは、その雰囲気から、俳句に興味があるアメリカ人かと思っていましたが、講演終了後、プリエディス氏となにやら話をしていました。実はラトビア大使館の人だった、と後日、とあるテレビ番組で知りました。
 日本の文化は海外から学ばれていますが、わたしたち日本人は、誰にどこで何が学ばれたか、ということにあまり関心を持っていません。だから、世界へむけて発信していかなければならない、ということばかりが往々叫ばれるだけで、どこの誰へ何を、ということが、いつまでもわからないまま。
 中国の蔡天新、インドのブラバル・クマール・バス両氏は、上記お二人とは対照的にそれぞれ数億人の話者を誇る言語大国からの参加です。この両大国は、言語だけでなく詩の大国でもあります。バス氏に私は、日本では、五音と七音が日本語の韻律に適うと広く説かれている、インドも、五音と七音を韻律としているのか、と聞きました。五音も七音も韻律である、しかし、六音も八音もある、曲によってどれを使うかだ、云々。
 少々専門的な話で恐縮ですが、私がやっている中国古典詩にも、五言・七言の絶句・律詩の他に、詞曲と総称する定型詩体があります。絶句、律詩が、一句定数音であるのに対し、詞曲は、日本の短歌や俳句同様、長短句をおりまぜて一篇の詩とします。そういう詞曲には、韻律に適う句作りの音数として、一音から九音まであり、それらを組み合わせた定型詩体の数は、1000を超えています。五七五に作る漢俳は、1000の中の一つに過ぎません。詩を五七五に作ることだけが韻律に適う、と言おうものなら、笑われるだけ。
 だから、俳句は五七五に作らなければならない、字あまりや句またがりは、上五・中七ではよいが下五はきっちりと収めなければならない、などという日本の俳句の韻律論は、世界俳句に共通のインフラには決してなりえないのですが、実をいえば、俳句をどう作るかということは、四氏とのsakeの席ではいささかも話題になりませんでした。
 考えてみれば、俳句は短い、ということの中で、何をどう生かすか、ということは、世界共通の俳句の命題ではありえても、世界に広がる多民族多言語のなかでそれ以外に、互いに共有し同化すべきものがどれだけあるか、です。季語はナンセンスを極め、五七五やさらにプラスアルファの七七は、日本にはどうしてそれだけしかないのか、となるだけです。そういうことよりも、sakeの方がきっと大事。
 しかし、そこを踏みとどまってもう少し愚考すれば、日本人同士の間では、結社というようなこともあって、俳句観の共有と異化に結構血道をあげている、と思えてきます。それって、世界から見れば、信号もみんなで渡れば怖くない、で日本文化の美風でもあるし弊風であるのかもしれません。
 自国では近隣に俳句仲間がなく、互いに孤立している世界の俳人、彼らは、結社には属そうにも属せない環境のなかで、多くは一個の詩人として、さらには一個の俳人として、俳句という表現手段のなかで自分は何がしたいかを自習している、と思えます。孤立する俳人たち、それが世界の俳人です。
 奥のほそみちでの芭蕉の孤立。山頭火の孤立。芭蕉の孤立は、曾良と一緒だったし、各地で俳諧を巻いてはいますが、それでも孤立していたに違いありません。その孤立、未踏の問題にひとりで踏み込んでいく者の孤高といった方が、よいかも知れません。
 その孤立は、あるいは子規にもきっとあった。子規を取り巻くみんなが帰ったあとで、子規は何を考えたのか。
 世界の俳人は、その深みや高みには差があれ、お互いの孤立のなかで、未踏の分野に歩を進めていく冒険者です。彼らは、遠く極東の島国が生んだ俳句などというものに興味を抱いてしまったために、近隣に同好の者なく、お互いが孤立せざるを得ない、という環境に身を置いてしまったのです。だから、必然的に、未踏の問題を自習で解いていかなければならない。
 未踏の問題を解く自習が実り豊かであるかどうかは、もとより保証されているものではありません。卑近な例になりますが、未踏の問題を解く自習の一例に、ラトビアの高名な詩人プリエディス氏が、日本の無名の漢詩人である私の漢俳を読む、ということがあります。彼にとって私のもっともミステリアスな部分は、日本人である私が日本語ではなく漢語で俳句を作る、ということであるはずです。私は、日本語の、他国の言葉を見境なく自分のものにできる娼婦のようなところが好きだし、それが日本語の長所だと思っています。
 しかし、私の日本語に流れている血は、その血量の多くが、日本に固有のものではないということが、とても気になります。わたしの日本語のキーワードは、その多くが、渡来人とともにわが国に伝えられたもので、やまと言葉ではない。「愛」したり「感」じたり、言葉のもっとも繊細な部分においても私が好んで使うのは、漢語です。わたしは、「美しい」人よりも「綺麗」な女性の方が、好きです。羊が大きく太った「美」よりは、繊細な綺羅が似合い、鹿の立ち姿のような「麗」人の方が、うつくしいと思う。
 そこで、日本語のなかの漢語の顔を立てて漢字だけで詩を作ることは、私の言葉のなかの血を洗いわけ、そのそれぞれの孕む遺伝子がどこから流れてきたかを再確認する作業でもあるのですが、そういうことの実践である私の漢俳が、ラトビアの詩人にとってどれだけ意味があるのかは、とても疑問。もしあるとすれば、私の漢俳は、その多くを漢語に負っており、中国の詩法に負っています。そのことが、彼に何らかの刺激を与えることがあるとすれば、それは中国古典詩詞の手柄です。
 さて、ここにくだくだ書いたことは、いずれも私が今、思うことです。しかし、言語を超えた詩の交流は、詩についてのお互いの理解を深めるためというよりは、自分の力で自分にとっての未踏の問題を見つけ出し、それに自分なりの答えを見つけていくことです。私が世界俳句に興味を持つのは、その未踏の問題を、よりティピカルで刺激的な形で、見つけやすいからです。日本の俳人なら、絶対にやらない、と思えるようなことを彼らはやります。何が句材であるのか、日本語に翻訳したらおよそ俳句的でない、と思えるようなことを、彼らはどうして俳句に読むのか、そういうことが、私には面白い。
 それと引き比べれば、日本の俳句の指導者と呼ばれる方々は、外国語に翻訳すればほとんど意味をなさない「てにをは」の斡旋や、弟子の日本語の表現の巧拙、つまりはお化粧の仕方の巧拙ばかりに心を配っているようで退屈ですね。素顔をどう作り変えればよくなるかを論ぜずに、きょうは何色の口紅を塗ればよいか、ということばかりを、鏡の前で考えているようです。自身の美貌に絶対的な自信を持っているのでしょう。そういうナルシストには、鏡の中には自分の姿だけあればよく、鏡の向こうに広がる未踏の原野で、裸馬で駆け巡る詩魔と出会いたい、などと思うことは、きっとないのだと思いますが、ここまでいうと、きっと書き過ぎなのでしょう。
 乱文の長文、陳謝します。

weekly-haiku さんのコメント...

鮟鱇さん、ありがとうございます。

こうしていただくと、イベントの模様やテーマが、とても立体的になります。

鮟鱇 さんのコメント...

週間俳句さん
 鮟鱇です。お言葉ありがとうございます。
 このページをご覧になる方は、若いみなさんが多いと思いますが、わたしは、日本の俳句の未来は、棺桶に腰掛けて守株を決め込んでいる指導者の遺言にではなく、みなさんの冒険にかかっていると思っています。
 そういう中で、若いみなさんが、週間俳句さんのこのページにかけている信頼と期待の大きさ、週間俳句さんが日本の若い俳人のみなさんに寄せる期待と信頼の広さ、みなさんが、わたしにとっての未踏の世界を提供してくださっていることに、感謝しています。
 棺桶に腰掛けて守株を決め込んでいる人は、天地人の掛け軸が床の間にある座敷に坐って、シロウトの俳人の俳句作りの指導に関することを述べるばかりで、未来を開くための問題提起も論争もゼロです。そこで、彼らの発言からはわたしが漢俳を作るうえで役にたつ材料は採取できませんので、わたしは、若いみなさんに学んでいます。

宇井 さんのコメント...

長谷川さんと鮟鱇さんの投稿よませていただきました。whaは今年で4回目ですが、開催のたびに参加者を刺激するようで、しばらくはその話題でもちきりになります。お二人の熱のこもった投稿をみてもそれがわかるとおもいます。次回はリトアニアでの開催でちょっと遠いですが、みなさんもご参加ください。