2007-09-02

猫 髭 与えられた状況のための最良の者

猫 髭 与えられた状況のための最良の者


嘘 で し か 言 え ぬ こ と あ り 秋 桜   津田このみ

『空蝉』十句は、【この 星 に 腰 か け て 大 花 火 か な】という発句ではじまる。偶々aikoのCD『桜の木の下』を聴いていたら挿入歌『花火』の【夏の星座にぶらさがって 上から花火を見おろして】というサビのフレーズが照応した。恋歌はジャズのスタンダードもそうだが、トーチソング(松明から片思いの炎へ転じて、片恋の歌)が多く、『花火』に続く『カブトムシ』は【鼻先をくすぐる春 凛と立つのは空の青い夏 袖を風が過ぎるは秋中 そう 気がつけば真横を通る冬】と歳時記を歌い、【琥珀の弓張月 息切れすらおぼえる鼓動 生涯忘れることはないでしょう】に至るサビは、【観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生 栗木京子】と並ぶ、aikoの青春哀歌の白眉だが、エンディングのロックンロール『恋愛ジャンキー』は【ロマンティックな真夜中は そうよ最後にいつも悲劇がいる】と【空 蝉 を た め つ す が め つ の ち つ ぶ す】の座五に照応する。空蝉は『源氏物語』の昔から、哀傷や恋のやつれの象徴として使われてきて、江戸の新内のように【身は空蝉の心地して】(『藤葛戀棚』)と、【ものの哀れ】を本意とする言葉だが、この連綿たる本意を【た め つ す が め つ の ち】潰す指には、ネイル・エナメルが花火のようにきらめく。

揚句、【嘘 で し か 言 え ぬ こ と あ り 秋 桜】と言い切ると、コスモスの揺れは重くなる。言い切らずに、【嘘でしか言えないことも秋桜】とはぐらかすと、コスモスの揺れは軽くなる。【嘘でしか言えないことを秋桜】と踏み込むと、コスモスは揺れたり止まったりする。文語と口語、【あり】と【も】と【を】による切れの違いだが、【嘘 で し か 言 え ぬ こ と】とは何だろうと顧みれば、【遠 花 火 男 は 同 じ こ と を 言 う】と、能く喋る自動販売機のような【男】が出てくるから、連作の流れで穿った見方をすれば、賞味期限の切れかかった「愛」になる。ナマモノの人間が作るモノには必ず賞味期限があり、「愛」は統計学上三年である。それ以上は、塩漬にするか捨てるか腹の丈夫な奴は食い続けるか、この腐った味がどうも堪らんわいと通ぶるか、「死」が賞味期限だと開き直るしかないが、ここまで行くと『恋愛ジャンキー』。

「愛している」、ああ、書くだけで鳥肌が立つ。嘘でも倭男には言えない台詞だ。それにD・H・ロレンスがとっくの昔(1930年)に『アポカリプス論』で、【個人は愛することができない。これを現代の公理とするがいい。近代の男女は個人として以外に自分自身を考へえないのだ。ゆゑに、彼等のうちにある個性は、つひにおなじく自分たちのうちの愛し手を殺さねばやまぬ宿命にある。おのおのが自己の個性を主張することによつて、自己のうちなる愛し手を殺すといふことなのだ。男も女もおなじである】(福田恒存訳)と看破しているから、【嘘 で し か 言 え ぬ こ と】は「愛している」ではありえない。ではロレンスの言う「愛しえない」はどうだろう。これは大江健三郎の『万延元年のフットボール』に引用された谷川俊太郎の詩のフレーズ【本当のことを言おうか】に拮抗するのではないか。愛そうとしても自己愛によって他者を「愛しえない」現代人の愛の姿は【嘘 で し か 言 え ぬ こ と】であり、お互いが遂に必要としていたのは自己愛の投影でしかなかったと気づく温度差は、さしづめ詩人であればこう言うだろう。【夜を美しくすることが 死者の眼を輝かせることが 私を悲しませる 私に触るがいい そうすれば地球の冷たさも解るだろう】(谷川俊太郎『一九五一年一月』より月のセリフ)。この「地球の冷たさ」が【この 星 に 腰 か け て 大 花 火 か な】のこの星の冷たさである。

空 蝉 や わ た し は 跡 を 残 さ な い

鏡に映った自己愛は光源を失えばむなしくなる。花火の果てた後の夜空には星すら光を失い、空蝉も地の闇に沈む。夜のなかの秋桜は造花のように乾いた音をたてる。



の そ り 来 て し や き し や き 帰 る 墓 ま ゐ り  谷口智行

俳句を詠まなくても、芭蕉の【古池や蛙飛こむ水のおと】は知られているように、盆になると人口に膾炙する川柳に【孝行のしたい時分に親はなし】がある。したがって、親不孝者は墓を洗うことに精を出す仕儀とあいなる。今年は処暑を過ぎても皮膚を噛む暑さの中、母と大洗磯崎神社に近い共同墓地まで掃苔に出向いたが、旧盆の八朔祭のど真ん中で父は死んだので、命日の墓参りも祭を迂回してゆかなければならず、賑やかな芸者衆の屋台から「おっしゃいおっしゃいおっしゃいな、好きなら好きとおっしゃいな」という嬌声を浴びながらの【の そ り】掃苔行である。「父の墓まで及ばざり片蔭は」で、墓を洗っていると汗が眼に沁みて痛いほどの炎天だったが、ひらのこぼ『俳句がうまくなる100の発想法』の最初の発想法が「裏返してみる」だったので、【墓のうらに廻る 尾崎放哉】(本では【墓の裏にまわる】と表記違い)と、自分の名前が建立者として彫ってあるのに初めて気づいた。親不孝でも長男というだけで孝行者になるようで、冷汗を流すように、墓を洪水の後かというほど水浸しにして【し や き し や き】実家まで帰って来た。

帰る途中、魚屋をまわったが、どこも旧盆なので休みだったが、そこは田舎、母の知り合いの店が特別に冷凍庫を開けてくれたので、一緒に入ると、昨日獲れたてのいい地物のマコガレイが入っていたので一匹もらい、これを刺身にさばき、味噌屋で糀味噌を、豆腐屋で新豆腐の木綿を二丁もとめ、近所の畑から貰った葱をぶつ切りにし、粗で出汁をとって味噌汁を作った。うまい。

祭とはいえ、目抜き通りには二度と開かぬ戸締めの店が多い寂れきった漁師町だが、昔ながらの魚屋や味噌屋や豆腐屋が残っているのはありがたい。生活は繰り返しに堪えられないものを削ぎ落としてゆくが、故郷のこの湊町もまた、暮しに必要なものだけが残されたような、海につながれた素朴な日々がある。

夜、母は耳が遠いので音楽など聞かないが、親戚がくれたというCDが一枚だけあり、ラジカセで聴いてみると秋川雅史の『千の風になって』だった。お墓参りの歌だった。だいぶ話題になっていたらしいが、テレビを見ないので初めて聴いた。【わたしのお墓の前で泣かないでください そこにわたしはいません 死んでなんかいません】という歌詞にどぎもを抜かれたが、これしかないので、実家にいた間、百回近く聴いただろうか。毎晩、母の購読している短歌雑誌を読みふけりながら聴いていると、窓の外に野良猫や野良犬が寄って来ては縁台に寝そべり、一緒に聴いていた。実にタイミングよく【の そ り 来 て し や き し や き 帰 る 墓 ま ゐ り】を鑑賞するには、馬鹿馬鹿しいほどうってつけのBGMだった。年をとると涙腺がゆるくなる。それを苦笑しながら都会の生活へと戻してくれたのが揚句だった。



愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り   大石雄鬼

『ハワイアン・グローリー』というカクテルがある。花房孝典が考案したもので、丸ごとのパインアップルの上部の葉の部分を切り落とし、外皮を残して果肉を繰り抜いて、その中によく冷えた1966年物のシャンパン「キュヴェ・ドム・ペリニョン」を注いで、刳り抜いた果肉をハンド・ミキサーでジュースにしたものをミックスして飲むという豪快なカクテルだが、条件があって、これはハワイの朝日が素晴らしい浜辺の一等地のハレクラニかロイヤル・ハワイアンといった高級ホテルの最上階のスイーツ・ルームのバルコニーで、シモーヌ・ペレーヌの下着が似合う美女と一緒に、ストローで朝日を見ながらチューチューすると、

  ああ、神々のネクタアよ!

という味になるらしい。

らしいというのは、まだ呑んだことがないからだが(一生縁がないとは思うが)、シャンパンの種類さえ問わなければ逗子マリーナでも出来ないことは無い。繁忙期でなければ、逗子マリーナは海が見える部屋で一晩五千円もしないで借りられる。

逗子銀座のディスカウント酒店で安いシャンパンを買い、西友ストアーでパイナップルを買い、カミサンにアッパッパではなく浴衣でも着ろといい、蚊取線香をベランダに出して、生まれて初めてシャンパンを抜こうとして顔面に栓がぶち当たって、お父さん大丈夫と声がかかると・・・【愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り】というカクテルが出来上がる。



7月2日(月)

死がふたりを分かつまで剥くレタスかな さいばら天気

〔その日の出来事〕プロ野球・オールスターゲームのファン投票の最終結果発表。楽天から8人が選出。

高浜虚子が百年前、『日盛会』という八月一杯連日句会を催したが、昨年逗子で本井英が第二会『日盛会』を開催し、これは午前と午後二回句会をやるというよりハードな句会で、十句出し十句選を二回、三十一日通しで行った。

結社『鴨』では、主宰の伊藤白潮が、「十楽会」という有志によるファックス句会をやっており、一ヶ月間、毎日十句詠み、それをメンバーにファックスして、それぞれが選句しながら進み、一ヶ月後に三百句ずつ詠んだところで、総評を行なうというもので、主宰を含めて六名で行なっていると聞く。

『真夏の出来事 中嶋憲武×さいばら天気 「一日十句」より31句×31句(互選)』の「後口上」を読むと、【炎環の結社誌で、10年以上前に「日付のある競詠」というタイトルで、ひと月の間、二人が毎日一句ずつ詠み、自選の30句もしくは31句を上下段に分けて掲載されていたコーナー】があったと言うから、多分、全国の結社や同人誌関連でも、俳誌では話題にならないが、このような俳句鍛練会の試みは行われていると思う。長い句歴を持つベテランの多くが、一度出来上がってしまった自分の作句スタイルを打破することができずに、自己模倣を繰り返していて、それなりの句で満足してしまっているという現状を打破するために、実験的な句を次々に投句し、芭蕉の言うところの【三尺の童】の目に立ち返ろうと試みているらしい。

『真夏の出来事』は、中嶋憲武×さいばら天気によるダイアローグであるが、基本的にモノローグである俳句を、あたかもダイアローグであるかのように見せる仕掛けとして、〔その日の出来事〕というその日のニュースの中から恣意的に選ばれた話題が互選の句の下に流れるのが味噌で、全く詠まれた句とは関係ないのだが、例えば9.11にあなたはどこで何をしてどんなことを考えていたかといった、時事ニュースと個人とのそれぞれの接点、あるいは接点の無さが否応なく読者の意識に語りかけるところが、逆にモノローグをダイアローグのように浮き彫りにするといった効果を出していて面白かった。タイトルに平山三紀のヒット曲『真夏の出来事』を持って来たのも往年のファンには懐かしい。

俳人は忌日句が好きだから、山田風太郎の名著『人間臨終図鑑』を引きながら年間忌日句集を編むのも一興かと馬鹿なことを考えてしまうほどだ。

今回は「愛」をテーマに意図的に読んでいるのだが、【死がふたりを分かつまで剥くレタスかな】も「愛」の句で、句末の【かな】で大きく切れるので、【死がふたり】で切ると【が】という主格の感情、好悪、可能、不可能の対象を示す助詞が強過ぎて切れが際立つので、【死がふたりを】と字余りにしてまで切れをなくして座五の【レタス】を強調する一物仕立の気配りが効いている、などと読むのはほとんどビョーキで、これは【死がふたりを分かつまでtill death do us part】というキリスト教の結婚式での誓いの慣用語で、列席者はパンフレットに『聖書』の「パウロ書簡」から「コリント人への第一の手紙」の「結婚」と「愛の賛歌」を渡されるのが通例だ。このタイトルはジョン・ディクスン・カーのミステリーから、マドンナの曲名まで幅広く使われる。つまり単に夫婦を象徴しているだけで、ここにはおいしいサラダを食べるために、夫婦でレタスを剥き、水を切る(これ重要)日常の一齣が軽やかにスケッチされている面白さを読み取るだけでいい。あたかも、〔その日の出来事〕で、【プロ野球・オールスターゲームのファン投票の最終結果発表。楽天から8人が選出】というニュースを見て、ちょっとオツなことをするねえとマイナーな球団へのスポットライトを喜ぶように。慣用語を生かした軽やかな句で、こういう秀句にはカート・ボネガットの傑作『ジェイルバード』の一節を贈りたい。【愛は敗れても、親切は勝つ】。「コリント人への第一の手紙」第十三章「愛の賛歌」第四節【愛は寛容であり、親切である、愛は】の最高のパロディである。



7月3日(火)

合歓の花太陽遠くありにけり   中嶋憲武

〔その日の出来事〕久間章生防衛大臣が「原爆投下は仕方ない」と言った発言の責任を取り防衛大臣を辞職。

句と〔その日の出来事〕の出来事が絶妙なコントラストを見せている句には、他に…

7月6日(金)

目つぶりて耳掻きつかふ羽蟻の夜   の

〔その日の出来事〕元モーニング娘。メンバーの飯田圭織が、元ボーカリストで会社員の25歳の男性と、近く結婚することが明らかに。

7月29日(日)

単衣着て着方うんぬんしてゐたり   の

かぶとむし口のまはりの濡れてをり  て

〔その日の出来事〕第21回参議院議員通常選挙投票・即日開票。与党自由民主党が議席を大幅に減らし、野党が過半数を獲得。

7月31日(火)

かはほりの漂ふチークダンスかな   て

〔その日の出来事〕兵庫県豊岡市の『コウノトリの郷公園』で43年ぶりに人工孵化で誕生。

…などが、付き過ぎず離れ過ぎずの本当にどうでもいいような面白さで楽しませてくれるが、揚句のコンビネーションは強いインパクトを持っており、【合歓の花】も【太陽】も、別の意味を持って立ち上がるような静かな力を持った句に見えてくる。わたくしは、原爆忌の句も終戦記念日の句も、戦争を題材にした句は、最初から選から外しているが、それは単純に自分がその場に居なかったからという理由だが、もしそういった日にこの句が詠まれているのを目にしていたら、ためらいなくとっていると思う。勿論戦争を象徴的に詠み込んでいるという意味ではない。意図するしないに関わらず、そういう日に、こういう平明な句が詠める姿勢が居丈高ではない分、好ましく感じられるからだ。【合歓の花】は、命名も姿も艶のある花で、水辺に映る彩りも美しい。

「与えられた状況のための最良の者」を古代ギリシャ語で「アリストス」と言うが、この句には、様々な順応を迫る圧力に対して、静かに個人の自由を守るアリストスたらんとする姿勢が感じられる。孤痩だが、雄々しいほどに。





津田このみ 空 蝉
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谷口智行 おんどれ
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中嶋憲武×さいばら天気 「一日十句」より31句×31句
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なかはられいこ 二秒後の空と犬
大石雄鬼 裸で寝る
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