2007-10-21

薄紙のなかへ 村田 篠

〔俳句つながり雪我狂流→村田篠→茅根知子

薄紙のなかへ
 ……村田 篠



風景に対して「目利き」ということがあるとしたら、それは茅根知子(ちのね・ともこ)さんのような人のことではないだろうか。目の前にあるもの、見えたままのことをうたって、面白い句ができるわけではない。そこに見えているものがなにであり、どういう状態なのか、そしてそれをどう言葉に置き換えると、どう響き合うのかを意識したとき、俳句の写生は始まる、と思う。

知子さんはそのことを、全身で察知している人である。

  き の ふ よ り 小 さ く な り し 茄 子 の 馬   知子
  薄 紙 に 包 ま れ て ゐ る 夏 帽 子

昨日の形を二重写しされることによって、茄子の馬はかえっていきいきと、私たちの目の前に現れる。薄紙のなかに見つけることによって、夏帽子ってどういうものだったっけ、と読み手は夏帽子のありようを考え始め、それぞれの夏帽子を目に浮かべる。実景がいったん言葉に置き換えられ、あらためて「もの」として立ち上がっているのだ。

  白 シ ャ ツ の 船 長 が 来 て 何 か 言 ふ    知子

この句の面白さは〈何か言ふ〉に尽きるだろう。船長が何を言ったかを書かないところが、知子さんの風景に対するスタンスをよく表している。人はいつも相手の言うことを一生懸命聞いているわけではない、というリアルさを大切にすることによって、白シャツの船長を含む真夏の海辺の風景が、あらためて眩しく迫ってくる感じがする。

知子さんの手にかかると「もの」がたちまち芳醇さを帯びてくるのも、私が知子さんの句を愛する理由のひとつである。

  海 鼠 切 る 切 れ ば あ ふ る る 海 の 水    知子
  秋 晴 や ぱ ん と 張 り た る 馬 の 尻

また、「もの」を体感でとらえ直し、一句の中に再現する次のような句も魅力的だ。

  歩 い て も 遠 い と こ ろ に 噴 水 は     知子
  さ ざ め き を 昇 つ て ゆ き し 木 の 葉 か な

さて、最後にどうしても挙げておきたい一句がある。

  い つ か 死 ぬ 人 を 愛 す る 涼 し さ よ    知子

知子さんは、私が俳句結社「魚座」に入って初めての句会で、隣り合わせに座った人である。そのときの、ちょっと孤独で、だけれどもどこか人懐っこく、年齢不詳の無垢を感じさせる女性という印象は、今でも変わらない。

〈いつか死ぬ〉という冷徹な普遍と、〈愛する〉という切なる感情を並べて置くということをさらっとやってのけた知子さんの掲句にふれるたび、私は、知子さんに出会ったこと、ひいては、俳句という不可思議なものにつかまってしまったことの幸せを感じる。


※俳句はすべて2004年刊の句集『眠るまで』より引用。




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