【俳誌を読む】
『俳句年鑑2008年版』を読む(1) 巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」小川軽舟(p30-)を読む
上田信治×さいばら天気
天気●小川軽舟さんの巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」から行きましょうか。
俳句におけるネットの存在について、姿勢がニュートラルです。まず、そのことを思いました。推進派でも擁護派でもなく、かといって忌避でも嫌悪でもない。その姿勢は、結び近くの「私たちはインターネットに怯む必要もないし、また媚びる必要もない。紙の文化がすぐになくなるわけでもない。」の部分に端的です。
信治●ニュートラルという点は、たとえば2006年の『俳句』誌の時評(2006年2月号「現代俳句時評:インターネットの功罪①」)に、福永法弘さんが、インターネット上の横書きによって、飯田龍太の「一月の川」の句の字面のシンメトリーが失われることを、大問題として書かれていたのと、対照的ですね。
天気●そうでした。「一月の谷」=縦書き賞賛については、日を改めて書くつもりです。そうじゃないだろ、と。ただし、私、個人的には、だんぜん「縦書き」派です。
信治●ぼくは、横書きOKです。むしろ縦書きにして、天地そろえにしたりすると、みょうに句が良く見えるから、警戒しなきゃいけない。
天気●そういう錯覚は、私の場合、必須(笑)。そうじゃないと、続けていられない。まあ、それはどうでもいいとして、縦書き・横書きは、ここで話のはやめましょう。
「怯まず媚びず」という態度は、私も、同じです。つまり、賛成か反対かといった対立の図式には、うんざりしています。たとえば、『週刊俳句』なんてものに深く関わっているから、「インターネット派」(笑)と思われる危険性をいつも抱えているわけですが、それは心外です。怯まず媚びず、じょうずに便利に使いたい、というのがすべて。
信治●インターネットに対して、わりと、ラッダイト的(*1)な立場をとる人が多い、俳句の世界は。
天気●はい。怯む。
というのは、俳句は「文系」なんです。実際にはそうじゃないんだけど…。だから、縦とか横とか、匿名性とか、そういう枝葉に向かってしまい、拒否感を表明する。
信治●小川さんの提言、グーグルで、自分の名前を検索してみたら、656件ヒットした、そのいくつかに自分の句や評論の感想が書かれていた。「インターネットの検索サービスがなければ、私はこの読者には会えなかったのである」というところから、はじまっていて、そこが、とてもよかったですね。
天気●そう、ネットで自分の読者に巡り会うところから、論が出発している点がおもしろいと思いました。紙媒体(俳句総合誌や結社誌)にたくさんの発表の場をもっている有力作家が、こんなふうに、思いがけなく読者を見出すんだな、と。
信治●それは、得難いものなんですね。
ほんとうに大多数の人が、インターネット上に生活圏を持つようになったら、俳句の読者というものが、いままでなかった形で、見えてくるかもしれない。そんな可能性を感じました。日本のインターネットは、まだ、参加者数が閾値を超えていないといいますが、近い将来の話。
天気●そこで、匿名性・顕名性の問題がクローズアップされるとも思うのですが、それは置いておきましょう。
俳句でネットを語るとき、コミュニケーション機能にばかり目が行きがちです。例えばBBSでのネット句会、ブログもそうかな。でも、検索ということが大きい。そのまえにデジタルデータという基盤があるわけですが…。その意味でも、この「巻頭提言」がグーグルから論を始めている点、おもしろいと思いました。
信治●検索があるから、どんな小さな発信も、それを必要としている人の耳に届く可能性がある。
天気●現実には起こりえないことですね。何年間も図書館に通って見つからない情報が、インターネット検索で一瞬に立ち現れるということが起こり得る。
信治●いっとき、豆の木周辺で言われてた「俳句2.0」(*2)じゃないですけど、俳句なんて、母体の人数が少ないんだから、もともとインターネット向きかもしれない。みんなで、なるべく、俳句について、ぶつぶつつぶやくように、発信することが、いいんじゃないでしょうか(笑。
天気●ただ、人数が少ないと「ウェブ2.0」の乗りで言われるようなロングテール(*3)の効果は、あまり大きくないと思ってるんです。尻尾のほうに埋もれている俳句は、なにもネットが登場しなくても、見つける気があれば見つかったんじゃないか。狭い世界ですから。ただ、周縁に目を向ける気がなかっただけなんじゃないか、と。
信治●でも、天気さんのおかげで、知った句はたくさんあります。
天気●それは、みんなお互いさまなんですね。
信治●見つけた人が、ちょっと書いてくれる、というのが、ありがたいんです。
天気●それはそうですね。
信治●だから、俳句をめぐる言説の場として、インターネットは機能しますよ。
無償で、熱心に書かれるネット上のマンガ感想が、同時代のマンガをめぐる言説の水準をつくっているように思うんですが、そんなようなことが、俳句にも起こりうるんじゃないでしょうか。
天気●その点は、私のこの数年の思いでもあります。句作ではない、俳句の「読み」「言説」が活性化する可能性。一般に言われているように、ブログの活発化というだけではなく、やはり検索機能と深く関わる。
それと、やはり「場」でしょう。とりわけ流動的というか動的な「場」。それこそ『週刊俳句』がめざすところ、と言っちゃっていいのかどうか。静的な「場」は、俳壇や既成雑誌や結社向きかもしれません。
さて、そこでわれわれに引き寄せた話題(笑。この「巻頭提言」で、『週刊俳句』を「場」の一例として話題にしてもらったことには、正直びっくりしました。かつ素直に嬉しい。
とくに、次の一文。「俳句において出来上がった秩序とその外に生まれた新しい動きとの交差点のような「場」を指向しているのだろう」
なるほど、そうだったのかと(笑。まあ、これは、私自身がスタートするとき考えていたことをぴたりと言い当てている。みょうに感心してしまいました。
信治●ぼくも、ずっと、自分が思う俳句のおもしろさと、俳句世間の人が言う俳句のつまらなさを、つなぎたいというか、止揚したいというふうに、思っていたことを、思い出しました。
天気●「離れた山と山のあいだを水道でつないでみる」という例の比喩ですね?
信治●はい。つないでみないと、それぞれの水位が測れない。
天気●インターネットにありながら、従来のリアルの俳句の秩序とケンカせず、というスタンスは、それほど表立てて押し出しているわけではないんですが、そこのところをみごとに見抜かれている。
ついでにもっと褒めると(笑、インターネットにまつわる紋切り型が回避されている。たとえば「ネットの功罪」とかいった議論は、よく目にします。この「10年もの」の紋切り型がいまだに繰り返されるわけです。
最初にお話しした話題に戻るようですが、この「巻頭提言」は、そうした不毛の紋切り型の議論からは、きれいに逃れています。さきほど信治さんのおっしゃった「ラッダイト的」ではない。
ほとんど当たり前のことが書かれているに過ぎないともいえますが、別の言い方をすれば、当たり前のことがきちんと書いてあるとも言える。
信治●ふつうに、世の中の動きを見て、それが俳句という「辺境」におよぼす影響について、予測されている。そして、ところどころ、非常にするどい。
子規の俳句革新、虚子による俳壇の主導は、それぞれ「新聞」と「雑誌」という、新しいメディアを用いたからではなかったか、という視点が提示されていて、それ自体は、すでに言われていることかもしれませんが、インターネットの浸透という文脈に置かれると、含意が生まれてきます。
天気●それは「ネット+俳句」にとってネガティブな含意でもあるような気もします。ちょっと飛躍すれば、数は、質を保証しない。手軽さは、メリットでもあるが、デメリットもある。
信治●その「数」は、発表される句の数ですか。
天気●それも含まれる。ネットの大きな特徴は、データの集積が容易かつ膨大かつ迅速、ということですが、俳句の場合、どうなんだろうと。よく言われる言い方ですが、ゴミの山に、またもう一句ゴミを加えて、どうする?といった…。
信治●んー、確かに。淘汰圧がはたらくところまで増えればいいんですけど。
天気●作句の場としてだけネットを捉えると、よく指摘されることですが、「集合知」ではなく、「集合愚」に傾く力も無視できない。
信治●ぼくは、結社誌や総合誌が、編集部システムを残した上で、ネットに出てくるということかなーと思っていました。
天気●あ、そう読むと、別の意味の説得力がありますね。「怯まず、媚びず」というのは、ある種エスタブリッシュメント(小川軽舟さんや俳壇)からの一方的な視点になる。これは私とはまったく、遠い(笑。
三越や高島屋が「ネット販売も無視できない」と捉えるのと、怪しげな雑貨を輸入してネットで売るのと、それくらいの違い、というか格差がある(笑。
でも、立ち位置が遠く離れても、「怯まず、媚びず」という使い方のコツは共通するという皮肉な結果です(笑。
信治●そこで、みなさん、ようやく、道具なのか!と気づくわけです(笑。
天気●そうそう。自分でも不自然なくらい執拗に「道具」と言ってますねえ。『俳句界』の記事にも、そう書きました。
実際には、インターネットは「道具」を超えて、いろいろな効果や局面がある。でも、そこは意固地に、あくまで道具としてハンドリングするんだ、という強い意志がないと、うまく行かないような気がしているんです。まあ、これは話が逸れるので、またの機会にしましょう。きょうはこんなところで終わっておきましょうか。
信治●はい。次回は「年代別2007年の収穫」(p34-)です。
(つづく)
(*1)ラッダイトについては、ウィキペディア(→こちら)を参照。
(*2)「俳句2.0」については例えば本誌(→こちら)を参照。
(*3)ロングテールについてはウィキペディア(→こちら)を参照。
『俳句年鑑2008年版』を読む(1) 巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」小川軽舟(p30-)を読む
上田信治×さいばら天気
天気●小川軽舟さんの巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」から行きましょうか。
俳句におけるネットの存在について、姿勢がニュートラルです。まず、そのことを思いました。推進派でも擁護派でもなく、かといって忌避でも嫌悪でもない。その姿勢は、結び近くの「私たちはインターネットに怯む必要もないし、また媚びる必要もない。紙の文化がすぐになくなるわけでもない。」の部分に端的です。
信治●ニュートラルという点は、たとえば2006年の『俳句』誌の時評(2006年2月号「現代俳句時評:インターネットの功罪①」)に、福永法弘さんが、インターネット上の横書きによって、飯田龍太の「一月の川」の句の字面のシンメトリーが失われることを、大問題として書かれていたのと、対照的ですね。
天気●そうでした。「一月の谷」=縦書き賞賛については、日を改めて書くつもりです。そうじゃないだろ、と。ただし、私、個人的には、だんぜん「縦書き」派です。
信治●ぼくは、横書きOKです。むしろ縦書きにして、天地そろえにしたりすると、みょうに句が良く見えるから、警戒しなきゃいけない。
天気●そういう錯覚は、私の場合、必須(笑)。そうじゃないと、続けていられない。まあ、それはどうでもいいとして、縦書き・横書きは、ここで話のはやめましょう。
「怯まず媚びず」という態度は、私も、同じです。つまり、賛成か反対かといった対立の図式には、うんざりしています。たとえば、『週刊俳句』なんてものに深く関わっているから、「インターネット派」(笑)と思われる危険性をいつも抱えているわけですが、それは心外です。怯まず媚びず、じょうずに便利に使いたい、というのがすべて。
信治●インターネットに対して、わりと、ラッダイト的(*1)な立場をとる人が多い、俳句の世界は。
天気●はい。怯む。
というのは、俳句は「文系」なんです。実際にはそうじゃないんだけど…。だから、縦とか横とか、匿名性とか、そういう枝葉に向かってしまい、拒否感を表明する。
信治●小川さんの提言、グーグルで、自分の名前を検索してみたら、656件ヒットした、そのいくつかに自分の句や評論の感想が書かれていた。「インターネットの検索サービスがなければ、私はこの読者には会えなかったのである」というところから、はじまっていて、そこが、とてもよかったですね。
天気●そう、ネットで自分の読者に巡り会うところから、論が出発している点がおもしろいと思いました。紙媒体(俳句総合誌や結社誌)にたくさんの発表の場をもっている有力作家が、こんなふうに、思いがけなく読者を見出すんだな、と。
信治●それは、得難いものなんですね。
ほんとうに大多数の人が、インターネット上に生活圏を持つようになったら、俳句の読者というものが、いままでなかった形で、見えてくるかもしれない。そんな可能性を感じました。日本のインターネットは、まだ、参加者数が閾値を超えていないといいますが、近い将来の話。
天気●そこで、匿名性・顕名性の問題がクローズアップされるとも思うのですが、それは置いておきましょう。
俳句でネットを語るとき、コミュニケーション機能にばかり目が行きがちです。例えばBBSでのネット句会、ブログもそうかな。でも、検索ということが大きい。そのまえにデジタルデータという基盤があるわけですが…。その意味でも、この「巻頭提言」がグーグルから論を始めている点、おもしろいと思いました。
信治●検索があるから、どんな小さな発信も、それを必要としている人の耳に届く可能性がある。
天気●現実には起こりえないことですね。何年間も図書館に通って見つからない情報が、インターネット検索で一瞬に立ち現れるということが起こり得る。
信治●いっとき、豆の木周辺で言われてた「俳句2.0」(*2)じゃないですけど、俳句なんて、母体の人数が少ないんだから、もともとインターネット向きかもしれない。みんなで、なるべく、俳句について、ぶつぶつつぶやくように、発信することが、いいんじゃないでしょうか(笑。
天気●ただ、人数が少ないと「ウェブ2.0」の乗りで言われるようなロングテール(*3)の効果は、あまり大きくないと思ってるんです。尻尾のほうに埋もれている俳句は、なにもネットが登場しなくても、見つける気があれば見つかったんじゃないか。狭い世界ですから。ただ、周縁に目を向ける気がなかっただけなんじゃないか、と。
信治●でも、天気さんのおかげで、知った句はたくさんあります。
天気●それは、みんなお互いさまなんですね。
信治●見つけた人が、ちょっと書いてくれる、というのが、ありがたいんです。
天気●それはそうですね。
信治●だから、俳句をめぐる言説の場として、インターネットは機能しますよ。
無償で、熱心に書かれるネット上のマンガ感想が、同時代のマンガをめぐる言説の水準をつくっているように思うんですが、そんなようなことが、俳句にも起こりうるんじゃないでしょうか。
天気●その点は、私のこの数年の思いでもあります。句作ではない、俳句の「読み」「言説」が活性化する可能性。一般に言われているように、ブログの活発化というだけではなく、やはり検索機能と深く関わる。
それと、やはり「場」でしょう。とりわけ流動的というか動的な「場」。それこそ『週刊俳句』がめざすところ、と言っちゃっていいのかどうか。静的な「場」は、俳壇や既成雑誌や結社向きかもしれません。
さて、そこでわれわれに引き寄せた話題(笑。この「巻頭提言」で、『週刊俳句』を「場」の一例として話題にしてもらったことには、正直びっくりしました。かつ素直に嬉しい。
とくに、次の一文。「俳句において出来上がった秩序とその外に生まれた新しい動きとの交差点のような「場」を指向しているのだろう」
なるほど、そうだったのかと(笑。まあ、これは、私自身がスタートするとき考えていたことをぴたりと言い当てている。みょうに感心してしまいました。
信治●ぼくも、ずっと、自分が思う俳句のおもしろさと、俳句世間の人が言う俳句のつまらなさを、つなぎたいというか、止揚したいというふうに、思っていたことを、思い出しました。
天気●「離れた山と山のあいだを水道でつないでみる」という例の比喩ですね?
信治●はい。つないでみないと、それぞれの水位が測れない。
天気●インターネットにありながら、従来のリアルの俳句の秩序とケンカせず、というスタンスは、それほど表立てて押し出しているわけではないんですが、そこのところをみごとに見抜かれている。
ついでにもっと褒めると(笑、インターネットにまつわる紋切り型が回避されている。たとえば「ネットの功罪」とかいった議論は、よく目にします。この「10年もの」の紋切り型がいまだに繰り返されるわけです。
最初にお話しした話題に戻るようですが、この「巻頭提言」は、そうした不毛の紋切り型の議論からは、きれいに逃れています。さきほど信治さんのおっしゃった「ラッダイト的」ではない。
ほとんど当たり前のことが書かれているに過ぎないともいえますが、別の言い方をすれば、当たり前のことがきちんと書いてあるとも言える。
信治●ふつうに、世の中の動きを見て、それが俳句という「辺境」におよぼす影響について、予測されている。そして、ところどころ、非常にするどい。
子規の俳句革新、虚子による俳壇の主導は、それぞれ「新聞」と「雑誌」という、新しいメディアを用いたからではなかったか、という視点が提示されていて、それ自体は、すでに言われていることかもしれませんが、インターネットの浸透という文脈に置かれると、含意が生まれてきます。
天気●それは「ネット+俳句」にとってネガティブな含意でもあるような気もします。ちょっと飛躍すれば、数は、質を保証しない。手軽さは、メリットでもあるが、デメリットもある。
信治●その「数」は、発表される句の数ですか。
天気●それも含まれる。ネットの大きな特徴は、データの集積が容易かつ膨大かつ迅速、ということですが、俳句の場合、どうなんだろうと。よく言われる言い方ですが、ゴミの山に、またもう一句ゴミを加えて、どうする?といった…。
信治●んー、確かに。淘汰圧がはたらくところまで増えればいいんですけど。
天気●作句の場としてだけネットを捉えると、よく指摘されることですが、「集合知」ではなく、「集合愚」に傾く力も無視できない。
信治●ぼくは、結社誌や総合誌が、編集部システムを残した上で、ネットに出てくるということかなーと思っていました。
天気●あ、そう読むと、別の意味の説得力がありますね。「怯まず、媚びず」というのは、ある種エスタブリッシュメント(小川軽舟さんや俳壇)からの一方的な視点になる。これは私とはまったく、遠い(笑。
三越や高島屋が「ネット販売も無視できない」と捉えるのと、怪しげな雑貨を輸入してネットで売るのと、それくらいの違い、というか格差がある(笑。
でも、立ち位置が遠く離れても、「怯まず、媚びず」という使い方のコツは共通するという皮肉な結果です(笑。
信治●そこで、みなさん、ようやく、道具なのか!と気づくわけです(笑。
天気●そうそう。自分でも不自然なくらい執拗に「道具」と言ってますねえ。『俳句界』の記事にも、そう書きました。
実際には、インターネットは「道具」を超えて、いろいろな効果や局面がある。でも、そこは意固地に、あくまで道具としてハンドリングするんだ、という強い意志がないと、うまく行かないような気がしているんです。まあ、これは話が逸れるので、またの機会にしましょう。きょうはこんなところで終わっておきましょうか。
信治●はい。次回は「年代別2007年の収穫」(p34-)です。
(つづく)
(*1)ラッダイトについては、ウィキペディア(→こちら)を参照。
(*2)「俳句2.0」については例えば本誌(→こちら)を参照。
(*3)ロングテールについてはウィキペディア(→こちら)を参照。
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