2008-02-24

林田紀音夫全句集拾読 007 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
007



野口 裕






女のかなしさ叩く鋳物に音こもらせ

金子光晴「洗面器」を思い浮かべる。句の底にアジア弧状列島の風景。


恋の映画観に雨靴の足太し

やたらと死が登場するのだが、その合間を縫って逞しい生の息吹が登場する。おおむね女性の姿を借りて。


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舌いちまいを大切に群衆のひとり

ちょくちょく引用される句。群衆の孤独を自画像として描くのは、今ではよく分かるが当時あまり理解されなかったかもしれない。句の評価としては、「大切に」があるために評価を下げる人がいるかもしれない。しかし、そこを別の言葉で書ききれるかというと難しい。


特急に膝まげて風化の時間

特急通過駅が石のように黙殺される、というような描写が横光利一にあるらしい。特急に乗車しての句と取っても良いが、特急通過駅でぽつんとベンチにいるところと想像した。「風化」の「風」がそうした連想をもたらした。

とここまで書いて、当時の特急は窓が開くことに思い至った。特急に限らず、現在の車両は空調の関係で窓の開かないものが多く、車両内が無風であることが多いため、「風化」の一語が生きてこない。しかし、当時の車両では、窓を開けた状態で風が入り込むことは普通だっただろう。電化されていないところも多く、蒸気機関車の煤煙を含んだ風でもあっただろう。


愛し傷つき風葬の時間

情事の裸身あり風葬の声こもる

風葬二句。胸を病んでいた彼は、呼吸を風ととらえることがよくあったのだろう。


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河で拾った夕日を芯に過労巻く

あまりにベタな詠みぶりなのだが、滅茶苦茶実感がこもっている。たぶん、現代の洗練された詠み方なら「河で拾った」をなんとか五音におさめるか、河を消し去ってしまうだろう。そんな俳句で表現されるような現代は、一面浮ついた時代でもあるだろう。しかし、時代に制約されている人間は、今こういう風には詠めない。

肋を彫って火の玉の硝子吹く

しゃれた表現が浮つかない。


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暮れようととして焼芋の壺が深い

前後の句が、「水のテーマに滅びた国の軍艦浮く」と「日記にも書けない次は火葬の章」だから、作者にとぼける意識はないと思えるのだが、なんともおかしい。今、横目で見ながら打っている。あまりまともに画面を見ると、笑ってしまってタイプできない気がするから。

早くアップして存分に笑おう。


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マラソンのおくれた首を消さずに振る

一読、独特のフォームで走る君原健二や自殺した円谷幸吉のことが思い出されるが、作句した時期は昭和32~35年となっていて、彼らの活躍した時代よりも先行する。

人がマラソンに思い浮かべる普遍的なイメージを形象化した句が後の時代の選手に投影されてしまうということなのだろう。一般的にはこうした現象を予言と呼ぶはずだ。

山本健吉の「挨拶・即興・滑稽」には、そうしたことは念頭になかったのではないだろうか。余談。


三面鏡で分解されて味噌汁たく

味噌汁を作っている姿が三面鏡のそれぞれに映っている。「分解されて」がさまざまの想念を引き出すポイントだが、何を映してもよい鏡に味噌汁を作る姿を映させる。生活に密着した行動だけに、複雑な気分にさせる。

私の記憶によれば、当時三面鏡は花嫁道具を代表するものだった。庶民が奮発して買うものだったように思う。映っている姿が、若妻という含意があるのかもしれない。




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