2008-02-03

成分表 15 コーヒー 上田信治

成分表 15 コーヒー 
上田信治

初出:『里』2007年4月号



コーヒーをドリップで淹れるときは、粉がぷーっとふくらむようにする。

コーヒーの正しい淹れ方については、相互に矛盾する「正しい」淹れ方が、それぞれのコーヒー名人たちによって語られている。あの名人たちは、絶対お互い軽蔑しあっていると思うのだが、岩清水のように一滴ずつ最後までとか、はじめに蒸らすとか、のの字を書くとか、粉をだましだましとか、それぞれの方法に、科学的根拠があるのかどうか。

それは、主に、こうすると良く出る「感じがする」という、思いこみに支えられているような気がする。

自分がいちおう粉をふくらますように淹れるのは、一つには、粉がふくらまないザツな湯の注ぎ方をすると、粉が泥状に溜まって湯の落下が滞りはっきりと不味くなるから。もう一つには、何をするにもこうしておけば大丈夫という拠り所があると、安心だからだ。

コーヒーは、粉の量にかかわらず3分前後で淹れきるもの、という説が有力なようだが、3分というのはけっこう長い。ぽたぽた湯を注いでいると、今している行為が、はたして自分のコーヒーを美味しくしていることなのかどうか、よく分らなくなる。何が良くて何が悪いのか。ぼーっと淹れていると、お湯を注ぎすぎてサーバーから溢れさしたりする。

そういうとき、人を救うのが信じるということだ。だいじょうぶ、粉がふくらめば美味しくなります。パンパン(と柏手を打つ)。

どうも豆の鮮度とも関係があって、粉が良くふくらんだ時のコーヒーは美味しい気がする。だんだんコーヒーを淹れているのか、粉をふくらましているのか分らなくなり、夢中で粉をふくれさせていて、またコーヒーが溢れたりするのは逆効果だが、正直、お湯の注ぎ方の加減で粉をふくらませることは、コーヒーを淹れることを面白く、やりがいのある行為にしていると思う。

つまり方法論というものは、根拠や適用範囲が意識されないことが多く、物神化しやすいのだが、それはそれで面白い、という話。

  餅板の上に包丁の柄をとん\/    高野素十




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