2008-02-03

林田紀音夫全句集拾読 004 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
004



野口 裕






すでに、本を覆っているグラシン紙は破けたので取り外した。いわゆる、腰巻きはいつまでもつだろうか。


雨の糸よ買ひに行かねばアドルムなし

「雨の糸」が、あまり使われない言い回し。えらく有効にはたらいている。

アドルムは、この頃にはやった睡眠薬。検索にかけてみると、早死にした坂口安吾、自殺した田中英光、女学生の自殺の流行などが出てくる。句は、一時的な眠りを欲するのか、永久の眠りを欲するのか。

紫陽花や喪服の乳房子が掴み

作者の幻視した死後の景に見えてくる。


妻よ十三夜旅ゆくごとく寄れ

この句の前では、饒舌無用。


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鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ

書くと肩に響くような硬い鉛筆。細く細く尖らせて。


 *

鋼材を地へ置く音に食後堪ふ

「食後」のリアリズムに、「堪ふ」の若干のヒロイズムが混じる。鉄が地に触れる音響の凄まじさ。


盛場へ出て共通の顔に堕す

「パチンコ屋 オヤ 貴方にも影が無い」(中村富二)


熔接の地にこぼす火は忘れらる

今日、工業高校の学科で真っ先につぶされるのが、「溶接科」である。それほど、溶接は縁遠い存在になっている。なおかつ、火偏の「熔」からさんずい偏の「溶」にいつの間にか字も変わっている。

かつては町のあちこちに見かけた風景だが、今はあまり見かけない。林田紀音夫の時代には何の変哲もない風景だったかもしれないが、こうして残された句を読むと、貴重な時代の証言に見えてくる。無季の特性はこんなところにも生きているかも。


金魚沈む天にくちづけするに倦み

理想の消失をこれだけ見事に描写できたのが、戦後という時代なのだろう。今は言えそうで言えない。


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高階に履歴書うすし礼して去る

上五中七の「高」と「うすし」が、彼と我の関係を伝える。舌足らずのようで的確。




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