【週俳1月の俳句を読む】
静かな場所 対中いずみ「氷柱」10句と田中裕明
猫髭
作品は「作家の顔」とは別の「作品の顔」を持っており、作品の背景としての師系や作家個人の事情は、フロオベルがジョルジュ・サンドへの書簡で述べたように「人間とは何物でもない、作品が総てだ」というのは、俳句にも当て嵌まると思うが、今月は「マダム・ボヴァリーは私だ」というフロオベルの言葉を承知した上で、対中いずみ「氷柱」十句を、師系という川の流れに浮かべて、その流れに任せて景色をながめるという読み方をしてみたい。
一読、彼女の作品が、田中裕明という四十五歳で夭折した(と言っていいだろう)師という川の水辺に立ち尽くしたまま詠まれていると感じられたからだ。
この川の源は波多野爽波である。
裕明が二十歳で出した第一句集『山信(さんしん)』、その十九歳の作、
紅梅や人の少なき地鎮祭 田中裕明
には、爽波の第一句集『鋪道の花』中の一句、
新緑や人の少なき貴船村 波多野爽波
への、中七をそのまま使うオマージュがあり、ここから出発したのだという裕明の若い声がする。
貴船は夏でも涼しい川床料理で有名な場所だが、貴船川の流れを、貴船山に日が昇り貴船神社から御手洗川の瀬音がやがて麓に下りて太い鞍馬川に合流し夕闇迫る賀茂川へとそそぐまでを辿れば、日が暮れかかり涼しさを増す頃、祗園戀しやと貴船川を葉陰越しに左手に下る夕闇の中の「人の少なき」場所に現れるのは、螢。貴船は螢が魂として、あるいは魂が螢として、王朝の昔から漂う場所である。第四勅撰集『後拾遺和歌集』第二十雑六「神祗」中の和泉式部の「男に忘れられて侍りける頃、貴布禰にまゐりてみたらし河に螢のとび侍りけるをみてよめる」歌がそれである。
物思へば澤の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる 和泉式部
爽波はひと言も螢とは言っていないが、貴船を知る者には、地霊であるかのように飛ぶ螢が見える、新緑の隠れる闇の中から螢の多き貴船村が現れる。「地鎮祭」を座五に置いて地霊を鎮めたのはそのためではないかとさえ響く。
裕明は二十六歳で編んだ第二句集『花間一壺(かかんいっこ)』から、「日本の詩歌の伝統」につらなる言葉による「詩情」を自覚して詠みはじめた。この「詩情」という裕明の言葉は曲者だが、高橋睦郎は「新しさが懐かしさにまで達した句」と、裕明の句の「詩情」を言い止めている。裕明の句には、懐かしさに触れようとしてそのまま黄泉の国に手が柔らかく突き抜けてしまうような幻想的な美しさすらある。
別の夜の姫螢見にゆかれたる 田中裕明
その裕明を師系とする対中いずみは「螢童子」で第20回俳句研究賞を受賞した。
手から手へうつして螢童子かな 対中いずみ
の句は、爽波から裕明へ、裕明から彼女へと手わたされた魂かとぞ見る。
対中いずみ句集『冬菫』には、
長き夜や先師の言葉師の言葉 対中いずみ
という句があるから、爽波を源とする川は彼女の胸元にまで流れて浮力を与えたということだろう。
ことごとく蓮折れてゐる時雨かな 対中いずみ
時雨の句というと、樋口一葉の「月の夜」の一節を巻頭に置いた田中裕明の遺句集『夜の客人(まろうど)』の冒頭の一句、
木の瘤の腥くある時雨かな 田中裕明
を思い出す。乳房銀杏の柱瘤(乳瘤)の異様さがぬっと目の前に垂れ下がるような中七の「腥(なまぐさ)くある」が忘れられない、裕明の天才を垣間見る一句だが、彼女の見る時雨は、死者を師と仰ぐ者は世界に対して「見送るまなざし」しか持てないような、残された者の荒涼を漂わせる。個人的には、ボブ・ディランの歌う「激しい雨」のような、「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」(村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)で降っているような、うっすらと淋しい時雨を詠んでほしかったという思いがある。
神戸のクラウンプラザのバーから時雨の異人館を見下ろしていると、「今度の週刊俳句に氷柱十句を詠んだからよろしくね」と囁いた彼女の微笑むような響きからは、【さきほどの冬菫まで戻らむか いずみ】や【ふりむけば湖光る笹子かな いずみ】といった、「振り返るまなざし」を持った句を予想していたが、鎌倉に帰ってパソコンに開いた白々と発光する揚句の厳しさには意表を突かれた。時雨であれば、
万年筆時雨に冷えてありにけり 田中裕明
という句に添うような、手にとって冷えた万年筆を温めるような句を、どこかで彼女の微笑みに期待していたからだろうか。例えば、彼女が「椋」第14号に載せた、
額縁のかたすみ光る時雨かな 対中いずみ
のような。
ことごとく挽歌なりけり青嵐 対中いずみ
この句は裕明逝去の翌年に詠まれた句だが、物静かな彼女が「ことごとく」と強く歌う時、そこには常に師の影があり、挽歌のような枯蓮の句もまた、師の死を、三年経てなお彼女の心をとらえて放さないということか。ただ、裕明ならば、「ことごとく」といった強い言葉で始まる歌には「青嵐」は置かないような気もする。裕明が「悉く」と詠んで残したのは一句きり。
悉く全集にあり衣被 田中裕明
勿論この全集は『波多野爽波全集』であり、「悉く」と強く出て言い切り、そこに「衣被」を座五に置くさりげなさに驚く。
爽波の「ことごとく」で始まる句を挙げると、
ことごとく空に触れゐる冬木の芽 波多野爽波
がある。この爽波の「詩」を田中裕明は「詩情」として歌った。
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明
「新しさが懐かしさにまで達した句」のひとつだと思う。
彼女の重くれる時雨の句は、三年の喪が明けた今も、昨日の事のように師の長逝をよみがえらせる。
外套の内ポケットの波打ちぬ 対中いずみ
外套を詠んだ裕明の句は一句のみ。
インバネス夜行性なる鳥の如し 田中裕明
中原中也がボーヨーボーヨーと呟きながら鎌倉を酩酊して徘徊しているような句だが、彼女の句は、外套の内ポケットに、その夜を波打たせる。揚句は、外からの目を内に転じて体温をもって応えた一句となっている。
煮凝に鮟鱇の足ありにけり 対中いずみ
これは一転、おどけた句である。柳肉(頬肉部・尾肉部は大身という)、皮、とも(尾鰭)、ぬの(卵巣)、水袋(胃)、えら、肝が、いわゆる鮟鱇の七つ道具で、胸鰭を足と見立てたのだろう。「煮凝に鮟鱇の足かも知れぬ」と遊ばずに「けり」と言い切ったところに彼女の潔癖さが出ている。
田中裕明に鮟鱇の句も煮凝の句も無い。とはいえ、【壷焼やこの人は磨けばひかる 裕明】といった、二次会で袋回しに出たら笑いを誘う句も詠んでいることはいる。
雪兎おほきなこゑの人きらひ 対中いずみ
というチャーミングな句は、昨年の春、琵琶湖の湖北の隠れ里、菅浦吟行の酒席で、隣席の彼女に酔漢のでかい声で話しかけていたわたくしに、「文」の榎本享編集長が教えてくれた句だった。彼女は酒を嗜まないのに、どういうわけか酔いどれの隣りの席をあてがわれる。もっとも俳人は酔うとなべて言いつのる。野暮は御法度と、句でたしなめられたわけだ。
煮凝や濁りて低き祖母の声 対中いずみ
もう一句、煮凝が続く。「おほきなこゑの人」ではないから、「すき」なのだろう。「濁りて」に鮟鱇のようなお祖母さんを想像してしまう。
水鳥の群にまじりてゐはせぬか 対中いずみ
誰をさがしているのだろう。いまはなき師の転生の魂を、と言えば穿ち過ぎるが、「水鳥」は裕明が最も好んだ季題のひとつだった。
裕明は生涯778の季題しか詠んでいないが、その中でも10句を越える季題は15に過ぎず、「水鳥」は5番目に多い15句を詠んでいる。猫髭ずんずん調査によれば、新年24題・春176題・夏221題・秋189題・冬168題中、一番多いのは「露」26句、「春」20句、「雪解」17句、「秋」16句、「小鳥」と「水鳥」15句、「盆」と「墓参」12句、「涼し」と「時雨」11句、「桜」「菜の花」「蕨」「水涸る」「茶の花」各10句の順である。彼女の句に添う裕明の一句はこれだろう。
水鳥に用あるごとく歩きけり 田中裕明
猛禽の声の中なる氷柱かな 対中いずみ
十句中の白眉。中七の「声の中なる」が、まるで氷柱が猛禽の鳴声の中に光るような先鋭な響きを立てる聞きなしに聴こえる。猛禽の鋭い声が冷気を裂くたびに氷柱がびしりと空から突き刺さって囲繞されるようなイメージがある。『冬菫』には、
象の鼻巻き上げてゐる氷柱かな 対中いずみ
という句があるから、猛禽の句も動物園の風景かも知れない。猛禽の名前を具体的に取り替えてゆくと、氷柱が形を変えるようで面白い。
大鷹の声の中なる氷柱かな
犬鷲の声の中なる氷柱かな
ふくろふの声の中なる氷柱かな(「ごろすけほっほ明日は日和」と聞きなす)
大鴉の声の中なる氷柱かな(ポーの世界)
ただ、これはこの一句を屹立させた場合の恣意的な読みであり、連作として見た場合は、どこで詠まれたかという別の恣意的な詠みが生れる。
一斉に氷柱雫となりゐたり 対中いずみ
寒晴の強烈な日差しが見える句であり、ここは動物園ではない。
山国のつらら雫にねまりけり 対中いずみ
芭蕉の【涼しさをわが宿にしてねまるなり】の山形県尾花沢弁「ねまる」(寛ぐ)を踏まえた句である。したがって、この氷柱三句は奥の細道を追慕する途上の句だということになる。
しかし、これも恣意的な読みであり、彼女が大津に住んでいることを思えば、そこには芭蕉の墓がある義仲寺があり、彼女が琵琶湖南西に居ながらにして芭蕉へのオマージュを込めた句とも読める。
裕明の氷柱句は三句ある。
軒氷寝べきところにお人形 田中裕明
急流のうへの氷柱のふるへけり
氷柱折り十年前と変はらぬ人
【山国のつらら雫にねまりけり いずみ】は、【軒氷寝べきところにお人形 裕明】に響き、裕明の【氷柱折り十年前と変はらぬ人 裕明】は、爽波の【氷柱もて楽器ケースを敲きつつ 爽波】へと遡って響く。
思ひだすことありさうに冬の虹 対中いずみ
降りだして冬虹消えてゆくところ
冬の虹対句で終わる。虹の対句と言えば、虚子が愛弟子森田愛子を詠んだ句、
虹立ちて忽ち君の在る如し 高濱虚子
虹消えて忽ち君の無き如し
が名高く、鎌倉寿福寺には虚子の墓の前に、他の墓には背を向けて虚子の墓を向く彼女の墓があるが、この挙句の対句も、彼女が師の裕明を偲んで詠んだ句と見てまちがいあるまい。裕明の冬の虹の句は一句のみ。
冬の虹人参甘く煮えあがり 田中裕明
静かで暖かい句だが、彼女が思い出しているのも、この人参が甘く煮えあがる暖かな団欒のような場所だろう。しかし、師はもういない。この人ひとりと決めた師を失った俳人の立つ場所はどこなのだろう。
彼女の句集名『冬菫』は、「ゆう」2004年4月号に載せられた裕明の鑑賞の言葉から来ていると云う。
さきほどの冬菫まで戻らむか
いままで歩いてきた風景が気になることがよくあります。きっとそこに自分の一部を置いてきてしまったのでしょう。それは今朝の散歩でもあることだし、また長い人生の中でもあること。戻ることができるのは稀有なることで、ほんとうは過ぎ去ったものはかえりません。だから輝くのです。
師の死とともに、彼女もまた「そこに自分の一部を置いてきてしまった」。最後の「ほんとうは過ぎ去ったものはかえりません。だから輝くのです」という言葉は、師である裕明の彼女への遺言にひとしい。彼女の句が立っている場所は、失われたゆえに輝く静かな場所である。
小鳥来るここに静かな場所がある 田中裕明
その静かな場所から、いかにして、いつ自分の文体をうちやぶってゆくか。
それは裕明が彼女に残した課題でもある。
最後に、『田中裕明全句集』にも載らなかった田中裕明の句を彼女にプレゼントしよう。1999年3月、西野文代の主宰する「文」創刊号に寄せられた祝文である。奇しくも、対中いずみ句集のタイトルとなった花と同じ菫を詠んでいる。
雨に繰りだして菫を囃しけり 田中裕明
さきほどの冬菫まで戻らむか 対中いずみ
■対中いずみ 氷 柱 10句 →読む
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2008-02-10
【週俳1月の俳句を読む】猫髭
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