2008-02-10

【週俳1月の俳句を読む】菊田一平

【週俳1月の俳句を読む】
このチープな日常性こそ
菊田一平



父という絶海にいて年の酒   斉田 仁

自由な時間が持てるようになったら車でルート66を走りたい、ただそれだけの理由で数年前、自動車免許をとった。

交付されたばかりの免許書を家族に見せると、大学を卒業したばかりの長男が「おめでとう」といった後、やや間をおいて「おれがこどもの頃に免許持っていたら父さんを見る目が変わっていたと思うよ」とつぶやいた。

そういえば保育園に通っていたころ、車で送り迎えされる園児たちがうらやましいらしく「うちでも車買おうよ」とねだられたことがあった。「お父さん免許持ってないから車運転できないんだよ」と応えると、「所沢のデパートで免許買ってきて」と不満そうに口を尖らせた。

句会や吟行が面白くて長年にわたって家族サービスをおろそかにしていた。好むと好まざるとにかかわらず、「父という絶海」に身を置いてしまっている私に斉田仁さんの新年詠がボディブローのように効いた。


最果ての地にも蒲団の干されけり   青山茂根

いっ時、照れくさくて「港町ブルース」が歌えなかった。「背のびして見る海峡を…」から始まって二番、「流す涙で割る酒はだました男の味がする あなたの影をひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼」とつづく。森進一は、体を揺すぶりながら「気仙沼」を「け~せえ、んん、ぬうまあ~」と想い入れたっぷりに歌う。故郷の気仙沼が歌になり、「流す涙で割る酒」「だました男の味」、そんな風に歌われるのが、なにかこそばゆくてチープに思われたからだ。ところがある時枕崎で飲んでいたら有線放送からこの歌が流れてきた。「女心の残り火は燃えて身をやく桜島 ここは鹿児島旅路の果か 港 港町ブルースよ」窓の外は東シナ海につづく枕崎の海。まさに旅路の果だった。グラスを口に運ぶ手を止めて聞き入った。以来、「港町ブルース」に向き合う姿勢が変った。

さて、青山茂根さんの掲句。この「最果ての地」は「北」に違いない。オホーツクの海風に曝されて木目の浮き上がった板壁。布団の原色の絵柄。風に砕ける白い波頭。ハードボイルド小説を思わせる上五の「最果ての」に身を固くしながら文字を追っていくと、次に目に飛び込んでくるのが「蒲団」。このチープな日常性こそ俳味なのだとあらためて得心した。


内外に雪のざわめく辰の刻   村上瑪論

「回天」を辞書で引くと「天をめぐらすの意」「時勢を一変させること」「衰えた国勢を元に戻すこと」とある。「回天」と題する10句はまさに幕末から明治にかけての「黒船の来航」「桜田門外の変」「尊皇攘夷」「生麦事件」「池田屋騒動」「蛤御門の変」「薩長同盟」「大政奉還」「鳥羽伏見の戦い」などの歴史から材をとった意欲作。掲句の前に〈万延の帆柱すでに氷りたる〉の句があり2句とも「桜田門外の変」を詠んでいる。

大老・井伊直弼が登城途中に桜田門外で水戸と薩摩の藩士に襲撃されて惨殺されたのは万延元年の3月3日。桃の節句なのに時ならぬ大雪が降った。

ともすれば報告のままで終ってしまいそうな過去の歴史を、今現在のように臨場感たっぷりに詠んだ〈内外に雪のざわめく〉の措辞はなかなかの力技。下五の「辰の刻」の表記の一考次第で今の句として十分に成り立つ。

水鳥の群れにまじりてゐはせぬか   対中いずみ

TVで恐山の「いたこ」の「口寄せ」を見たことがある。確かバラエティ番組で、「いたこ」に力道山が下りて会話するものだった。

恐山ならずとも日本全国に「いたこ」は存在する。私の生まれた気仙沼の大島にもいた。ただし「いたこ」ではなく「オガミさま」と呼ばれ、死者が出ると初七日の法要の後に「オガミさま」を呼んで死者と話をするのが島の習わしだった。

親族の問いかけに、「オガミさま」の口を借りた死者が、死因、死んだときの状況、死後の状況、残されたひとたちへの配慮などを語る。死者の言葉のいちいちに親族たちが相づちをうち、また代わる代わるに問いかける。そのたびにすすり泣きの声や嗚咽を堪える声が部屋にみちた。

〈群れにまじりてゐはせぬか〉。掲句のこの慈愛に満ちた措辞が、あの、死者と残されたひとたちの互いを思い遣る「口寄せ」の呼びかけを思い起こさせて襟を糺してしまった。


晩婚に冬のいなづま刺さりけり   岡村知昭

この句の解釈は私にはとても難しい。難しいけれどとても魅かれるものがある。私が俳句を始めたころの攝津幸彦の俳句がそうだった。攝津さんには仕事で随分お世話になったけれど俳句を始めてもあの「ぬーぼーとした攝津さん」と〈露地裏を夜汽車と思う金魚かな〉を結びつけることは難しかった。先日NYに住む高校の美術部の先輩から手紙が来た。「Y君が新婚旅行にNYに来るらしい。僕と同い年だから58歳になる。ここまで独身貴族を通して何を今更…と思った。相手は46歳。両方とも初婚。彼がスナックで見初めたらしい。きっかけはどうあれ、いずれ男は女の尻に敷かれるもの。とはいえ先日二人が電話してきてNYに行くからと興奮している声を聞いて、ああ二人は今遅くやってきた青春を謳歌しているのだと思い、電話の余韻を耳にしながら焼酎で彼らに乾杯した」とあった。

んん! 岡村さんの「晩婚」の句、難しいな。「いなづまが刺さる」か? シュールだなあ。


正面の顔にマスクの大きかり   茅根知子

私なら〈正面の顔のマスクの大きかり〉と詠んで、そのまま推敲もしないで発表してしまうと思う。多分、茅根さんも最初〈正面の顔のマスクの大きかり〉と句帳に書いたはずだ。ところがそれでは見たまんまと満足しなかった。推敲の結果が〈正面の顔にマスクの大きかり〉。「の」が「に」に変ったこの一字は大きい。私にはこの推敲の結果が果たしてよかったのかどうか判断がつかない。けれども茅根さんの格闘の跡が手に取るように解る。一字一句おろそかにしないで表現しようとする姿勢がはっきりと見える。この茅根さんの作句姿勢をとても好ましく眩しく思う。


北風の吹いてするめの大きくて   上田信治

「北風」が吹き始めた秋も終わりに近い佐渡や下北半島あたりの風景だろうか。半裂きのするめの一夜干しが連なった浜辺。堤防には探照灯を満載した烏賊釣り船が舫い、ヤマハ発動機と書かれた帽子の上からねじり鉢巻をした漁師たちが漁に出かける支度に余念がない。港の上には抜けるような青空が広がり、そのてっぺんに昼の月が切り損ねた輪切り大根のようにうすうすと透けて貼り付いている。

上五の「北風」はまだ秋の終りの風なのに、やがてそれにつづく厳寒の荒々しさを予感させるパワーがある。写生句なのにどこか伸びやかで人事句のような人間味とひと肌を感じさせる。




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