2008-02-03

『俳句界』2008年2月号を読む さいばら天気

【俳誌を読む】
『俳句界』2008年2月号を読む ……さいばら天気




魅惑の俳人たち2 京極杞陽 p78-

5篇の論考と代表句セレクション、年譜から成る小特集。これに以前からの連載「ライバル俳句史」の「25 杞陽とたかし」を連結させた作り。山田弘子「人間 京極杞陽の魅力」は、昭和33年4月職場での出会いから筆を起こす。京極高晴による「父京極杞陽」と併せて、杞陽のプライベートな部分がうかがい知れて興味深い。

加藤かな文「炎」は、「文学」と「俳句」の関係(古くて根強いテーマ)の側面から、杞陽句が「文学との腐れ縁」と無縁に存在する点を強調する。

「こんなものは文学ではない」と私たちに直感させる。そして、「こんなものは俳句でさえない」とまで感じさせてくれる。〈日に焼けし手首に輪ゴムそんな主婦〉〈初湯中黛ジュンの歌謡曲〉といった句は、俳句と文学を結ぶ回路を断絶し、潔い。そればかりか、俳句の塀の外へ脱走しようと様子をうかがっている。

杞陽には、いわゆる「ヘンな句」がたくさんある。一方、そうでない句、つまり「ホトトギス」系の流れの中に置いて、なんら違和感も遜色もない句群も存在する。どちらにスポットを当てるかで、作家像はすこしばかり違ったものになる。次の把握も、前者寄りの視点か。

杞陽の句の魅力は、気儘で、投げ遣りで、「たわごと」と言ってもいいような、およそ計算ずくで作られた句ではないという点にある。守屋明俊「京極杞陽の魅力~花鳥諷詠虚子門但馬派京極杞陽」より

私自身、京極杞陽の俳句を強烈に愛しているわけだが、この愛はほとんど「ヘンな句」に向けられる。そんななかこの特集を読んでみて、特筆すべき論考は見あたらなかった(上記の記事は充分の楽しめるものではありますが)。杞陽というのは、論じにくい作家なのだだなあ、とも思った。数多の「ヘンな句」がこうして残されていることだけで十全なのだ。残ったことに感謝する気持ちが強い。

よくぞ!という尊敬の念を、杞陽と、そして当時の読者に捧げたい。もしかして、現在は、ずいぶん窮屈な「評価」のスキームのなかで、ちぢこまった句ばかりが人目に触れる、という不幸で貧乏臭い状況なのかもしれない、などと、杞陽の句を読んでいると、思うのだ。

話を戻す。『俳句界』2月号のこの小特集は、「杞陽をあまり読んだことがない」という人にはオススメ。立ち読みで済まさずにご購入を。

さて、余談めくが、上田信治さんが「俳句界2008年1月号を読む」(本誌第第36号)で「この好ましい小特集が、扉ページ無しで、ばたばたとはじまる」と書いている。その点は、この2月号の京極杞陽でも同様。

実際にページをめくっていない人には「扉ページ無し」の意味がよく伝わらないかもしれないが、大多数が知らず知らずに了解した雑誌の「体裁」というものがある。特集等、多くのページ数を裂く部分の最初のページは奇数ページとし、特集タイトルとリード文程度の要素で「スタート」を告げるのが慣わしとなっている(『俳句界』のこの新シリーズのタイトル名=「魅惑の俳人たち2 京極杞陽」は驚くべきことに本文ページ、つまり扉のあってしかるべきところに記載がなく、目次に記載のあるのみ)。

雑誌のページの並びは、形式に過ぎない、というのではけっしてない。読者の「読みやすさ」に利する「実質的な決まりごと」だ。細かいことを言っているのではない。とても大事なことだ。そこをないがしろにしては「紙の雑誌」としての品位・品質は成り立たない。

書籍でも雑誌でも、読者は、いろいろな決まり事を意識せずに読んでいる。それは、作り手が決まり事を意識し、遵守しているからこそなのだ。

なお、次号3月号の「魅惑の俳人たち」シリーズは、横山白虹と、予告にある。

 *

上記の小特集以外も目を通したが、気持ちの動く記事はなかった。この2月号と私との相性が悪いのかもしれない。でも、最後まで読める記事が数篇あれば、1冊の雑誌を買って損した気はしないともいえる。

雑誌を読むのは、分野を問わず好きで、この「好き」は十代の頃から、と歴史が長い。それもあって、雑誌に設ける私のハードルは低い。とはいえ、少しは愚痴を言いたくなるときがある。例えば、(これは『俳句界』を読んだことのある人の大多数が思っていることだろうから、それを代弁することでもあろう)「佐高信の甘口でコンニチハ!」。

なぜ、このような記事が続いているのだろう?

意味がわからない。

しかもカラーページ。読者は息を根を止められた気分。見なけりゃいいと言ってしまえば、それまでなのだが。




『俳句界』2008年2月号は、こちらでお買い求めいただけます。
仮想書店 http://astore.amazon.co.jp/comerainorc0f-22



4 コメント:

清水哲男 さんのコメント...

>雑誌のページの並びは、形式に過ぎない、というのではけっしてない。読者の「読みやすさ」に利する「実質的な決まりごと」だ。細かいことを言っているのではない。とても大事なことだ。そこをないがしろにしては「紙の雑誌」としての品位・品質は成り立たない。(>>さいばらさん)


 私は俳句雑誌に顕著な従来の駅弁包装紙的な扉を好みません。弊誌第二特集の扉も、定位置観が読者に出てきたら、外そうと思っています。
「実質的な決まりごと」とは、何でしょうか。
 包装紙に大仰な惹句(あれ、ちゃんと読んだことがおありでしょうか。もし見事なサンプルをご存知ならば、ぜひともご教示ください)を入れ、それと中身のつり合わない特集ほどがっかりするものはありません。読者の利便性を計っているというよりも、単なるこけおどしとしか思えませんが……。
 私は伊達得夫のわずか64ページの「ユリイカ」に感銘を受けて雑誌作りが好きになりました。あのように薄くてさりげないレイアウトの雑誌を夢見ています。レイアウトも、編集方針の大きな具体化ですよね。言わでものことでしょうが。

 以上、走り書きにて失礼しました。
 今後とも、よろしくご教示ご叱正のほどを。

       「俳句界」編集部  清水哲男

天気 さんのコメント...

清水さん、コメントをありがとうございます。

俳句総合誌の作り手のなかにきっと読者がいるはずだと信じて、いつもこの「俳誌を読む」の原稿を書いていますが、実際に、こうしてコメントを寄せていただけると、うれしいです。これからの励みにもなります。

記事、そしてこれから私の書くコメントのなかに不躾な言い方があるかもしれませんが、それは私の(技術面の)至らなさです。ご寛恕ください。また、実際に雑誌を作っていらっしゃる人に向かって、蛇足のような、あるいは恐れ多いようなところもあるかもしれませんが、誠実に書かせていただきます。


●>「実質的な決まりごと」とは、何でしょうか。

…というご質問ですが、私の文章が拙くて伝わりにくかったですね。

実質うんぬんの部分は、「形式が形骸化しているのではなく、形式が実質的な意義を持っている」と言ったほうが明確だったかもしれません(反省)。

ここで言う「決まりごと」とは、例えば、記事に書いた「特集等、多くのページ数を裂く部分の最初のページは奇数ページとし、特集タイトルとリード文程度の要素で「スタート」を告げる」ということです。

「奇数ページ」という部分は重要です。奇数ページだからこそ「扉」なわけですから。


●扉の要素について

扉に、必須なものは「タイトル」です。

この場合、「新シリーズ 魅惑の俳人たち:2 京極杞陽」(目次)ということになりますが、『俳句界』2月号の当該ページ(p78)には、右上に小さく「新シリーズ2:魅惑の俳人たち」とあります(ハシラ=ページ上部の欄外も同様)。タイトルが目立たない、という点はさておいても、タイトル名が2箇所で不一致なのは、どうしてでしょう?(単に齟齬があるということで、この部分にこだわるつもりはありませんが、これもまたクオリティを決する一要素ではあります)

扉には、ほかにリード文を配することもあります。
リード文は、特集の内容・対象範囲・狙い等を手短に伝えてくれるものが宜しいです。

惹句は不要です。

惹句は、表紙に配するならわかりますが(この雑誌を買ってください、こんなにおもしろいですよのサインなわけですから)、扉にあっても何の意味もありません。

リード文もまた必須ではありません。タイトルのほかに、「特集内目次」があっても親切かもしれません。
※『俳句界』では、この「特集内目次」を6行文(1ページの4分の1強の縦スペース)にあてていますね。


●清水さんのご意見は、「この新シリーズのコーナーの始まりに、トビラ1ページを割く必要があるのか?」という問題として捉えることができると思います。

30ページにわたるコーナーの始まりの部分を、「6行分のスペース」にするか「1ページ分のトビラ」にするか、ということですが、30ページという分量を考えると、迷いなく後者です。

清水さんは「中身のつり合わない特集ほどがっかりするものはありません」とおっしゃっています。同感です。しかし、仮に、いかに中身のない特集であっても、ページ数が多ければ、それなりのスペースを割いた「スタートのサイン」が必要と思います。

「中身のない特集」については、その中身について反省・悔恨すべきで、「扉」の話とはまた別です。

私が言っているのは、内容ではなく、形式の話です。

清水さんのイメージにある【扉=大仰な惹句・こけおどし】は、「内容」(言い換えればコピライト)に着目されているような気がします。私の言う扉は、「スペース」です。


●>わずか64ページの「ユリイカ」に感銘を受けて雑誌作りが好きになりました。あのように薄くてさりげないレイアウトの雑誌を夢見ています。(清水さんのコメント)

私は64ページ時代の「ユリイカ」を残念ながら知りませんが、はっきりとした御意志、方向性がおありのことを、あらためて理解いたしました。

ただ、貴誌『俳句界』は64ページではなく、260ページです。揚げ足をとるのではありません。64ページと260ページとでは、ページのスペースの取り方は違ってくるはずです。64ページ(あるいはその倍にしても)の雑誌に、扉が頻繁に出てきては、スカスカ感が漂います。一方、200~300ページの雑誌が、トビラもなく、字(あるいは写真や絵)の詰まったページで占められていたとしたら、それもまた漫然とした感じが漂います。


●>弊誌第二特集の扉も、定位置観が読者に出てきたら、外そうと思っています。(清水さんのコメント)

初めて貴誌を手にとる人は、どうすればいいのでしょう? 読者像を「定期購読者のみ」と捉えていらっしゃるのでしょうか?

私が言う「決まりごと」は、初めて手にとる人にも、自然に、その号の全体像、流れ、リズムのようなものが了解できるというメリットをもったものです。

読者の「定位置観」を作り手が意識することは、「常連さんはみんなトイレの場所がわかる。だから、表示なんて要らない」と言ってしまうのと似ているように思います。

私は、初めて行っても、どこに何があるか、何を食べさせてくれるのか、何を売っているのかが、わかりやすい店のほうが好きです。…というか、常連しか見ていない店には足を運びません。


以上、まだ説明不足なところもあり、充分な反応とはいえませんが、こんなところです(また、書き足すかもしれません)。

清水哲男 さんのコメント...

さいばらさん、
早速のご返事をありがとうございます。

舌足らずの投稿で、失礼しました。

いろいろ書きたいことはありますが、またの機会に整理してからにいたします。

奇数ページの扉については、実務的になかなか悩ましい問題もありますが、おっしゃることもわかるような気がしないでもありませんので、今後の課題として考えてみます。

なお、別件ですが、ここの投稿書き込み欄の仕様はいささかわかりにくいです。[個人情報を選択]以下のどこをどうチェックすればよいのか、説明を加えておいていただけませんか。ネットに慣れていない読者は、たとえば「任意のOpenID」と言われましても、そのこと自体が何を言っているのかわからないと思います。
せっかくの良質なサイトですので、このあたりは惜しいなと思っています。

        「俳句界」編集部 清水哲男

天気 さんのコメント...

書き込み欄の件

目次の下の記事「感想・告知ボード」に説明書きを入れているのですが、わかりにくいですね。

…書き込み枠の下にある「個人情報を選択 Choose an identity」の箇所は
「ニックネーム」を選んでください。
登録等の手続きなしで、お名前を書き込むことができます。
…という部分。

表紙にも記すようにします。