俳句とは何だろう ……鴇田智哉
第2回 俳句における時間 2
初出『雲』2007年2月号
時間を変える、つまり意識を変えると、俳句はどうなるだろうか。阿部氏は或る実験を行った。
LSD25(リゼルグ酸ディメチルアミド)は、麦角アルカロイドの一種で、それを注射あるいは内服することによって、人はその意識状態を変えることが出来る――実験精神病。(阿部完市『絶対本質の俳句論』・以下引用同)
彼の実験は、このLSDを自らに投与して作句をするというものであった。LSDによってどのように「自己」が、「俳句」が変化するかを見ようとした、という。
内服してから約三十分後、一時間後と、その効果があらわれる。「気分が妙に浮き浮きして、そのくせ妙に重いわだかまりがその底の部分にあるような感じ。」という記述に始まり、意識の移り変わりが述べられる。
眼を閉じると、今までみたこともないものがみえてくる。中国の料理店の中らしい。黒紫色の空間にひらひらと人たちがいる。
前をみやると、立っている医師の顔、貌、姿がひどく大きくみえる。巨視。また自分の今いる部屋が一種のお芝居・舞台に見えてくる・思える。奥行がひどく短くなっていて、遠近法の図解をみているようだ。
私は「時間」が重くておもくて、いつもと違って「時間」の流れ――質量・重量等零のはずの『時間』が、変に零でなく質感・実感されていた。変な眠り、妙な意識の質感――それを私の心、脳ははっきりと自認していた。鉛筆もって一句書こうと紙に何かを記す。文字にならない。線、丸、くにゃくにゃ、ぎくしゃくした形だけが紙の上にあらわれるだけ。
こうした、日常とは違う状態の中で彼は、
萌えるから今ゆるされておかないと
眠りに入る重さ手にあり純金ぐさり
犀が月突き刺している明るさよ
陽市とあそんだ空の雲夫人
などの句を記述している。そして、この実験の中で体験した「時間」について、彼は次のように述べている。
いわゆる正常な時間ではない。あきらかに異常な時間であった。しかし、私にとってひどく「非意味」という有用・有意味な時間であった。
彼はこの実験によって、言葉の日常的な「意味」という縛りから抜け出すことを求めていたようであり、その目的は実際に達成できたように読み取れる。
そこで、ふと思うのであるが、実験の中で彼が作った句を読んでみると、日常的な思考と比べればかなり自由ではあると思う。だが、言葉というものがもつ意味のつながりは、存在しているのである。論中に載せられた三十句あまりの句は、どれも、割と「意味」のある言葉でできているように、私には見えるのである。この実験について読み始めたとき私は、もっと支離滅裂な言葉、意味がまったくつながらない出鱈目の言葉が連なった句が出来上がるのではないかと思ったのだが。これはどうしたことだろうか。
これは私の考えであるが、実験の中では、論中に載せられていない出鱈目な句も、たくさんできたのではないだろうか。そして、その中から彼は、彼が「俳句」とは見なさないものを削ったのであろう。彼が「俳句」と呼べるものだけを残したのであろう。私がそう考える理由は二つある。理由の一つ目は、LSD体験の記述の中で数か所出てくる、次のような言葉である。
正確な心が意識障害のわが心をはっきりと自覚している。不思議である。ダメになった心をダメになっていない心がみる――それがよくわかっているという不思議。
自分が非日常の時間(幻覚など)を体験しているのだということを、冷静な自分が意識している、といういわば二重の意識である。これはLSDの特徴でもあるらしいが、ここからわかること、それは、冷静な自分がいるからこそ、十七音の定型詩である俳句が書けた、ということではないだろうか。
二つ目の理由は、まさにこの「十七音」というものに対する彼の考え方にある。それは、次のようなものだ。
五七五定型・十七音――俳句は、このように一「ゲシュタルト」として存在する、と私は考えている。十七音より短い場合、あるいは五七五定型以外の――たとえば自由律の句――ものは、このゲシュタルトとしての読者の心への詩的機能にあるいは欠けてしまうと思う。
「ゲシュタルト」は、心理学の用語。人間はものを、個々のものの寄せ集めとしてではなく、何らかの連なりとか塊とかとして認識している、という考え方である。たとえば、時間というものを人は、秒の寄せ集めとしてではなく、ひと連なりのメロディーのように認識している、という考え方である。彼は、十七音というひと連なりの長さでしか、俳句は俳句たりえないと考えているのである。十七音の形を成さなかったものは、俳句ではないから、彼は論中には載せていないのだろう。
非日常の時間体験を背後から見つめる冷静な自分が書きとめた、十七音。十七音として何らかの意味の繋がりをもちながらも、精神において自由な句が、実験の中で書かれ、論中に載せられたということだろう。
(来週号に続く)
第1回 俳句における時間 1 →読む
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