【週俳2月の俳句を読む】
どの時代にも通俗が空気を決める堀本 吟
「毛皮夫人×毛皮娘」は、かんたんないいかたですみませんが、面白くて可笑しかった。先ず毎日十句そこから一句ずつつきあわす。こういういそがしい遊びを貫いた精神に感服した。解らない句はないが、毛皮夫人も毛皮娘も通俗や風俗のシンボルとして登場するので、虚の人格で、それが実の人物に見えねばならない。そこがワザの見せ所だろう。句意は、どれも明快である。現代の諧謔を尋ねているようにも見える。
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すうどんに葱をぶちまけ結婚す 天気
…というのがダントツに気にいった。私の新婚生活がそう言う感じだったからだ。
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ほほほほと口に手を当て毛皮夫人 憲武
屏風絵にうなづく毛皮娘かな 天気
■血液製剤によるC型肝炎の感染被害者に対し給付金を支給する『薬害C型肝炎被害者救済法』が、11日の参議院本会議で全会一致で可決·成立。
この二つの句と、この句が成立した日のニュースの組み合わせは、巧まざる諷刺、というか、世界の出来事には関与しない毛皮夫人と毛皮娘のに拍手すべきだろう。どの時代にも通俗が空気を決める。「幾千代も散るは美し明日は三越」(攝津幸彦)
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ところで、「面白い」と「可笑しい」はちがう。ここで言えば「面白い」のは憲武さんの句で「可笑しい」のは天気さんの句だ。どっちも当たり前の事実を見つけて観察しているのだが、できあがってみるとユーモアの個性がちがうのである。それも、人格や感受性、俳人としての形成過程のちがいで、あたりまえのことだがそこが不思議。
酔うて寝て死んだふりする毛皮夫人 憲武 (1月15日)
…が劇的(嘘っぽく)且つリアル。
毛皮娘じつは関西弁しゃべる 天気 (1月15日)
…というのが私は好き。ほかには…
もの買ひに入るに門松が邪魔 天気 (1月3日)
松過ぎといへど門松立ててあり 憲武 (1月3日)
憲武さんは、あたり前のことをマジメに写生しようとする。天気さんは「ここはすこうしヘンよ」という処を巧くキャッチする。
日の当たるところのありて寒卵 憲武 (1月17日)
一月や亀の飼はるる金魚鉢 天気 (1月17日)
絡みあふコードを手繰りゆけば兎 憲武 (1月19日)
いとをかし毛皮娘も伊勢海老も 天気 (1月19日)
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諧謔ってなんだろう、とあらためて思ってしまう。寒卵に日があたる、キッチンに日が差し込んでいるのかな? かなり微妙な発見である。滑稽とは言い難いが、寒卵という季語の配合の巧さで成立している。そういう面白さ。
冬のあいだには、,金魚鉢には、鍋に飽きた猫が、縁日で買ってきた亀が飼われているって? それがどうした。でも亀が金魚鉢にいるのは滑稽だ、可笑しい。こういう「可笑しい」風景、やたら高価な毛皮を着ている娘も、やたら珍重される伊勢海老もどこか滑稽だが、その滑稽さに規矩をあたえて「いとをかし」とキチンと言うことが出来るのは、やはり定型でもって非定型(諧謔や諷刺は掟破りの美学だということもでできる)をいいとめる文芸の才気が働いているのである。奇をてらった風にも見えないのである。諧謔のありかたも十人十色だ、というのが正直な感想。
かように、日常の景物には面白可笑しいこといっぱいあるのだ。人はそれに気がつかないだけだ、この二人は気がついて、風俗や日常性をおもしろがる遊びを一ヶ月つづけた。ここが敬意に値する処だった。
■宮嶋梓帆 記憶 10句 →読む■矢口 晃 いいや 10句 →読む■神野紗希 誰か聞く 10句 →読む■毛皮夫人×毛皮娘 中嶋憲武×さいばら天気 →読む
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2008-03-09
【週俳2月の俳句を読む】 堀本 吟
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