2008-04-06

【週俳3月の俳句を読む】羽田野 令

【週俳3月の俳句を読む】
羽田野 令
待つということ





目つむるといふ待ちやうも梅の花   佐藤文香

待つということ、今から先の時間に何かがあって、あるだろうと思って心をその先へずっと向かわせていく、その待つというかたちの一つに目をつむることを挙げた作者。何も見えない自分の内なる世界は、待つということに一番ふさわしいのかもしれない。まなうらの闇に結句の梅の香。美しい。恋の句なのだろう。


佐保姫に寄る年波の紐の数   横須賀洋子

佐保姫は山々を青ませ暖かな風を吹かせる古代の春の女神だから、天地にわたる大きさを感じさせる季語である。それに「寄る年波の」という如何にも人間臭い既成語句が来ていて、絶妙な神と人為とのバランスがある。もちろん、姫という擬人化のための語がつくことによって人になぞらえた捉え方をされているのだが。

佐保姫はまた、作者自身のことをそういう風に言ってみたととれて面白い。幾つになっても自分にまつわってくる色々な紐やら枷やらのことを言っているのだろう。「年波の紐」だから、花衣の“紐いろいろ”とはまた違っている。古代大和の春を遠くに置いて自身の日常の像が描かれている。


空に置き去りの蹄鉄梅咲いて   中村安伸

空にあるはずのないものを置く、言葉はそういうことができる。言葉は表象であり、言葉と言葉の組み合わせによる喩として提示される作品世界をそのまま受け取りたい。

本当は持って去るべきだったのだが置いてきてしまったという、置き去りという言葉にある悔いの感じが、梅咲く頃のまだ冷たい空気感と一体になって少し痛々しい。重くて堅い鉄のものを空に幻視している作者の意識、小さな梅の花と蹄鉄との作り出す世界の超現実性に惹かれる。


啄ばめる音の小さくあたたかく   陽 美保子

谷地坊主、何なのだろうかと検索してみた。カブスゲという地下茎の発達した植物で、冬に凍って株ごと持ち上がり、春先に雪解けで根元がえぐられるという何年もの繰り返しによって、高さ4~50センチのかたまりになる釧路湿原特有のものだそうだ。その盛り上がった株のかたちがお坊さんの頭に似ていることから谷地坊主と名付けられたそうだ。谷地眼(ヤチマナコ)という穴もあるそうで、一句目の「穴釣の穴の残れる遅日かな」はそのことなのだろうか。谷地坊主がわかると、見たこともない釧路湿原が一連の後ろに広がって全体が生き生きと見えてくる。

掲句は湿原に来ている小鳥のことを詠んでいるのだろう。小さな生き物の飲食の小さな音が作者のまなざしの中にある。「あたたかく」見ているのは作者である。


蝶の口しづかに午後を吸ひにけり   山根真矢

小さなものに注目している句。小さな、あるかないかわからぬような蝶の口が、午後というものを吸っているという。午後という言葉の表すものは、昼を過ぎた時間帯であり、目に見える実体のないものである。私たちがその中に居て過ごしている時間そのもの、その漠とした大きさと抽象性が、微小な蝶の口に収束してゆくようである。昼の明るさと「しづかに」音もなく行われているということの不思議さが漂う。


キスをする春の地震の少し後   小倉喜郎

「キスをする」と初句で切れているからそこに焦点が当たるのだが、最後に「少し後」という時間を示す語が提示されていることで、時間的経過をなぞることに意識が転換されるように思った。そしてキスがうんと軽くなって伝わってくる。春に起こった地震からキスまでの少しの間を読者は物語で埋める。おそらく大きな地震ではなかったのだろうと、恐かったね等の会話もあったのだろうと。「少し後」が効いている句だと思った。


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