【週俳4月の俳句を読む】
上田信治
態度の問題
空港の使はぬ場所に雪解くる 寺澤一雄
遍路から戻り山手線に乗る
いつも通り、すがすがしいほど、どうでもいいのだが、このどうでもよさは、ひとつには、他の人の「どうでもよくない」つもりの俳句に対する批評であり、ひとつには、人生に対する態度の表明であり、そのふたつによって、作品たり得ているのだと思う。
ここで「人生」ということばを持ち出すことを、ナイーブであり性急にすぎると感じる人も多いでしょうが、どうでもいいものの代表としての、俳句であり人生であるわけです。眼中のもの皆俳句「でしかないし……」とか言い出しそうな、人生と俳句を茶にした態度を、作者と共有した気になってみる。
と、「空港」や「山手線」に、俳味がたちこめて見えてくるのが、あらふしぎ。
不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ
啄木忌吸物に麩の浮かびをり
あ、ここにも「人生」を茶にした作者が。10句中後半の一連の中に、さりげなく「吸物に麩」の句がまぎれこんでいることが楽しい。それは、きっと「出頭要請」に対する態度表明なのでしょう。
観桜のもつとも豚の重装備 二輪 通
花筵豚の隣りがガガーリン
この作者の場合、きっと「豚の句しか作らない」という態度が、まず作品。それは、戦略とかマーケティングというのとは、ちょっと違うのだろうと思う。俳句は、勝負でもなければ商売でもないわけですから(いわんや人生もまた)。きっと作者は、豚の句しか作らない自分を、縦横に楽しんでいる。読者は、その楽しみを、おすそわけしてもらえばいいのだと思う。
春の日のポストと共に住み古りぬ 守谷茂泰
わが影を憶えていたる春の坂
なんともやさしい一連。でもきっと、それは春だからかもしれず、これはひどく大雑把な言い方ですが、そういう書き方は、ちょっとホトトギスっぽいなと、思ったりして。<春灯にベビーベッドの位置決まり 稲畑汀子>
蜃気楼失敗作のごとく立つ 佐藤郁良
抽斗に小さき鍵や桜貝
今回の10句、季語に対する題詠的アプローチを感じました。それは守谷さんにも、共通。いつか津川絵理子さんについて「「季語という問」にみごとな回答を出すことに賭ける人」と書きましたが、この作者の場合<もみあげと髭つながりし今朝の冬><ががんぼや男ばかりの飯を食ふ>(『海図』)というような句もあって、必ずしもなんですが。
季語に対する題詠的アプローチは「ご名答」か予定調和か、二つに一つのようなところがありますが、「蜃気楼」という、つかみどころのないものの代表に「失敗作」とダメを押したばかばかしさが、個人的にストライクでした。
■寺澤一雄 「春の服」10句 →読む
■松本てふこ 「不健全図書」10句 →読む
■二輪 通 「豚の春」10句 →読む
■守谷茂泰 「春の坂」10句 → 読む
■佐藤郁良 「白磁の首」10句 →読む
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2008-05-11
【週俳4月の俳句を読む】上田信治
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