2008-10-12

〔週俳9月の俳句を読む〕陽 美保子 内部へと宇宙へと

〔週俳9月の俳句を読む〕
陽 美保子
内部へと宇宙へと


一日の片隅にある扇風機  中村十朗

この句は言うまでもなく、実際には畳の片隅にある扇風機の「畳」を「一日」に変えたところが眼目。俳句は写生一点張りでは面白くないし、想像ばかりでも面白くない。90%の写生に10%ほど作者の想像力(または虚)を加えることによって、1句の方向がガラリと変わったり、深まったりするところに面白みがあると思う。それを十分に承知の上で作った句と思われる。その10%の部分に「一日」や「月日」や「山河」などを持ってくるのは常套かもしれないが、この句ではなかなか効いていると思う。


よし分った君はつくつく法師である  池田澄子

蝉はなぜあんなにしつこく鳴くのだろう。これでもかこれでもかというほどに鳴く。鳴くために生きているようだ。わかった、わかった、そんなに鳴かなくても、わかったよ、そうなんだね、君はつくつく法師なんだね、はいはい、とうんざりしながらも肯定している作者がいる。そういえば、蝉の名前は「みんみん」も「かなかな」も鳴き声そのもの。まるで名乗っているかのように鳴く。もちろん、鳴き声から命名したわけだから、逆転した言い方になるのだが。そこに気づいた面白さ。飯島晴子の「夏鶯さうかさうかと聞いて遣る」もよく似ているが、面白がり方が異なる。


流れ星まぶたを閉ぢて歯を磨く  さいばら天気

まぶたを閉じて歯を磨くということはあるのだろうか?何か深遠なことを考えているとか、あるいは気持ちよくてまぶたを閉じて歯磨きを味わっているとか。まさか流れ星に願い事をしているわけではあるまい。考えてみると、歯磨きという行為は実に不思議な行為だ。自分の体の内部に手や異物を入れるわけだ。もちろん耳掻きだってそうなのだが(そういえば、耳掻きをしてもらうときはまぶたを閉じる)、耳は口ほど大きくないせいか、あまり自分の内部に繋がっているという感覚がない。口は直接、咽や胃袋や腸に繋がっている。自分の体の内部に手をいれるというグロテスクともシュールとも思われることをこの句から思いつくのは、まぶたを閉じるという行為と「流れ星」という季語の作用だろう。自己の内部がそのまま宇宙に繋がっていく感覚だ。





桑原三郎 ポスターに雨 10句   →読む
中村十朗 家に帰ろう 10句    →読む
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