2009-02-15

小野裕三 はっきり言いますが、世の中的には「前衛」は死語です。

はっきり言いますが、
世の中的には「前衛」は死語です。


小野裕三


『俳句空間・豈』第47号(2008年11月)より転載
※この原稿は「青年の主張」特集の依頼に応じて執筆したものです


主張その1 「伝統」「前衛」という括りはもう止めよう

俳句のことをあまり知らない人に、「小野さんの俳句は、いわゆる俳句っていうのとだいぶ感じが違いますね」と言われることがよくある。そこで、僕は「えーと、俳句には大まかに言うと、伝統系と前衛系というものがありましてね……」と解説を始める。しかし、この説明が結構恥ずかしい。なにしろ世の中全般で見ると、「前衛」という言葉自体がもうほとんど「死語」化している。少なくとも「私は前衛派に属しております」などと大真面目に宣言する表現ジャンルは、まず存在しない。

勿論、「伝統」派と言い「前衛」派と言い、それぞれに素晴らしい財産をたくさん持っている。また、俳句において「前衛」運動があの時代に起きたことにも大きな意義がある。だがその一方で、数十年前の運動の枠組みが未だに現役のものとして残っているのは、俳句界における長い凪状態の結果と言ってもよい。問題は、「前衛」運動を主導した世代に続く俳人たちが「前衛」という用語自体が死語になった今に至るまでその枠組みを更新できなかったことにこそある。

言葉自体が死語になった以上、「前衛」とそれに対峙する「伝統」という枠組みは、もはや便宜的な分類以上の積極的な思想性はないと冷静に見て言えるだろう。今、我々がしなければならないのはこのような対立軸自体を刷新し、それぞれが持つ素晴らしい財産を受け継ぎながら、「伝統」と「前衛」をよい意味で総合化・融合することではないのか。その上でそれらに代わる新しい対立軸が登場するのであれば、それは意義のあることだと思う。

ついでに言っておくと、過去の芸術一般における「前衛」運動に付随していたさまざまな創作手法も、「既に新しいものではない」(新しくないから役に立たないという意味ではないが)ということをまずは冷静に認識しておく必要がある。


主張その2 「季語」「定型」の是非という議論はもう止めよう

二点目は、一点目の内容とかなり密接に関係している。俳句の歴史とは、非常に大雑把に言うと「季語」「定型」という二項に対する支持と反発によってこれまで動いてきた。前記の「伝統」「前衛」の対立軸も然りである。かくして、これまではその人の思想性の踏み絵となるようなものとして「季語」「定型」は捉えられてきた節があった。

しかし、少なくとも僕個人の所感としては、結局俳句は「季語」「定型」がなくては成立しない。これは最近あちらこちらで書いているのだが、季語はルールではない、というのが僕の主張である。その趣旨は、ルールとして墨守すべきものでもないが、逆にルールとして反発すべきものでもないという意味だ。

季語は、俳句にとって現時点で考えうる最大かつ最良の詩嚢であって、それを単なるルールと捉えてしまうとかえってその本質を見失う。そして季語がそのようなものである以上、それを「必要ない」と考えるのはあまりにも実際的ではない。また定型についても、自由律の良さは定型があってこそ発揮されるという意味で、これも俳句にとって必要なものだ。

従って、例えばもし季語に代わる詩嚢があるのであればそれを使うことを否定すべきではないし(と言っても、季語を越えるような網羅的な詩嚢はなかなか存在しないというのが体験的な実感ではあるが)、無季の句と有季の句が一人の中で混在したとしても、それは時々によって使う詩嚢が違うと理解すれば、別に不思議なことでもない。

そう考えれば、すべての句が「季語」「定型」の条件を備えるべきだとは思わないが、逆に「季語や定型は要らない」という主張も首肯できない。もっと言えば、そもそも「季語」「定型」の是非を軸として俳句界の構造を見てしまうことが既に時代遅れ。少なくとも現時点においての俳句表現の核心は、間違いなく「季語」「定型」という宝庫の中にある。


主張その3 有季定型の裏側にある「自閉」に自覚的でいよう

三点目の主張は、二点目と裏腹の部分を持っている。前述のとおり、季語というのは素晴らしい財産だ。だが、素晴らしくよく出来た詩嚢である分、諸刃の剣とも言えるものを孕んでいる。

終戦直後、虚子は新聞記者の取材に応えて「俳句は戦争(第二次世界大戦)によって何も影響を受けなかった」と語ったという話があるが、この趣旨自体は理解できる。他の文芸、もしくは他の創作ジャンルは、季語のように豊かに整備された詩嚢を持っていない。

従って、時代性や思想性やその他、「隣の芝生」のことに絶えず気を配る(しかもどこか肉食動物的に)という風土が自然発生する。だが、こと俳句に関して言うなら、季語によって充分に自足もしくは自立しうる。虚子の発言もその趣旨なのだろう。

ただし、文芸として「自立/自足」しうるからと言って戦争やその他現実社会の矛盾に眼を向けなくてよいのかという倫理的判断はまた別問題である(「第二芸術論」とは、この後段の部分に焦点を当てた俳句批判であったが、そもそもそこでは俳句がそれのみで充分に「自立/自足」しうる文芸だという根本的環境は理解されていなかったように思う)。

ところが、冷戦の終結、それに付随する「大きな物語」の終焉によって、皮肉な言い方にはなるが結果としては多くの文芸は大きな詩嚢を失うことになった。以来、さまざまな文芸もしくは創作ジャンルはどこかしら試行錯誤を繰り返しているようなところがある。

ところが、怖しいくらいに俳句は揺るがない。それは、そもそも俳句が季語によって自立/自足しているからで、このような先天的体質は、俳句文芸の強さでもあり弱さでもある。そしてそのような「自立/自足」に繋がるという意味では、俳句として屹立することを積極的に促す「定型」というシステムも「季語」に類似している。

そして今現在、やはり俳句は自立/自足している。短歌、現代詩、小説、評論、あるいは音楽、美術などの隣接する他ジャンルに対する肉食動物的な気配りを俳句はあまりしない。それを揺るぎないという言い方もできるが、自立はどこか自閉にも繋がるのではないかという心配もある。

実際、最近のさまざまな文芸を見ると、いろんな意味でジャンル横断的な相互意識がかなり縦横に働いているように見える。それは、彼らが例えば季語のように有効な詩嚢を持っていないから、ということの裏返しでもある。

俳句が季語や定型を持っていることは俳句の幸福だ。だがそのことによる自立は時に自閉にもなりうる危険性を伴う。少なくともそのような幸福の裏側にある陥穽にも充分に自覚的でありたい、ということは自戒を含めて最後に言っておきたいと思う。


〔参照〕

5 コメント:

IMAGON さんのコメント...

<泰平の世、なんでしょうか>

小野裕三様、興味深く拝読いたしました。今日は埼玉県の越生に梅見に行って参りました。梅の匂いを引きずりながら、ぬくぬくと暖かい電車の中で考えてみました。

<前衛は「死語」です>

普通の俳句愛好家にとってはもはや存在しないと言った方がよいのかもしれません。

「(前略)前衛俳句は俳句の多様性を示したが、作家同士の対立や伝統回帰の機運などにより、収束へ向かつた。」(極めつけの名句1000、角川学芸出版より)

絶滅宣言ですね。それ以上に、歴史的事実として「終わった」と淡々と記述されていることにショックを覚えました。しかし、そもそも「前衛」とはどういう意味でしょうか?考えたことがありませんでした。

現在、俳句愛好家で今の俳句を嘆く人が多いとは思えません。子規が月並俳諧を前にして呆然とした、あのような状況ではないでしょう。不満がなければ闘いは起きない。ならば「前衛」もない。今は俳句にとって天下泰平の世です。黒船が来るまでこの泰平は続くでしょう(笑)。前衛はそれまでお預けですね。

<季語はルールではない>

季語はルールでなく「道具」でしょうか。私は共鳴体と思っています。一本の弦でも季語を共鳴させて大きく深い音を出すことができる。しかし、共鳴させず、あえて蚊の鳴くような音にするのもよし、アンプでギンギンにするもよし。ご自由に、ですね。

<有季定型の裏側にある「自閉」>

ただし、詠み手と読み手が「共振」してはじめて季語が働く点は要注意という気がします。共振を求めれば、大きく共振する人だけを集めて蛸壺化する危険があるし、悪くすれば「季語遊び」になってしまうかもしれない。相子智恵さんの仰る「その風景に配するのに最適な季語となる景物を同時に探してしまう自分の眼」は私にも当てはまります。ちょっと危うい。

山本健吉の歳時記を読むと季語世界の豊かさにいつもメロメロになってしまいますが、その奥義を極めることが自分のゴールなのか、と自問すれば、自信をもってハイと言えません。季語が実生活から離れてバーチャルなものになっていること、実生活や意識の方はどんどんグローバル化していること、が根底にあるようです。

あるテレビ番組で、サウジのビジネスマンが「心の平静を求めて砂漠を見に行く。砂漠の移ろう姿によって心が洗われる」と語っていました。その心情を表す詩語がアラビア語にはあるはずです。それを季語にして素晴らしいハイクが作れるでしょう。

異言語・異文化で季語世界を共有するすることは難しい。しかし、花鳥諷詠の詩心は世界共通です。砂漠の民やイヌイットと吟行して句会をしてみたい。こんなに楽しいことはなかろうと思うのです。そのためには最低限、英語でハイクが詠めないと・・・(苦笑)。
イマゴン

獅子鮟鱇 さんのコメント...

 前衛vs伝統がもはや死語化しているというのは、そのとおりでしょうね。そこから、活発で前向きな議論が生まれてくるようには、確かに思えません。何かいいたいなら、実作でしめしてくれ、そういう状況になっているのでしょう。
 しかし、「今の俳句はツマラン」と思っている俳人は、いつの時代にもいると思います。「今の俳句」これもちろん、「私の知る限りの今の多くの俳句」という、主観的な世界の話ですが・・・
 でも、「ツマラン」と思うことが、すぐれた作品を生み出すエネルギーになると私は思います。「ツマラン」ものを読まされたことを深く恨み、その補償を自らの作で実現しようと思えば、ツマランものの墓につばきを、です。
 そこで、前衛という言葉はもはや死語であるにしても、「今」を壊そうと思う俳人は、これからも出てきます。

IMAGONさん>しかし、花鳥諷詠の詩心は世界共通です

 そうでしょうか?「花鳥諷詠」は、異言語・異文化のひとつではないでしょうか。
 1988年生まれの北京の女性漢詩人が1997年、つまり9歳の時に書いた詩に、

   爺爺笑○○,教我学写詩。不写花和鳥,只剥虎狼皮。 ○○=口+喜

  お爺さんが嬉しそうに笑って、私に詩の書き方を教えてくる
  花と鳥は書かずに、ただ虎や狼の皮を剥いでいる

 この作者、お爺さんも詩人、お母さんも詩人、三代にわたって古典詩を書いています。
 さて、その作品を看ると、なるほど花鳥はかつては中国でも詩材だったようです。そこで、「吟風弄月」という四字成語があります。これ、風月を吟じ弄ぶの意味です。
 でも、「嘲風弄月」という四字成語もあります。これ、風月を嘲弄する、の意味で、風雲月露などの景象を描写して思想内容が貧乏な作風を指します。
 花鳥諷詠の詩心を貧乏と見る向きは、決して北京の人たちだけではないと思います。

小野さん>季語を越えるような網羅的な詩嚢

 季語を越えるような網羅的な詩嚢は、中国詩の場合、対句と詩語、さらには成語でしょうね。佩文韵府は、およそ百科事典ほどの紙の厚さと重さで詩句を集め、詩語と作例を、新作漢詩の部品として使えるようにしてあります。私は使えませんが・・・
 しかし、「佩文韵府」は、詩嚢ではありません。「詩嚢」という言葉は、漢詩の詩語ですが、詩の草稿や詩想を入れるための袋で、詩を作るための工具を入れておくものではないからです。
 季語は詩語同様、共有されます。つまり、作者の独創語ではなく、だれでも使える工具です。詩嚢は、草稿や詩想など一個の詩人の秘めた思いを入れておくものであり、それが、何かを網羅している、というようなことはない、と思います。李白や杜甫や蘇軾の詩嚢、あるいは、陸遊(生涯三万首)、乾隆帝(生涯四万首)の詩嚢であればともかく・・・

IMAGON さんのコメント...

獅子鮟鱇さん>
外野のキャッチボールになってしまいますが(苦笑)・・・ホトトギス系の「花鳥諷詠」です。虚子によれば「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂であります」です。かなり普遍的なことと思います。

獅子鮟鱇 さんのコメント...

IMAGON様
 獅子鮟鱇です。虚子の言、お引きいただきましたが、上記拙文中の花鳥は、虚子の「花鳥諷詠」論も踏まえて書いております。
 虚子の「花鳥諷詠」「客観写生」が、日本では大いに成功した俳句論であることは、小生も承知しています。多くの俳人を生み出す原動力となった、という意味で、確かに成功しました。
 しかし、それは、世界の果ての極東の日本という国の、昭和という時代の、俳句という詩の一部である世界での、ひとつの成功です。そこで、「かなり普遍的なこと」とまでは言えないと思います。
 ご存知のことと思いますが、虚子は、パリで「ハイカイ詩人の一団」と会っています。虚子は、ハイカイ詩人が、「俳句に大切な季ということになりますと少しも問題にしていないことを知り」、次のように述べています。

  そうしてその詠じる所のものは、主として哲理めいたもの、時事風刺に類したもの、理想を謳うもの、感情を述べるもの、の類でありまして、それらの思想は剥き出しに諷詠されていました。(高浜虚子『俳句への道』岩波文庫)

 ボードレールやヴェルレーヌやマラルメやヴァレリーやアポリネールやアラゴンなどの詩人を生み出した国の俳句が、虚子の眼にどのように「剥き出し」に映ったのかは、私には知るよしはありません。
 しかし、フランスの詩人たちが、虚子の俳句論を受け入れるわけがないことは、容易に想像できます。フランスの詩人は、哲学や理想や風刺や愛は詩の源泉である、と考えていますが、自然、それも四季が詩の源泉であるとは(よほどに田園を愛する詩人でもない限りは)思わないからです。そこで、「かなり普遍的なこと」とは言えません。
 一方、詩の源泉を四季に求める俳句は、たとえばルーマニアにはあるようです。しかし、ルーマニアの俳句は、日本の俳諧からそれを学んでそうしているのであって、四季に特化して詩を詠むことが、ルーマニアの詩に始めからあったわけではありません。
 フランスの例、そしてルーマニアの例、このふたつを見れば、四季に詩の源泉を求めることは、詩におけるひとつの(あるいはローカルな)文化現象であり、人間が天然自然に抱く詩情とはいえないのではないでしょうか。
 詩の源泉を四季に求める文化現象の淵源は、わが国の俳句の場合、江戸の俳人に好まれた王維などの作品の一部(漢詩の一部)を四季に即して読んだあたりにあり、日本の俳句がそれを育てて四季による分類を強め、世界の一部に輸出し、その一部で(たとえばルーマニアで)成果を生み出しているのだろう、と思います。
 そこで、詩としての俳句、ということを考えるのであれば、「かなり普遍的なこと」と見るよりは、俳句の創作手法のひとつ、と見た方が、詩とその方法についての視野が広がってよい、と思います。
 「花鳥諷詠」「客観写生」に基づき俳句を作ることには、過去の成果はあっても、新しい未来は期待できない、と思います。そこで、過去の成果を大切にすることには、日本人の美風の一部を将来に伝えていく、というような意味はあるでしょうが、今の若い俳句実作者のみなさんが、それをどれだけ受け入れるものか、と思います。

 以下、「花鳥諷詠」をめぐっての蛇足です。
 花鳥を詩に読むことは、漢詩でも行われており、たとえば、孟浩然の『春暁』は、わが国でも大いに愛読されています。でも、世界の詩人は、花によって春の風物を読むことよりも、美しい女性に対する思いを詠むことの方を、より重視していると思います。漢詩では李白が楊貴妃を牡丹にたとえ、西洋詩でも恋人は花。『春暁』にしても、春の風物を詠んでいるのではなく、孟浩然が、詩人としての孟浩然を敬愛する妓女と一夜を明かしたことを詠んだ詩、とする中国人の卓越した解釈(その本、今は手元になく、その方の名前をここに書けないのが残念です)を読んだことがあります。そういう読み方をすると、『春暁』はとてもエロチック、「春眠暁を覚えず」は、深いセックスの余韻、ということになります。「夜来風雨の声」は何だったのか。「花落つること知る多少」、って何のこと、ということになります。しかし、四季に詩の源泉があると思っている日本人には、『春暁』をそのように読むことはできないでしょうね。
 場外でのキャッチボール、とのことですが、以上、言い放し、投げっ放しで失礼します。

上田信治 さんのコメント...

小野様

無駄な議論はもう止めましょうという、本文の主旨には、おおいに賛成です。

ただ、やっぱり「季語はルールではない」とは言えないのではないか、と。

自分のブログの方に書きました。ご参照いただければ幸いです。

胃のかたち
http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-137.html