2009-03-01

山口優夢 ロシアに2泊3日で行ってきました日記 1日目「抱きしめたい」

ロシアに2泊3日で行ってきました日記
1日目「抱きしめたい」

山口優夢


1日目(2月20日金曜日)

旅の始まりは、久しぶりの雨だった。荷の中に折りたたみ傘は入っていたものの、すぐに差して使うためには柄の長い傘も持っていかなくてはならない。旅先の何処かで棄ててきてもいいようないい加減なビニール傘を持って家を出る。大きなスーツケースを転がして歩く僕だけが、いつもの町の中で日常からはみ出そうとしている。けれども、もちろんそんなことはこの町を行く誰も気に留めてはいなかった。

旅に同行するS井、S崎と東京駅で合流。彼等二人は今年3月で大学を卒業、今回のロシア行はその卒業旅行である。僕は彼等とは高校の同級生で、3人でつるんで遊ぶことが多かったので、この旅行にも一緒に行くことになったのだった。ボストンバッグ一つを肩にかけてきただけのS井、そして僕のものよりさらにもう一回り大きなスーツケースを転がしているS崎がやってくる。

冬のロシアはマイナス20度の世界なので、今回の旅行の準備は「防寒」が第一であり、そのためにマフラーやら毛糸帽やら耳あてやらヒートテックの下着やら、とにかくそういった装備一式をそろえてきた僕などに比べて、S井の準備は明らかに少ない。それとは対照的に馬鹿でかいスーツケースを転がすS崎は防寒具を「念のため、念のため」と大量に詰め込んだ結果の荷物であり、このあたり、性格のまるでばらばらな三人をよく表している。

12時12分東京駅発の上越新幹線に乗り込み、一路目指すは新潟駅。新潟空港からハバロフスク行きの飛行機が出ているのだ。新潟に向う車内で、外務省のホームページにある海外安全ホームページ、安全の手引きのコピーを回し読みする。僕が当日の朝、打ち出して持ってきたものだ。

これらのページでは、日本からの渡航者の安全を守ることを目的として、防犯対策や過去に渡航者が遭遇した犯罪についての情報を公開している。たとえば、「日本人の被害例」という項目はこんな具合に被害例が箇条書きされてある。

・早朝、ウラジオストク駅発の夜行列車「オケアン」号でハバロフスク駅に到着した邦人男性1人が独りで歩いたときに、背後から複数の暴漢に襲われ、パスポート、現金等を強取された上、右腕骨折、顔面打撲などの重傷を負う事件が発生した。

・乗り合いバスに乗って友人宅へ向っていたところ、いつの間にか背負っていたリュックサックが破られており、中の貴重品がなくなっていた。

・ウラジオストク駅付近のカフェで知り合ったロシア人にホテルまで送っていくと車に乗せられ、人影のない場所で車から降ろされ暴行を受けた後、金品を奪われた。

こんな被害例が二、三十件書かれている書類に目を通すうち、さすがにみんな顔が引きつってくる。決して彼ら二人をびびらせるために持ってきたわけではなく、知っておくべき情報としてこれらの書類を持ってきたのだったが、結果的にこれからのロシア行に対する不安と緊張がどんよりと三人を包み込むこととなる。「・・・このまま新潟でスキーする、っていうことにしてもいいんじゃないか」という後ろ向きな意見まで出始める始末だ。

14時16分、新潟駅着。東京よりは幾分か寒いが、ロシアの寒さにも対応できるように防寒具を重装備している三人にはどうということもない。駅からバスに乗って空港へ。低く重たい雨雲が垂れ込め、歩道と車道のあわいにどろどろと雪の残る新潟市内を車窓に見る。車道の中央分離帯に置かれた雪吊りが手ぶらで暇そうにしている。豪雪地帯の新潟も、もう春なのだ。

  雪国の春黒ずめる煙出

飛行機が新潟空港を出るのは17時40分。使用する航空会社はウラジオストク航空。出国審査を受けたあとの空港のロビーに、僕とS井は、持っていくと邪魔であろうビニール傘を棄てていくことにする。ロビーのソファにわざと置き忘れてくる、という寸法だ。傘を置いてきて飛行機に乗り込んだ数分後、金髪のロシア人キャビンアテンダントがにこやかな笑顔を浮かべ、「これ、忘れ物でしょう?」といった風情で(ロシア語なのでよく分からなかったが)、僕とS井の傘を持ってきてくれた。S崎が笑いをこらえている。ほとんどがロシア人で占められた周囲の乗客の胡散臭そうな視線を浴びながら、僕とS井は仕方なく傘を受け取るのだった。悪いことはできないものである。

飛行機の座席は右側に三列、左側に三列並んでおり、中央には細い通路があるだけ。ジャンボジェットなどに比べればだいぶ機体が小さく、シートベルト着用ランプもない。しばらくすると定刻どおり離陸。飛び上がった後、上から新潟の灯を見下ろす。街はもう夜だったが、雲の上に出ると空は紺色、まだまだ明るく、西の空に広がる雲のうえに太陽の残照が揺れていた。ああ、いよいよ引き返せないところまで来てしまったのだ。

ハバロフスク着は、現地時間20時50分。日本との時差1時間なので、飛行機に乗っていたのは、実質2時間10分。ここはロシアの中でもずっと東、日本にかなり近い、極東地域なので、モスクワなどに比べてはるかに短時間で到着するのだ。ハバロフスクの街の灯を眼下に見て、新潟の街の灯に比べどこか灯の密度が薄いという印象を受ける。

飛行機はハバロフスク空港に着き、タラップで夜の底に降りる。機内から一歩外に出た途端、経験したことのない寒気に凍りついた。寒さが体の表面にみっしりと張り付いてくる。分厚く着込んだ胴体よりも、手足や顔など寒気に晒される部位が痛い。息を吸い込むたびに体の中に細かな氷の粒子が入ってくるような感覚があり、慣れないと咳き込んでしまう。気をつけないと滑ってしまいそうな、凍りついたタラップを一段一段降りて、やはり凍りついた空港の地面に降り立つ。ロシア、第一歩。

飛行場を出ると、旅行会社に手配してもらっていたドライバーが我々一行を待ってくれていた。白く、古ぼけたバンに乗せられて夜のハバロフスクを走り出す。空港から都市部に出るまでは暗い道。まっすぐ続く道路の幅が広いこと(4車線くらいあった)、道に沿って切れ切れに出てくる家々やアパートがどれもくすんだ色をしていること、夜だからか道路に引かれた白線が見えないこと、などが日本と違っていて、異国に来たという現実を思わせる。

  穴のごとし夜のロシアの寒林は

道端に時折見える林は暗く深く、そのままシベリアの奥の森につながっているかのようだった。

10分ほど走った後、今夜の宿であるインツーリストホテルにたどり着く。ロシアでは3人一部屋に泊まるということはできないらしく、S井だけ違う部屋になる。部屋で一段落ついてから、飯を食べに行くことに。部屋にいる間は、部屋の鍵とチェーンを両方かけて、訪問者があったときには必ず誰が来たのか確認してから開けるようにする。夜間外出するのはどうやらリスクが高いようなので、ホテルの中の韓国料理屋で済ました。

その後、ホテルの11階にある「市内で一番安全な」ナイトクラブ「11」に3人で入る。ここでは22時30分から24時までトップレスショーが開催されているという話を前々から聞いていて、3人とも大変楽しみにしていたのだが、残念ながら我々が来たときにはもうそれは終わってしまっていたようだった。それぞれの席で皆がお酒を飲み、歌いたい人が前に出てカラオケをしている。

まずはウォッカで乾杯。その味は正直あまり覚えていない。覚えているのは、ウォッカが我々の胸をひりひりと焼き、むしろ体の乾きをあぶりだしてゆく、その感覚。一杯飲み干す頃にはじんじんと頭も痺れてくるのであった。さすがにこのままウォッカを飲み続けていてはやばい、と、その後はロシアの地ビールに切り替える。確かこのとき飲んだのはバルチックビールだったが、味が濃いわりに喉越しが爽やかな、おいしいビールだった(こちらはちゃんと味を覚えている)。

ロシア人たちが歌う歌は、哀愁漂う歌謡曲調のものが多かった。だれかが歌うと、それに合わせて違うグループの人たちがてんでに前に出てきて勝手な踊を踊り始める。カウンター席に薔薇の花束を残して前に踊りに出る者もある。独りで踊り狂う者もいれば、男女二人で出てきてねっとりと絡み合う者もいる。ロシア女性は皆手足が長く、胸が豊かで、踊ると迫力がある。彼女らは顔かたちも見目麗しい女性が多いが、何よりもその体型が我々とはまるで違う。すごい美人ばかりなのだ。しかし、僕と同様に見た目の冴えない東洋系の中年男性が、自分より10センチは背が高いのではないかというスレンダーな美女を3人連れて、我々が飲んでいた隅のボックス席の前を通って行ったときは、我々3人とも鼻白んだ。

  異郷とは薔薇を噛みをるナイトバー

しかしそんなあれこれとは少々距離を置きつつ、三人しておとなしく隅っこで飲んでいるうち、S崎が「俺も歌いたいんだけど」と、とんでもないことを言い出す。どうせ酔っ払って気が大きくなっているだけだろう、実際には歌いはしないだろう、と高を括っていたが、どうやら本気らしく、日本の曲の曲目リストを持ってこさせてリクエスト用紙に曲のナンバーを書き付けている。海外安全ホームページには「目立つ行動をとるな」と書かれていたじゃないか。と、言ってみてもどうやら無駄のようなので、あきらめてリクエスト用紙を奥のブースに持っていくと、やがて流れてきた曲は「抱きしめたい」(Mr. Children)。90年代前半に流行った、かなり古い曲だが、ロシアのカラオケに入っている日本語の曲はやはり少ないらしく、S崎のニーズに合うのはそのくらいだったようだ。

S崎、熱唱。「抱きしめたい。溢れるほどの思いがこぼれてしまう前に」その歌詞は、かなりストレートに愛情を表現していて恥ずかしいほどだが、なに、どうせロシア人たちには分からない。実に気持ち良さそうに歌っていると、ロシア人の男女二人が前に出てきて、曲に合わせてねっとりと踊り始めた。言葉は分からなくとも、曲の雰囲気でラブソングだと分かったようだ。音楽が国境を越えた、記念すべき瞬間であった。

歌い終えた後はまばらな拍手。しかし、この成功に気を良くして、あとに続けとばかりS井が歌ったエアロスミス、僕が歌った米米CLUBは、ナイトバーにいた誰も反応することなく、三人ともいたたまれない気分に陥ったのは、正に蛇足というほかない事態ではあった。

それでも、雰囲気に酔うこともできたし、いい気分になって午前2時過ぎに自分たちの部屋へ帰る。S井はそのまま就寝。僕とS崎は、移動中など暇な時間ができたらやろう、ということで持ってきていたモノポリーというボードゲームをついつい引っ張り出してきて、ついついやり始めてしまい、ついつい朝6時まで二人で夢中になってしまった。窓の向こうが少しだけ明るくなった頃に就寝。

  あけぼのはそろそろ雪の音するか

(2日目につづく)

5 コメント:

玉簾 さんのコメント...

楽しく読ませていただきました。次回を楽しみにしています。

優夢 さんのコメント...

玉簾さま

ありがとうございます!
二日目は帽子欲しさで大変なことになります。

お楽しみに。

leyla さんのコメント...

音楽が国境を越えたところが面白かったです(笑)

グミ さんのコメント...

旅行から帰って読みました。
ジム・ジャームッシュとかアキ・カウリマスキの雰囲気来てて、続編楽しみ~。
ビニール傘は持ち帰るのかしら。

優夢 さんのコメント...

leylaさん

ありがとうございます。

ただ、惜しむらくは僕の歌った歌は国境を越えられなかったのですが(いや、歌が悪いのではなく、きっと歌い方が悪かったのでしょうが)。

グミさん

ありがとうございます。ぜひ、楽しみにしていてください。

あ、ビニール傘は、気がついたらなくなっていました。送迎の車の中に置いて来てしまったようです。棄てる、というより、結局のところ忘れてくる、という形になってしまいました。。