2009-05-24

林田紀音夫全句集拾読 068 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
068




野口 裕





欄干の幾人か減る虹の裾

昭和四十九年「花曜」発表句。この年から、鈴木六林男の「花曜」に同人参加。第二句集はそれ以前の句でまとめてある。第二句集刊行が昭和五十年。「花曜」参加以降の句を外してあるのは、何らかの決断とも考えられるが、巻末の解説では、「花曜」参加は事後承諾とのこと。偶然の一致か。

掲出句は、「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」を連想させるところもある。しかし「幾人か減る」は、生死不明の失踪状態と受け取る方がより自然だろう。戦争を経て、生死不明のまま消息の分からぬ往時の知人を思い浮かべでもしているのだろうか。

 

雨音の魚拓の黒の中に病む

昭和四十九年「花曜」発表句。三橋敏雄の

 少年ありピカソの青のなかに病む (『まぼろしの鱶』)

が、昭和四十一年。これも挨拶句か。「魚拓の黒」が、「ピカソの青」に拮抗する。

この句だけで、紀音夫の趣味が釣りかどうかはわからない。しかし、雨に降り込められた宿屋にて魚拓をふと見かけて、そんなおもむきから、趣味ではないような印象を持つ。

 

米洗う水が枕のほとりを行く

昭和四十九年「花曜」発表句。吉井勇の、

 かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる

を下敷きとしつつ、

 草の戸に我は蓼くふほたる哉(其角)
 朝顔に我は飯食ふをとこかな(芭蕉)

の二句にならったか。思いつくだけでも、鬼房、龍之介、敏雄、そして今回の勇と、先行句(歌)をいじる趣向が結構好みのようだ。生前を知る人が、句からは考えにくいほど明るい人だった、という回想があることと考え合わせると、紀音夫のひとつの傾向がかいま見える。

 

針山に埋もれる日々の砂時計

運針の夢寝(むび)に絹より滴る血

昭和五十年「花曜」発表句。裁縫の姿に触発されたと思われる二句。一句目の砂時計の比喩は常套手段だが、「埋もれる」としたことで、複数の砂時計が針の山に埋もれるような奇妙な光景が現出した。二句目も、超現実的な映像を喚起させる。内に秘める思いは二句目の方が強い。

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