2009-05-03

〔週俳4月の俳句を読む〕上田信治 なんとなく「上から目線」

〔週俳4月の俳句を読む〕
上田信治
なんとなく「上から目線」


春の夜はあざらし すきまなく抱く 江口ちかる
惨劇の跡はイチゴの匂いして

「バックストローク」「街」の2グループに属する作者。川柳・俳句の二つを横断する意識で、書かれているか。

春の夜の〉の句。〈あざらし〉を抱くのか、抱かれるのか、一字あけの隙間にある、主体の(主語の)ねじれに興趣がある。

惨劇〉の句。その匂いが、ほんとうに〈イチゴ〉なのか、それともやっぱり血の匂いなのか。二つの両立しない表象が交互に現れる……と、ここにも「ねじれ」の主題があるわけだけれど、この句、なぜか、ほんとうは下の句があるべき、という気がしてならない。



初蝶のニクロム線の匂ひかな   山口昭男
こでまりの咲いて手首のよく冷えて

取合せの句の楽しみは、しばしば「付け筋」を発見することにある。爽波、裕明という、アクロバティックな取合せをよくした作家のもとにあった作者の作も、また。

初蝶〉と〈ニクロム線〉の間をつなぐ、ミッシングリンクは「光る線」ということだろうし、〈こでまり〉と〈手首〉のあいだには「白く差し出されるもの」という共通項がある。

そして作者に発見になる、〈初蝶〉の「熱」と、〈こでまり〉の「冷え」を感覚することは、読者に残されたお楽しみである。



鳥交るあをぞら神の見えざる手  小川軽舟
黒板に散らかる声や桃の花
鳥の恋革の手帳の角潰る

という意味で、たいへんお楽しみの多い10句。〈鳥交る〉の句にはブラウニングの「なべて世はこともなし」が強く響いているし、〈黒板に〉は入学ではなく「卒業」の声が散らかっているのだろう。

なかでも〈革の手帳〉に〈鳥の恋〉ときたら、それは「恋は遠い日の花火ではない」の長塚京三を、思わざるを得ないわけで。



まなうらの暮春の橋を渡らねば  麻里伊

「暮春」といえば、もちろん春の終わり頃のことだが、そこに「春の暮」の、つまり夕方のイメージが、かかってくることは、避けられない。作者は、春の西日のまぶしさに目をつぶり、その暖かさを感じつつ、なにか、あせっているのである。

そういえば〈春の尿〉も、ずいぶんあせっていますね。



匂ふほど間近くありぬ春の鳶  川嶋一美
花筏うつらうつらと組みはじむ

今年、第一句集『空の素顔』を上梓した作者。〈目薬はひかりの類いぬふぐり〉〈雪うさぎきらきらと尿のこりけり〉〈栄螺殻ぽかんと空の明るさよ〉〈毛皮店森のしづけさとも違ふ〉など、向日性と卓抜な比喩が印象的だった。

掲句、〈春の鳶〉を〈匂ふほど〉近いと感じ、〈花筏〉のたゆたいを〈うつらうつら〉と言う機知は、いぜんとして好調であるらしい。



小石にも影は平等春夕  南 十二国
特急の映り了りし植田かな

たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう〉なんて言われると、もう、この若い作者に「転がされてもいい」という気になるのだが、本領は、掲句のような描写に託された、青春性にあるのだろう。



新社員仲間ゐるかと探しをり  寺澤一雄
熊蜂のつつじつつじと潜り込む
夏めくや餌に集まる鯉の口

いく度も米搗虫を裏返す

海底に顔紛れたる虎魚かな

評者、どうした体の加減か、ここまでなんとなく「上から目線」で、書き連ねてしまったような気がして忸怩たる思いだが、この10句には、あらためて目つむり頭を垂れ、田紳遊楽を思わせる境地を味わいたい。

新入社員〉も〈米搗虫〉を裏返す作者も、ひとしく、アニミズム的視線のなかにある。それは、ヒトをとりまく環境の「物語化」ということである。


江口ちかる ぽろぽろと 10句 ≫読む
山口昭男 花 札 10句  ≫読む
小川軽舟 仕事場 10句  ≫読む
麻里伊 誰彼の 10句   ≫読む
川嶋一美 春の風邪 10句  ≫読む
南 十二国 越 後 10句  ≫読む
寺澤一雄 地球儀 10句  ≫読む

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