2009-05-03

〔週俳4月の俳句を読む〕草深昌子 二物から第三の何かが

〔週俳4月の俳句を読む〕
草深昌子
二物から第三の何かが


花札の裏は真黒田螺和へ   山口昭男

田螺和といえば、蕪村の〈なつかしき津守の里や田螺あへ〉をなつかしく思い出す。子供の頃、大阪津守の渡し場あたりは一面の田んぼで田螺はどこにでもころがっていた。のん兵衛は難波の一杯飲屋で、田螺のむき身に青ネギを刻んで酢味噌和えにしたものを肴にしては気炎をあげた。その泥臭さが、庶民感覚にたまらなかったという。ここ丹沢山系の麓、厚木市では田螺の佃煮が名産として珍重されたが、いつのまにか見かけなくなった。

そして花札、これまた子供のころは大人に打ち交じって興じたものでなつかしい。我が家の花札の裏は真茶色であったように記憶しているが、ここは真黒である方が、表の多彩をいっそう偲ばせる。猪に萩、鹿に紅葉、蝶に牡丹等、定番の絵柄が何やら見え隠れする。

「田螺和」と「花札の裏は真黒」の二物の透き間からは、寂光とでもいうような鈍い光りが射しこむかのように感じられる。季節感が鮮やかであった時代の郷愁の香りといったものも洩れてくる。これは瞬時的なもので、斯く斯くしかじかと鑑賞をかみ砕くことは難しい、また下手に書いては文字通り味わいを損ねそうである。

「季題」と「季題でないもの」が大きくかけ離れている、それでいて、二物は離しようもなく背中でくっついているという作風は、波多野爽波、田中裕明に師事された作者ならではの個性であると思う。

個性は要らない、個性なんて単なるクセにしか過ぎない、と教えられてきた私であったが、数年前のある日、田中裕明が、「個性のない俳句はつまらない。個性的な作品をつくってつくって、やがて澄んだ非個性の俳句が生れればよしと考えます」と書かれたことに甚く納得した。爽波の多作多捨の裏打ちがあっての発言であろうが、「つくってつくって」に気が楽になったのを覚えている。

鳥の恋革の手帳の角潰る   小川軽舟

仕事場の二階の朝湯初桜   小川軽舟

仕事師の二句は表情を異にしているが、その彫はどちらも深い。読んで即巧いと唸らされながら、その巧さが鼻に付かない、潔癖さが際立っている。

前句、手帳を繰ろうとしてはたと気づかされた、角の潰れ。書き込みに溢れる手帳は当然ポケットの出し入れも頻繁、傷みも早い。革の手帳という強固なものにしてあれば、ふと自己憐憫の思いが湧いてこなくもない。おりしも天上では鳥どちの恋愛合戦が始まっている。その熱気に押しつぶされたような気配でもある。だが、この多忙こそがわが生きがいとばかり作者は一息入れて、又新たにアポを加えたに違いない。

後句、メリハリとともに、澱みなく読み下ろして、いかにも清々しい。初桜にして朝桜の透明感や淡い色調、ちょっと冷ややかな感覚など、すべては「朝湯」のもたらすものであろう。その上「二階」とくると、少々高みにあって、雑多な日常を切り離した仕事ぶりのよろしさが思われ、いっそう初々しく桜を輝かせるのである。

軽舟氏の俳句も、ただ置いただけではない二物があって、二物から第三の何かが現れるという詩法がとられている。第三のあたりから立ち上ってくるのは、作者の熱い気息である。眼力の働き、つまりは精神の緊張が、季語の世界をあきらかに見せていることに気づかされる。

誰彼の朧となれば繋がつて   麻里伊

朧夜の公園あたりであろうか、実景を下敷きにして、その表現は「おぼろ」仕立てである。曖昧模糊たるものはそのまま曖昧模糊に詠いあげる、だが「繋がって」いるところに朧ならではの趣があることをしかと捉えている。「て止め」は一句を循環させるものであるが、作者の嘆息めいた小休止のようでもある。

朧を大きく包み込んだ掲句の一隅にふと浮かび上がるのは、かの池内友次郎の〈くちづけの動かぬ男女朧月〉である。人なつかしい朧夜である。

ゆふづきの夜を待つ白さ春の風邪   川嶋一美

春の風邪は女に似合う。冬の風邪ほどの悲壮感もなく、一種の春愁のようなとりとめもないもの。眼も潤んで、水洟をすすりあげる仕草にもどことなく女らしさがただよう。「ゆふづきの夜を待つ白さ」にはそんな春風邪の風情がよく通っている。

あたかも季節に敏感な感受性が春風邪の一因であるかのようである。「白さ」は写実であると同時に、作者の心象もこめられているのであろう。


たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう   南十二国

「たんぽぽに小さき虻ゐる」とまでは詠えたとして、もう逆立ちしても「頑張らう」とは置かないであろう。若さが眩しい句である。

小さきものに尚小さきものを配合して、「頑張らう」とささやかくことの力強さ。「頑張らう」という呂律からは虻そのものの飛翔の所作が浮かびあがって、取ってつけた言葉のようには思えない。

ときとして俳句実作者は、自身で気づかぬうちにこの世の自然のありように大きく励まされていることをあらためて気づかされる句である。

〈温みたる水に寄りがち自転車も〉も動きがあって楽しい。動き、つまり表現が作者の意図的なものでないところが、心地よさの原点。


江口ちかる ぽろぽろと 10句 ≫読む
山口昭男 花 札 10句  ≫読む
小川軽舟 仕事場 10句  ≫読む
麻里伊 誰彼の 10句   ≫読む
川嶋一美 春の風邪 10句  ≫読む
南 十二国 越 後 10句  ≫読む
寺澤一雄 地球儀 10句  ≫読む

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