2009-05-03

〔週俳4月の俳句を読む〕村田篠(上) 恐くはないけれど

〔週俳4月の俳句を読む〕
村田 篠 (上)
恐くはないけれど


惨劇の跡はイチゴの匂いして  江口ちかる

例えば、青空に雲が浮かんでいるようなのどかな写真に、たばこの灰をぽとんと落として焼け焦げをつくり、それを「戦争」と名付ける。掲句を読んだとき、そんな感触を思った。

イチゴを食べたあとの皿に飛んでいる赤い果汁にしても、甘い匂いにしても、そこから血糊への飛距離は意外に遠い。遠いけれども、「惨劇」という言葉をぽんと置いたとたん、成立してしまうものがある。それはもちろん惨劇の生々しさとはなんの関係もなく、あえていえば、「惨劇の書き割り」のような景かと思う。書き割りはちゃちな贋物だから、恐くない。恐くはないけれど、なんだか落ち着かない。

この落ち着かなさは、掲句が「イチゴの匂い」という生な身体感覚を伴っているところから生じているのかもしれない。

 

花札の裏は真黒田螺和へ  山口昭男

たしかに、花札の裏は真っ黒だった。あの黒を表に返すと、看板絵のような独特のくっきりした絵柄が現れる。そして、こつんと手に残る札の硬さ。子どもの頃によく遊んだけれど、花札にはちょっと粋な、大人のカードという印象があった。そういえば田螺和えも、あの形といい、泥臭い匂いといい、子どもにはいささか荷の重い食べ物だった。

花札と田螺和えは、取り合わせとしてはけっして近いわけではないが、思い出してみると共通の水脈のなかにある、という気がする。
暮らしのなかに、ふだんはすっかり忘れているこうした水脈がいくつもあることを、掲句は思い出させてくれる。それは、懐かしくもあるけれど、新鮮でもある。

 

空気より夕日つめたき落花かな  小川軽舟

空気がつめたいとか、夕日がつめたいといった感じ方は、あるかもしれない。けれども、そのどちらがつめたいか、という比較は、ちょっとなかなか思いつかない。「空気」は見えないもの、「夕日」は見えるもので、しかし両方とも手に触れることができないものだからだ。

ところが落花を配すると、その比較があり得るもののように思えてくる。落花という現象のもつ力がこんなところにもあるのだ、と納得してしまう。「落花」に対する日本人としての共通認識があるとしても、この句に提示されていることは、それを超えるなにかだ。そのことに感動する。



江口ちかる ぽろぽろと 10句 ≫読む
山口昭男 花 札 10句  ≫読む
小川軽舟 仕事場 10句  ≫読む
麻里伊 誰彼の 10句   ≫読む
川嶋一美 春の風邪 10句  ≫読む
南 十二国 越 後 10句  ≫読む
寺澤一雄 地球儀 10句  ≫読む

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