2009-05-17

〔週俳4月の俳句を読む〕村田篠 その橋を渡ったら

〔週俳4月の俳句を読む〕
村田 篠(下)
その橋を渡ったら


まなうらの暮春の橋を渡らねば  麻里伊

「まなうらの」とあるから、この橋はいつか作者が見ていながら渡らなかった、あるいは作者のなかだけにある幻の橋なのだろう。そうなのだけれど、掲句を読んだ読者にはそれぞれにその暮春の橋が見える。実際にいま作者の前にも、橋はあるのかもしれない。「まなうら」という身体の一部を通すことによって、作者の目の前の橋、あるいは読者に見える橋と、作者のなかにしかない「橋」が二重写しになる。
また、橋を渡る、というのは、文字通り「こちらから向こうへ行く」という行為だ。「渡らねば」と書かれることによって読者のなかに生まれる「向こう」もまた、渡っていない幻の対岸である。
目の前に橋はなく、渡ってもいないのに、幾重にも景色が見えてくる。さて、その橋を渡ったら、何が現れるのだろうか。

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ひとの家のカーテン揺るる柳かな   川嶋一美

「ひとの家の」が面白い。ふつう「カーテン」を詠めばそれは自分の家のカーテンであり、読者はカーテンによって遮られている内から外を、あるいは外から内をつよく意識させられることが多い。
が、掲句では、「ひとの家」と書かれることによって、作者の意識はどこまでもこのカーテンの外側にあり(実際に立っているのがどちらであるにしろ)、しかも「柳かな」とすることで視線は完全に屋外に向いている。
カーテンに隠されるものではなく、見えるものに帰結するこの句の明るさに、惹かれる。

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特急の映り了りし植田かな  南 十二国

「越後」というタイトルからは連想しにくい、といっては失礼かもしれないけれど、その土地を詠まれた10句のどの句からも、匂うような若々しさが感じられてきて、好感をもった。
掲句は、「植田」という典型的な田園風景に「特急」を配することで、動きや音が生まれている。過ぎ去る影の速さ、水田に振動が伝わってできる水の輪や、ゆれる稲の苗の青さなど。
特急が走り去ったあとの植田も、ただ静かというのではなく、「特急」の轟音やスピード感をしばらくは湛えながら、呼吸しているような感じがある。

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いく度も米搗虫を裏返す  寺澤一雄
海底に顔紛れたる虎魚かな

「米搗虫」は仰向けにしてやると、自分で元に戻ろうとする習性をもつ虫だものだから、つい、何度も何度も裏返してしまう。「虎魚」のあの異形を思い出すと、どうしても海底のごつごつした岩肌を連想して、いつの間にか岩肌のなかに虎魚の顔を探してしまいそうになる。
二句とも、なんでもないことのようにすらりと詠まれているのだけれど、じつはそれぞれが「米搗虫」や「虎魚」のありようと分かちがたくつくられていて、それゆえなのか、えもしれぬユーモアのようなものが立ち上がってくる。
それを感じたあとで、冒頭に戻って地球儀の句を読んでみる。「地球儀の古き世界」というのが、なんとなく胸に落ちてくる。「地球儀」のありようのようなものに、ふと触れたような気持ちになる。



江口ちかる ぽろぽろと 10句 ≫読む
山口昭男 花 札 10句  ≫読む
小川軽舟 仕事場 10句  ≫読む
麻里伊 誰彼の 10句   ≫読む
川嶋一美 春の風邪 10句  ≫読む
南 十二国 越 後 10句  ≫読む
寺澤一雄 地球儀 10句  ≫読む

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