2009-05-03

〔週俳4月の俳句を読む〕菊田一平 寝物語の地獄絵図

〔週俳4月の俳句を読む〕
菊田一平
寝物語の地獄絵図


地獄絵のほのほ人のむ日永かな  小川軽舟

「地獄絵」と聞いて即座に思い出すのは太宰治の小説「思い出」です。誰もが知っているように、太宰の生家は津軽の大地主で、しかも父が衆議院議員でしたから、父と母の生活の中心は東京にありました。幼い頃から兄弟たちは乳母に育てられます。その乳母のたけに連れられていったお寺で見たのが「死後に待ち受ける地獄と極楽のこと」を絵解きした「御絵掛地」です。たけは「血の池」や「針の山」をさ迷う亡者たちを指し示しながら、幼い太宰に道徳を説くのです。

火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされ、めかけを持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口をあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。(新潮文庫『晩年』より)

私は、一才離れて妹が生まれ、さらにその下に弟がふたり続くので母とひとつ布団に寝た記憶はなく、もっぱら祖父と祖母に挟まれて昔話やお伽噺を寝物語に育ちました。昼の海仕事に疲れた祖父はすぐいびきをかいて寝てしまうのですが、祖母は眠いのをこらえて「かちかち山」や「桃太郎の鬼退治」の話をくり返し語ってくれました。そんな話のなかに、「血の池」や「針の山」の話が出てくることもありました。「うそかだったりすとだますたりすっとずごぐのえんまさまにおっきなヤットコでべろぬがれんだ・・・。それがらつのいげさ入れられだりはりの山さのぼらせられだりすて・・・」と、抑揚をつけて語る祖母の話に、寝物語なのに祖母が寝てしまったあとも益々目が冴えて眠れなくなってしまうのでした。

私の場合、「血の池」がどんなものかも「針の山」がどんなものかも祖母のことばを想像するだけでしたが、太宰の場合は「蒼白く痩せたひとたちが口をあけて泣き叫んでいる」地獄絵を具体的に見ているのです。「恐ろしくて泣き出した」その恐怖がどんなものだったかは計り知れないものがあります。

さて、軽舟さんの「地獄絵」の句です。私はこの句を読んで、恐怖のあまりに目を見開いて地獄絵を見つめる3歳の治を、36歳の壮年の太宰治が慈しむように見つめている景を想像しました。ふたりの太宰はともに後ろ姿です。「日永」の季語のゆったり感がある種の郷愁のようなものを感じさせるからでしょうか。

同時代を生きていた三島由紀夫のことは、今生きていたら何歳になるのだろうと考えることはありますが、いきなり文学史で出会った太宰治をそのように考えたことはありませんでした。今年がちょうど生誕100年なのだそうです。驚いたことに松本清張もそうなのだとか。そういえば最近本屋の文庫コーナーの平積みにやたらとふたりのものを見かけます。

しばらくぶりにこのゴールデンウィークに太宰のなかでもっとも好きな『津軽』を読んでみよう。軽舟さんの句を読んで、そんなことを考えたりしました。


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