中村苑子遠望 3
母は遥かに吊下がり
松下カロ
2008年、生誕100年を迎えたシモーヌ・ド・ボーボワール。彼女は晩年のインタビューで、「子供を持たなかったことに後悔はないか。」と聞かれ、「全然。私の知っているすべての親子、特に母と娘の関係といったら、凄まじいものですよ。母親にならなかったのは私の人生で最良の選択です。」と言いきっています。
母の句、と言えば
産みに行く車燈に頭を下げ給いし母よ 寺井谷子 『笑窪』
作者は自らも母となろうとしています。
母へ使われる美しい敬語は、斎藤茂吉の
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり 『赤光』
を思わせます。母を詠んだ句には、
曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女 『汀女句集』
母乗せて舟萍のなかに入る 桂信子 『緑夜』
文月や都茂女に会へば母の泣く 山口都茂女 『女面』
母に買ふ母の日過ぎし島絣 鍵和田秞子 『未来図』
共感を呼ぶ作品が多いようです。
中村苑子も少なくない母の句を残しました。それは『水妖詞館』、『花狩』の初期の二句集に集中しています。
遠き母より灰神楽立ち木魂発つ 『水妖詞館』
句集最初に現われる母。囲炉裏の火と灰に、水がこぼれた際に噴き上がる煙、灰神楽は、現在、日常生活に殆ど見られなくなりました。水と火が出会い、打ち消し合って起こる一瞬の葛藤は、火花を散らす母と娘の原型でしょうか。
ボーボワールの著作『第二の性』、『娘時代』には母との確執が克明に述べられ、母にならなかった原因の一端は、母との関係にあった事がうかがえます。
中村苑子と母の関係はどんなものだったのか。答えは句に求めるべきでしょう。俳人の母への視線は複雑です。無条件の情愛と、こみあげてくる反駁、相反するふたつの思いが、相反したまま句に投影されています。敢えて分類すれば、
1 母への哀切な気持ちがこもった句、
母の忌や母来て白い葱を裂く 『水妖詞館』
母の忌の空蝉を母と思ひ初めし
紡がれて枯れし老母の紡ぎ唄 『花狩』
2 母への屈折した思いを詠んだ句
母が憑く午前十時の風土記かな 『水妖詞館』
亡き母顕つ胎中のわれ逆しまに
花と母水の一日狂ひけり 『花狩』
3 1と2の感情が混合した印象のある句
鍵穴の向うは母のおろおろ鳥 『水妖詞館』
走る火に野仏を据ゑ母を据ゑ 『花狩』
母の忌や母来て白い葱を裂く
には、三橋鷹女の
亡母去る葱の白根に土かぶせ
の影響があります。苑子は、ことに晩年の鷹女に傾倒していました。
1グループの母は母そのものですが、2および3グループの母は女性の部分が強いようです。娘は母親にあからさまな女が見えると苛立つのかも知れません。
母が憑く午前十時の風土記かな
母が「憑く」状態になるのか、それとも作者に不意に「母が来て憑く」のか。『水妖詞館』には、しばしば主体が曖昧な句が現われ、対象へ向かう心情の揺らぎを感じさせます。
亡き母顕つ胎中のわれ逆しまに
一般的な妊娠の場合、胎児は母体内で逆さの状態になっています。「逆しま」という言葉は普通の事を言っているのですが、何処かに母への不信めいた響きがあります。苑子をみごもっていた母の体に、苑子自身が貫くような視線をあてて、母との離反は、生まれる前に既に始まっていたかのようです。
鍵穴の向うは母のおろおろ鳥 『水妖詞館』
文月や都茂女に会へば母の泣く 山口都茂女
二句は、一見まったく異質に感じられますが、同じ様な出来事を詠んでいるのかも知れません。
久しぶりに会った母は、またひとまわり小さくなってしまったようです。娘の顔をみれば、同じ話を愚痴っぽく繰り返し、最後には泣いてしまう。都茂女は母と共に涙ぐみますが、苑子は泣いている母を鍵穴からじっと覗いています。
私塾経営で父亡きあとの生計を立てていた母は、苑子にあとを継いで欲しいと望んでいました。しかし娘は文学で起つことを夢みて東京へ出奔してしまいます。俳人には当時ちょっとした恋愛事件がありました。奔放な一面は母にもあったようです。ボーボワールは母との闘争を『性とモラルの齟齬』に収斂させています。同調と反目、その原点は、母娘が共有する「女性という性」でしょうか。
楝散る暗がりに母下がりをり
80歳を超えた句集『吟遊』での母の位置です。
2009年3月、あるシンポジウムで金子兜太が講演しました。闊達な口調にたくまざるユーモアが滲み、衰えを知らない勢いのある声に聞き惚れました。多岐に亘った内容の中に、こんな一節がありました。
「吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』という論文の中に、『俳句とはぶら下がっている文芸である』と書かれています。」
『言語にとって美とはなにか』。
本の最初に幾つも現われる例の「音声説明図」(?)のあたりではやくも挫折した私にとって、吉本隆明のこの論説は、できれば避けて通りたい話題だったのですが、「ぶら下がる」という言葉には惹きつけられるものがありました。
週刊俳句101号掲載の苑子遠望『紐と桜のある風景』のなかで、
梁に紐垂れてをりさくらの夜 『吟遊』
母の禱りの杉くらがりに髪さがる 『花狩』
他を揚げ、
「俳人にとって、何かが垂れ、揺れている有様は、ことのほか好もしい景であったようです。・・不安定な状態こそが、生きている証でしょうか。」などと書いていたところだったからです。苑子句に頻出する「映像としてのぶらさがり状態」を述べたものですが…。
『言語にとって美とはなにか』の中の「ぶらさがっている文芸」とは、多分次のような記述を示唆したものと思われます。
「定型の古典詩が、作者の人生を反映せず専門家と素人のちがいもきめ難いのは<省略>の美的なもんだいであり、・・・<省略>は定型の作品を懸垂の状態に置く。俳句を読むことは、作者の実体をあらわす言語にゆきつく以前の懸垂状態のまま、音数律に美的効果を感じるかどうかという特殊な詩型の問題なのだ。」(吉本隆明『言語にとって美とはなにか』)
吉本隆明の述べている「懸垂の状態」は、桑原武夫の「第二芸術論」に対抗する論陣を張ったものです。音数律(たとえば五七五の調べ)を纏う事で生じる「省略」の形態に表現を託す俳句、短歌への深い信頼を述べているものでしょう。俳句を読むという事は、音律を媒介として「ぶらさがった状態」から読者が作者の美的構成をつかみ取るという行為なのかも知れません。
音数律による「懸垂、ぶらさがり状態」が「美的効果」をもたらすのであれば、苑子句にたびたび現われる「風景の懸垂状態」は、何をもたらしているのでしょう。映像の懸垂は音律との相乗効果を狙ったかのように、極めて意図的に設定されています。
『言語にとって美とはなにか』の「作者の実体をあらわす言語にゆきつく以前の懸垂状態」という言葉は、そのまま苑子俳句の「風景の懸垂状態」にもあてはまるのではないでしょうか。
「母のいる場所」も例外ではありません。
第二句集『花狩』では、
母の禱りの杉くらがりに髪さがる
母の髪が垂れていますが、
第四句集『吟遊』では、
楝散る暗がりに母下がりをり
黙って揺れている母の姿はむしろ雄弁です。因みに、
吊るされて乾ぶ山父(さとり)の贄鴉 『花狩』
父(山父とは山姥の男性版、劫初の父のイメージか)もまた吊り下がっています。吊るされているのは、山父と贄鴉、両方であると考えるべきでしょう。
下がる、吊るすと言えば、高柳重信の、
吊るされて一と夜 二た夜と
揺れるばかり 『蒙塵』
また母の句、
沈丁花
殺されてきて
母が佇つ闇 『遠耳父母』
も思い出されます。白い花冠の中、母はぼんやりと虚空に浮かんでいます。犠牲や献身が滲みます。「殺されて」とむごい言葉を使いながらも、男が母を見る目は静謐で優しいようです。一方娘と母の間柄はきれいごとでは済みません。
火の中へ母を放ちて火となす秋 『花狩』
置き去りの母や火の蛾は火に盲ひ
「姥捨て」幻想を負って飛び廻る迷彩の蛾。メドゥーサのように、お互いの「女性」を直視しあうと、母娘の眼はつぶれ、石となってしまいます。
極月の深井戸母の声がして 『吟遊』
発表された最後の母の句。母の声とは、井戸に捨てた作者の声の反響、作者自身に他なりません。
母すでに襤褸の上の大夕焼け 津沢マサ子 『ゼロ〇への伝言』
母と来て何もうつさぬ潦 柿本多映 『蝶日』
春の雨母の寝言の怖ろしや 鳴戸奈菜 『イヴ』
母はいつも娘の内部にいます。
苑子最後の句集『花隠れ』(1996年)には母という言葉の使われた句は一句もありません。もう謡いたくなかったのでしょうか。それとも、謡う必要がなくなっていたからでしょうか。
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