2009-07-19

林田紀音夫全句集拾読 076 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
076




野口 裕





山茶花のほとりの夢に乳母車

昭和五十七年「花曜」発表句。例によって、雰囲気はつかめるが、しかと意味を定めようとすると、するりと逃げてしまう句。おそらくは子にまつわる回想句か。咲いているのか散っているのかよく分からない山茶花。夢を育ててきた年月は何だったのか。

 

照る葉ひかる葉雨後は優しさ取戻す
日はひかりせせらぎとなり彼岸花

昭和五十七年「花曜」発表句。似たような主題で、一方は無季、他方は有季。たぶんこの時期、有季無季は本人にとってどちらでも良かったのだろう。季語は入っても良し、入らなくとも良し。

「優しさ」というような、句をゆるませる語のない後句が前句に勝る、という判定に本人も異論はないだろう。しかし、季語の功徳などと言い出す人がいると、心持ち笑って首を少し傾けるのではないか。などと勝手に想像している。

 

登校の傘が低くて枯葉のる

昭和五十七年「花曜」発表句。紀音夫という作者名が不要の句。むしろ、紀音夫の名ゆえに通り過ぎてしまいそうな句。傘が低いから枯葉がのる、というのは詐術。こどもは小さく愛らしい、そのような既成観念を見事に利用している。

 

アルバムの重たさのきよう毀される

昭和五十七年「花曜」発表句。つい作者の身辺を洗い出したくなるような句だが、何があったのかは知らない。まさか、「岸辺のアルバム」(昭和五十二年放送)ではないとは思うが、ひょっとすると再放送でも見たか。家族とは書いていないが、どうしても家族(「家」ではない。核家族といってもよい。)が想起される。

戦後の混乱を生き抜き家族を支えてきた人間にとって、家族は何ものにも代え難い価値を持っているはずである。その歴史を無にする瞬間が来る。家族が個に分離される時代が、やって来たのだ。「重たさ」が実感ある言葉。

 

星がよく見え裸木の立ち話

昭和五十八年「花曜」発表句。なんとなくしゃべり込んでしまった。気付くと満天の星。身体は冷えてしまったが、悪い気はしない。そんな雰囲気を持っている句。句の主役にされることの多い裸木だが、ここでは脇で渋い演技。

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