〔週俳6月の俳句を読む〕
中原徳子
飛ぶべきか這うべきか
猫の如く色さまざまの浅蜊かな 岸本尚毅
浅蜊の「色さまざま」の説明に「猫の如く」とは納得。茶と白と黒の混ざり加減は一様ではない。でも、これを言った人はいないだろう。
藤暗く躑躅明るく月暗く 岸本尚毅
「ふじ」「つつじ」「つき」の音韻の並びと、暗く、明るく、暗くのサンドイッチ構造で脚韻も踏んでいる。しかし、ただの言葉遊びの句ではない。ありようをきっちり捉えている。
黴を寄せまじく貧乏揺すりかな 岸本尚毅
笑ってしまった。汗でズボンにカビが生えないように振り振りしてるって…。心理的要因らしいですが、昔ほど見かけなくなったように思う。ストレス社会なのに。
ギター弾く友は訥弁松落葉 堺谷真人
マイムマイム落ちて来さうな旱星
蚊遣焚く意中の人も雑魚寝どち
「1Q83・志摩」。天気さんが後記で書かれているように、話題の村上春樹の本のタイトルをキャッチーに取り込まれた。未読だし、「IQ84」と誤読したクチですが。
プロフィールを拝見すると、作者は63年生まれ。ということは、学生時代のキャンプの回想句か。まるで「いま、ここ」を詠んでいるようなリリシズム溢れる連作。
船虫を踏まねば着かぬ未来かな 堺谷真人
これから未来へ漕ぎ出そうとしている船。1Q83の時点と200Q現在の作者にとっての未来はどう変容しただろうか。船虫も蛇も踏み越えてきたはずだ。
橋あれば橋をゆくなりなめくぢり 河野けいこ
なめくじはどこから来てどこへ行くのだろう。忽然と現われて、いつの間にか消えている、そんな得体知れなさがある。長い橋をゆるゆる行くなめくじ。気の遠くなる道のりではないか。
病室に父の裸を見てしまふ 河野けいこ
病気でやせ細った身体を見るのはつらいもの。夏は裸でうろうろする我が老父と違って、家の中でもきちんとされていたお父上なのでしょう。謹厳であれズボラであれ、父というのは多分に俳諧的存在かもしれない。
赤ん坊は母音で答ふ金魚玉 河野けいこ
「あーあー」「うーうー」喃語は母音から。原初のことば、母なる音。母の呼びかけに母音で答える。金魚玉もよい着地点。
半身にくつつく力かたつむり 齋藤朝比古
あの重そうな殻を背負っていて葉裏にへばりついても落ちないのだから、たいへんな吸着力。あれは下半身と言うんだろうか。
蟻地獄大音響の砂の中 齋藤朝比古
アリジゴクの身になってみれば、さらさら雪崩れ落ちる砂の音も大音響なのだ。その言葉を聞く(見る)と反射的に特定の句が浮かんでしまうような言葉は私には使えない。「ほしいまま」も「ありどころ」も使えない。「大音響」を自然体で使っていられるのに拍手。
抽斗の中にゐるごと枇杷すする 齋藤朝比古
西瓜や枇杷を食べるときは思い切り首を突き出して猫背になる。汁が服に落ちないように。「抽斗の中にゐるごと」とは大胆にして卓抜な比喩だ。
■岸本尚毅 夏暑く冬寒き町 10句 ≫読む
■堺谷真人 1Q83・志摩 10句 ≫読む
■河野けいこ ランナー 10句 ≫読む
■齋藤朝比古 借り物 10句 ≫読む
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2009-07-05
〔週俳6月の俳句を読む〕中原徳子 飛ぶべきか這うべきか
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