2009-08-30

〔俳句つながり〕ディランのようにバエズのように 菊田一平

〔俳句つながり〕
雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝→細谷喨々→中西夕紀→岩淵喜代子→麻里伊→ふけとしこ→榎本享→対中いずみ→川島葵→境野大波→菊田一平→山田真砂年


ディランのようにバエズのように~山田真砂年さんのこと

菊田一平



  ほうたるのあのあたりから地雷原

山田真砂年さんの第一句集『西へ出づれば』はとても眩しい句集です。なにもこの句集で第19回俳人協会新人賞を受賞したからというわけではありません。同時に受賞した小島健さんの『爽』、橋本榮治さんの『麦生』もとてもいい句集でした。けれども冒頭に掲げた真砂年さんの「ほうたる」の句を目にしたときの驚きと感動は衝撃的でした。例えばピューリッツア賞を受賞したロバート・キャパやエディ・アダムス、あるいは沢田教一や酒井淑夫の報道写真を見るようにボディブローがじわじわと効いてきたとでもいったらいいでしょうか。今でもあの時のざわざわする戦慄を覚えています。以下はホームページに書いた「ほうたる」の句の鑑賞です。

「多分、カンボジアあたりの景なのでしょう。遠くにアンコールワットを望むあたりで詠まれた句だと推測します。ポルポト政権が倒れた後も、大量の地雷が今なお未処理のままいたるところに残されています。地雷が埋もれている危険地帯に繁茂した草木のあたりを蛍がまばゆいばかりに乱舞したり、草や木々にびっしりととまって輝いています。すこし俳句に慣れたひとなら中七に技巧を凝らすところでしょうが、作者は、その光景を幻想的で美しいと思いながらも「あのあたりから」と、クールで乾いた表現で突き放しています。感情を抑制したことばの奥に、ふつふつと湧き上がる戦争への作者の怒りとやりきれなさを感じます。」

そう、「ほうたる」の句の衝撃は「クールで乾いた」「感情を抑制した」表現で「戦争への怒りとやりきれなさ」を詠んでいるところにあります。

  林檎割るアダムの分とイブの分

  三寒四温嘘がばれずにゐてつらし

  いたしかたなき裏切りや海市見ゆ


  どぢやう汁悪事企むこと楽し


この句集には、さすが中村草田男門と唸ってしまうような、ぼくなどが手をのばそうとも考えたことのない心の襞を詠んだ句が随所にあって興味深いのですが、圧巻は海外詠です。句集のタイトルになった「西安を」や「ほうたるの」の句を初め、居ながらにして真砂年さんとシルクロードや東南アジアを旅をしているような気分になってくる秀句がふんだんに収められています。

  西安を西へ出づれば残暑かな

  ウイグルの美女はけだるし蝿叩

  羊捌く汗に部族の誇りかな


  灼くる地に絵を描き言葉教えらる


  ほうたるのあのあたりから地雷原


  汗かかぬ兵士に笑ひかけらるる


この海外詠は第二句集の『海鞘食うて』でも顕著で、旅行者でありながら、いい目配りで素材に迫っています。

  青田よりあがりてサリーきつくする

  脚細き農婦ら佇てり地のほてり

  万緑や異国の神は目を剥きて


  炎昼や川面に荼毘のうす煙


  老いたればサリーゆったり着て日傘


  棉摘むや土の住居に寝起きして


  蜂蜜や秋日煮え立つほど濃かり


  花火散る駱駝もねまる砂の上


  花火して真実空の広き国


  西蔵へ路それてゆく良夜かな


  バザールに昨夜の捨て水こほりをり


  崑崙に吹いて砂丘の凍て厳し


  穴三つならびて寒き厠かな


  口の辺に息を凍らせ駱駝鳴く


つくづく上手いなあと感心してしまいます。もっとも第一句集から第二句集までに10年以上の年月が経ち

  かはほりや来るも帰るも黒き森(『西へ出づれば』)

  ふるさとに入るも戻るも枯木山(『海鞘食うて』)

でもわかるように青春性の象徴ともいえる「黒き森」が、老境ともいえる落着いた「枯木山」へと昇華しています。真砂年さんの心の中に、それこそ 

  水引や日々のどこかがものたりぬ

というように、「たくさんの水が橋の下を流れ」、体で覚えてしまった瞬発力で、詠もうとすれば造作なく自在に対象を詠めてしまうことへのアンニュイさが宿ってしまっているかもしれません。

そんなことを考えながら『海鞘食うて』を読み終えたとき、「俳句四季」で「おお、やってるやってる!」と嬉しくなるような一句に出会いました。

  ヨルダンの戦車二台の片陰り

まさに、「ほうたるの」の句に出会ったときのようなざわざわ感でした。「もしかしたら真砂年さんは、60年代70年代にぼくらをしびれさせたボブ・ディランやジョーン・バエズのような俳人なのかもしれない」。酔った頭でそんなことを考えながら「俳句四季」の句をなんどもつぶやいてみました。


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