俳句甲子園を読む ……酒井俊祐
●兼題:夏休み
夏休み虎が尻尾を振る力 田中志保里(松山西)
休みということで出かけた動物園だろうか。うだるような暑さの中、動物は一様にぐったりとしている。そんな中で目に付くのは、虎の鋭い眼光、ではなく、何気なくしかし力強く振られている尻尾なのだ。視点がとても面白いと思う。
雨ちくりちくりと腕に夏休み 久保田大貴(松山中央)
さんざ遊んだ後、でもいいし、部活で汗を流した後でも良いだろう。とにかくエネルギーを使い果たした夕方に、さっと雨が降ってくる。ただでさえ汗の感触が存分に感じられる腕に、雨は非常に気持ち悪く感じられる。シンプルだがとても説得力のある一句。
●兼題:水着
母さんに恋の時代や白水着 小野寺真優(一関第二)
母が女だった時代、というありがちな図式で捉えてしまうとこの句は非常にしょうもないものになる。恋の時代があろうと、母さんは母さんそのものなのだ。年月も、環境も、何一つ人間を変えやしない。派手さはないのだが、引き込まれる句だ。
水着絞れば巻き貝のやうになる 福田浩之(開成)
あのくしゃっとしたたたずまいをこのように表現されると、「そう、そうなんだよね!」と激しくうなずいてしまう。絞れば、というちょっとした表現に潜む省略が、巻き貝という一癖ありつつやりすぎない見立てのチョイスが、この句を何倍も面白くしている。
●兼題:夏野
その下のマグマどくんと大夏野 白川直樹(今治西)
そりゃ当たり前だよ、という突っ込みが入る句ではあるだろう。しかし、他校が自身にイメージのない夏野という季語を持て余す中、少し視点をずらすことでうまくダイナミズムを表現できているように思う。どくん、という一見稚拙な擬態語も効いている。
●兼題:蟻
道化師の蟻がみるみる輪となれり 瀬野拓真(松山中央)
蟻という題材は、魅せることを生業とする人にしてはしょうもない選択である。もしかしたら、道化師とは公園にいる(住んでいる)怪しいおじさんなのかもしれない。輪になったのも偶然、しかも初めて成功したかもしれない。考えるほど、状況はシュールだ。
●兼題:ソーダ水(チームで一句)
ソーダ水シンドバッドの船の底 愛光高校
ソーダ水は1796年に発明されたというから(wikipediaより)、状況設定には無理があるのだが。ピンからキリまで海越え山越え売りさばくイスラム商人が、ある日ソーダ水というものをどこかから仕入れたとしたって、案外納得がいく。その虚を楽しみたい。
●兼題:七夕(チームで一句)
七夕や言葉の海の旅をする 川島高校
言葉って何?どんな言葉?そんなのどうでもいい。ケータイ小説だろうが、織姫彦星だろうが、そこには何がしかの言葉がある。その一つ一つのチョイスで泣き笑いが起こるからこそ、人間は面白いのだろう。ふわっとした表現ながら、きちんと季語を活かした一句。
●兼題:打
鶏の空打つ声や原爆忌 宮本悠司(松山中央)
原爆忌だから声がどうなる、ということもない。60年前だろうが、昨日だろうが明日だろうが、そして60年後も、鶏は鳴くときには鳴くだろう。ルーティーンの中だからこそ、コントラストのように浮かび上がる一日。多少の既視感は気になるが、すっきりとした句。
●兼題:素
鹿の子や峙つ北山の素肌 仮屋賢一(洛南)
北山の深い緑の中、作者はふっと子鹿と目が合う。あっと思ったときにはもう鹿はいなくなってしまっている。幻覚か?いや確かに見たような。全ては、もうわからない。中七以下の表現に難があるが、作者の体感がしっかり伝わってくる一句である。
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