2009-08-16

中村苑子遠望5 苦蓬を摘む 松下カロ

中村苑子遠望 5
苦蓬を摘む

松下カロ


まさぐる終焉手に残りしは苦蓬  中村苑子(『水妖詞館』1975年)

上句の長さ。「まさぐる」の官能は触覚に直に訴えてきます。苦蓬の暗いみどりは視覚を、蓬の香がきつく残る手のひらは嗅覚を刺激します。「終焉」で重く切れた句はしばらく立ち止まります。止まっている間ずっとまさぐり続け、ふと気がついて手許を見れば、握り締めていたのは幾本かの細い苦蓬。体言止めが文字通り苦い別れのシーンを思わせます。

ここには最盛期の『俳句評論』の雰囲気があります。

『俳句評論』は1958年創刊された高柳重信編集の同人誌。中村苑子は同誌の発行人でした。25年間の活動から、折笠美秋、桑原三郎、津沢マサ子、太田紫苑、山田遊子、沢好摩、岩片仁次、小泉八重子、和田悟朗等々、多くの個性豊かな俳人を輩出します。

高柳の実践でつとに有名な多行表記をはじめ、俳句表現の新しい構築を目指す試行が、個々の作家達によって常に提示されていました。

句を「頭でっかち」に仕立て、そこから機動力を得て展開する方法も、そのひとつと言えるでしょう。

にぶくひかりて肉斃れおり十二月   中野茂 『俳句評論』より

瀕死の白鳥古きアジアの菫など    赤尾兜子

梨と蟷螂かたみにくびれあふ秋よ   太田紫苑

まさぐる終焉手に残りしは苦蓬 中村苑子

苑子も、「まさぐる終焉」という散文的なフレーズを前面に置くことで、一気に触、視、嗅の感覚をつかむ大胆な句構成にトライしています。

『水妖詞館』には、上句にボリュームをもたせた作品が多く、

母音漂ひ有刺鉄線を蔓巻く唄   中村苑子

行きて眠らずいまは母郷に樹と立つ骨
  同

無体に来る四季赤き眼に目薬あふれ
  同

蝦夷の裔にて手枕に魚となりぬる
  同

こうした実験的な句と、代表作とされる


春の日やあの世この世と馬車を駆り
  同

黄泉に来てまだ髪梳くは寂しけれ
  同

翁かの桃の遊びをせむと言ふ
  同

など、妖艶にして周到に練り上げられた句は『水妖詞館』のなかに混在し、不思議な調和をみせています。

蓬(キク科の多年草 別名餅草)は春の季語。苦蓬も同じキク科ですが幾らか葉形が大きめ、「苦い」と言うからには蓬より味も香りもきついのでしょうか。土手や野原で見かける蓬との違いは、図版でもあまりはっきりしません。蓬も苦蓬も葉の表面に白い膜のような「柔毛」があり、花も小振り、どちらかと言えば地味で目立たない草です。

ロシア語で「苦蓬」を「チェルノブイリ」と呼びます。

ウクライナ、チェルノブイリの原子力発電所に爆発事故が起こったのは、1986年4月26日のことでした。この出来事は世界を震撼させます。第4号炉で起きた火災のため、大量の放射能が漏れ出します。汚染区域は半径30キロとも100キロとも言われ、12万人以上の住民が避難民となりました。特に汚染地域に住んでいた子供達に影響が強く、異常に高い「甲状腺腫瘍」の発病率は、広く知られています。

事故から2年ほど後、NHKテレビで、無人となったチェルノブイリのルポが放送されました。番組の最初に、現地近くの美しい森の映像が流れます。

「永久凍土」とよばれる酷寒地が面積のかなりを占めるロシア(当時のソビエト連邦)にとって、黒海を控え、温かい気候を持つこの地域は、古くから大切な意味を持っていました。映し出された森林には樹齢何百年という杉、ヒバなどの大木が何処までも続いていました。滴る緑。しかし、撮影スタッフが携帯した放射能探知機の目盛りは大きく振れ、不気味な音をたて続けます。ナレーションは、初夏の森を背景に、『新約聖書』のヨハネ黙示録の一説を語り始めます。

燃えている大きな星が空から落ちてきた。この星の名は『苦蓬』と言い、水の三分の一が『苦蓬』のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。(『新約聖書』ヨハネ黙示録・第8章第10~11節)
ロシア語の『チェルノブイリ』は、『苦蓬』の意味であるという。

「チェルノブイリ」という地名とヨハネ黙示録の関連は、事故直後からアメリカの新聞などで指摘され、反響を呼んでいたらしいのですが、私はテレビを見るまで知りませんでした。勿論こういう話はオカルトな捉え方をするべきではないでしょう。チェルノブイリは「欧州蓬」(Чернобыльнык Chernobylʹnyk)のことで、「ポルイニ」(Полынь Polynʹ)という名前こそが「苦蓬」であるという説もあります。

「チョールイ」とは、ロシア語で「黒い」の意味の形容詞です。チェルノブイリというロシア語は、苦蓬と同時に黒い草全般を指しており、地名としてもよく見られる、という見解もあるようです。

しかし、獣の気配もない深い森と「苦蓬」は、私に、苑子句を思い出させるに充分でした。句は、新しい貌で迫ってきました。事故後、世界中がこの世の終焉を予感していた頃でした。

まさぐる終焉手に残りしは苦蓬
句集は1975年に上梓されていますから、まさにもうひとつの黙示録と言いたくなるような句。俳人はなぜ「苦蓬」に「終焉」という言葉を配したのでしょう。これも偶然なのでしょうが…。

以後、掲句を前にすると、触覚、視覚、嗅覚と共に、放射能探知機のピッピッという音も浮かび、聴覚も呼び起こされるようになりました。

苦蓬の句は第二章「回帰」の前半に位置しています。この一角には、「不毛な愛」に傾いた句が多く、『水妖詞館』中、まだしも作者の心理が推察し易い比喩が使われています。

放蕩や水の上ゆく風の音   中村苑子

まさぐる終焉手に残りしは苦蓬  同

愛重たし死して開かぬ蝶の翅
  同

逢へばいま口中の棘疼き出す
  同

解説的に述べれば、

「去って行く者へ手を差し伸べ、縋っても、残ったのは目に染みるような匂いを放つ苦蓬の、ほんの一握りであった…」とか、

「翻弄され、疲れきった蝶の翅はもう開くことは無い」とか、

「回帰」に詠まれているのは、きわめて個人的な愛情の顛末です。

苦蓬の句も、謎めいた言い回しの多い苑子作品としては、やや平凡な「恋愛句」であると考えていました。それだけに、「終焉」とチェルノブイリ事故が意識の中で重なった時の驚きは大きかったのです。苑子句の持っている包括力、読者の気持ちを見透かした上で、寄り添ってくる意味の底深さ。

政治的な句、社会的なメッセージを持った作品は苑子俳句には皆無です。かといって、俳人が世相の荒波と無縁に生きていたわけではありません。第二次世界大戦のさ中、新聞社の従軍記者であった夫が戦死します。

私の内部で以来、戦争は終りを告げない。」 ( 『花神コレクション 俳句 中村苑子 』略年譜・1994年9月 )

亡き夫が「句帳」を遺していたことがきっかけとなり、中村苑子は二人の子供を抱えた未亡人生活の傍ら、作句を始めます。初期の句に、反戦的な作品は見当たりません。女性らしい、むしろ明るい生活感に満ちたものが多いのです。若い未亡人には慎ましい恋もあったようです。

春塵に心まみれて帰りけり   1944年

人泣かせて黙って牡蠣を食べてゐて    1953年

1950年代に、高柳重信に代表される現代俳句の新しい潮流と出合うことで、苑子の句は独自の変貌を遂げてゆくこととなりますが、方法を意識することはあっても、社会性に傾斜した時代は彼女にはありませんでした。

しかし、文芸とは、作者自身が意図していなかったものまでを、読者にもたらすことがあるものです。俳人が句を詠みきってさえいれば、句は一人歩きを始め、 ( それがごく個人的なことを詠った句であったとしても ) 鋭く時代を評したり、来るべき時代を予見したり、思いがけない時に甦ったりすることも珍しくありません。

ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ   藤木清子
( 『現代名俳句集第二巻』1941年6月・教材社 より『しろい昼』 )

句の初出は1938年の『旗艦』。

藤木清子は昭和10年代、『旗艦』で活躍しました。短い句歴の中で燦然と輝いている句が「ひとりゐて」です。若くして夫を亡くし、子供もなかった清子の句は、孤独と寂寥を湛えています。

ひとりで過ごす午後、その静かな時間こそが自分を蝕んで行くようです。次の瞬間、寡婦は狂ったような声で叫び始めるかもしれません。まだ若いんだから元気だしなさいよ、と言いたくなるような気もしますが、時代を考慮すれば、作者の焦燥も解ります。

しかし、この句がこんなに訴えてくるのは、未亡人の淋しさが綿綿と伝わってくるからではないでしょう。句は「ひとりぼっち」を詠んでいるのですが、作者は甘えた表現はしません。むしろ、「刃物のごとく」という明晰な直喩で、寄る辺ない境涯に立ち向かっています。俳人が自身から目をそらさずに一句をなしているために、その孤独は、どんなに幸福にみえる人間でも人間であれば皆持っている本質的な孤独に到達しています。

川名大は、著書『現代俳句』( 2001年5月・筑摩書房 )のなかで、「ただならぬ世に鋭敏に反応し…(中略)…研ぎ澄まされた孤心を反映した、目に見えない細い神経が張りめぐらされたような危機的な空間を鋭く感受した句…」と述べ、「自己」を見据えた句に、「時代」を嗅ぎ取っています。

藤木清子は、もっとはっきりとした「厭戦句」も詠んでいます。

戦死せり三十二枚の歯をそろへ    『旗艦』

こちらの方がダイレクトな主張を持った句であるかも知れませんが、「ひとりゐて」には、暗い歴史の中、寄る辺ない個人が凝縮しているように感じられます。

昭和初期、一人の女性の比類ない感覚で詠まれた「刃物」の句は、70年後の読者に、思いもかけない実感をもたらすことになりました。

2008年6月8日、日曜日。東京、秋葉原で起こった通り魔事件が臨時ニュースで流れたのは、午後3時頃でした。7人の死者。なまなましい現場の映像。

ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ  藤木清子

その夏、新興俳句について書かれた本をめくっていた私は、藤木清子のこの句にさしかかると忽ち、事件を思い起こしました。そして、盛んに危険を指摘されていた凶器の「タガーナイフ」なるもののイメージが暫く頭を去りませんでした。おとなしい青年であったという犯人のその日の心理が詠まれているように思われてならなかったのです。

戦後、「第二芸術論」が吹き荒れた頃、一部の短歌、俳句はいちはやくポリティカルに進路をとることで道を切り開きました。短歌では、岡井隆や岸上大作、少し後の世代になりますが道浦母都子、俳句では金子兜太、堀葦男。

朝はじまる海へ突込む鷗の死 金子兜太   『金子兜太句集』

奇異な雨の大暗黒を銀行占む    堀葦男    『堀葦男句集』

俳句も実社会と結び合うことで、戦後の多様な価値観の中での存在を保っていた頃、俳句と思想が容れあっていた幸福な時代。

今、社会とどのように向き合うのか、という問題は、俳人には、頭の痛い問いかけのひとつのようです。社会的な自分と俳句は別物、という考え方が一般的です。ベーシックには存問や日常を尊ぶ俳句にとって、政治や社会は対岸にあるものとして捉えられてきたからでしょう。

『現代俳句』で川名大は、

南国に死して御恩のみなみかぜ      攝津幸彦

木は木として突っ立ち空をみごもりぬ
   大井恒行

のふたりを揚げて、「文明批評の眼をしっかりと継承し…(略)…社会批評の眼を曇らせない俳人」としています。共感する人が多いでしょう。それに比べて、

まさぐる終焉手に残りしは苦蓬 中村苑子

ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ
藤木清子

喪失感や思うようにならない恋愛を詠んだ二句。社会路線からは遠い内面句、女性の心理を自ら抉り出した句。こうした句は、しばしば狭さを言われます。

しかし、「刃物」の作者は孤独から、「苦蓬」の作者は別離から逃げませんでした。それは多分ミューズを引き寄せることのできる唯一の方法です。緊張感漲る句は、読む者の心に入り込み、新しい意味(例えばきわだって歴史的、社会的な意味)を伴って、突然意識に上ってきます。水底から剥がれた苔が唐突に水面に浮かんでくるように。

中村苑子は大正二年生まれ、藤木清子は生年がはっきりしませんが、同年代と思われます。共に昭和十年代に夫を失っています。

見えぬ世も戦あるらし萩の声 中村苑子『吟遊』
  

2 comments:

tenki さんのコメント...

> 句を「頭でっかち」に仕立て、そこから機動力を得て展開する方法

上七、上六の句が最近は少なく(全般に「むりくり五音」も目立ちます)寂しく思っていました。

『水妖詞館』から引かれた句群の韻律、下六etcも含め、いいですねえ。

カロ さんのコメント...

天気さま。ありがとうございました。形の冒険を試みるのは難しいことですね。俳句weekly掲載作品から

白鳥定食いつまでも聲かがやくよ 田島健一
『白鳥定食』weekly32号

平成永し芋蔓にいもの花咲き 桑原三郎『ポスターに雨』weekly73号

失礼ですがこちらの湖の方でせうか 上田信治『週末』weekly88号

上句に重心をかけてイメージが作り上げられていて、とても印象的でした。カロ