商店街放浪記18 大阪 空堀商店街 後編
小池康生
大阪 空堀商店街 前編
大阪 空堀商店街 中編
大阪 空堀商店街 中編
『惣』という建築物の前に立った時、おぉ、これはと・・・わたしの脳みそに感嘆符が二つ三つ並んだ。
建物として、美しいのだ。
屋根の上には、草が生えている。それも大量に。
狙いだろうが、見事に生えて建物の一部と化している。
モダンで、今風な建築物に見えるが、これは明治時代に建てられた長屋を再生したものであるそうな。
面白い。実に面白い。
右手のショーウインドーにドーナツが見える、
細い入り口を入ると、突き当たりは、カフェらしきスペース。
入口に戻り、左手の空間を覗きこむ。
足を踏み込もうとして、あまりに床がキレイので
「ここは靴のままでいいんですか?」
と店の人に聞く。
「あっ、そのままどうぞ」
言われるままに入る。
『空堀あーとぼっくす』というお店。
女性向けのアクセサリーを扱っている。
しまった。わたしが入るような店ではなかった。
しかし、すぐに踵を返すのも躊躇われ、お愛想お愛想、ポーズだけでもときょろきょろしていると、
「Boxごとに、違うデザイナーさんの作品なんです」
と教えられ、すかさず、
「この建物は、いつ、できたんですか?」
と噛み合わない質問をし、そこから話が始まった。
ハンサムなオーナーの解説が始まる。
空堀周辺には、三つの再生複合施設がある。
『惣』は、長屋再生プロジェクト。
この長屋は、潰される寸前で助かったのだという。
七年前だか、八年前だか、この場所を駐車場にするべく、長屋の持ち主と業者が打ち合わせをしていた。
そのとき、向かいのお店、パブ『デッシャロ』から偶然出てきた建築家が、遭遇し、長屋取り壊しにストップの交渉をはじめ、そこから紆余曲折があり、再生事業につながったという。
大きな時間の省略があるのだが、
『あーとぼっくす』のオーナーは、次から次に訪れる女性客に声を掛けながらも、わたしに説明を続けてくれる。
長屋はそのまま使っているわけではなく、補強や改築をし、この形になったらしい。わたしが面白いと思ったのは、この再生された長屋にお店を出している人が、イチからのストーリーを知っていて、そのドラマを共有していることだ。だから、熱い解説になる。
解説は続き、
お向かいのパブ『デッシャロ』のオーナーも重要な存在だという。
お向かいに目をやると、これまた雰囲気のある建物なのだ。
パブのオーナーはカメラマンで、この界隈の町づくりをする人たちの拠点で、兄貴分的存在だという。
よし、夜はここで飲もう。
『惣』を見ると、『練』も気になる。
空堀商店街を北に逸れ、南に逸れ、かなり歩いているが、また歩く。
谷町筋を下り、最初の道を北に逸れると、直木三十五記念館のある『萌』。
さらに下ったところを南に逸れると、『惣』。さらに下り次の道を北に逸れると、『練』と、空堀商店街から等分の広がりを見せる。
『練』は、規模がデカかった。
チョコレートとカフェの店に若い奥さんたちの集団が飲み込まれていく。
貸し自転車、たこ焼き、建築事務所、着物学院等など。この建物、大正末期に神戸の舞子から移築されたものらしい。
空堀商店街をうろうろし、点在する三つの複合文化施設をうろうろしているうちに相当な時間が経過した。さすがに脚にくる。
ちなみに、『惣』は、江戸時代の「町衆」の自治組織を指し、
『練』は、江戸時代、この辺りで瓦の土が産出され、瓦の製造も行われていて、その瓦の製造過程で土から空気を抜く作業が“練”。
『萌(ほう)』とは、土地に根付いた文化が芽生えて欲しいとの願いから・・・らしい。
さて、
待ち合わせの地下鉄谷町六丁目に向かう。
時間通りに、俳人である筆ペンさんが現れる。
そのとき、携帯電話が鳴り、ペーパーさんが遅刻の報せ。
手品師が遅刻の報せ蒲公英よ 康生
遅刻というとこの句を思い出す。
俳句をはじめてすぐの頃に作った句だが、巧拙はともかく、遅刻というとこの句が口をつく。
ペーパーさんが来るまでの時間潰しに、筆ペンさんと、サンダーボルト書林に行く。
直木三十五記念館は、閉まっているので、入口から少し覗く。
書林の前には、靴がたくさん並んでいる。
廊下に靴が脱がれているのがとても可笑しい。
中には、オーナーの友人らしき若い人たちが、絨毯に腰をおろし、パソコンを囲んでいる。
「約束通り来ましたよ」
冷蔵庫からビール出して、横にあるナッツももらう。
筆ペンさんには、ソファを勧める。
わたしは気分的に絨毯に直に座る。
胡坐をかき、本棚を眺める。
こうして、筆ペンさんと二人で語りあうのは、初めてかも。
わたしは「銀化」誌に赤尾兜子論を書かんとしていた頃なので、兜子を語り合うことになった。
阪神間在住の筆ペンさんは、兜子がなくなった日の新聞記事まで覚えているという。十代のころの話らしいが、筆ペンさん、早熟な俳人だったのだ。
筆ペンさんは、同人誌に参加していて、近々、虚子記念館で句会があるという。一度どうですかと、お誘いいただく。関西に戻り、まだ超結社の句会に参加していない。
一度参加してみよう。筆ペンさんのいる会なら、いい刺激になることだろう。
そうこうしているうちに、ペーパーさんから連絡が入る。
ペーパーさんは、古き良き建築物を組み立て式のペーパークラフトにする人。
ゲストを連れてきてくれた。
この商店街放浪記、第7回8回に登場したデザイナーで、『赤レンガ近代建築』という本の著者、佐藤啓子さんだ。
まず『惣』に案内する。
筆ペンさんも、ペーパーさんも、佐藤さんもカメラを取り出し、『惣』を撮り、向かいのパブ『デッシャロ』を撮る。
素早い素早い。路地に入りこんで、周辺を撮り尽くす。
『空堀あーとぼっくす』の人に挨拶をしようと思ったが、もう閉まっていた。
『デッシャロ』に入る。
先客に女性がふた組。
木造で、土の匂い、木の匂いのするようなお店。
むき出しの梁が印象的。
壁には、着物姿の女性や、昭和の少年の写真が飾られている。
メニューは、若い人の腹を満たすような配慮がなされ、ボリュームのあるセットが色々。
このメンバーなら、ぐっと建築の話になるのかと思っていたら、俳句の話になった。
驚いたことに、佐藤さんが俳句を作っていたのだ。
大阪港の紅灯の巷、筋肉隆々、日焼けしたおっさんがお姉ちゃんのおっぱいを揉み揉みしている横、筆ペンさんが、カウンターのティシュを抜き取り、そこに俳句をしたためたあの日から、佐藤さんは、ずっと俳句を作り続けていたのだ。
とんでもないシチュエーションの中、俳句初体験をした佐藤さんは、その後も俳句を作り続け、すでにノート一冊分の俳句を書いたという。
「そのノートは自宅に忘れたんだけど、事務所にあった分を持ってきたから、添削して」
添削? そういう立場の人間ではないのですが・・・。
「あなたたち、俳句を教えた人たちなんだから、責任とって、見てよ」
あれ?
B5の紙に一句ずつ綺麗に書いてある。
さすがにデザイナーである。
エエイッと、次から次に見ていく。
添削とか、○をつけるとか、とても後ろめたいのは何故だろう。
しかし、一期一会の人が俳句をはじめてくれたことは嬉しい。
遠慮なく、×をつけ、無視もし、感動的な一句に○をつける。
同じ句に筆ペンさんも○を付けた。
佐藤さんとは、まだ三回お会いしただけなのだが、友達の友達は友達だ方式に加え、俳句を始めた人への親しみで、ずいぶんと親近感が沸く。
俳句の束を見ながら、酒を飲む。
赤レンガの建築物を求めて日本全国をうろうろするなんて、俳人に通じるし、ガーデニングの本もお出しだそうだから、この人は、俳句にのめりこみそうだ。
でも、俳句の教則本とかは読まないという。
面白いなぁ。
ひとしきり俳句鑑賞をし、それから、この『デッシャロ』の内装や写真の話になる。
着物姿の人々の写真、この店のオーナーのゆかりの人であると面白いねと言っていたところに、オーナーらしき人の登場。
お向かいの『空堀あーとぼっくす』のオーナーに話を聞いてきたことを伝え、ご挨拶をする。
壁の写真は、オーナーのご家族の写真であった。
この町の基本コンセプトのように感じた。
自分たちの歴史、町の歴史、そういうものの上に根付いて生きている人たちがいるのだ。
今風のお店を作る時も同じ。いい感じで歴史に触れながら、今を生きている感じがする。
そのひとつの拠点がここで、お向かいの長屋の取り壊しをストップさせた建築家が、おおきなムーブメントを作りあげてきたようだ。
『デッシャロ』は、大阪弁の「そうでっしゃろ」からきているのだろう。
面白い。このお店にも、界隈の空気にも色々な面白さが複合的にある。
大阪というと、すぐにコテコテと言われるが、コテコテの歴史は浅い。
大阪は、コテコテ一色ではないのだ。
それ以前には含羞都市・大阪が存在し、今も存在するとわたしは信じている。
わたしにとって大阪の町を描いていくということは、大阪のコテコテの衣を剥いて、本来の大阪を浮かびあがらせることでもある。
空堀商店街界隈、この町は、まだまだ変化しそうである。
それも楽しみだが、今、この町の経糸である空堀商店街が侘び寂びを漂わせつつ、横糸である複合文化施設の進取の取り合わせが実に面白い。
このバランスは、今しかないものだろいう。
商店街の年配の経営者、年配の客。この人たちもいつかは世代交代する。
その先、どんな年齢構成の町になるのかは分からないが、余白のある渋い商店街と、若者の取り合わせ、将来の発展は発展として、今あるこの新旧のバランスが実に面白い。
上間台地の歴史、余白ある商店街の侘び寂び、周辺の長屋文化を大事にする文化的商売人の存在。そのからみ方が、今、この瞬間に輝いていると思う。
新旧ともに、輝いているのだ。
秋晴の口に咥へて釘甘し 右城墓石
(空堀、以上)
●
建物として、美しいのだ。
屋根の上には、草が生えている。それも大量に。
狙いだろうが、見事に生えて建物の一部と化している。
モダンで、今風な建築物に見えるが、これは明治時代に建てられた長屋を再生したものであるそうな。
面白い。実に面白い。
右手のショーウインドーにドーナツが見える、
細い入り口を入ると、突き当たりは、カフェらしきスペース。
入口に戻り、左手の空間を覗きこむ。
足を踏み込もうとして、あまりに床がキレイので
「ここは靴のままでいいんですか?」
と店の人に聞く。
「あっ、そのままどうぞ」
言われるままに入る。
『空堀あーとぼっくす』というお店。
女性向けのアクセサリーを扱っている。
しまった。わたしが入るような店ではなかった。
しかし、すぐに踵を返すのも躊躇われ、お愛想お愛想、ポーズだけでもときょろきょろしていると、
「Boxごとに、違うデザイナーさんの作品なんです」
と教えられ、すかさず、
「この建物は、いつ、できたんですか?」
と噛み合わない質問をし、そこから話が始まった。
ハンサムなオーナーの解説が始まる。
空堀周辺には、三つの再生複合施設がある。
『惣』は、長屋再生プロジェクト。
この長屋は、潰される寸前で助かったのだという。
七年前だか、八年前だか、この場所を駐車場にするべく、長屋の持ち主と業者が打ち合わせをしていた。
そのとき、向かいのお店、パブ『デッシャロ』から偶然出てきた建築家が、遭遇し、長屋取り壊しにストップの交渉をはじめ、そこから紆余曲折があり、再生事業につながったという。
大きな時間の省略があるのだが、
『あーとぼっくす』のオーナーは、次から次に訪れる女性客に声を掛けながらも、わたしに説明を続けてくれる。
長屋はそのまま使っているわけではなく、補強や改築をし、この形になったらしい。わたしが面白いと思ったのは、この再生された長屋にお店を出している人が、イチからのストーリーを知っていて、そのドラマを共有していることだ。だから、熱い解説になる。
解説は続き、
お向かいのパブ『デッシャロ』のオーナーも重要な存在だという。
お向かいに目をやると、これまた雰囲気のある建物なのだ。
パブのオーナーはカメラマンで、この界隈の町づくりをする人たちの拠点で、兄貴分的存在だという。
よし、夜はここで飲もう。
『惣』を見ると、『練』も気になる。
空堀商店街を北に逸れ、南に逸れ、かなり歩いているが、また歩く。
谷町筋を下り、最初の道を北に逸れると、直木三十五記念館のある『萌』。
さらに下ったところを南に逸れると、『惣』。さらに下り次の道を北に逸れると、『練』と、空堀商店街から等分の広がりを見せる。
『練』は、規模がデカかった。
チョコレートとカフェの店に若い奥さんたちの集団が飲み込まれていく。
貸し自転車、たこ焼き、建築事務所、着物学院等など。この建物、大正末期に神戸の舞子から移築されたものらしい。
空堀商店街をうろうろし、点在する三つの複合文化施設をうろうろしているうちに相当な時間が経過した。さすがに脚にくる。
ちなみに、『惣』は、江戸時代の「町衆」の自治組織を指し、
『練』は、江戸時代、この辺りで瓦の土が産出され、瓦の製造も行われていて、その瓦の製造過程で土から空気を抜く作業が“練”。
『萌(ほう)』とは、土地に根付いた文化が芽生えて欲しいとの願いから・・・らしい。
さて、
待ち合わせの地下鉄谷町六丁目に向かう。
時間通りに、俳人である筆ペンさんが現れる。
そのとき、携帯電話が鳴り、ペーパーさんが遅刻の報せ。
手品師が遅刻の報せ蒲公英よ 康生
遅刻というとこの句を思い出す。
俳句をはじめてすぐの頃に作った句だが、巧拙はともかく、遅刻というとこの句が口をつく。
ペーパーさんが来るまでの時間潰しに、筆ペンさんと、サンダーボルト書林に行く。
直木三十五記念館は、閉まっているので、入口から少し覗く。
書林の前には、靴がたくさん並んでいる。
廊下に靴が脱がれているのがとても可笑しい。
中には、オーナーの友人らしき若い人たちが、絨毯に腰をおろし、パソコンを囲んでいる。
「約束通り来ましたよ」
冷蔵庫からビール出して、横にあるナッツももらう。
筆ペンさんには、ソファを勧める。
わたしは気分的に絨毯に直に座る。
胡坐をかき、本棚を眺める。
こうして、筆ペンさんと二人で語りあうのは、初めてかも。
わたしは「銀化」誌に赤尾兜子論を書かんとしていた頃なので、兜子を語り合うことになった。
阪神間在住の筆ペンさんは、兜子がなくなった日の新聞記事まで覚えているという。十代のころの話らしいが、筆ペンさん、早熟な俳人だったのだ。
筆ペンさんは、同人誌に参加していて、近々、虚子記念館で句会があるという。一度どうですかと、お誘いいただく。関西に戻り、まだ超結社の句会に参加していない。
一度参加してみよう。筆ペンさんのいる会なら、いい刺激になることだろう。
そうこうしているうちに、ペーパーさんから連絡が入る。
ペーパーさんは、古き良き建築物を組み立て式のペーパークラフトにする人。
ゲストを連れてきてくれた。
この商店街放浪記、第7回8回に登場したデザイナーで、『赤レンガ近代建築』という本の著者、佐藤啓子さんだ。
まず『惣』に案内する。
筆ペンさんも、ペーパーさんも、佐藤さんもカメラを取り出し、『惣』を撮り、向かいのパブ『デッシャロ』を撮る。
素早い素早い。路地に入りこんで、周辺を撮り尽くす。
『空堀あーとぼっくす』の人に挨拶をしようと思ったが、もう閉まっていた。
『デッシャロ』に入る。
先客に女性がふた組。
木造で、土の匂い、木の匂いのするようなお店。
むき出しの梁が印象的。
壁には、着物姿の女性や、昭和の少年の写真が飾られている。
メニューは、若い人の腹を満たすような配慮がなされ、ボリュームのあるセットが色々。
このメンバーなら、ぐっと建築の話になるのかと思っていたら、俳句の話になった。
驚いたことに、佐藤さんが俳句を作っていたのだ。
大阪港の紅灯の巷、筋肉隆々、日焼けしたおっさんがお姉ちゃんのおっぱいを揉み揉みしている横、筆ペンさんが、カウンターのティシュを抜き取り、そこに俳句をしたためたあの日から、佐藤さんは、ずっと俳句を作り続けていたのだ。
とんでもないシチュエーションの中、俳句初体験をした佐藤さんは、その後も俳句を作り続け、すでにノート一冊分の俳句を書いたという。
「そのノートは自宅に忘れたんだけど、事務所にあった分を持ってきたから、添削して」
添削? そういう立場の人間ではないのですが・・・。
「あなたたち、俳句を教えた人たちなんだから、責任とって、見てよ」
あれ?
B5の紙に一句ずつ綺麗に書いてある。
さすがにデザイナーである。
エエイッと、次から次に見ていく。
添削とか、○をつけるとか、とても後ろめたいのは何故だろう。
しかし、一期一会の人が俳句をはじめてくれたことは嬉しい。
遠慮なく、×をつけ、無視もし、感動的な一句に○をつける。
同じ句に筆ペンさんも○を付けた。
佐藤さんとは、まだ三回お会いしただけなのだが、友達の友達は友達だ方式に加え、俳句を始めた人への親しみで、ずいぶんと親近感が沸く。
俳句の束を見ながら、酒を飲む。
赤レンガの建築物を求めて日本全国をうろうろするなんて、俳人に通じるし、ガーデニングの本もお出しだそうだから、この人は、俳句にのめりこみそうだ。
でも、俳句の教則本とかは読まないという。
面白いなぁ。
ひとしきり俳句鑑賞をし、それから、この『デッシャロ』の内装や写真の話になる。
着物姿の人々の写真、この店のオーナーのゆかりの人であると面白いねと言っていたところに、オーナーらしき人の登場。
お向かいの『空堀あーとぼっくす』のオーナーに話を聞いてきたことを伝え、ご挨拶をする。
壁の写真は、オーナーのご家族の写真であった。
この町の基本コンセプトのように感じた。
自分たちの歴史、町の歴史、そういうものの上に根付いて生きている人たちがいるのだ。
今風のお店を作る時も同じ。いい感じで歴史に触れながら、今を生きている感じがする。
そのひとつの拠点がここで、お向かいの長屋の取り壊しをストップさせた建築家が、おおきなムーブメントを作りあげてきたようだ。
『デッシャロ』は、大阪弁の「そうでっしゃろ」からきているのだろう。
面白い。このお店にも、界隈の空気にも色々な面白さが複合的にある。
大阪というと、すぐにコテコテと言われるが、コテコテの歴史は浅い。
大阪は、コテコテ一色ではないのだ。
それ以前には含羞都市・大阪が存在し、今も存在するとわたしは信じている。
わたしにとって大阪の町を描いていくということは、大阪のコテコテの衣を剥いて、本来の大阪を浮かびあがらせることでもある。
空堀商店街界隈、この町は、まだまだ変化しそうである。
それも楽しみだが、今、この町の経糸である空堀商店街が侘び寂びを漂わせつつ、横糸である複合文化施設の進取の取り合わせが実に面白い。
このバランスは、今しかないものだろいう。
商店街の年配の経営者、年配の客。この人たちもいつかは世代交代する。
その先、どんな年齢構成の町になるのかは分からないが、余白のある渋い商店街と、若者の取り合わせ、将来の発展は発展として、今あるこの新旧のバランスが実に面白い。
上間台地の歴史、余白ある商店街の侘び寂び、周辺の長屋文化を大事にする文化的商売人の存在。そのからみ方が、今、この瞬間に輝いていると思う。
新旧ともに、輝いているのだ。
秋晴の口に咥へて釘甘し 右城墓石
(空堀、以上)
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1 comments:
小池康生さま 件の句会ではおせわになりました、
さきほど、「筆ペンさん」と別れてきました。べつにあやしい関係ではありません。
ふだんの北の句会でした。
そのときだされて、中編のところにもあった坂の句は、上町台地、の坂のことだったのですね。
坂道の脇に坂ある初秋かな 貴
俳句らしい、というとへんなほめかたですが、俳句らしい季節の遷りへの感覚の転換、坂道の脇の坂に転じられて、とてもいい季節の挨拶句であり写生句でありました。
デパートを水平に楽しむように、商店街のいろんなをあるくのは、私も好きです。空堀商店街の一部分は歩いたことがあるのですが。全部、というのは快挙です。
先日お奨めした、廃墟になった市場にも、是非訪れて下さい。 吟
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