〔週俳8月の俳句を読む〕
馬場龍吉
八月の重さと明るさ
好むと好まずに拘らず生きている人間に八月は毎年巡ってくる。とは言うものの大半の日本人にその出来事は忘れ去られようとしている。戦争の加害者、被害者はそこここにいるはずなのだが。日本にも世界にも。俳句=十七音に八月がある限り忘れ去られることは無い。
国に恩売りしことあり蠅叩く 八田木枯
戦争に駆り出された、ぼくの父と同年代の八田氏であればこそ詠める俳句だ。『蠅叩』に実感と臨場感がある。男として威厳を持って蠅を叩く姿はたとえ空振りをしても畳を響かせるのだ。
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土用波砂をかぶれる星座盤 井上弘美
距離感がいい。土用波を巻き上げた潮風が砂浜の砂を吹き上げる。その砂が星座盤にかかる。星座盤の置かれている地球も星のひとつなのだ。ここに悠久の時間が流れる。
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鰺刺の傷つけし水すぐに癒ゆ 村上鞆彦
読後すぐに作者の優しい眼差しに出逢う。比喩は安易に使うものではないが、この作品はうまく出来ている。心を和ませてくれる。鰺刺のスピードを見ているときにひとり水面を見ている俳人がここにいる。
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すいれんにけふのしろさのとどけらる ま り
睡蓮に白は付き過ぎとも言えるが、仮名表記のこの一句には不思議な「しろ」があふれている。「けふのしろさ」が眼目であろう。切れ字がない分、白い光はすいれんを照らし続けるのだ。
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多民族国家のやうに桜の実 橋本 直
たかが地球と言うひとつの星にさまざまな国とさまざまな人種がいる。桜の実も実はいろいろな形、いろいろな顔を持っている。いや味を持っていると言ったほうが分かりやすいのだろうが。日本を離れて世界を観た作者の感慨が伝わってくる。
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死にかけの金魚を突つく金魚かな 北大路 翼
いたわっているようないたぶっているような。何か気持ち悪いことを言っているようないないような、宙ぶらりんの感覚が面白い。
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近況のあまり変はらぬ残暑かな 野口る理
若い頃の帰省はこうだ。そういう退屈さが貴重な時間と知るのは後になってからだが。それは田舎に帰れば常に口うるさい父や母がいつまでも元気で居てくれそうな気がするからに他ならない。
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白雲やきうりトマトは水に浮き 髙柳克弘
盥に浮かぶ胡瓜やトマトの気持ちの良さがプールや海に大の字に浮かぶ自分のようでもあり、まさしく夏の景である。誰もがこの水に浮かぶ景色は目にしているのだろうが言いとめられてはいないように思う。「白雲」の配合のよろしさに尽きる。
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船に手を振らず八月十五日 山口優夢
先に揚げた八田氏とは年頃がずいぶんと離れている山口氏の作。もちろん戦争も戦後も知らない年代である。ここで重要なのは「八月十五日」。戦争を知る知らないに拘らず「八月十五日」はいつまでも拘りがあるのだ。〈火を食らふ見世物月のぬめりけり〉〈夜も亜細亜ながながと河風の吹く〉も亜細亜の旅吟として佳句。
■八田木枯 世に棲む日々 10句 ≫読む
■井上弘美 夏 館 10句 ≫読む
■村上鞆彦 人ごゑ 10句 ≫読む
■ま り ガーデン 10句 ≫読む
■橋本 直 英國行 10句 ≫読む
■北大路 翼 ニッポン 10句 ≫読む
■野口る理 実家より 10句 ≫読む
■髙柳克弘 ねむれる子 10句 ≫読む
■山口優夢 おいでシンガポール 10句 ≫読む
2009-09-13
〔週俳8月の俳句を読む〕馬場龍吉 八月の重さと明るさ
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