〔週俳8月の俳句を読む〕
さいばら天気
「現時点」での「此処」における「私たち」の気分の
国に恩売りしことあり蠅叩く 八田木枯
「国に恩」と聞いて戦争に思いが到ることを、どうしたものだろう。社会的・歴史的脈絡から自由でいられるはずがないのだから、そのままある特定の世代や特定の人々のことを思うしかないのか。自分は、国に恩を売った覚えなど、もちろんなく、「国」の概念やイメージの歴史的変遷のなかの、ある一瞬にたまたま引っ掛かかり、ぶらんとぶら下がるように暮らしている。…といったとりとめのない想念が、ぴしゃっ!という蠅叩の音で中断される。
音とともに真っ暗な画面。映画で言えば、の話です。蠅視点ですね。私は蠅か?
土用波砂をかぶれる星座盤 井上弘美
水平の空間意識がふたつ。土用波と星座盤。土用波には動きがあり、星座盤とは、垂直とも水平ともつかぬ「宇宙」を水平へと還元してぺらりと青いイコンのような存在。星ぼしと砂粒が、さあっと交叉する瞬間。
人間など介在しようのない美しい景色です。
蜻蛉の羽化すすみゆく水鏡 村上鞆彦
時間はしばしば空間や質感という物体のイメージを伴います。さらには音(これも物体といえば物体)のイメージも。
羽化という時間の流れ、羽化に備わる静謐を、水鏡が映す。どこまでも硬質な時間と硬質な風光を味わうために、「蜻蛉」は「せいれい」と読んだ。
すいれんにけふのしろさのとどけらる ま り
昨日と違う白さかといえば、そうなのだろうと納得。どこか別のところからもたらされた白さかといえば、それも「そう」と納得させられた。
夏のごと地下鉄の延ぶ大倫敦 橋本 直
地中を地下鉄道がうねうねと、あるいはまっすぐに延びていく。一本ではないだろう。ロンドンの地下鉄事情は残念ながら知らないが、the Tube と呼ぶことは知っている。まさにチューブのごとく。
で、夏のごとく? 地下と夏のイメージの繋がりは新鮮です。チューブがうねうねと、あるいはまっすぐに延びていく、その動的な感触は、春でも秋でも冬でもなく、やはり夏そのものだ。
大倫敦の「大」も漢字表記も、ともに効果的に興趣を醸しています。
未亡人(美人)がまだ地中 北大路 翼
ふたつの死(のイメージ)。夫と未亡人の。
きっぱり五七五(みぼうじん・かっこびじんが。まだちちゅう)。この韻律は(安易な言い方ですが)クール。
未(生成途中)、亡(喪失や滅び)、美(美は美です)がまだ空気に触れることなく地中に埋まっている。未亡人マニアでなくとも、ネクロフィリアでなくとも、ぐっとくる一句。
「ニッポン」10句は、「現時点」での「此処」における「私たち」の気分の、ある確かな部分を切り取ってみごとに表象する10句と、勝手に思い、考え、稀な愉悦をいただいた。もちろん「私たち」が誰にもあてはまるというわけではありません。
栗飯と湯気と吉本新喜劇 野口る理
吉本興業がまだ近畿ローカルだった頃、ある年代の人々にとって、吉本新喜劇と土曜の午後は分かち難くセットになっている。
一方、日本人はむかし、慎み深く暮らしていたので、栗飯を平日に焚いたりは(きっと)しなかった。この句には、だから、「ハレ」がある。けれども、突出したハレではなく、日常のすぐ隣のハレ。
「湯気」という仕掛けが、こんなにもすんなり、きちんと、暮らしに定位されていることにも注目した。
風細く吹きゐる蛇の卵かな 髙柳克弘
風の細さを叙したことにまず気持ちよく吃驚。細い風、太い風。そんなことは俳句でもそのほかでも言われたことがなかったが、たしかに細さ・太さがある気がします。
その風が、蛇の卵に吹く。卵のもつ(言いたかないけど)小宇宙的イメージ、すなわち十全に丸い形状。蛇のもつ、(これを言っちゃいけませんが)象徴機能の豊かさ。いろいろの想念が絡み合わざるを得ない句のつくりになっちゃってますが、そんなことは置いといて、ブツ感・質感の確かな表面にしっかりと、こちらの読みをとどめ置いてもくれる。
つまり、なんて奇異で、なんてオツな風景なのだろう、という感嘆に始まり、感嘆に終わる句。
夜も亜細亜ながながと川風の吹く 山口優夢
「夜も」というのだから、朝も昼も、まさに「ながながと」、そこはアジアであり、川風の吹くわけです。
「おいでシンガポール」10句は、海外、無季という2つの俳句における二大アポリアに対して、戦略性と操作性を備えてアプローチ。意欲が相当程度の成功を収めた10句と思いました。
■八田木枯 世に棲む日々 10句 ≫読む
■井上弘美 夏 館 10句 ≫読む
■村上鞆彦 人ごゑ 10句 ≫読む
■ま り ガーデン 10句 ≫読む
■橋本 直 英國行 10句 ≫読む
■北大路 翼 ニッポン 10句 ≫読む
■野口る理 実家より 10句 ≫読む
■髙柳克弘 ねむれる子 10句 ≫読む
■山口優夢 おいでシンガポール 10句 ≫読む
2009-09-13
〔週俳8月の俳句を読む〕さいばら天気 「現時点」での「此処」における「私たち」の気分の
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