〔週俳8月の俳句を読む〕
澤田和弥
ミラーボール
息もせずマーライオンは水吐けり 山口優夢
呼吸は重要か。
生物は呼吸をしなければ死んでしまう。なかにはクマムシみたいに真空でも生きられるものもいるが、何事にも例外はつきもの。社会人にも私という例外が存在している。無生物は呼吸を必要としない。酸素や二酸化炭素により、ものが劣化していくことを比喩的表現として「呼吸」と呼びうるか否かは、とりあえず置いておく。マーライオンは生物ではない、はずだ。実際にはまだ一度も観たことがないので、ここではまた聞きの情報にすがってみよう。無生物である。噴水設備の一部である。世界三大がっかりの一つである。そのマーライオンが「息もせず」水を吐いている。無生物なのだから当然といえば当然。しかし呼吸を生存の絶対条件とする生物側から見れば、それはとても奇妙なことである。無生物というだけで呼吸もせずにそこに存在しつづける。そのうえ生物の故郷たる水をずっとずっと吐き続けている。
友人等に「寝ている最中に呼吸が止まっている」と言われたことが何度もある。「いびきがあまりにもうるさいので殺意をもった」と言われたことはその倍以上あるということも付記しておく。S.A.S。そう。サザンオールスターズ。私のいびきをヒントに名曲「TSUNAMI」が生み出されたことは誰も知らない。私も知らない。今、思いついたホラである。サザンではなく、睡眠時無呼吸症候群である。寝ている最中に30秒や1分程度呼吸が止まるというもの。ギリギリまで呼吸をしないようで、顔色がたまに青くなったり、土色に近づいたりするという。私の顔はミラーボールなのかもしれない。定年退職後、ミラーボールとして第2の人生を歩むのも悪くはない。
呼吸をしていない間の私は生物なのだろうか。それとも無生物なのだろうか。最終的に呼吸が復するのだから生物のままとも言えるし、無呼吸中の私に生命を感じないとすれば相対的に無生物ということになる。呼吸だけをとって生物と無生物の間を考えるのは愚論なのかもしれない。ただ、思うのである。息もしないで水を吐き続けるマーライオンにとって、死とは何であろうか。噴水設備の一部という役割を終えるときか。それとも破壊されたときか。どちらも違うような気がする。もっと国家レベル、民族レベルの話ではなかろうか。世界三大がっかりのくせに生意気である。という私の妄想とは関係もなく、今日もマーライオンは遠いかの地で息もせずに水を吐きつづけている。学生時代から過度の飲酒によりいろいろなものを吐き出してきた私にとって、彼はもっと親しむべき存在なのかもしれない。親しむならば、マーライオンよりもスレンダーなシンガポール美人にお願いしたいところである。どこに行けば親しむことができるのか。作者の方はきっとお詳しいだろうから、今度伺いたく思う。
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2009-09-13
〔週俳8月の俳句を読む〕澤田和弥 ミラーボール
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