2009-09-06

〔週俳8月の俳句を読む〕中村遥 心にある重たさが

〔週俳8月の俳句を読む〕
中村 遥
心にある重たさが


失礼ながら句歴の浅い私はこの機会を頂き初めて八田木枯氏の句を読ませて頂いた。読ませて頂き円熟した技、滋味深き表現、独自な世界に魅了されてしまった。八田氏は大正14年生まれであることを知り、そして同人誌「晩紅」句集「夜さり」を知った。

さて、「世に棲む日々」と題した10句。前半5句は蠅の息する世界であり後半5句はチンドン屋の踊る世界である。はるか遠くへ時空を遡ったなんとも不思議な世へと曳きこまれてしまった。戦後の匂いを漂わせた強烈に胸に迫るものが存在する。衝撃的でもあるが何と表現していいのかわからぬ不思議な断絶した空気も漂うのである。それは何なのだろう。作者の洒脱した感性か、歳を重ねた人間味であろうか。時の流れであろうか。

蠅除のうすあさぎいろなだれたる   八田木枯

夜に入りて蠅帳の目の峙ちぬ

私にとって懐かしいというのでもないし全く知らない世界でもない。遠い遠い昔もう消えつつある記憶がこれらの句によって思い起こされそしてまたその記憶によってさらなる記憶が甦ってくる。蠅除も蠅帳もその存在すら知らない人が多いのではなかろうか。

私もうっすらそのものの記憶はあるがそれらに「蠅除」「蠅帳」と名前が付いていることをこれらの句を読むまで知らなかった。

「蠅除」とは食卓の食べ物を覆って蠅が付くのを防ぐための網でできた折りたたみのできる小道具であり「蠅帳」とは金網を周りに張った小さな置き戸棚で蠅が入らないように食品を入れておく台所用品のことである。

〈うすあさぎいろ〉とはなんと美しい表現であろうか。確かにみずいろであったことを覚えている。その色が〈なだれたる〉という表現にも大いに納得できる。蠅除に光が射した時あるいは蠅除に視線を動かした時まさにその網目が傾れるように動くのである。〈あさぎいろ〉にしろ〈なだれたる〉にしろ誠に巧みな表現であり円熟した技を感じる。

そして夜になるとその網目が峙つという。〈なだれたる〉〈峙ちぬ〉の活写した表現の裏には何か大きなものに対する作者の心の内が窺われる。

チンドン屋踊りくねつて世を拗ねて   八田木枯

踊らねばならぬと踊るチンドン屋


チンドン屋が踊る。化粧を厚くし鬘を被り派手な衣装を纏い、世を拗ねて踊りくねっているという。そしてさらに踊らねばならぬと踊り続けているという。

強烈に重たいものが眼前に存在して休むことなく動き続けるている。心に迫るある重たさがあるのにその重たさは不思議とその回りだけに留まりその世界だけに納まっている気がしてならない。

眼前にチンドン屋は踊っているのに私との間には透明なビニールシートが張られている。

なぜだろう。生身を隠したチンドン屋だからであろうか。いや、作者との世代の差なのだろうか。

「世に棲む日々」と題して作者はどの世に棲んでいるのであろう。この平成の世に住みながらにして遠き記憶の世に棲みついておられるのだろうか。

 

爪先をしづかに揃へ螢の夜 井上弘美

静かに落ち着いた穏やかな空気が流れている句である。〈爪先を静かに揃へ〉という語彙により作者の心の有りようを実にうまく表現している。そして〈蛍の夜〉とうまく響き合っている。
女性らしい落ち着きのある安定した姿が思われる。

10句どれも有季定型の美しく整った句姿に作者の目指す俳句、そしてそれに向かう強く揺るぎない信念を感じた。


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