林田紀音夫全句集拾読 094
野口 裕
何となく老い先見えて数珠一重
平成九年、「花曜」発表句。前年に句作を中止、句の発表もこの年で終わる。そして発表した句がこれだから、もう何も思い残すことはありません、と言っているようなもの。長い年月を経て「鉛筆の遺書」と呼応しているような趣もあるが、やはりしょぼくれている。
紅蓮の日宿す落日全円に
平成九年、「花曜」発表句。発表順で次の句になる。思い残すことはありません、と言っているのは同じことだが、これの方が良い。
●
朝日まみれの嬰児襁褓を外されて
平成九年、「花曜」発表句。おそらく嬰児は元気良く泣いているだろう。「朝日まみれ」が独特の表現。なんとなく、ぐっしょり濡れたおむつを想像させる。作者は、これからの時間を生きてゆく者とこれまでの時間を生きてきた者とを脳裏に想像している。
夕闇の刻々声の方角に
平成九年、「花曜」発表の最終句。生の消えゆく彼方、そこへいざなう声がする。
これで、生前の発表句を一通り見てきたことになるが、現在、二五八頁。未発表句は四五五頁まであり、まだまだ続く。一冊の本として、読み終わったことにはならない。しかし気分としては、林田紀音夫の句業を一望する地点まで来た。なんとなく、ほっとしている。
●
2009-11-29
林田紀音夫全句集拾読 094 野口裕
Posted by wh at 0:03
Labels: 野口裕, 林田紀音夫, 林田紀音夫全句集拾読
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿