2009-12-20

林田紀音夫全句集拾読 097 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
097




野口 裕





きょうも歪んで映るぼく雨の流れた硝子
仮装の列にまぎれてぼくに帰着する

二百六十頁下段、一句目と最後の句。昭和三十六年未発表句。「ぼく」という語が使えるかどうかを試したのだろう。この試みが定着しなかったところから、紀音夫の作家としての性格がうかがえる。

福田基は、解説文で「ナルシシスト」という言い方をしているが、「ぼく」という言い方が生きる句を生産できる作家は、自己の在り方に対して他人の注釈なしにのめり込むことができるはずだろう。紀音夫の在り方は、どうもそういうところから外れる。他人の目が、まず基準としてあるのではないか。例の「うどんの箸」から見てもそんな気がする。

 

海の銀わずかに網の目が捉う
ひろがって海となり流失の量見える

二百六十頁下段、昭和三十六年未発表句。同年、「十七音詩」に、「この身よりひろがつて海となる流失」があり、第二句集に収録されている。私の好みは上掲第一句なのだが、「句の主人公は私」を追求すると、句集収録の句に行き着くだろう。

 

屈葬を恥とするやがて月明

昭和三十六年、未発表句。「いつか星ぞら屈葬の他は許されず」が、昭和三十八年「海程」発表作。上揚句は、もっとも早い屈葬の作例になる。二年の時間差は、屈葬される者と作者の距離を詰めるのに要した。

 

仲間を見る尻の不幸が石の上
椅子ごと沈降して人の足ばかり見え

昭和三十六年、未発表句。句集では消した、世俗上のちょっとした感慨や、日常の出来事が生の形で未発表句には現れる。二句目は、第二句集にある「傘の下から象につながる鎖見る」と、視点の設定が似ている。

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