2010-01-10

〔週俳12月の俳句を読む〕久保山敦子 およそ俳句的でない言葉

〔週俳12月の俳句を読む〕
久保山敦子

およそ俳句的でない言葉




息やめてしまふが別れ掛布団   長谷川櫂 
人間に管を継ぎ足す寒さかな

展宏先生が亡くなってしまわれた。朝日俳壇で展宏選を読むのが楽しみだった。
ご一緒に選をつとめておられた長谷川櫂氏には、格別な思いがおありだったろうことは、この「悼句」一連を詠むことでもじゅうぶんに伝わってくる。
一句目。亡くなってゆくひとを見つめる目がある。終の息を吐き、動かなくなった掛布団。しばらくの静寂ののちの慟哭が聞こえてくる。やがて掛布団ははがされ、もろもろの管が外される。
二句目。「管より成れる」は神が造りたもうた肉体であり、「管を継ぎ足す」は医療行為である。それを「寒さ」と捉えた。展宏氏の句を踏まえての悼句であることを思うとき、作者の技の冴えが、この句の「寒さ」をいっそう募らせているように感じられる。



死体のごとく居間に父寝るクリスマス   
山口優夢

「これこれ、優夢クン」というオトナの声が聞こえてきそうだ。昨年の角川賞の候補作「つづきのやうに」では、〈焼酎や親指ほどに親小さし〉という句に苦言を呈する選考委員がいた。
このことに触れて、高柳克弘氏は「俳句」12月号で次のように述べている。

山口氏のこの句は「親指」の「親」の喩を原義に戻し機知を効かせて〈親小さし〉と結びあわせたところに、アイロニカルな味わいが生れている。 必ずしも親子の関係を詠んだ句は父恋や母恋ばかりではない。たとえ両親であっても、ときには非常さや諧謔をもって詠うことが俳句形式にふさわしい。

さて掲句、いきなり「死体のごとく」とおよそ俳句的でない言葉が使われていて、ぎょっとする。それが「父」だというのだからなおさらである。しかしこの光景を思い浮かべるに、この家庭のあたたかさ、やすらかさが見えてくるのである。暖房がよく効いていてごろりと寝そべっても寒くない。床暖房でもしているのだろうか。からだを丸めるでもなく、まったくのリラックス状態。こんな姿でいられるなんて、父親としてこの上ない居場所にちがいない。
およそ「死」の匂いのない健全な家族だ。 



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