2010-01-10

〔週俳12月の俳句を読む〕笠井亞子 揺るぎない把握 

〔週俳12月の俳句を読む〕
笠井亞子

揺るぎない把握




寒柝の果てたる闇の匂ひけり   村田 篠

それまで聞こえていた、声や拍子木の音がふいに途絶えた時、作者の胸に去来したものは何だろう。冬の外気の中、我に返ったように自分を包む暗闇を強く意識したのだろうか。詠嘆ではなく「闇の匂いけり」と断定している、この表現のセツジツ感にひっかかった。
同じ作者の「冬の夜のことんと終る紙相撲」という句も思い出す。静けさ、それも物事の果てたあとの静謐に、この作者を惹きつけてやまないものがあるに違いない。
感覚の中で臭覚は一番脳に直結しているそうだが、「匂いけり」と言いつつ、ここで作者が感じ表現したいと願ったのは、もっと全身に押し寄せていたもの、という気がする。冬そのもの、と言えばいいのか。しんしんとした冷えが鼻孔を刺し、あらゆる色彩を混ぜつくした果てに、真っ黒になったというような色としてせまってくる、冬の夜の闇に包まれ、耳を澄ますようにしてこの人は、俳句の嗅覚を研ぎすましていたのではないか。
聴覚―視覚―嗅覚とくる欲張りな感じは、感覚を総動員してつかみたかったというセツジツ感のあらわれだったのだ。



死体のごとく居間に父寝るクリスマス   山口優夢
フライドチキンの骨はしづかに置かれけり
イヤホンのコードのごとく血の垂るる

これらの句群は、実に対象の量感の把握が的確、という気がした。作者の「見たことの実感」のかなりの部分は、この「物の計量的把握」が占めているいるのではないか。死体としかいいようのない父のボューム感。フライドチキンが食べつくされ、骨だけとなって皿に置かれる時の音への着目。さらにつつーっとしたたる血の繊細な(この句は血の濃度まで感じさせる)見立て。いづれの場合もこの揺るぎない把握に裏打ちされていると思う。イヤホンの比喩は前代未聞にして決定的。新しい商品とともに比喩も更新されてゆくのだ。
ただ、「冬川に…」の句は「肉のかたまり」がなんだかわからず閉口した。
(「かたまり」と言いながら「浮かんでいる肉」っていったい?)死体の句よりよっぽど不気味です。いったい何を詠んだものか、よろしかったらそっと教えてください。



ベランダに鉢を重ねて冬の雨   上田信治

ごく普通の何気ない光景だ。
集合住宅暮らしを続けている者にとっては、(エアコンの室外機などとともに)おなじみのベランダ風景である。
雑事の合間、もしや雨かとふと目を上げると、窓越しに鉢が重ねてあるのが見えた。今はもう植物もなく、土さえ破棄した空っぽの鉢。窓ガラスが室内との温度差に少し曇り始めている…。
そんなにあたりまえの風景なのに、なんとも俳句だ。
雨が雪に変わるほどの真冬でもなく、春を待ちわびるような性急感もない、初冬の頃だろうか。
静かに降る雨によって角がとれてゆく景色や、グレイッシュな冬独特の色彩まで感じられてくる。気に入った質感の静物画のようにゆっくり沁みてきた。


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