〔週俳12月の俳句を読む〕
堺谷真人
長谷川櫂「追悼」を読む
人を悼むとは、どういうことであろうか。
それは他者の死がもたらす喪失感と正直に向き合うことである。自己の内部にぽっかりと生じた空洞を見つめ、確認することである。そして恐らく、喪失感そのものがやがて風化し、瘢痕化するであろう予感のうちに、我とわが心の無常を歎ずることでもある。
長谷川櫂の「追悼」は、昨年11月に長逝した俳人・川崎展宏を悼む連作。
息やめてしまふが別れ掛布団 長谷川櫂
『吾輩は猫である』の末尾、猫はビールに酔って水甕の中に転落する。甕の内側にがりがり爪を立てて脱出を試みた挙句、終にその徒労なるを悟った猫が呟く。「もうよそう。かってにするがいい。がりがりはこれぎり御免こうむるよ」後年の「則天去私」にも通ずる猫の諦観である。
上掲句の「息やめてしまふ」という措辞は即物的な写生であるが、これは「息をすることに倦んで自分からやめてしまった」という諦観にも読める。息をするのに倦み、肉体という重たい桎梏から軽やかに去っていった展宏。作者の挨拶は、さりげなく、それだけに切ない。
人間に管を継ぎ足す寒さかな
人体を「骨架革嚢」と観ずるのは仏教的身体観のひとつであるが、如何にもおもくれた把握である。一方「人間は管より成れる日短」という展宏俳句にはあっけらかんとした軽みがある。作者はこの句をなぞりつつ、医療現場で人間につながれる様々な管(チューブ)に着目した。点滴、導尿、中心静脈栄養・・・有機的な管である人間と無機的な管である医療器具、その接点にこそ「寒さ」が鋭く立ち上がるのである。
熱燗やがさつな奴が大嫌ひ
寒い葬儀のあと会葬者がつれだって一献傾ける。よくある情景である。話柄はおのずと故人生前の思い出に落ちる。熱燗で舌の回りがよくなった誰かがいう。「展宏先生が一番嫌いだったのはね、要はがさつな人間なんですよ。例えばここだけの話、俳人でいえば・・・」
そういえば作者にも思い当たる節がある。しかし、弔問のあとの酒席で、自分がさも故人の殊眷を蒙った側近であったかのように、得々と裏話や楽屋話を披露してみせる厚顔こそ、当の展宏が最も嫌悪し、軽蔑したがさつさではなかったか。
そんな苦い感懐とともに冷めかけた燗酒をちびちび舐めている作者。
冬ごもりをかしなことも少しいひ
人を悼むのは非日常の営みである。従って、時間の経過と日常への回帰に伴い、悼む気持ちが薄らぐのもまた情の自然である。死別から年月がたち、故人を悼む気持ちが緩むさまを、犀利なる観察者・吉田兼好は見逃さなかった。「さはいへど、そのきはばかりはおぼえぬにや、よしなしごといひて、うちも笑ひぬ」(「徒然草」第三十段)
作者の「をかしなこと」も然り、兼好の「よしなしごと」も然り。悼む気持ちは永続し得ないという事実を言い当てている。しかし、そのような人間心理の無常を否定せず、平気で向き合うことが、実は大切なのだ。その先には「喪失感の喪失」という新たな事態が待ち受けている。この事態に対処し、死者との関係を成熟させてゆく文化装置がすなわち「偲ぶ」という営みなのである。
ちなみに「冬ごもり」の閉鎖性は濃密な人間関係を示唆する。ストレス軽減のため、言いたくもない冗談をいう。ばかばかしいようだが、これは生ける者の世界の宿命であり、智慧である。
たとふれば枯葉のごとく言葉あれ
「たとふれば独楽のはじける如くなり」これは1937年2月、碧悟桐の死を悼んだ虚子の弔句である。絢爛たる才華に恵まれた碧悟桐は、虚子終生の好敵手であった。が、終に相容れなかった。あたかも高速回転して互いに反発しあう喧嘩独楽のように。しかし今やライバルは幽明境を異にした。世の中に優れたライバルを失う喪失感ほど大きいものはない。喪失感の深さという点で、この句は卓抜な追悼句たり得ている。
一方、上掲の長谷川作は展宏俳句の特徴の一つである軽みをふまえた弔句であることは間違いない。しかし、筆者はもう一歩踏み込んだ解釈を試みたい。
由来、俳句というこのささやかな短詩型と戯れる我々の言葉は実にはかない。清新な素材、斬新な表現で人々を刮目させる俳句作品は恰も陽光に祝福された若葉、青葉の如く光輝いて見える。が、やがて多くは時流に取り残され、自己模倣の弊に陥り、忘却の彼方へと凋落してゆく運命にある。
しかし、そのような無数のはかない言の葉が厚い枯葉の層となり、豊饒な堆肥ともなれば、また後世の文華に裨益する所なしとしない。
「枯葉のごとく言葉あれ」とは、展宏俳句もまた長い歴史のなかでは忘却の運命を免れないという冷厳な認識とともに、それでもなお彼の言語的営為が、直接・間接に日本の未来の詩歌の養分となってゆくことを祈る真摯な寿ぎなのである。
(文中敬称略)
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2010-01-10
〔週俳12月の俳句を読む〕堺谷真人 長谷川櫂「追悼」を読む
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