2010-02-28

「ゼロの会」句会録

僕と鴇田さんがじゃんけんして勝負がなかなか決まらず最終的に僕が勝った市ヶ谷
「ゼロの会」句会録


鴇田智哉、関悦史、榮猿丸、中村安伸、相子智恵、神野紗希、外山一機、越智友亮
 
文:越智友亮



 「ゼロ年代俳人」、もうこれを使う他はない

平成22年1月31日(日)13時45分、JR市ヶ谷駅に6名の俳人が集まった。ここにいるのは、鴇田智哉さん、関悦史さん、中村安伸さん、相子智恵さん、外山一機さん、そして僕こと越智友亮である。あと榮猿丸さんが来られるはずなのだが、彼はまだ到着はしていない。今回この6名の方々に集まっていただいたのには理由がある。それは「ゼロの会」の発足のためである。

しかし、ここで「ゼロの会」とはなんぞやと思われる方がいるかもしれない。それは昨年末に行われた『新撰21』の出版記念シンポジウム・パーティーである新撰21竟宴で、ミーハーである僕が21人衆――いわゆるゼロ年代俳人にサイン集めをしていた際に、このメンバーで句会をしたいということをちらっと話をして、その後メールのやり取りをさせていただいた方々を中心に発足した句会である。つまり、ゼロ年代俳人のゼロ年代俳人によるゼロ年代俳人のための句会ということになる。

「ゼロの会」という名称は僕が勝手ながら決めさせていただいた。島田牙城さんの新撰21竟宴での挨拶で「ゼロ年代俳人」という言葉を使われ、それを聞き、僕はカッコよさを感じ、もうこれを使う他はないと思いこみ、このような名称になった。どうでもいい話なのだが、「コード・ギアス」の主人公であるルルーシュ・ランペルージも想起することができ、個人的にかなり好きな名称である。

さて、猿丸さんを待っている間、時間があるので席題を考えていただくことにした。決め方は僕と鴇田さんがじゃんけんして年少者からか、年長者からかを決め、そこから年齢順に四名が題を出し合うという方法。鴇田さんとじゃんけんという貴重な経験をし、勝負がなかなか決まらず、最終的に僕が勝ったので、僕からの4名――僕、外山さん、相子さん、中村さんが決めることになった。

14時までに考えてくださいね、と僕が告げ、そろそろ14時になるかならないかの手前で猿丸さんが颯爽と登場する。この時点で、出席される方が全員揃ったので、会場である法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎に徒歩で移動を開始。歩きながら、猿丸さんが「俺が遅れて来ないことはまずない」とカッコよく言っていたのだが、たぶん何かの間違いであろう。


2 そもそも句会というパッケージの価値について

10分ちょっとして、法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎に到着。途中回り道をしてしまったのだが、これは俳句の題材探しのため、と僕は言い訳めいた説明をし、考えていただいた席題を発表していただく。

今回ゼロの会では、自由題、兼題、席題という従来の句会で用いられている題の出し方をすべて試してみることにした。というのも、以前外山さんとメールをしていたときに、

「また、そのためには従来の句会の方法がベストなのかどうかを考えてみる必要があると思います。たとえば、席題をすることの価値、兼題をすることの価値、その場で選をすることの価値、さらにいえば、そもそも句会というパッケージの現代における価値についても改めて考えてみないといけないかもしれません。」

という問題提起をしていただいたからである。実際、僕は今までそのようなことを考えたことが一回もなかったので、このような意識はとても興味深く、せっかくの機会であるので、今回は自由題2句、兼題「重」を含む句による持ち寄りの3句と、席題4句という実験的な句会を行うことにしてみた(ちなみに、2次会でこの話題をしてみたかったが、できなかったので、次回したい)。

結果、外山さんが「砂」、相子さんが「行」、中村さんが「スケート」、越智が「二月」をそれぞれが出し合い、漢字がふたつ、季語がふたつというバランスのとれた席題となった。これで出句するためのすべての条件が整えられたので、作句を開始。制限時間は60分。1句につき15分掛けることができるので、十分な時間をとっていると思う。しかし、「豈Weekly」の記事にも書かれているが、俳人とする句会に出席するのが初めての関さんや、席題が苦戦されそうな作り方という印象を持つ外山さんにとっては、意外ときついのかもしれない(僕も席題は苦手だけど)。

作句時間中、僕を除く6名の方々が句帳なりメモ帳なりに俳句を作っているのが印象的であった。逆にいえば、6名からしてみると、僕が携帯電話を用いて作っているほうが、違和感があったのかもしれない。また、途中、部屋を抜けて句を作りに散歩する方々もいる中で、鴇田さんが部屋にずっとおられたことも興味深いことであった。


3 7句出し7句選、それでは始めよう

清記表には神野紗希さんの欠席投句を含めた計52句が出そろった。ゼロ年代俳人による句会がいよいよ始まるのである。ちなみに、選句数は出句数が7句であったので、同じく7句選にし、その内1句を特選とした。選句時間を20分ほど取ったのだが、いい句が多すぎて困るという過去にない経験をしながら、悩みに悩んで7句に絞ることにした。実際に選句をしてみて僕は7句選だと少ないと感じてしまったのだが、虚子の言う「選も創作」のことを考えると、さらに絞るのも有りで、そこから議論を深めていくのも面白いのかもしれない。

以下は、関さんが句会を録音していたデーターをもとにして、僕が合評の文字化をするという、いわば小林恭二の『俳句という遊び』や『俳句という愉しみ』のような句会の実況中継である。ただし、句会全体をすべて実況するのではなく、高得点句と各自の特選が入った句のみとさせていただく。それに含まれていない句は得点ごとにまとめ、作者と選者名を記すだけに留めておくことにする。それでは始めよう。


そらみつ大和はテナント募集中なる冬日にこにこ

越智 この句が本日の最高得点句になりました。越智が特選、相子さん、鴇田さん、中村さんが取られております。中村さん、どうですか。

中村 最初は特選に取った人からじゃないんですか(笑)。なんというか、本歌取りというか、〈そらみつ大和は〉も〈冬日にこにこ〉もそうですけど、そういうフレーズの力をうまく利用しつつ、これだけ幅を、尺方向を拡大させて、その中に〈テナント募集中〉というこの大和の句には、時代がテナント募集中であるみたいな社会批評的な皮肉が込められていて、なかなか技の利いた句だなと思いました。けど、ちょっと特選で取るような句ではないかな(一同笑)。7句選だから入ってきた感じの句ではあるんですけど(笑)。

越智 そうなんですか(笑)。僕はこの句の力ですね。俳句の定型を破壊していて、〈そらみつ大和は〉〈テナント募集中なる〉〈冬日にこにこ〉というどれも575とは関係がなく、韻律もよくない。先ほど中村さんが言われた「社会批判」なんですけど、〈そらみつ大和〉というただの建物があって、アパート名かなんかで、そこがテナントを募集していて、〈冬日にこにこ〉は虚子の句からきていて、なんか幸せそうな雰囲気で、この人すごいなと思った。〈なる〉がいるかどうかがちょっと微妙かな。では、アパートと思ってくれなかった鴇田さん、どうですか。

鴇田 なんか力で押し切られた。社会的なことも読もうと思ったら読めるのだけど、どちらかと言うと、ナンセンスというところがあって、〈テナント募集中〉も良かったし、まあ、うまいですよね。終わり方が〈冬日にこにこ〉で読ませちゃうというか、押し出されちゃう、自分が。つい取ってしまったという感じでした。

越智 ありがとうございます。相子さん、どうですか。

相子 〈そらみつ大和〉という枕詞から入って、それで〈テナント募集中〉になって、〈冬日にこにこ〉で締めるという。批評性ではもちろん、日本はがらがら、みたいなところがあって、それを〈冬日にこにこ〉が馬鹿っぽく抑えたところがあって、なんだかあっけからんと怖い、面白い句だなと思って。それこそ、本当に取らされてしまったという感じがします。

越智 枕詞か。

相子 〈そらみつ〉が〈大和〉にかかる。

越智 知識があったら、もっと別の読み方ができたのかも。外山さんはどうですか、このような句は。

外山 僕はなんか批評性っていうのはそうなのかなとは思うんですけど、この句で批評しなくてもいいなと思える(笑)。ただ、そういうところが気になるんですよ。だから、ベストじゃない気がするんですね、句として。たくさんある中にある感じがして、そういう位置なのかな。そこに弱さを感じた。〈テナント募集中〉という言い方が特に気になったんですよね。これがいいか悪いかになるんじゃないのかな、たぶん。この軽いというか、ものすごい今の時代じゃないとわからない言い方の感じ。これを風化するのを覚悟でいいか悪いか、というところで、僕は取らなかった。

越智 でしたら、外山さんの評価の基準って言うのは、後々の時代から見ても普遍性があるのを選ぶっていうかたちですか。今の時代じゃないとわからないから、その言葉はどうなのか、と今言われたわけじゃないですか。

外山 そうです。なんというか、今の時代じゃないとわからないからだめなのではなくて、言葉としてちょっと弱い気がして、風化してしまいそうな弱さを感じたんですよね。だから、例えば、金子兜太の句で「爆心地のマラソン」(湾曲し火傷し爆心地のマラソン)がありますけど、ああいう漢字のもっと残る言い回しがあると思うんですよね。社会批評というところに句の主題を持っていくとしたら、どうしても同時代性から免れられないと思うのですけど、だからといってそこに甘んじてはだめ。だから、ちょっと言葉が弱いと思ってだめだと思った。

越智 ありがとうございます。むずかしいな。猿丸さんも取られていないですけど。

 僕は〈テナント募集中〉まではよかったのだけど。うーん、でも、〈テナント募集中〉という言葉はもう根付いている言葉だとは思うけどね。それで、文化的にみれば、日本ってずっと〈テナント募集中〉的なとこがあるから、非常に面白いなとは思ったんですけど、〈冬日にこにこ〉でなんで虚子がでてくるのかがわからなかった(笑)。これがなければ取ったんだけど。

鴇田 やりすぎちゃった感はありますよね。

 いいなと思ったんです、僕は。外山さんがひっかかると思ったところも含めて批評だなと思って、あえてこの言葉を持ってきたところもよかったんだけど、なんで虚子なんだろう。

相子 俳句界への批評。

 俳句界への批評は要らないと思う。取りたかった句ですね。

越智 ありがとうございます。残りました関さん、どうですか。

 えっと作者ですけど(一同笑)、この句会どこで作者を名乗り上げていいのかがわからない。

越智 議論の最後にしようかなって思っていたんですけど。

そらみつ大和はテナント募集中なる冬日にこにこ   関 悦史

 〈テナント募集中〉はほとんど客観写生ですよ、これはもう。いや、街中歩いていると、田舎、地方都市ですとそこら中の店とかビルとか全部に〈テナント募集中〉が貼ってあったりするんですよ。〈そらみつ大和〉はわからない人にはわからないんですけど、確か『万葉集』に入っている雄略天皇の歌で、「虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居(そらみつ やまとのくには おしなべて われこそおれ)」。

相子 よく覚えていますね。

 天皇がなんか女の子を見かけて口説いている歌。あれにでてくるやつで、今日本中が不況でこういう状態だなというところから批評的なところまでいって、それで出来ちゃったという。

 虚子は。

 これはほとんど自動的に出てきちゃって、空き店舗に冬日が射していると、中の空間まで目立って、明るい馬鹿らしい感じが。

 そこで押さえてみてもいいんじゃないかな。

 うーん。

越智 ありがとうございます。

 作者の代表句として残る句じゃないよね(笑)。

相子 いやいや、今年の代表句にしてみたら(笑)。

越智 1月の時点で(笑)。続きまして3点句に向かいたいと思います。

鳥居ひとつ付け裏山のねむりかな

越智 これは関さんが特選。猿丸さん、中村さんがお取りです。関さん、特選の弁をお願いします。

 これは最初に7句選んでいるときに素通りしてしまって、それからずっと見直している間に浮上してきたという、じわじわと利いてきた句でして、〈付け〉がちょっと作為的かな、と思いながらも、なんとなく鳥居の違和感が目立って、裏山という妙に近い空間でもあるけど、〈鳥居ひとつ付け〉というのが、どうも現実でありながら現実離れをしている感じがあって、渾然一体となって生きている、山全体が生き物かなにかの生気を帯びているかなんなのかよくわからない状態で眠っているという不気味なふわっとした感じが出ていて面白かったですね。

越智 ありがとうございます。中村さん、お願いいたします。

中村 山眠るという季語から出発した句だと思うんですけど、やっぱり〈付け〉という理由をつけているところに、山自体の、先ほど関さんがおっしゃった通りに、山自体が生きているかのような、意志を持っているような感じがあらわれていて、すごく不思議な感じですよね。裏山というところの身近さがきいているのかなと思うんですけど、不気味なんだけど、ちょっとかわいいような気もするというか、そういう不思議な魅力のある句です。

越智 ありがとうございます。猿丸さん、お願いいたします。

 そうですね。不思議な句というかね、景としては普通の景なんですけど、言い方が、〈かな〉とか、〈付け〉とかね、ひっかかるところがたくさんあるんですけど、その作為のあるところが面白いというか、作り物っぽいんですよ。なんだろうな、書き割りじゃないんだけど、わざと作り物っぽく見ているところ。それと「山眠る」という季語の虚構性も重なって、面白い効果が上がっているな、と思っていただきました。

越智 ありがとうございます。確かに関さんが言われたように、聞いていますと、だんだんとじわじわきますね(笑)。鴇田さんはどうですか。

鴇田 僕は〈付け〉がちょっと気になったかな。取った人は〈付け〉がよかったということなんだけど。もともと「山眠る」は、擬人的な言い方だから、〈付け〉で擬人化が重なっている。普通にいえば、「ある」ですよね。「鳥居ひとつある」とか。でも、改めて句を見てみると、「山」でなく、わざわざ〈裏山〉にしていたり、結構凝っている句なんだな、と今思っている。だから、きっと作者には狙いがあって、その狙いが気持ちよかった人は取れたんだとは思います。

越智 ありがとうございます。外山さんはどうですか。

外山 そうですね。これはいいと思うんですけど、さっき鴇田さんがおっしゃったとおり、〈付け〉を気になるからといって「ある」にしてしまったら面白くないんですよね。うーん、僕は作り込んでいる感じがあって、そこが楽しいと思うか。山じゃなくて〈裏山〉だったり、こういう書き割りの風景みたいな感じがするし、それはただの写生じゃなくて、作り込んでいって、実際にある風景としても、言葉で作り込んでいった感じ。それが全体として、怪しい雰囲気の句になっていることだと思うんですけど。あ、いいなと思うけれども、作っている感じがなんとなく気になる、はい。

越智 ありがとうございます。相子さんはどうですか。

相子 擬人化っていうところをどう取るかですよね。

越智 〈付け〉ではなくて「山眠る」の擬人化ですか。

相子 「山眠る」自体がそういう季語ですが、〈付け〉のところですよね。山が〈付け〉ている、をどう取るかというか、どうするか。

越智 先ほどの句と同じように〈テナント募集中〉とか〈付け〉とかで評価が分かれますね。

鴇田 作者は山と同化しているのかもしれないですよね。〈付け〉って言うのは、〈鳥居〉が気になってて。だから、こういう風に山が主体になっているのかも。

 なんか奥行きが無い感じ。

鴇田 うーん。

 なんかべったりしている。

鴇田 そうそう。そういう意味では、〈裏山〉がきいているのかな。近くにあるというか。

 裏が無かったら通用しないですよね。

中村 色彩的に〈鳥居〉は赤。山が眠っている真っ黒の塊という感じがイメージされて。そういう効果もあるのかな。

 〈鳥居〉が「墓」だったら通用しない。意外と要素の一個一個が選別されているんですよ。〈ひとつ付け〉で擬人化になるという、山が眠るという季語の擬人化、さらに押し進めて擬人化しているけど、それが〈裏山〉という地理的に定義されているから、実際の土地でもあるというよくわからない効果が出ているという。んで、作者は誰でしょうか。

相子 すみません。これっていつ名乗ればいいのですか(笑)。なんだろう、ふだん擬人化って成功しにくいから絶対NGなんですね(笑)。だから逆にやってみたいなと。

鳥居ひとつ付け裏山のねむりかな
   相子智恵

 ああ(笑)。

相子 ちょっとやってみたかったんですよ。

越智 続いて3点句は

ゴルフ練習場の網抜け二月の空

越智 これは越智、外山さんと鴇田さんが取られています。越智が最初に言いますと、なんか言っていることはただの発見であって、〈ゴルフ練習場の網抜け〉ている光景を見て、その奥にはただ〈空〉があるという光景なんですけど、そこに〈二月の〉って置いたらどうなるのかなって思ったんですけど、二月ってなんだかんだ言って微妙な空気なのかな。もうちょっとで春が来たらあたたかくなるのにならずに、結構ちょっと寒かったりするとき、三寒四温という季語があるように、微妙な感じが合ってくるのかなと思っていただきました。はい、失礼いたしました(笑)。それでは、鴇田さん、お願いいたします。

鴇田 〈ゴルフ練習場の網〉っていうのは、個人的に以前から気になっていて、ことあるごとに見ていたんです。この作者も気になっていたんでしょう。気になる場所と、今日出た「二月」という題がうまく付いたのだと思う。割と二月って、その空気感から、空に動きが感じられる月なのかな。空が気になる月というか、そのころの寒い光とかを、だだっ広いところで感じるような月だと思うんで、うまくゴルフ練習場の広い空間の感じとつながった。〈網抜け〉は、たぶん作者が通り過ぎて、視点が抜けていったってことだと思ったんです。空間の広がりが出ていて、いいなと思いました。

越智 ありがとうございます。視点が抜けていったって。

鴇田 〈抜け〉の意味を、どう取るのかは最初、ちょっと迷ったんです。作者がゴルフ練習場に体ごと入って、ゴルフ練習してから〈抜け〉てきたわけじゃないだろう。そうじゃなくて、ゴルフ練習場のそばを通りがかって、そこを〈抜け〉たところに、空がぱっと広がったのかな、と思ったんだけど。

越智 ゴルフをしている側ではないということですか。僕はゴルフ側からで。ゴルフを打っているときに……。

鴇田 ああ、作者はゴルフをする人だったらそうなるかもしれないけど。自分はゴルフ練習場に行ったりはしないから、そういう想像になっちゃった。うん。

越智 わかりました。外山さんはどうですか。

外山 そうですね。〈二月〉っていうのをどう読むかっていうところで、やっぱり中途半端というか、読みにくい感じがあって。それは季節としても捉えにくいようなところがあるんで、つまり本番じゃない気がするんですかね、季節として(笑)。だから、ゴルフ練習場、ああそうか、ゴルフ練習場から見える空か、二月、ああそうか、しっくりくるなと感じがして。〈網抜け〉っていうのは、僕はゴルフ練習場から、網から空が見えたという風に取って、〈網抜け〉という言葉がもしあるとしたら、人が網から抜けていって、出ていくというふうに見ても、ゴルフ練習場から出て行く人がいて、そこの上に〈二月の空〉が、っていうふうにしても、それはそれで成り立つのかなって思いはしましたけど、ただ、私は、ゴルフ練習場から見えた、内側から見えて、〈網〉の向こうに〈二月の空〉があるふうに思いました。視点が上にいく、それもいいなと思いました。自然に〈二月の空〉が浮かんで。

越智 ありがとうございます。関さん、どうですか。

 いや、〈抜け〉がちょっと気になって取れなかったんですよ。写生としてはよくわかるし、〈二月〉も効いているんだけど。〈網〉があって、〈空〉があるから、〈抜け〉までは言わなくてもいいのかな、とちょっと気になって。

越智 わかりました。中村さんは〈抜け〉のところで取られなかったんですか。

中村 確かに、〈抜け〉が景としては、解釈としては外山さんが言ったように、自分がいて、その空の間に網があるみたいな感じで取ったんですけど。やっぱり〈抜け〉という言い方が相応しいのかな、とちょっとあった。〈二月の空〉というのは魅力的なんですけど。あと〈ゴルフ練習場〉と空が自然につながりすぎちゃうかな、っていう。

越智 ありがとうございます。相子さん、どうですか。

相子 私もこれ予選で取ったんですけど、〈抜け〉のところが気になって。私も外山さんと同じで、網から〈二月の空〉が見えるというふうにみんなが想像すると思うので、いらないのかなと思って。それがなくても十分言葉同士がくっついている。それ自体はいい。きれいだと思ったし、〈二月の空〉っていう中途半端感が〈ゴルフ練習場〉とあっている気がしましたし。いいと思ったので、一語ですね。気になった。

越智 ありがとうございます。最後に、猿丸さん。

 猿丸の句です(笑)。

ゴルフ練習場の網抜け二月の空   榮 猿丸

越智 作者の弁はないですか。

 ないです(笑)。みなさんの言うとおり〈抜け〉がちょっと気になりますね。

越智 3点句がこれだけなんで、次どうしましょうか。

相子 私と外山さんが特選で取った〈砂に輪のかかれてゐたる冬の暮〉はどうですか。

越智 では、特選句を中心にしていきましょうか。相子さん、お願いします。

砂に輪のかかれてゐたる冬の暮

相子 これは本当に〈冬の暮〉がきいているなと思いました。「砂」という題で作られたとは思うんですけど、〈砂に輪〉が描かれているという非常に無為なことというか、丸が描かれているのは別に「春の暮」であろうと「秋の暮」でもいいんでしょうけど、この無為な感じは冬の空気感とよく合っていて、とてもさびしい句だなと思いました。なんでもないけどすごく心に残る句だなと思います。

越智 ありがとうございます。外山さんは。

外山 相子さんとほぼ同意見で、むなしい感じ。輪だから、その輪だけでいえば、非常に充実しているかたちっていうことになるんでしょうけど、少なくともここにある輪はそういうふうには見えない。ただそこに描かれているだけであって、しかも砂に描かれてあり、季節も冬である。なんか非常にむなしい感じがあって、それで取りました。

越智 ありがとうございます。この〈冬の暮〉について、ちょっと関さん、なにかありますか。

 いや、私これ最初読んで、砂浜を想像しちゃったので、そうすると砂浜に輪が描かれている句、虚子の時代からいくらでもあるもんですから、それに対する受けとして、冬の暮、そんなにきいているかどうか。必然性というか、〈砂に輪〉が描かれている俳句は割とありがちなものですから、それを受けるのにこれだと弱いかなと。

越智 わかりました。ありがとうございます。中村さん、どうですか。

中村 やっぱり〈砂に輪〉というのは、結構他にも俳句である題材なので、それを超えるほどのインパクトというか、意外性みたいなものを。

 ここで話を聞いていると、浜とは書いていないから、そこらへんの砂場のどうでもいい公園とか、都市空間の砂とかでもいいんだなと思って。

相子 逆にそんな感じで読んだんですけど。

 そう取るとそれなりにいいのかもしれない。

越智 浜とは書いていないんで、浜を想像する必要はないのかなというのがありますよね。

中村 想像してしまった。

相子 確かに。

越智 僕は虚子の句が浮かんでしまったんで。なんか輪が三つあるとかでしたよね、確か、春の浜に。

 〈春の浜大いなる輪が画いてある〉だったかな。

相子 すみません、知らなかった。

越智 そういう句があったんで。

鴇田 そういうのあったんだ。

 引用が正しいかどうか分かりませんけど。

越智 とりあえず虚子に、輪があったような句があって、インパクトがあったんで、ちょっといただけなかったんですけど。猿丸さんはどうですか。

 うん、やっぱり〈冬の暮〉がね。つきすぎって感じがしますね。それはさびしいとか、むなしいとかに、ちょっとつながりやすい。

相子 たぶんこの季がついたから、そう見えるということであって。つきすぎというよりも季語で受け取り方が変わってくるというか。

 そうだね。

越智 まあ秋とかより。やっぱ夏とかになると、砂浜が想像で即効に出てくる。それを考えたら案外冬が、春とかと比べてもいいんじゃないかなと思う面もあるんですけど。鴇田さん、どうですか。

鴇田 うーん、〈冬の暮〉がちょっと地味ですよね(笑)。あの、僕の句です(笑)。虚子にあるんですか。

砂に輪のかかれてゐたる冬の暮   鴇田智哉

越智 なんか「輪が」。

 「輪が」はいっぱいあると思いますよ。

鴇田 そっか、わかりました。

越智 では次に、鴇田さんが特選、関さんが並選で取られた

あたたかく重たきものに兎かな

越智 鴇田さん、特選の弁を。

鴇田 とっても内容がわかりやすい。兎ってこういう動物。猫だと面白くないし、なんだろう、シンプルで非常にいい。想像で思い描いて作ったんでしょうけど、重さが入ったことで存在感が出て、手に持っていて、うーん、兎ってそうなんだな、っていうこれ以外に言いようがないような感じで、いいなと思いました。

越智 ありがとうございます。関さん、どうでしょうか。

 まあ、ほとんど一緒で、一番読んでストレートに行間が伝わってくる句ということで。兎の句の例句を、いかにもこんなのありそうだから、あるかなと思って見たんですけど、なんか昔の例句なもので、兎が狩りの対象になっている句が多くて(笑)。意外にありそうでないのかもしれないなと思って。

越智 ありがとうございます。猿丸さん、どうですか。

 兎抱かないなと思ってさあ(笑)。さっき関さんが歳時記にないって言ってくれたんだけど、これはないと思う。イメージで作ったんじゃないかなという、ちょっとその辺が気になりました。

鴇田 動物園でこうね、抱かせてくれたり(笑)。

 そういうイメージになっちゃうのかな。

 あと自分で飼って抱く人がいますよね。

鴇田 飼っている人がいるからね。

 俺も飼っていたけど、抱かないよね。

 ああ(笑)。

 室内で抱くっていうこともなかったしね。室内で飼っていても大変なんだよね(笑)。まあ兎にもいろいろ種類があるのでしょうけど、あくまで俺の場合はそうだっただけで。

越智 中村さんはどうですか。

中村 こう言われるとすんなり入ってくるんですけど、なんかちょっと抵抗したくなっちゃって(笑)。ここまでストレートにきちゃうと。

 類想がどこかにきっとあるんじゃないかという疑いがあるんですけど。

中村 そういう感じに思っちゃうんですね。だから兎かどうかわからないんだけど、体が重たいっていうのは、なんかありそうな感じがして。実際あるかどうか、わからないけど。

越智 ありがとうございます。外山さん、どうですか、この句は。

外山 シンプルのようでシンプルじゃないのかもしれないですけど、〈重たき〉っていうところで、ただ、いや、なにかその「兎というものを定義しました。以上」という感じがして、それが詩になっているのかなという感じがして。なんか詩としてはシンプルすぎないかという気がしたんですよ。

越智 ちょっと興味深いんですけど、外山さんにとって詩とはなんですか(笑)。

外山 これはなんというのかな、形容詞ですよね。あたたかい、重たい、それが兎である。形容詞を使うっていうことで、動きというのかな、最後に兎っていうところに向けてすべて集中していくように、修飾する言葉が全部向かっていく、一方向の感じが、それがうまく生きていればいいんですけど、これはあくまでも兎っていうものを定義するためにだけに向かっていく、そうするといかにも定義しましたっていう感じがして。

中村 散文的なっていうことですか。

外山 そうです。

 つまり、外山さんのイメージとしては自分が、語り手が書かれているっていう句じゃなくても、外側にあるものを観察している感じの句と見えれば、書かれているっていう感じでなければ。

外山 そうですね。

中村 ちょっと逆に面白いと思ったんですが、言い方として、〈あたたかく重たきものに兎かな〉って、〈もの〉って言ったことで、なんかそこに屈折があるといえばあるのかなっていう。

 それって俳句的屈折じゃないですか。よくある屈折。

相子 なんとかのもののひとつになんとかの。

鴇田 それはよくある。

中村 ただ単に定義したこととはちょっと違うかな。

越智 なかなか難しくなってきましたね。なんか申し訳ないですね。作者は神野紗希さんでした。

あたたかく重たきものに兎かな   神野紗希

越智 続いては

冬空もまた果実なり刃を入るる

越智 猿丸さんが特選と、越智が取っております。猿丸さん、特選の弁をお願いいたします。

 ちょっとね、かっこよすぎる。〈冬空もまた果実なり〉というあたりに、草田男の「空は太初の青さ妻より林檎うく」を連想させて。冬のひりひりした空の光とか、薄い青い色とか、そうした質感が、きれいに皮をむいた果実のような感じでもあり、〈刃〉というのがつめたい光をイメージさせて、かっこよくていただきました。

越智 ありがとうございます。自分も確かに似ているんですけど、〈刃〉とはなんなんだろうなと想像しつつ、いま「光」と言われて、あ、なるほどと思って。果実といえばなんか毒々しい感じがしたんですけど、真っ青のきれいな空の色を想像すると、ちょっと毒々しくて、どこか幻想的で、〈また〉っていうところが、〈果実なり〉と言わずに、〈また果実なり〉といったことで、なんか強調されているのかな。そんな感じかな。ま、キザです(笑)。この句、相子さん、どうですか。

相子 はい、私はかっこよすぎて取れませんでした(笑)。

越智 かっこよすぎるか。関さんはどうですか。このかっこよさは。

 かっこよさというか、〈もまた〉がちょっと理屈っぽい感じが引っかかって取らなかった。

 説明っぽくなっちゃうんですよね。

越智 ああ。ありがとうございます。

 感覚的にはよくわかるんですけど。

越智 この人の光のとらえ方って面白いですよね。冬空を見ていて、果実だと思った人がいて、〈刃を入るる〉わけですよね。光が下に注ぐものではなく、上に向かっている視点は面白いなと思いますね。

相子 刃を光と読むと、ああ、なるほどなと思いました。普通にも読めるなあって、心象的な風景として。光っていうと句の感じが変わって、なるほどな。

越智 光とは限らないわけですか、よくよく考えてみれば。

相子 そうですね。そういう捉え方も素敵だなって。

越智 鴇田さんはどうですか。

鴇田 これは作者のイメージというか、冬空のイメージでできている句だと思うんですけど、どっかしら現実が無い。もうちょっと現実が欲しかったかなっていう気がするんですよね。〈冬空もまた果実なり〉でみずみずしさを感じたまではいいとして、〈刃を入るる〉というのが現実離れで気になった。現実であるのならば、この人はなにやっているのかなっていう感じがしてくるんですよね。最初、日本刀の素振りでもしているのかなって思ったんだけど(笑)。果実と刃はやっぱりくっついた言葉として出てきているから、その辺で、もうちょっと現実的なことが欲しかった。現実的なアクションなり何なり、欲しかったかなっていう気がしたんですよね。空に刃を入れるという行為自体が、ありそうで無いようなことだし、果実も比喩みたいだし、もうちょっと何か欲しいかな、というのがありました。

越智 中村さんはどうですか。

中村 うーん、そうですね。確かに景としてどう取っていいのか迷うような句だとは思うんですけどね。

越智 景かあ。外山さんはどうですか。

外山 なんか〈また果実なり刃を入るる〉ということで、ここの〈なり〉から〈刃を入るる〉というあたりで、あえてすんなり読ませないような感じの構成になっていますよね。上がいいなと思うし、冬空を果実というところとか、刃を入れるという発想もいいと思うんですけど、なんかそれが全体として、ああわかるわかるっていうと、さっき鴇田さんがおっしゃったように、なにか手ごたえがつかみにくいというのかな、どういうことなんだろうなって気がしちゃうんですよね。なんとなくわからないまでではないけど、それが実際どういうふうに景を結ぶのかというところで、ちょっとわからなかったです。

越智 ありがとうございます。作者は。

中村 中村です。

冬空もまた果実なり刃を入るる   中村安伸

越智 ありがとうございます。続いて、

スケートの深海魚めく男かな

越智 中村さんが特選です。中村さん、お願いいたします。

中村 スケートっていう題で、そのスケートをやっている人の動きみたいなものを描いた句だと思うんですけど。バランスを取るため、こう腕の動きをしたりとか、ぎこちなくもあり、不思議な感じがする動きを〈深海魚〉という言葉で表したのは、なかなか面白いな。まあ、〈男かな〉っていうのはもうちょっと別の展開を持ってきてもよかったのかなという気もしないわけではないんですけど、〈深海魚〉と言うところに魅力を感じました。

越智 ありがとうございます。外山さんはどうですか。

外山 そうですよね。スケートで冷たく張り詰めたような場と深海魚が住んでいる冷たく、空気感としても重たい感じというのと、なんというか深海の重たく動かない感じとスケートの氷のイメージっていうのとマッチしているなって思って。そこにスケートを深海魚のような様子で男がいる、滑っているっていうのはなるほどっていう感じで思いました。ただ、〈深海魚めく男かな〉っていうのがすごくはっきりと言ってて、わかりやすいんだけど、はっきりと言いすぎちゃっててもったいないな。

越智 関さん、どうですか、わかりやすさ、〈めく〉について。

 なんか取ろうかと思って悩んだんですけど、〈深海魚めく〉だけで済まさなくても、もう一歩踏み込んでしつこい写生をやったほうがよかった句なのかなって思いました、これは。

越智 ありがとうございます。鴇田さんはどうですか。

鴇田 そうですね。基本的に面白いと思いました。特に〈男かな〉っていうあたりが。「女かな」だったらあんまり面白くないですよね。〈深海魚めく〉という言葉にすべてを託しちゃっているんですけど、なんとなく無表情な感じも見えてくるし、その辺が面白いなと。あとスケート場の独特の空間が出てくるように思ったんで、まあそれは〈深海魚めく〉という言葉から海の感じがするのだろうけど。

越智 ありがとうございます。猿丸さん、この最後の〈かな〉ってどう思いますか。

 だめだね(笑)。下五が弱い。関さんが言ったとおりに描写を加えたりとか、なにか質感を付けるとか。

 〈深海魚めく〉って、深海魚っていろんな形のやつがいるからこれだと視覚描写にならないから。

越智 雰囲気ですよね。

 なんか存在感とか。

鴇田 ちょっとした違和感みたいなものが深海魚にあるのかな。まあ、取ってないんだけど(笑)。

越智 相子さんはどうですか、この深海魚。さきほどからの意見を聞いて。

相子 私もじつは予選で取っていて、深海魚とスケートがどう結び付くのかっていうところで迷って。私はあの格好の感じ、気持ち悪さというか、つるっとした感じが深海魚っぽくってなのかなと思ったんですけど。そこのつながりが、つながらないから面白いんでしょうけど、最終的に決め手にはならなかった。

越智 ありがとうございます。作者は。

 猿丸です。まじスケートという題が悪い(笑)。

鴇田 むずかしいですね。

スケートの深海魚めく男かな   榮 猿丸

越智 それでは続いて……

2点句

枯芝をさつきと同じ人が行く   鴇田智哉 (榮/関選)

耳鳴りやスケートの赤うごく見ゆ   関 悦史 (相子/外山選)

短日や砂おほひたる犬の糞   榮 猿丸 (越智/外山選)

今日は歩く日梅の蕾が空に照る   神野紗希 (越智/榮選)

冬の大三角に我は重心ブーツ重し   越智友亮 (外山/鴇田選)

星鳴るや凍てたる道に砂撒けば   相子智恵 (外山/鴇田選)

二月とは捨て自転車のやうなもの   関 悦史 (相子/鴇田選)

1点句

木のそばにみどりのじようろ春近し   神野紗希 (榮選)

警備員鍵束重し雪催   榮 猿丸 (外山選)

座ればしなる人工芝に二月かな   越智友亮 (関選)

肩に日の丸巻きてスケート勝者たり   相子智恵 (越智選)

大学や冬木を囲むタイル浮く   榮 猿丸 (中村選)

母ありて仏壇買ひに行つたきり   外山一機 (鴇田選)

なまゝゝと二月の蛇をまたぎけり   外山一機 (相子選)

透明な校塔透明な二月来る   相子智恵 (中村選)

鮫となり運ばれ行くや人の中   関 悦史 (相子選)

ペットボトルの口行儀良し春はまだ   越智友亮 (関選)

スケートを終へたる息や乱歩の忌   外山一機 (榮選)

水洟のゆるんで軽くなりにけり   鴇田智哉 (越智選)

少しずつ砂漠増やしぬ寒卵   関 悦史 (相子選)

三寒四温あくびするとき口に手を   越智友亮 (関選)

重力でつくるお菓子や寒の入   中村安伸 (関選)

緑陰に重たき魚を見てゐたり   外山一機 (中村選)

コーンポタージュ缶のコーン残りし帰宅かな   越智友亮 (榮選)

なによりも毛布のなかの暗かりき   鴇田智哉 (中村選)

無得点句は省略。


4 とにかく僕はいい句を見たいし作りたいのだ

ゼロ年代による俳人の俳句を、合評を楽しんでいただけたであろうか。この日、僕は今まで参加してきた句会の中でどれよりも心から楽しめたと思う。本当に参加してくださった方々に改めて感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとうございました。

今回ゼロの会を結成することができたのは本当に幸運なことだと思う。しかし、これに満足してはいけない。いい句を作らなければ、この会の意味をなさなくなるからだ。かつて攝津幸彦は、先に触れた『俳句という愉しみ』の中の句会で、「荒星や毛布にくるむサキソフォン」という名句を生んだ。僕はそのような名句と呼ばれる句が生まれる現場に立ち会いたい。もちろん、僕もそのような句を作るつもりではいるが(名句がすべていい句であるかどうかは別にして、とにかく僕はいい句を見たいし作りたいのだ)。

さて、本日2月28日は第2回ゼロの会が開催される。前回とはまた参加者が変わる予定だ。もしかしたら、この場でいい句が生まれるのかもしれない。そう思ってしまうと、胸がドキドキして落ち着かないのである。


※記事タイトル、小見出し等、編集部で調整させていただきました。



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2 コメント:

野村麻実 さんのコメント...

冬空もまた果実なり刃を入るる   中村安伸

すてき!!!

じゃなくて、句会楽しそうで羨ましいです!!!
文章面白かったです!また期待しています。

島田牙城 さんのコメント...

『新撰21』からの面白い広がりですね。「今、俳人は何を書こうとしているのか」を編集していて、一番感じたのは具体例が少ないということでした。澄子さんの虚子の句引用や、文香さんの蜜柑などが出てくると話がすごく見えやすいのですが、全体としては具体例が少ない。
このような句会での批評の場というのは、句評ですから当然作品が対象になって、お一人お一人の俳句感がより鮮明になるなと感じました。
越智君の物怖じしない進行も頼もしいかぎり。
上京してでも参加したいという人が出てくるかもしれませんので、声掛けを丁寧にやられるといいのではないでしょうか。
それと、一年や二年は継続なさると個々の作風にも成果があらわれるのではないかなと思います。
大いに楽しんで下さい。