2010-05-02

【週俳4月の俳句を読む】ふけとしこ

【週俳4月の俳句を読む】
それは次第に恐れへ……ふけとしこ


◎「踏青」 藤田直子

嫁姑ゐて青饅に酢が足りぬ

まず「青饅」でこの二人の年齢が想像できようか。そして、姑といて、ではなく「嫁姑ゐて」だという。足りないものが塩でも味噌でもなく「酢」だという。これで伝わるものがあるのが不思議。言いたいことを言っているような、いないような、何とも微妙なところをついた一句だと思う。こんな作品に出会うと、まだまだ俳句には無限の広がりがあるのだと思えて愉快になってくる。

柄(つか)に手をかけて覚めたる春の夢
 
自害か、もしくは刺し違えか? どきっとさせられた。春の夢にしては穏やかならぬ。というのも私が短刀・懐剣をイメージしたからであるが。昔読んだ小説に夢帖とかいうノートを作っていて、見た夢をできるだけ克明に書いておくという主人公が出てきたが、もう少し詳しく夢の内容を知りたくなってくる。いや、聞かぬが花、だろうか。何しろ「春の夢」なのだから。

◎「スピード」 満田春日

片脚づつ伸ばし蛙の脚長き

さて、どんな蛙を思おうか。ポピュラーなところで殿様蛙ぐらいがいいだろうか。
坐るとき、跳ぶとき、泳ぐとき、どの場面でも蛙は両脚を同時に同様に使っている。ではどんなときに、片脚ずつ伸ばすだろうか。相撲を取って相手を投げ飛ばすポーズのとき、というのは「鳥獣戯画」の片脚伸ばした蛙だが、そうでなくても、岸辺などを攀じ登っている彼らは先に踏み出した脚に力を入れて、残った片方の脚を引きあげる。そのとき、残っている脚の何と長いこと!
私はこれだけ蛙の動きを説明できるのに、何故、一度も句にしようと思わなかったのだろう。口惜しいな。よく見るのは、そして、さらに何かが見えるまで見続けるのは俳句の基本だけれど、何よりも句にしようという気構えが大切なのだった! 

天上のふるへつたはる糸桜

早朝、幣辛夷の花びらが風もないのに微妙に震え続けるのを見たことがある。目を離すこともできず、立ち去ることもできず、魅入られたようにそこに立ちすくんでいた。それは次第に恐れへと変わっていった。糸桜では風に揺れている細枝を見るばかりで、この句のような思いを持って見たことがなかったのだが、一読、過去の幣辛夷の記憶が甦ってきた。あの時のあの花もそうだったのだろうか。
「天上のふるへ」とは言葉上のことなのかも知れないが、妙に納得してしまうのである。この世の全てに大きな力が働いているであろうことを……。


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