週刊俳句3周年記念特別顕彰企画
「週刊俳句」この一冊
『「正月」のない歳時記─虚子が作った近代季語の枠組み』
西村睦子(本阿弥書店)
懇親会席上で「「週刊俳句」この一冊」として、西村睦子著『「正月」のない歳時記─虚子が作った近代季語の枠組み』(本阿弥書店)を、「週刊俳句評論賞」というかたちで顕彰させていただきました。
〔受賞作紹介〕 ……上田信治
「週刊俳句3周年オフ会」を記念して、「「週刊俳句」この一冊」といたしまして、すぐれた俳書を顕彰させていただくことにしました。今年は、昨年12月、本阿弥書店から発行された、西村睦子さんの『「正月」のない歳時記─虚子が作った近代季語の枠組み』の業績を称え、週刊俳句評論賞をお贈りしたいと思います。
西村さんは結社「青門」に所属、平成22年から副主宰をおつとめです。今日は「青門」のみなさんもお祝いにかけつけて下さいました。(拍手)
本書は現在、わたしたちの目の前にある、季語と歳時記の、成り立ちを検証する本です。
西村さんは、今ある季語の体系が出来上がっていく過程を、明治以降の、歳時記、季寄せ、詠集といった形で編まれた本を網羅されて、もちろん江戸期のものについても、子規の俳句分類ほか広範なアンソロジーにあたられて、ひとつひとつの季語が、どの段階で生まれてどう定着していったかを、検証されました。
俳句は五七五の定型と季語でできあがっている、というのはおおかたの異論のないところだと思います。
そして、これは私たちの文化が爛熟期に入ってしまったということだと思うのですが、個々の作品に先だって、歳時記のルールがある、それは当代の我々が変えてはならない、なぜならそれは伝統だから、という考え方がある。
何年か前の「角川俳句年鑑」の片山由美子さんの総論が典型で、季節の実感を歳時記に優先させてはならない、と書かれる。これ逆じゃないんです。はたして、どうなんでしょうか。西瓜は、秋になるまで詠んじゃいけないのか。薄氷を冬の初めに見つけちゃ、いけないのかと。
そういう現行の歳時記の約束事を、西村さんは、一個一個、どの時点で、どういうふうに決まっていったのかを、検証されました。そうすると非常に面白いことが分かります。たとえば本書のどこでもいいんですが、「秋出水」「出水」「水見舞」「洪水」(本書 p.306)。
何れも江戸期には題がなく、例句もほとんど見えず。子規は詠んでいない。東京に大水害があったのがキッカケで詠まれはじめる。明治36年ホトトギスに虚子の句があるんですが〈をととしの今日のことなり秋出水〉(笑)。これで、流行っちゃった(笑)というか、この句あたりを端緒に、どんどん詠まれるようになった。
で、その例の昭和9年の『新歳時記』でですね、かれこれ30年以上、ひっくるめて秋で詠まれていたこれらを「出水」は夏、秋の出水は「秋出水」ということにする、と虚子が決めちゃったんです(へー、ほー、の声)。
「出水」は、「夏」であることが決して自明ではない。ということはですね(ここからは私の思ったことですが)たとえば「出水」という言葉を、秋や夏の季語と組み合わせるとき、それは季重りと考えなくていいんじゃないか。それくらいの扱いで十分な季語なんじゃないかと。
というようなことが、全部、この本に書いてある(ホー、ハー、の声)。季語の成立過程を知ることで、今あるルールを絶対視せずに、ルールを応用できるわけです。
そしてこの本は、そういう、近代に微妙な成立をした季語を一個一個、全部!検証しています。ものすごく面白いです。
アマゾンでいったん品切れになって、すぐ再入荷して(本阿弥書店偉いです)、今朝見たら、残り2冊になってました(どよめき)。bkー1とか、楽天とか、もちろん書店でもお求めになれると思います。ぜひ手にとって下さい(拍手)。
歳時記を俳句に優先させ、違反した句をとりしまるような「歳時記警察」的な考え方は、本書以後、維持することが難しくなるんじゃないでしょうか。
今後は、われわれがそれぞれ、俳句をどうすべきか、どうあるべきかを、虚子と同じように自分本位で考えて、季語というものとつきあって、そして俳句を豊かにしていけばいい。
まさに我々の蒙を啓いて下さった啓蒙的な一書であったと考え、ここに顕彰させていただきます(拍手)。
〔受賞スピーチ〕……西村睦子さん
本日は誠にありがとうございます。ご評価いただきましたこと、文字通りありがたく光栄に存じます(拍手)。
私が書いたようなことは、本来ホトトギスの人が書くべき内容だと思うんですが(爆笑)、私のような素人が出る幕があったということは、現在の俳句の、閉塞性を物語っていると言ってもいいのかもしれません(うんうん、の声)。
私がこの本で、一番書きたかったことは、そろそろ虚子の呪縛を離れたらどうかということです。単なるおばさんが、そのことだけ言っても相手にされませんので、虚子も好き勝手にいろんなことをやったんですよ、ということを、実証しつつ書いたわけです。
かといって、私は虚子のやったことを、批難するつもりは毛頭ありません。虚子の生きた時代は、暦は変わった、熱帯や寒冷地に人が行った、衣食住すべてに西洋文明がなだれ込んできた、という、そんな激変の時期ですから、昔の季語を真面目に守っているほうが、おかしいんです。私も、虚子の立場だったら同じことをやったでしょう。
しかも虚子編の歳時記というのは結社歳時記ですから、彼が何をやろうと自由なわけです(おお、なるほど、の声)。
問題は、俳壇を受け継いだ人達がみな虚子門であったために、昭和9年の『新歳時記』を、座標の絶対的な中心に据えて、金科玉条として扱った。季語のあるべき姿を固定化して、俳壇をしばってきたということです。しかし、虚子のやったことは、その逆で、時代の変化に対応し、市場のニーズに応えて、新しい季語をどんどん作っていった。考え方が新しい人だったわけです。
どんな歳時記も、絶対ではありません。私は、歴史の中で変化を経て成立していったという『新歳時記』の一面を書いたにすぎません。そう考えると、虚子虚子とあがめる人は、かえって『新歳時記』の一面しか見ていなかった。
子規が100年経ったら俳句はおかしくなるよというようなことを言っていますが、今は、季語を詠むということが壁に突き当たっているような気がする。虚子が、もし現在に生きていれば、どんどん新しい季語を増やしただろうし、詠み方も工夫したでしょう。
『新歳時記』には8ページの「序」がありまして、その中で、虚子は「春夏秋冬は観念上のもの」とはっきり言っています。ですから、西瓜は秋にならないと詠んじゃいけないなんて、そんなバカなことはないんです。ところが、たとえば大会などで、おかしいと言って文句が来たりするんですよ(笑)。そういうことは、もう止めにしようじゃないか、と。
虚子の考え方が柔軟で、新しいニーズを取り入れていったために、ホトトギスは人気があったわけです。私は、成文化された物にしばられるのではなく、虚子の方針をこそ、受け継いでいったらどうかと、と思います。長々とすいません。ありがとうございました(大拍手)。
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